15/06/02 11:09:03.43 .net
>時計はなく、夜は魚の油を使った行灯くらいしか照明器具はありません。
大好きなウィキペディアも見なかったのかよ
和時計
URLリンク(ja.wikipedia.org)
行灯はどれくらい明るかったのか
URLリンク(cleanup.jp)
>さて、行灯の明るさだが、一般的には豆電球くらいといわれている。
新聞がやっと読めるか読めないかくらいの明るさだろう。しかし、暗くて大変だったと案ずるには及ばない。
一般の暮らしにはまったく支障がなかったといっていい。江戸時代に残業などはない。読み物などは昼間の明るいうちに読めば事足りる。
一日の活動時間の考え方を日の出から日没までとする旧暦(太陰太陽暦)が採用されていたのは、理にかなったものだった。
旧暦のなかで暮らす江戸の人々は、家の中において照明などは不要だったのかもしれない。
現代人が行灯を照明としてとらえることに無理があるとも思える。行灯はもともと「あかり」なのである。
考えてみれば「照明」とは何と機械的な言葉だろうか。行灯のあかりはやわらかくやさしい。
行灯があたりを照らす時間は、家族が会話をしながら就寝までの和(なご)みの時間でもあったことだろう。
どちらがすごいか劣ってるかなんていう二極化した単純な思考しか出来ない単細胞にはこんな文章は書けないでしょうね