【何もかもが】司馬遼太郎アンチスレ【嫌い】at BOOKS
【何もかもが】司馬遼太郎アンチスレ【嫌い】 - 暇つぶし2ch577:無名草子さん
25/04/24 09:32:30.02 .net
中国の漢代にホータンを含む西域諸都市は、時には漢に服属し、時には匈奴に貢納し、時には独立して互いに攻伐したが、直接外国に統治されたことはなかった

結局西域南は漢の班超が服属させるところとなった
後のシルクロード貿易を繁栄させた立役者であるとも言える
11世紀の初めに、イスラム(カラハン朝 840〜1212)の侵攻を受けてその支配下に入った

9世紀半ば、天災とシベリア方面からのキルギスの侵入により、ウイグル遊牧帝国が崩壊すると、
帝国を構成していたトルコ系民族は、
モンゴル高原から中央アジアのオアシス地帯へと大移動を開始した

578:無名草子さん
25/04/24 10:29:19.87 .net
日本人は明治維新で儒教をすてた。一時は廃仏毀釈で仏教まで捨てた。洋学に大転換した。これを文化大革命であるとすれば、
毛沢東中国がやった文化大革命などよりも底の底からひっくりかえしたという点でははるかに大がかりで徹底している。

司馬遼太郎『花神

579:無名草子さん
25/05/11 11:27:40.52 .net
「南蛮」とは何かということをこの旅で感じたい
日本では、古くから、本朝、震旦(しんたん 中国)、天笠(てんじく インド)という3つの文明圏しかないという思い込みがあった
むろん朝鮮の存在は『古事記』『日本書紀』の時代から濃厚すぎるほどの認識があったが、文明圏としてはおおざっぱに震旦と天竺という2つの大きなものがあると認識してきた。
その三国世界観の壁を破って飛び込んできたのが、南蛮というものであった。
ちなみに、日本語解釈の上で南蛮というのはスペイン、ポルトガルのことであり、やや遅れて成立する紅毛(こうもう)というのはオランダのことである
南蛮の語感には、切支丹(カトリック)という意味の裏打ちがあり、紅毛の語感には、プロテスタントの裏打ちがあって、豊臣期末から江戸期にかけての切支丹禁制にあっては、
南蛮は全否定されるが、紅毛は江戸期が終わるまで長崎出島のオランダ館において貿易関係が続いた

580:無名草子さん
25/05/11 11:34:02.58 .net
この国のかたち
後世、津々浦々に八幡社がたてられるが奈良朝までは豊国(とよくに、い まの大分県とその附近)の宇佐にしかこの神はなかった。 
宇佐には、渡来人の 小集団が住んでいた。 
仏教渡来の世紀である6世紀の半ば過ぎ、この集団の なかで、「八幡神」という異国めいた神が湧出した。 
この神は風変わりなこ とに、巫(シャーマン)の口をかりて、しきりに国政にかんする託宣をのべる。 
欽明天皇32(571)年に湧出した時、「われは誉田天皇(ほんだのすめらみこと・ 応神天皇)である」と名乗った。 さらに仏教が盛んになると、「古(いにしえ)、
吾は震旦国(インド)の霊神なり。今は日域(にちいき)鎮守の大神なり」と託宣し新時代に調和した。
仏教をもって立国の思想にしようとしていた聖武天皇(701~756)は、「八幡 神」の仏教好きをよろこび、天平10(738)年、宇佐の境内に勅願によって弥勒 寺を建立させた。
 これが神宮寺のはじまりになる。
 「八幡神」(シャーマニ ズム)が古来の神々(多分にアニミズム)を新時代へ先導しはじめたのである。
 さらに聖武天皇が大仏を建立したとき「八幡神」はしばしばこの大事業のた めに託宣した。 聖武天皇は大いによろこび、
大仏殿の東南の鏡池のほとりに 東大寺の鎮守の神として手向山(たむけやま)八幡宮を造営した。 
神社が寺院 を守護したのである。 いわば、同格に近くなった。 これが、平安朝に入っ て展開される神仏習合という、全き同格化のはじまりになったといえる。
 平 安朝の神仏習合の思想は神々の本地(ほんじ・故郷)はインドでたまたま日 本に垂迹したということが基礎になっている。
 滑稽だが思想というのはあくまでも大まじめなものである。 こ の平安朝の思想の先駆をなしているのが、
「自分は、むかしインドの神だった」 という「八幡神」の託宣であった、と

581:無名草子さん
25/06/23 13:28:35.75 .net
司馬遼太郎は「項羽と劉邦」で、
中国では『イ亢』という坑埋め殺人を表すためだけの漢字が作られてるほど大量虐殺手法として常識だったのだろうと書いてます

582:無名草子さん
25/08/19 14:59:19.66 .net
『長安から北京へ』には、日本作家代表団の一員として訪れた北京の中央民族学院で、
「私はモンゴル人です。バヤンタイと言います」と同年齢の人物に話しかけられて、
「私は、かれに抱きつきたい衝動を覚えた」という場面がある。
一方で、その民族学院での「ここは少数民族のための学院です」との説明員の言葉に、
「人間に多数も少数もあるか」と「腹立ちを押しころした」とも述懐し、こうした感情は「自己愛の変形」だと吐露している

中国の砂漠化に話がおよぶと、「結局、農耕民族に土地を掘り返すなと主張しつづけてきた遊牧民が正しかったということだ」
といい、モンゴル人の寿命が短いという話では、
「自然と共生した人間らしい暮らしをしている証拠だ」(草原の記』)

。「蒙古へ帰る隊商の荷の中からこぼれ落ちたらしい、表に乾隆通宝と鋳られ、
裏に満州文字が書かれているその古銭を見つめながら、漠北の民族のはかない運命を思いとめどもなく涙が流れた」という。
ここで司馬さんは心に一つの決意をする。「荒れ果てていく漠北の自然に追い立てられながら長城に向かって悲痛なピストン侵略を加え続けた騎馬民族や、
オアシス国家の運命ほどはかないものはない。最後に清朝を建てた満州民族でさえ、国家どころか、民族そのものも今日の地上から蒸発し去っているのである。
その巨大な滅亡の歴史が、一枚の古銭に集約されている思いがして、もし私の生命が戦いの後まで生き続けられ
るならば、彼らの滅亡の一つ一つの主題を私なりにロマンの形で表現していきたいと、体のふるえるような思いで臍を決めた(「一枚の古銭」『古往今来』)。

583:無名草子さん
25/08/19 15:13:02.24 .net
。旧制大阪高校受験に失敗しての帰り道、合格して喜ぶ友人に向かって「自分の敗惨に泣き出したい思いを辛うじてこらえ」な
がら、一方で「俺は馬賊になったるねん、俺には馬賊が似合いや」と覚悟を決めるようにいい、「事実、私は馬賊になるつもりで大阪外語の蒙古語科に入学した」と「一枚の古銭」(『古往今来』

『街道を行く5』中国文明が蔑視を込めて付けた民族呼称についてである。「狄などという文字の形のよさといい、音の金属的な快さはどうであろう。狄は
漠然と北方の非漢民族をさす言葉だが、文字に“犬のようなやつら”という気分がある。
犬のように素早く、犬のように群れをなし、犬のように剽悍で、犬のように中国文明に無知
であるところに、草原を駆ける狄の集団の蒼穹を虹のつらぬくようなたかだかとした爽快さが感じられないか」。

「歴世の中国人には申し訳ないが、むしろしばしば農民のほうが草原の侵略者だったのではないか」(『草原の記』)

『梟の城』は武家社会における忍者という卑賤な少数民族に発想し、その後に発表した
『花咲ける武士道』では、大阪人という封建社会の中でのモラルの少数民族に興趣を覚えた」(一枚の古銭)

最後の小説に何故、モンゴルではなく韃靼を選ばれたのか」と訊ねたとき、司馬さんは「モンゴルは書きたいとは思っ
ている。だが韃靼まではどうにか固体になるのだが、モンゴルは容易に固体になってくれない。思いをめぐらすと気体になってしまうのだ」と

ウランバートルを「都市がもつ必然の性格としての猥雑さがない」といい、モンゴル人を「奇跡的なほどに欲望すくなく生きている」(『草原の記』)と評し、
1990年代に入ってモンゴルが市場経済を取り入れ、経済が混乱しているということが話題になると、「鎌倉武士のようなモンゴル人に商人の真似ごとはさせたくないな」

584:無名草子さん
25/08/31 11:44:21.05 .net
『街道を行く』には、「私のような者でも酒場で酔っぱらって
“蒙古放浪歌”などを思い出しながら歌っていると、ばかばかしいことだが、涙がにじんでしまう」

585:無名草子さん
25/09/03 16:00:05.30 .net
司馬)氏の目には、人間はすべて普通の人間に見えているが、氏は、
その普通の人間というものについてたかをくくらないのである。この作者は、およそ人間が弱いものだとも信じていないし、弱くあることが許されているとも信じていない。
大村益次郎や土方歳三は、われわれの隣人と同じような顔をしているが、これを裏返せば、われわれ自身もまた彼らと同じく、いついかなる偶然によって、
あるいは歴史の修羅場で、あたかも英雄のように振舞わねばならないかもしれない、ということを意味している。
―山崎正和(劇作家)

八咫烏、大和にすむ出雲族を征服すべく日向から来た海族を導く
「神武東征」の話で、勝利を収めた日向の海族は統一国家を建設し初代の王は神武天皇を名乗ります

果心居士は、日本に漂着したインド人パラモン僧と日本の女とのあいだに生まれた混血

飛び加藤」五尺にみたぬ小男、大和国葛城山の麓、当麻村の生まれ、山伏となって修行し、ついに人霊から脱した

鳥羽上皇の女御の安産を真言の高僧が加持祈祷する話だが、その秘儀が詳しく説明されている

586:無名草子さん
25/09/13 20:48:17.15 .net
岡潔対談集 (朝日文庫)

岡「法然、親鸞、みないけません……私は無視しております。認めません」
司馬「私は、親鸞の宗旨を何百年も信じてきた家系のせがれですが」

司馬遼太郎が学徒出陣で終戦まで満州に居て捕虜にならずに帰国した、と聞いて
「、、前世ではろくなことはしていないだろうけど、現世ではやがてよいことをするだろうということになっているのですよ、きっと」
(だから、よい仕事をせよ)と語りますが、このとき司馬遼太郎46才、坂の上の雲を産経新聞に連載して文名大いに上がりかけた頃です。
 司馬が「ソクラテスやお釈迦さんは未開の時代だったからこそあんな深い思索が出来たのだと思います」と語るのに対して岡先生:さりとて未開へ行けと奨励するわけにもいかん
。だから文士というものの使命がある。もしそうでなければ、文士とは溜まり水に湧いたボウフラとしか考えようがない。

この対談では司馬さんも負けていなくて、
国民「総員ゲリラ」なる防衛論を展開している。要するに、民兵である。
この根拠として、攘夷運動の志士たちによる「人斬り」が、案外、
国外への評判となって日本に対する抑止力になったのではないか。

587:無名草子さん
25/09/14 17:16:26.15 .net
縄田 ただ3人が共通しているのは『坂の上の雲』より前の作品なんですね。
というのは、司馬さんはその後の『翔ぶが如く』以降、小説の形を放棄し始めますよね。
小説好きの人間としては、やっぱり初めの頃のほうがおもしろいんじゃないですか。

588:無名草子さん
25/10/06 15:27:30.29 .net
踊りつかれて読んだけど
なんか全体的に作者の主張が明確ではあるけど寄りすぎていると言うかお説教がましい作品だなと感じた
作者が元新聞記者という経歴で納得

589:無名草子さん
26/01/31 00:35:21.84 .net
司馬遼太郎

「いつだったか、陳舜臣氏と神戸で食事をしていて、はなしが中国の詩のことになったとき、氏がなにか出典を示して、
男子の詩は志をのべるもので女子の詩は怨みをのべるものだ、という意味のことをいったような記憶がある。

なるほど中国人というのは詩文で何千年苦労してきただけに、おもしろい詩論があるものだとおもった。むろんこんにち、女子が志をのべてもよく、
男子が怨みをのべてもいいが、いずれにせよ、薪をたたき割ったような粗論だけに、小説にもそれが大きい場所であてはまるような気がする。

ところで、怨みものべず志ものべず、どういう衝動に駆られてか、営々として小説を書くというのは、
なにかをやたらに空費するという意味で一種の壮観であるにせよ、一面なんだかつまらないような感じがしないでもない。」
(『オール讀物』昭和46年/1971年10月号、司馬遼太郎「怨みと志」より

590:無名草子さん
26/03/11 01:19:49.81 .net
司馬遼太郎「日本人を考える」司馬遼太郎対談集 文芸春秋刊 29~30頁

司馬「戦争をしかけられたら、すぐ降伏すればいいんです。
戦争をやれば百万人は死ぬでしょう。レジスタンスをやれば十万人は死にますね。
それより無抵抗で、ハイ持てるだけ持っていって下さい、といえるぐらいの生産力を持っていればすむことでしょう。
向こうが占領して住みついたら、これに同化しちゃえばいい。
それくらい柔軟な社会をつくることが、われわれの社会の目的じゃないですか。」

591:無名草子さん
26/03/22 21:15:13.84 .net
司馬遼太郎氏が1977年に新彊を訪問した時、女真族シベ族の女性に会って感激し大喜びした。
なぜなら司馬氏にとっては「現在でも満州語や満州族の古い習慣を保ってるとされる、文献でしか知らなかったロマン枠民族」だったから
(司馬氏は戦前・戦中に満州にいたので(漢化した)満州族の人々は実際に知ってる)。
しかし当のシボ族女性は「私がシボ族なのが何が珍しいのですか?」と言って少し不機嫌になった。
それは司馬氏が、感激のあまり彼女を珍獣を見るような目で見ているように、彼女に感じさせたらからだろうと、司馬氏は述べている

592:無名草子さん
26/04/20 19:03:57.16 .net
以下、無用のことながら』
司馬遼太郎著
文春文庫

日本の古典や中国の古典は、黙読はいけません。音読すると、行間のひびきがつたわってきます。
それに、自分の日本語の文章力をきたえる上でも、じつによい方法です。

文明は精度を追求するが、文化は「こく」を追求する。
馬乳酒もそうなっていて、家々によって味がちがうというまでに、文化になっている。
同時に、近江の鮒ずしを思い出した。
大津あたりでは、家々によって味がちがい、どの家でもその「ちがい」が誇りになっているのである。

593:無名草子さん
26/04/29 22:23:22.95 .net
司馬遼太郎
唯一の推理小説にして本人が大嫌いな作品と公言している「豚と薔薇」のあとがきには、
以下のように記されている。

“他人の秘事を、なぜあれほどの執拗さであばきたてねばならないのか、
その情熱の根源がわからない。それらの探偵たちの変質的な詮索癖こそ、
小説のテーマであり、もしくは、精神病学の研究対象ではないか”

昭和33年に松本清張の「点と線」が出版され、推理小説ブームの濫觴が見え始めた時期
の文章である

594:無名草子さん
26/05/04 21:30:55.63 .net
>>8
司馬遼太郎(← 統一教会)。
明治維新はエライ!!!と、ジャップを洗脳しまくった。wwwww
♦︎西日本人はいまだにこの司馬による洗脳が解けていない wwwww
失われた40年を体験し、地域インフラの劣化を目の当たりにして、マヌケな西日本人も最近になってようやく、自らの幼稚さが身に染みてきたことだろう wwww
まじでアホウだからな。西日本人。wwwww
西日本人の多くは今でもお国自慢は明治維新。wwwww駅前にいまだに多くの銅像が建っている。
西日本人が懺悔して徹底的に反省するぐらいにまで追い詰めてこそ、そこからようやく日本が変われると言える。wwww
家系
小泉純一郎(鹿児島)麻生(福岡/鹿児島)安倍(山口)

595:無名草子さん
26/05/04 21:32:20.44 .net
>>1
関連スレ

流石だったよな小澤征爾part2
スレリンク(classical板)


小澤征爾も怪しい。

小澤のスレを保守してるのが統一教会。
すでに証明された。

596:無名草子さん
26/05/27 21:44:52.09 .net
「読んでみると真実のにおいがするのですね。人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、
何か嘘だなと思うことがあります。『歎異抄』にはそれがありませんでした」(『司馬遼太郎全講演第1巻』)


鎌倉時代というのは、一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった

597:無名草子さん
26/06/19 07:59:35.89 6NVsWpRw9
ガザの惨状によってヒトラ‐が見直されてるがクソ航空テロによる国民殺戮の惨状によって麻原彰晃が見直されてるな
霞か゛関に蠢く世界最悪の腐敗構造がサリンによってぶち壊されていたならこれほど日本は腐敗しなかったた゛ろうという話な
海に囲まれた日本でわざわざバカに都心を上空見物させるために数珠つなぎでクソ航空機飛ばしまくって莫大な温室効果ガスまき散らさせて
住宅地上空でバンハ゛ン石油ストーブ炊いてグンク゛ン氣温上昇させて大騒音で窓も明けられず灼熱地獄、上階が窓開放してるかて゛もエアコン効率
全然違うか゛室外機からは温風ガンガン大気不安定突風に雷に豪雨に熱中症にと災害連發させて人殺しまくって睡眠妨害健康被害労働生産性壞滅
静音が生命線の知的産業根絶やしに大企業献金癒着腐敗自民とともに日銀ナマポに円安誘導税金免除不正免除とお前らから金巻き上げまくって
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天下り賄賂癒着霞が関のテロリストどもを皆殺しにして新政府樹立することなくしてお前らの暗黒の未来が開放されることは絶対ないのが現実
令和の成田闘争頑張ろう! noise.web.fc2.com


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