15/08/27 01:05:45.92 .net
致命的欠陥発覚。やはり百田は馬鹿だった。
げんなり三十二回
医師が帰ったあと、元丈は奥の部屋で寝ている智策の元へ向かった。
智策の布団の周りでは、何人かの内弟子たちが看病していた。肺結核は空気感染する病気だが、当時は労咳は遺伝とみなされていて、病人を隔離するという考えはなかった。
げんなり1798年(寛政10年) - 1859年(安政6年)
メンデルの法則1865年。
どうみても遺伝と認識していたはずはない。違う表現だろう。
適当なことを書くなボケが。週刊文春の校閲は全員死んでしまえ。
スクープを連発してもパクリ捏造の罪は消えないんだわ。