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価格をつけて出版市場に流れる「書籍」。そこに製造責任はないのか?
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今、念頭に、幻冬舎から出版された『日本国紀』なる書籍について思い浮かべている。
著者である百田尚樹氏については触れない。正直どうでもいい。同書を二度ほど通読したが、
普通のライターならば即刻キャリアが終わるであろうウィキペディアからの無断転載や稚拙な文章などなど、
その内容は論評するに値しない。百田氏は物書きとして「まともな人間から相手にされない自由」を行使したのだろう。
私が不思議に思うのは、あのような本をいまだに流通させ続けている幻冬舎の「製造物責任」だ。
あの書籍の帯には、ご丁寧にも「幻冬舎創立25周年記念出版」との惹句が躍っている。
それなりに社として力を入れた証拠だろう。だとしたら、幻冬舎はいまだに、著者自らが(!)ネット番組で、
ウィキペディアからのコピペを認めたような書籍を社の方針として流通させているということになる。
こうなると意味がわからない。ウィキペディアの通説を、しかも引用の要件さえ踏まえずに
コピペするなどという物書きとして自殺行為としかいいようのないことを著者自身が告白しているのである。
にもかかわらず幻冬舎はそれを売り続けており、そのことについて何らかの見解すら表明していない。
おそらく、幻冬舎の見城徹社長も、著者の百田尚樹氏と並んで、「売れればコピペでもいいんです」
「所詮、僕たちはウィキペディアで満足なんです」と満腔(まんこう)で主張されたいのだろう。
そうなさることはご本人たちの自由ではある。しかし、あんなものが「商品」として売られてしまっているとなると、
同じ市場の一端に属する者としては、こちらも満腔からこう主張したい。
「恥を知れ、恥を」と。