百田尚樹パクリ疑惑検証スレ【6パク目】at BOOKS百田尚樹パクリ疑惑検証スレ【6パク目】 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト503:無名草子さん 15/08/29 23:34:21.10 .net コトバンク見てきただけで他人をバカ呼ばわりもどうかと思うがな 件の文章を書いた武井秀夫氏の研究では どこかの江戸時代の文献で調べられてるんだろうが 四角い箱だけでは論文までは探せなかった リンク先にも参考著書等は無し この本を読めば詳細がわかるかもな http://www.soubunsha.co.jp/sofind.cgi?isbn=7947-0719 まあ、百田の記述は間違いとは言えなかった訳だが 唐突な記述をさらっと流すのではなく こういった書籍をひも解いて薀蓄の一つでもかましていればよかったのにな 肺結核と労咳がごっちゃに混ざった文章では 死ねは明らかに言い過ぎだが編集仕事しろぐらいは言ってもいいはずだ 504:無名草子さん 15/08/29 23:36:45.15 .net >>501 続き だが伝屍とは中国から入ってきた言葉でその語源の故事を見ると遺伝ではなく伝染病だととらえられている。 広古今五行記 http://d.hatena.ne.jp/huameizi/20100724/1279963009 次に川柳などを研究したPDFの文献 異文化理解の困難さについて─結核を巡る言説の多様さを巡って─ https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/0-kyouiku/seminar/2008sympo/04.pdf でみると江戸時代は振袖火事の伝承などから遺伝ではなく伝染病として捉えられ その治療法は鍼灸法、呼吸法、そして性的欲求不満の解消とされている。 亭主が有つての労咳さじをなげ という川柳がのこされている。 武井氏が伝屍を遺伝病と解釈したのは森鴎外をみたのかもしれない。下記文献参照。 ただし森鴎外の解釈は当時から誤り 富士川游の 傍人に注染して、速やかに一門を滅するに至る病という解釈が正しいだろう。 ついでに言うと、結核を遺伝などという主張をしたのは福沢諭吉1882/3/25時事新報の遺伝病の能力においてである。 ほぼ同じ日1882/3/24にコッホが結核菌を発見しているという。 http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/8366/1/12-1.pdf 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch