15/03/08 16:21:09.62 .net
>>274
その司馬遼のそもそも解説とは違う、違和感があるんだよ。
正に「小窓が開いて「説明しよう!」と司会が出てくる」って感じ。
それに司馬遼とか他の作家の解説部分は数も量もすくないし。
たとえば文春3/12号78ページの最下段、「後の大名人、本因坊丈和が(中略)と述べたのは有名な話である」、
79ページ最上段、楽山と知得は「後の世に(中略)ついに決着がつかないほど実力が伯仲していた」と
続いて解説あるんだけど、後世の評価やその後の出来事なんか教えてもらいたくない。
しかもその直後に「楽山と知得は寛政の前半に(中略)急成長を遂げた」と物語の中での
まだ成長途中の二人に現在進行形で戻る。
読者は登場人物と同じ目線になって物語り世界では読者も横に立っている構造、というのが
小説の読み方として頭に染みついているので、現代と行ったり来たりされると
チャンネルをひんぱんに変えられたテレビを見ているようで戸惑う。