2ch厨房が新書等のベスト 5冊目at BOOKS
2ch厨房が新書等のベスト 5冊目 - 暇つぶし2ch430:無名草子さん
11/11/16 23:35:04.00 .net
スウェーデン型福祉社会政策に興味ある人は上の『生活保障』と共に
岡沢憲芙『スウェーデンの挑戦』(岩波新書)も読んでみてください。

431:無名草子さん
11/11/24 21:05:10.28 .net
氏家幹人『かたき討ち』(中公新書)読了。この人は新書をたくさん出しているが、自分が読んだのはこれが初めて。
主に江戸時代の仇討ちの諸相をたどっっているが、正攻法ではなく絡め手というか、ややひねった角度からアプローチしている。
一章では室町時代に始まった「うわなり打」という習俗が取り上げられる。本妻や先妻が後妻を妬んで打つというもの。
殺すわけではなく、先妻が親しい女どもをかたらって後妻の家に押しかけて暴れる。これが習俗化することによって、深刻な紛争を防止するガス抜きになった。
本来の仇討ちとはかなり距離があるが、めちゃくちゃ面白いのは確か。二章は「さし腹」。これは恨む相手を名指しした上で自ら切腹することによって、
その相手も切腹に追い込まれるということである。これも普通の仇討ちとは違う復讐だが、面白すぎる。現代では、いじめられっ子の自殺がしばしば問題になり
「自殺するくらいなら戦え」などと言われたりするが、復讐のための自殺というのは案外日本の伝統から来ているのかもしれない、などと思った。
三章は「太刀取」。これは敵(かたき)が逮捕されて死刑が決まった時に、犠牲者の遺族が自分の手で処刑させてくれということ。
四章以降でも、衆道がらみの仇討ちや、女の仇討ちなど、正統からちょっと外れた事例が紹介される。特に衆道ネタは実に濃い。
七章の「狙われている者に頼まれたら、必ずかくまうのが武士の作法だった」という話も面白い。

432:つづき
11/11/24 21:05:55.33 .net
九章・十章では、仇討ちに関する制度と法について論じられる。
十一章では「妻敵討」という、姦夫姦婦つまり間男と不貞妻を寝取られ夫が討つという、これまた周辺的な事例が検討される。
十二章では仇討ちを当時の人々がどう受容していたのかに触れて、その演劇性が指摘される。
十三章では再び手続き論で「帳付」について。最後に敵討ちと武士道のあり方・考え方の歴史的変遷をざっと素描する。
よく言われるように、江戸時代初期には荒々しい戦士のリアリズムとしての武士道がまだ残っているが、後期では武士道は美学化し観念化するわけだ。
全体的に読みやすく、史料の引用もすべて現代語訳されており、サービス満点で娯楽性も高い。
ただ紹介されている諸エピソードが、当時の典型的な事例なのか特殊な事例なのかは注意して判別しながら読む必要があるだろう。
復讐と倫理・法の関係や、現代の死刑問題を考えるのにも役立つかもしれない。

433:無名草子さん
11/12/10 20:36:57.39 .net
久しぶりに来たら、良レビューが。


434:無名草子さん
11/12/14 20:17:11.07 .net
小島剛一『トルコのもう一つの顔』(中公新書)
名著であるとのネット上の評判を読んで買ったもので、結論から言うとやはり名著だった。
著者は言語学者で、トルコの少数民族言語の調査のため、トルコを何度も旅している。
一章では、自転車やヒッチハイクでトルコを旅した時の、トルコ人の人情豊かな歓待ぶりが綴られている。
二章からは「トルコのもう一つの顔」すなわち陰の部分を掘り起こしていく。
まず大きなものとしてはクルド人問題だが、トルコ当局はクルド人の存在自体すら公式には認めていないらしい。
そしてクルド語やその他の少数民族言語もトルコ語の方言だとして、独立した言語だとは認めていないと言う。
(言語学的には方言とは言えないほどかけ離れているとのこと)
著者は学問的良心に従って、少数民族と言語の調査を進めていくが、当局の妨害やトルコの知識人らの無理解に阻まれ苦闘する。
また、外国人である著者を歓待する親切でお人好しのトルコ人が、同時に少数民族や異端の宗教を露骨に差別するのである。
それが人間というもんだと言えば身も蓋もないが悲しい事実。

435:つづき
11/12/14 20:17:46.44 .net
最後にトルコ政府は、著者を懐柔しコントロールしようとする。
著者はこれに対して大人の対応をし、妥協しつつ監視されながらも最大限に機会を利用して研究を敢行する。
このあたりの駆け引きはスリリングである。そして最終的には国外退去命令を受けてしまう。
内容も興味深いが、特に驚くべきは著者のコミュニケーション能力である。
短期間で様々な少数民族言語をマスターしてしまう語学力もさることながら、
民謡を歌っては現地の人々の心に溶け込み(著者は音楽好き)、折り紙で子供の心を捉える。
外国どころか日本中を旅しても友達ひとりすらできるかどうかわからない自分には羨ましい限り。
91年出版の本で、20年前の事情であるから、その後のトルコの状況については新たに情報を得なくてはならない。
これの続編も単行本で出ていて、より本音剥き出しで書かれていてさらに面白いらしい。
名著と言っていいと思うが、ちょっと気になるのは「できすぎ」感。
著者の行動や会話を著者自身が再現し構成していて、後半は小説みたいになっている。
もう一つの名著『ルワンダ中央銀行総裁日記 』もそうだったが、著者がかっこよく描かれすぎてる感はある。
もっとも著者が言うには、謙譲の美徳などトルコでは通用しないとのこと。

436:無名草子さん
11/12/23 00:25:16.02 .net
モース研究会『マルセル・モースの世界』(平凡社新書)読了。複数の研究者による、一応入門を意識して書かれた概説書。
第一部では、モースの弟子でもあった岡本太郎との関わりを導入として、モースの人類学的直観がどのようなものであったのかを描き出している。
第二部の第一章では、レヴィ=ストロースに連なる思想的系譜を考える上で、モースにとっての「フィールド」として社会主義協同組合運動があったことが指摘される。
二章では、モースの学問的師として、母方の叔父であるデュルケムと並ぶ影響を与えた、シルヴァン・レヴィというインド学者が紹介される。
ヴェーダなどの文献を読むことによって、最初の主著『供犠論』が準備された。
第三章ではその『供犠論』と同時期に出筆された「社会主義的行動」という論文について。モースの宗教論と社会主義的思想に共通するものは何か。
第四章では、モースが従来の宗教論に対して、どのように認識論的枠組みを修正したかが検証される。
第五章は未完の『ナシオン』という著作について。しかし、この「ナシオン」なるものが(英語で言えばネイションなのだろうが)
モースにとってどのようなものなのかわかりやすくまとめられているわけではない。

437:つづき
11/12/23 00:26:16.18 .net
次の第六章はよく知られている『贈与論』についてであり、これだけはわかりやすかった。文章も他のよりわかりやすい(筆者は佐久間寛)
ただしこれも、従来の交換・所有の面から『贈与論』を見る一般的な見方とは異なり、
モースの社会主義思想や当時の経済学批判と連動した生産面についての考え方に焦点を当てた、一段階レベルの高い議論をしている。
いずれにしろ、現代の左派・右派・ポストモダン問わず「市場主義批判」的思想全般の大元締めと言っていいのではないか(柄谷行人・内田樹・中沢新一・広井良典・佐伯啓思etc…)
第七章ではモースの芸術論・音楽論での影響と「全体性」ということについて。(近代西欧的な「芸術のための芸術」ではなく、社会や人間の生活全体に関わる芸術、というようなこと)
正直、第六章以外は文章も生硬なものが多く、内容も初心者にはハードルが高い。少し歯ごたえがある方が好きな人にはいいだろう。
そういえば平凡社新書の『闘うレヴィ=ストロース』も難しくて初心者向けではなかった。
自分はモースの本は一冊も読んだことがないので、ちくま学芸文庫から出ている『贈与論』くらいはそのうち読もうかと思う。

評価 ★★★

438:無名草子さん
11/12/23 00:30:48.12 .net
今回から五段階で★を付けてみた。もちろん私の独断なので気にしないでください。

★★★★★=名著・新書ベストに推薦
★★★★ =良書・オススメ
★★★  =まぁまぁ
★★   =いろいろ不満 
★    =読まなきゃよかった

ちなみに小島剛一『トルコのもう一つの顔』(中公新書) は★★★★★です。

439:無名草子さん
11/12/23 00:49:50.34 .net
きだみのる『気違い部落周游紀行』(冨山房百科文庫)きだみのるは上の『マルセル・モースの世界』でも、モースの弟子としてチラッと言及されている。
じつは岩波新書の『にっぽん部落』がベストに入っているのだが、これは絶版なので自分は読んでいない。このまま復刊したら岩波をほめてあげたいが。
『気違い部落周游紀行』の方が絶版ではないし手に入りやすいと思う。
ちょっと事前のイメージと違い、著者は教養を前面に出し、最後までインテリとしてのアイデンティティーを捨てない。
村民とは一定の距離を取り、その知識人と民衆との微妙な距離感から一種のユーモアを引き出している。
ある意味、上から目線とも言えようが、決して蔑んでいるわけではない。文化人類学的な参与観察といった趣。
「気違い」というのは、村民の前近代性を表象しているようだが、それほど不合理な行動をしているようには見えず、やはり「気違い」というのは失礼だろうと思う。
部落は助け合い共同体ではあるのだが、人々の示す本性はむしろ、利己的で小狡く嫉妬深い。
近代的都会の感覚からは不合理に見える行動も、部落の中で生きるにはそれなりに理にかなっている。
教養も近代性もないが、彼らなりに筋の通った生活の知恵や土着の倫理を、著者は少しの揶揄を交えつつ愛情込めて描き出している。
著者はこの本を出したことで、結局村には居づらくなったらしい。さもありなんというところだが、ちょっと悲しい顛末ではある。

名著 ★★★★★

440:無名草子さん
11/12/24 00:32:01.41 .net
ヨーロッパや中東あたりの近現代史の新書でおすすめある?

441:無名草子さん
11/12/24 03:54:08.35 .net
ゲーム理論入門 武藤滋夫
★★★★

442:無名草子さん
11/12/29 16:06:01.52 .net
ニュースに騙されるな 椎名健次郎
★★★★★
テレビ局や記者クラブの実情を体験者が
ここまで大胆に書いた本はなかったと思う


443:無名草子さん
11/12/29 17:32:28.38 .net
厨房ではないが
情報提供

■下山の思想(五木寛之)(200Pくらい) 

評価 ☆☆☆☆

文字数少なめ、サクサク読めた
世代が違うと理解し辛い場所がある、戦争の時代を生きた人なら共感できるそう
現代社会を下山の時代に例えてる点が面白かった

444:無名草子さん
12/01/02 15:41:35.19 .net
適菜収が公式サイトでこのスレで選ばれたことを宣伝文句に使用しているんだけどどう思う?
俺は匿名スレでこういうことをされると自演し放題になっちゃうから、
商業利用ないしは本人の公的な使用が発覚した段階でスレから外すべきだと思う。
あまりにも評価が高いものはまた別だが、適菜収の新書がそれに該当するとも思えないし。

445:無名草子さん
12/01/02 16:39:43.30 .net
>>444
こんな場末のスレの宣伝効果なんて微々たるもんだし気にすることはないんじゃないの?
ニーチェの超訳だって、ネタとして面白い程度の評価だったし。

446:無名草子さん
12/01/02 18:52:30.73 .net
だからその程度の評価なのに
本人が公式のサイトに引用しとるのが問題なのよ
まあこのスレで紹介されたという一文を見て
はたして宣伝効果があるのかというのは俺も思うけど
こういう例があると自演して自分のサイトに載せる奴が出てくるかもしれんし
単純にスレの議論の中立性を守る意味で厭だな~と思うわけです

447:無名草子さん
12/01/03 09:13:12.21 .net
> 本人が公式のサイトに引用しとるのが問題なのよ
どういうふうに問題があるの?

448:無名草子さん
12/01/03 09:43:32.36 .net
匿名スレという設計上、自演を排除できないからな。
しかし所詮2chだし、「2ch厨房が選ぶ」と銘打ってあるし、
権威を帯びるおそれはないけどなw

449:無名草子さん
12/01/04 00:23:41.52 .net
>>444
自己愛が強そうで、一般大衆を見下してる様なところが
2ch厨房と同類だよな。だから選ばれて嬉しかったんだろうw








450:無名草子さん
12/01/09 12:17:48.37 .net
そういや、ステマって言葉をよく見かけるようになったな。
この過疎スレでやっても意味ないだろうけど。

451:無名草子さん
12/01/13 08:03:11.74 .net
新書初心者です。
新書は、一冊でザックリその分野が理解出来るものと理解してるのですが、合ってますか?

452:無名草子さん
12/01/13 08:06:37.13 .net
どう理解しようとも君の自由だよ

453:無名草子さん
12/01/13 10:59:34.80 .net
>>451
入門書や概説書みたいなタイトルなのに、中身はそうじゃない、というのも結構多いので注意。

454:無名草子さん
12/01/19 18:12:42.55 .net
人間関係を上手くやっていく本、神経図太くなる本、
対人関係のストレスを解消する本などありますでしょうか?

対人恐怖症の本はいくつか読んだけどいづれも一般論の域を出ない感じでした。

455:無名草子さん
12/01/19 21:50:48.88 .net
新書はだいたい一般論だからねぇ
自己啓発的なことを期待するのはお門違い

456:無名草子さん
12/01/21 01:23:58.62 .net
古川隆久も原武史も両方とも
大正天皇、昭和天皇という題の著書があるね(全部が新書ではないが。)
大正は古川<原、昭和は古川>原 かな?

457:無名草子さん
12/01/28 02:58:57.04 .net
>>451
遅レスですが、新書一冊ってこんなもんかもね。 つ

私は昔から「異業種の人から、業界話を聞く」のがたいへん好きなのである。
あまりに熱心に話を聞くので、相手がふと真顔になって「こんな話、面白いですか?」
と訊ねられることがあるほどである。
私が読書量が少なく、新聞もテレビもろくに見ないわりに世間の動向に何とかついて
いけるのは、「現場の人」の話を直接聞くことが好きだからである。
新書一冊の内容は、「現場の人」の話5分と等しい、というのが私の実感である。
(さよならアメリカ、さよなら中国、内田樹ブログ)

458:無名草子さん
12/01/30 17:29:02.16 .net
新書じゃなくてもいいからもっと教えて

459:無名草子さん
12/01/30 17:31:00.32 .net
>>444
このスレで選ばれたことを書いてるの?
すごいな。こんな場末のスレまでチェックしてるんだ

460:無名草子さん
12/02/04 21:06:59.73 .net
磯部潮『発達障害かもしれない』(光文社新書)読了。医学博士・臨床心理士の著者による、発達障害に関する基礎知識。
ここではあまり重症ではない軽度発達障害…高機能自閉症、アスペルガーを中心に、LD(学習障害)とADHD(注意欠陥多動性障害)にも言及する。
まずは、現代の精神医学の定説では、自閉症とは生得的な脳の障害だということを強調し、世間の無理解に警笛を発する。
著者は、医者でさえ「社会的ひきこもり」と「自閉症」の区別がついていなかった例を挙げているが、いまだに知識人の間ですら無知がまかり通っていると思われる。
(吉本隆明・上野千鶴子・養老孟司らが、自閉症に関する偏見に満ちた俗説を垂れ流していたのは、そう古いことではない)
診断に際しては、アメリカ精神医学会の診断基準「DSM-Ⅳ」か、WHOの「UCD-10」が用いられる。
また、自閉症やアスペルガーやその周辺も包含した「自閉症スペクトル」という概念も場合に応じて用いられる。
先天的な脳の疾患*であるため、基本的に根治は不可能なので、可能な限りで社会に適応できるように「療育」するということになる。

461:つづき
12/02/04 21:07:35.73 .net
学会の定説だけでなく、著者独自の考えを述べた部分も多く、中には憶測レベルのものも見られた。
精神疾患については依然としてわからない事だらけであり、著者もわからないことについては「わからない」とはっきり書いている。
しかし、わからないからと言って何もしないわけにはいかないので、臨床の現場では、経験と勘によって仮説を立て試行錯誤していくしかない事はあるだろう。
その限りで仮説だと断った上で「こうではなかろうか」と書くことは許されると思う。
ただ、「環境ホルモンや食品添加物の影響も少なからずあるのでは」などと書くのは、あまりにも根拠薄弱なのでまずいと思う。
(一応「確たる証拠はみつかっていない」と断ってはいるのだが)
こうした憶測を安易に書いてしまうと、発達障害に対する世間の俗論を批判できなくなってしまうのではないか。
若干の不満はあるが(重症の場合には言及されていないなど)こうした知識が広まる事は重要だと思うので、評価高めの星4つ★★★★。

*最近では「環境要因」も大きいという研究結果が出されている。ただし、この場合の「環境」とは「母胎内環境」などが主だと思われる。
以下参照↓
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

462:無名草子さん
12/02/08 11:30:15.13 .net
>>460
レビュー乙です。
感動しました

463:無名草子さん
12/02/08 23:35:19.47 .net
おすすめの漢字の本教えてください。

464:無名草子さん
12/02/09 01:02:49.05 .net
>>463
白川静

465:無名草子さん
12/02/20 21:06:57.52 .net
福田歓一『近代民主主義とその展望』(岩波新書)。1977年第一刷発行の岩波黄版。序章では現代史についてザッと触れる。
第一章は民主主義の歴史、第二章は民主主義の理論を検討、第三章・終章では民主主義の現状と展望、という構成になっている。
歴史編では、まず古代ギリシアのデモクラシーを検討する。これは近代民主主義に影響を及ぼしたものの基本的には別物である。
古代ギリシアでは自由民の共同体としてのポリスは初めから与えられたものであるのに対して、
近代民主主義は理論上は「社会を構成する原理」として我々が立てるものである。
この「主義」としての近代民主主義の直接の起原は、一つはアメリカ独立と憲法、もうひとつはフランス革命であった。
民主主義思想の祖と言われるロックやルソーも民主主義という語の近代的用法を確立したわけではない。
実質的な政治運動として起こったのはイギリス・ピューリタン革命である。
ここで「民主主義とは長い歴史の中で直線的に成長してきたのだ」というような通念が批判される。
英国で長い歴史を持っていたのは「立憲主義」であって、民主主義とは異なる。
この立憲主義がいかにして議会制民主制を確立し近代民主主義に繋がっていくのかが詳細に述べられる。
イギリスとフランスの革命やアメリカの独立、その他少数者の抵抗運動といった複数の契機が、法や制度や思想の変革につながり、
構成原理としての民主主義が生じた。さらに共産主義の流れも民主主義と合流する。

466:つづき
12/02/20 21:08:25.04 .net
第二章の理論編では「自由と平等」という価値原理、「代表」と「多数決」という機構原理、「討論と説得」「参加と抵抗」という方法原理がそれぞれ検討される。
第三章では、大衆化の問題、管理社会の問題、共産主義社会の問題、非西欧社会(インドや中国)の民主主義などについて。
終章では、民主主義の条件として近代的な人間個人の人格の自立(の歴史性)や、国家・ナショナリズムの問題、冷戦や軍備競争の問題などを指摘している。
この本が発行された当時の時代による制約は若干ある。当時はまだ冷戦が続いている時代。
著者はソ連に対してはかなり厳しい見方をしているが、中国の「下からの民主化」についてはかなり楽観的である。
文革の惨状がまだ伝わっていなかったのだろうか?自分が感じた違和感は僅かにそれだけであった。
正直、自分は政治学とかあまり興味が持てない方なのだが、これは文句なしの名著★★★★★
難しい言葉は使われていないが、これはまさにフーコー的な系譜学であり、正確な理解のためには精読が要求される。
新書としては品切れ絶版?であるのは解せない。岩波青版の『近代の政治思想』の方は在庫があるようだ。

467:無名草子さん
12/02/24 23:45:07.45 .net
>>464
高島俊男の本とかおすすめ。

468:無名草子さん
12/03/17 16:23:54.26 .net
>>465
乙です

469:無名草子さん
12/03/23 19:36:50.58 .net
乙です

470:無名草子さん
12/04/24 13:55:10.54 .net
乙です

471:無名草子さん
12/04/24 14:21:17.89 .net
丙です

472:無名草子さん
12/04/24 15:25:46.45 .net
誰か、働き方の教科書の感想文を宜しく。

473:無名草子さん
12/04/24 16:41:24.82 .net
丙です

474:無名草子さん
12/04/26 09:18:05.44 .net
働き方の教科書って何新書だよと思ってググったらどうやら新書じゃないようだな

475:無名草子さん
12/04/27 01:42:39.91 .net
朝永振一郎『物理学とは何だろうか・上』(岩波新書・黄版)。近代科学史を辿りながら、物理学とは、どのような学問なのかを考察する。
第Ⅰ章では、天動説から地動説への移行と、ケプラー、ガリレオ、ニュートンの業績を辿る。科学における、実験・観察・仮説演繹法の意義など。
第Ⅱ章ではワットの蒸気機関の改良から始まって、熱力学の誕生を語る。カルノー機関について詳しく説明されている。
比較的わかりやすい説明だとは思うが、やはり図があった方がよかったと思う。
カルノー、トムソン、クラウジウスなどによって誕生した熱力学から、エントロピーの概念も作り出され、これについても説明されている。
数理的な仮説演繹法によって、理論体系が整備されていくのだが、こうした科学的な思考法というのは、我々一般人には、なかなか実感レベルまで降りてこない。
明晰な文章で書かれた理系啓蒙書の名著なのだが、一般の人に勧めるのは躊躇する。理系脳を持っていない限りは、理解するのにそれなりの訓練が必要。

476:無名草子さん
12/04/27 01:43:43.25 .net
朝永振一郎『物理学とは何だろうか・下』(岩波新書・黄版)。上の後半では熱力学の歴史が詳しく書かれていたが、下巻ではそれに引き続いて、統計力学の産みの苦しみを描いている。
マクスウェルとボルツマンが熱力学に確率論を導入したわけだが、そうなると、古典力学と確率論の整合性が理論的な問題となってくる。
統計力学というのは、とうの昔に完成されきっていたものだと自分は思っていたのだが、これが書かれた時点でもまだ理論的な問題が残されているというのは意外であった。
マッハやツェルメロがボルツマンの理論を厳しく批判していたというのは初めて知った。分子の運動は力学的に決定論的であるにもかかわらず確率論を導入するのは矛盾ではないか、
とい疑問が出てくるのだが、これは結局、確率論を分子の運動の側ではなく、人間が測定する過程に導入するのだという理屈によって整合化される。
この結論に至るまで紆余曲折があるのだが、かなり難しく、説明不足の部分もあるので、素人には理解しがたい部分が多い。
思っていたより専門的なトピックに踏み込んだ内容であった。

477:つづき
12/04/27 01:45:22.53 .net
最後の「科学と文明」は科学論の講演であり、倫理的社会的な概論。
ここではゲーテによる近代科学批判が取り上げられている。実験によって「自然のベールを剥ぎとる」ような物理学のあり方とは違う科学の可能性を「地球物理学」の成果に見ている。
全体として名著だとは思うが、統計力学の話題については、ちょっと難しすぎて、文系の人に勧めるのは躊躇する。
逆に理系の人のとっては数式が省略されすぎているために却ってわかりにくい面もあるかもしれない。学部生向けの熱力学・統計力学の教科書や入門書と併読するといいだろう。
新書では、竹内淳『高校数学でわかるボルツマンの原理』、竹内薫『熱とはなんだろう』(両方ともブルーバックス)がある。後者は既にベストに入っている。
名著だけどいまいち一般性がないし自分の学力では難しかったので星4つ★★★★

478:無名草子さん
12/04/27 01:46:30.97 .net
青山拓夫『分析哲学講義』(講談社現代新書)。分析哲学の入門書的な体裁ではあるが、途中から著者が自分の哲学を実践し始めるために、
初心者には付いて行くのが大変な部分もある。永井均などと同様に、哲学においては「実技」が重要だという考え方の人のようだ。(この人は永井均らと一緒に本も出している)。
ただ基礎もできていない者にとって、いきなり実技はきつい気もする。この本ではフレーゲ・ラッセルから説き起こしているが、
分析哲学の基礎たる論理学の中身についてはほとんど解説していないし、論理式も使っていない。
講義1では分析哲学の歴史・対象・手法について、ザッと概観。述語論理学の確立と言語の分析への転回を指摘する。
講義2から5までは、フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、クワインなどの理論を追いながら、意味とは何かについて言語の分析を中心にして考察する。
講義6では「意味の貨幣」という比喩を使い、「原初的自然」や哲学的自然主義との関係から「意味」について探求する。

479:つづき
12/04/27 01:47:34.70 .net
講義7ではクリプキが登場し、固有名についての理論を検討。様相論理学・可能世界意味論について解説される。
講義8では「心の哲学」についてザッと駆け足で概観する。講義9では時間論について、マクタガートやダメットや入不二基義らの論を踏まえながら、
著者自身の思考を展開している。著者の研究者としての目下の興味は時間論にあるそうで、やや突っ込んだ考察となっており、なかなか難しい。
エントロピー増大をもって時間の矢とすることにも色々な問題があるらしく、一筋縄ではいかない。
哲学的な問題というのは、そもそも問題の意味を理解するのも難しいことが多いし、しかも哲学的な問題を自分なりに考えたことがあまりない人にとっては、
たとえば哲学的パラドックスが提出されても、それのどこがパラドックスなのかわからないことも多い。
そういう意味では読者を選ぶだろう。巻末の文献案内は非常に充実。文献リストを眺めているだけでワクワクする。読めるかどうかは別にして。★★★★

480:無名草子さん
12/04/27 01:53:08.12 .net
大庭健『「責任」てなに?』(講談社現代新書)。分析哲学系の倫理学。
この人は、永井均との独在性をめぐる論争で見かけて、その際にいささかの反感を覚えたので、ずっと敬遠していた。
この本も買ってから数年間、積ん読のまま放置。先に分析哲学の入門書を読んだので、その流れでついでに読んでしまおうと手に取る。
第一章では、倫理的責任の概念について、法的・政治的な責任概念や宗教的責任と区別しながら、規定していく。
ここでは「リスポンシビリティ」という原義から出発して、人と人との共生を前提とした、応答・呼応可能性、信頼関係の維持にコミットメントし引き受けていく態度と規定される。
レヴィナスの思想から拝借したと思しき考え方だが、レヴィナスは人間の無限責任を主張して宗教的な領域に踏み込んでいるのに対し、
著者はあくまで人間の有限性を前提としていて、宗教的な責任までは論じていない。しかし、冒頭でこのように責任を規定してしまうと、最初に結論ありきの議論に見えなくもない。
「人間には責任を負う責任がある!以上!」みたいな感じ。

481:つづき
12/04/27 01:54:06.36 .net
第二章では、決定論と因果性、自由・意志の問題という、カント的な問題系が検討されるが、ここではカントの名は出てこないで分析哲学的に論じられる。
責任倫理の問題を考える上で、この辺の問題から考えるのは順当であろう。ムーアやフランクフルトの説が紹介され、このあたりの話が個人的には一番面白かった。
ところが、この章の終わりに著者の見解が早足で開陳されるのだが、これは正直よくわからないものであった。
著者は、複雑系の科学で扱われる「自己組織化」の局面では因果的決定論が成立していないと言い、そこに自由意志の余地があると言うのだが、
なぜ「自己組織化」では決定論的ではないのか、たとえ非決定論的だとしてもなぜ自由意志が存在すると言えるのか、全く意味不明である。
このあたりは先日読んだ朝永振一郎『物理学とは何だろうか』の統計力学における古典力学的決定論と確率論の整合性を論じた部分や、
青山拓夫『分析哲学講義』のエントロピーと時間論の部分ともリンクするので、興味のある人は合わせて読んで考えてみてほしい。
第三章では、行為と無為の非対称性などについて論じられている。ここで経済学から「機会費用」の概念が持ち出されるのだが、その扱いに混乱が見られる。
「機会費用」の概念が「行為と無為の非対称性」の根拠になりうるかのように書いてある。これはむしろ逆だろう。
普通「機会費用」の概念は「行為と無為の原理的な非対称」(何かをすることが、しないことよりも常にコストが高いということ)が錯覚であることを言うために参照される。
行為と無為のどちらを選ぶのが経済的に合理的であるかは、両者の(機会費用を含めた)コストとベネフィットを勘案して決めるわけだが、
どちらを選ぶべきかは当然ながら場合によって違うとしか言えないはずである。そして著者は結局は「行為と無為の非対称性」を否定しているのだから脱力してしまう。
このあたりは単純に思考の混乱を呈しているとしか思えない。

482:つづき
12/04/27 01:55:15.67 .net
第四章では「責任の主体」と題して、主に集団の責任について論じている。
第五、六章は「役割と自己」「解離傾向」と題して、要するにある種の独我論(厳密に言えばメタ独我論か)が批判されている。
つまり社会の中の自己とは別に「本当の自分」がいるかのような考え方が、責任の放棄につながるという議論。
実際に槍玉に挙げられているのはネーゲルだが、暗に永井均が批判されているようである。
確かに、社会や他者から完全に切り離された「この私」を想定してしまうと、他者への倫理的責任という思想は意味を失い、
何をしても許されるという「善悪の彼岸」が現出する。(酒鬼薔薇の事件を想起)。
最初に結論ありきで倫理的責任の実在を確信している著者にしてみれば、こうした独我論に怒りを覚えるのは当然だろう。
個人的には「善悪の彼岸」を直視しない哲学は不徹底だと思うが、こうした倫理的な怒りもある意味合理的なものだとは思う。
第七、八章では、戦争責任や右翼テロについて。このあたりはウヨサヨ抗争を煽り立てるようなネタだが、とりあえずスルー(責任放棄w)。
終章では、責任の呼応可能性を社会システム論的モデルで基礎づけている。著者に対する印象としては、
まじめで誠実でちょっと怒りっぽいめんどくさいおっさんという感じ。長々と書いたが評価はどっちつかずの星3つ★★★

483:無名草子さん
12/04/27 04:51:09.76 .net
大庭健か。岩波だったかの新書でニーチェは弱いものいじめの哲学だとかいうふうに悪意的に曲解して
意味不明な批判をやってたキチガイという印象しかない。
この人、哲学やってるくせに、ニーチェ的による近代の倫理観j批判に対して何も応答しないところがダメダな。
『はじめての分析哲学』も分析哲学としてはわりといい本なんだが、変なウヨサヨネタを入れないで欲しい。
真っ当な左翼と言うより奴隷道徳的左翼って感じがして、本業の分析哲学分野の業績が霞んでしまう。

484:無名草子さん
12/04/27 10:28:40.31 .net
丙です

485:無名草子さん
12/05/05 19:35:54.63 .net
ブルマ&A.マルガリート『反西洋思想』(新潮新書)。これはなかなか要点が把握しにくく、感想を書くのに苦慮した。
内容をある程度要約しようと思ったのだが、まとめきれず挫折したので、細かい中身については実際に読んでみてください。
ブルマはオランダ生まれのジャーナリストで、マルガリートはイスラエル生まれの哲学者。後者は当然ユダヤ人であろう。
ここではイスラム過激派などが持つ西洋文明に対する敵意に満ちた偏見を「反西洋思想=オクシデンタリズム」と呼んでいる。
「オリエンタリズム」が西洋による東洋への善意の偏見というか余裕のある上から目線であるのに対して、
オクシデンタリズムには被害者意識と激しい憎悪がこもっている。オクシデンタリズムの系譜のルーツに遡ると、実はヨーロッパの中で生まれたものだという。
脱宗教=世俗化、近代化、都市化、資本主義化が最初に進んだのは西洋なので、それに対する反感・反動が起こったのも西洋が最初だということだろう。
日本においては戦前の「近代の超克」論がその典型として言及されている。

486:つづき
12/05/05 19:36:49.45 .net
マルクス主義も自由主義同様に進歩主義の一種だからオクシデンタリストの攻撃の的になるが、一方で毛沢東やポルポトの中にもオクシデンタリズムが見出される。
著者らは、反合理主義・反近代主義一般と狭義のオクシデンタリズムを一応区別しており、宗教的原理主義などとの同一視も慎重に避けているが、
どこに境界を置いているのかは、やや恣意的でわかりにくい。拡大解釈すれば、アダムとイヴが知恵の実食った原罪にまで遡れるんじゃないの?とも思う。
古今東西の思想史を広範に分析していて、その教養の深さには圧倒されるが、ぶっちゃければ、ユダヤ人・イスラエル人としての問題意識や政治的スタンスが、
問題の範囲を規定しているようにも見える。これは極論かも知れないが、イスラエルの安全保障に資する事を最大の目的とした思想史分析ではなかろうか。
ルース・ベネディクトの『菊と刀』同様に「敵を知るため」の戦略的分析という印象。
イスラエル寄りだからと言って分析自体にバイアスがあるわけではなく、むしろ敵を知るためだからこそバイアスを排し、冷静で客観的だと言える。
この新書はどうやら品切れ・絶版らしい。古書店で安く見つけたら買っておいて損はないと思う。★★★★

487:無名草子さん
12/05/05 19:37:49.59 .net
山井教雄『まんがパレスチナ問題』(講談社現代新書)。『反西洋思想』との関連で、パレスチナ問題を簡単に知っておこうと思って読む。
ベストに入っている、広河隆一『パレスチナ・新板』(岩波新書)はだいぶ前に読んだが、ほとんど頭に残っていないので。
イラスト部分が多いため、文章による情報量は少ない。細かいところまで詳しく書かれているとは言えないが、パレスチナ紛争全体の流れをザッと概観するには適している。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という一神教三兄弟の由来から、一応、911とイラク戦争まで。
こうした難しい国際政治的な問題に、完全に中立的・客観的立場を貫くのは不可能に近いと思われる。
が、ここではユダヤ人少年とパレスチナ人少年のキャラを登場させ、双方からの視点で意見を言わせることによって、ある程度の客観性を保つことに成功している。
著者は、サダトの現実主義を高く評価しており、それに対してアラファトに対する評価はかなり厳しい。
イスラエルのシャミルやシャロンはいかにも憎々しげに描かれているが、まぁこれは人情として仕方ないかというところ。
最後に二人の少年が、ネルソン・マンデラを見習って「融和」を目指そう、と誓い合う結末はなかなか泣けるが、やはり甘いかな~とも思う。
既に知識のある人には物足りないだろうが、無知な自分には丁度良い入門書だったので星4つ★★★★

488:無名草子さん
12/05/05 19:39:45.38 .net
臼杵陽『イスラエル』(岩波新書)。
イスラエル建国前夜から2009年現在までの歴史をたどりながら、多文化社会としての現実と国家統合の理念との鬩ぎ合い及び政治の変遷を描き出している。
ごく単純なイメージとしては「イスラエル=ユダヤ国家」であるが、何世紀も世界中に離散していたユダヤ人が移民してできた国だから、
当然、多文化・多民族で、人種すら多様であり、たとえ同じユダヤ教徒であっても一枚岩とは言えないのである。
またイスラエル国民はユダヤ教徒だけではない。アラブ人ムスリム、ドルーズ教徒、ギリシア正教徒、カトリック教徒もいる。
第一章では、この複雑極まる多文化・多民族社会の現状についての基礎知識が書かれている。
宗教的・政治的な立場も細かく分かれており、さらに社会的・経済的な階層性もあって、一読しただけではとても把握しきれないし、要約も不可能。
宗教と政治の関係もなかなか複雑。たとえば「超正統派」と呼ばれる最も厳格なユダヤ教徒は国から特別扱いされているが、
これは国家が宗教の上位に立つことを許さないので、シオニズムとは対立する。
第二章ではシオニズムの歴史をたどる。このシオニズムにも様々な潮流がある。
第三・四章では建国の経緯。第五章では第三次中東戦争と領土拡大。
第六・七章では、テロ・紛争と和平の試みの経緯。政治的には次第に右派が優勢になっていく。

489:つづき
12/05/05 19:40:32.65 .net
どちらかと言うと、複雑な社会や内政についての叙述に力が入れられていて、中東戦争の経緯などはあまり詳しくは書かれていない。
しかし、アラブ・パレスチナとの対立関係の中で、イスラエルを一枚岩の国家だと錯覚しがちだった無知な自分にとっては啓蒙的な内容だった。
シオニズムの思想についても自分の知らなかったことがたくさん書かれていた。
たとえば、ホロコーストの犠牲者に対して、当初シオニストは冷淡であった(無抵抗で殺されるのは英雄的ではない、抵抗して死ぬのが名誉という価値観)
が、その後シオニズムが国家統合の理念として弱体化してくると、ホロコーストの犠牲を統合の象徴として祭りあげていったという話などは興味深い。
あまり読みやすいとは言えないが内容の濃い良書。★★★★。
先に読んだ『まんがパレスチナ問題』と比べてみると、細かい点だが、第一次中東戦争に関する見解に違いが見られる。
『まんが』の方では、戦力はアラブ側の方が圧倒的に強く当初はイスラエルが劣勢だったが、一時停戦によって武器の調達や体制の立て直しを得てきわどい勝利を得たと書いてある。
これに対して、この『イスラエル』の方では最初からイスラエル側の方が戦力優勢で、停戦前に趨勢は決していたとしている。どっちが正しいのか

490:無名草子さん
12/05/11 10:32:54.31 .net
乙です。感動しました

491:無名草子さん
12/05/11 15:19:10.66 .net
余計なお世話かもしれないが、こういうしっかりしたレビューは2chのレスなんかではなくて
ご自身でブログか何かをやられてそちらに記載された方がいいのではないかと思う。
何というか、ほとんど誰も見ないスレできちんとした内容のレビューが朽ち果てていくのは勿体無い気がするので。

492:無名草子さん
12/05/11 20:06:51.07 .net
何言ってるんですか、ROM数も知らないんですか?
ざっと計算しただけでも1000万人ぐらいはこのスレみてますよ。

493:無名草子さん
12/05/11 22:54:35.44 .net
>>491
いや、このスレに愛着あるし、Wikiの方にスレは保存しとけばいいしね。

>>492


494:無名草子さん
12/05/11 22:56:26.73 .net
まぁ過疎スレだから恥ずかしげもなく長文書けるってのもあるし。
もし何万人も見てたら逃げるわ。

495:無名草子さん
12/05/11 23:03:13.91 .net
何万人も見てますよ。自信持ってください!!

496:無名草子さん
12/05/14 21:05:31.04 .net
イスラエル、パレスチナ関係の割と最近のものでは、
中公新書から高橋正男『物語・イスラエルの歴史』と船津靖 『パレスチナ - 聖地の紛争』が出てるな。
買おうと思ったけど、ちょっとしんどくなったのでやめた。

497:無名草子さん
12/05/15 20:40:04.50 .net
>>496
そんな出てるんだ、知らなかった

498:無名草子さん
12/05/18 17:20:16.52 .net
>>488->>489
久しぶりにこのスレ覗いたんだが・・・ちょっとそれ買ってくる。

499:無名草子さん
12/05/18 20:33:49.62 .net
毎日見ろよカス

500:無名草子さん
12/05/18 20:46:17.56 .net
500

501:無名草子さん
12/05/18 20:47:13.80 .net
めったに書き込みないから3ヶ月に1回見れば充分

502:無名草子さん
12/05/19 00:39:19.32 .net
主題の近い新書を三冊紹介します。
塚原史『人間はなぜ非人間的になれるのか』(ちくま新書)。これはタイトルから予想される内容としては、
人間の残虐性を人類学的・社会心理学的に分析したようなものかと思ってしまうが、かなり異なったものであった。
近代芸術史をたどりながら、近代の人間主義の中から非人間的な観念や現実が生じてくる逆説を追ったもの。
問題意識としては、アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』と似たものだと言えるが、なぜかそれはほとんど参照されていない。
第一章では、個から全体へと題して、近代における都市化と群集の現象を見る。
第二章ではダダや未来派などのアヴァンギャルド芸術運動とファシズムやナチズムとの関係。ここでは「無意味」がキーワードとなる。
第三章では岡本太郎の太陽の塔の謎をバタイユからの影響を元に解明する。この謎解きは面白いので必読。この章では「未開」がキーワード。
第四章では精神分析とシュールレアリスムの出現を見る。ここでは当然近代知における「無意識」の発見が鍵となる。「私」という主体の自明性が疑われてくる。
終章ではベンヤミンとボードリヤールを参照し、「シミュラクル」に満たされた高度消費社会の非人間性に焦点を当てる。

503:つづき
12/05/19 00:40:26.29 .net
フランクフルト学派の議論などをある程度知っていれば、さほど新奇な論考ではないのだが、
いかんせん「人間的」はともかく「非人間的」とは何かがはっきりしていないので、タイトルの問いと本文の内容がどう関係するのか、最後までよくわからない。
(ナチスの非人間性と高度資本主義の非人間性は同じものだろうか?同根だとしても一緒くたにするのはあまりにも大雑把な話だろう)
特に岡本太郎の太陽の塔の謎と主題がどう繋がるのか理解困難。
おそらく、岡本太郎の表現は「未開」を呼び出すことによって、反近代的な非人間性を表現すると同時に、
近代的な非人間性へのカウンターパンチにもなっているという両義的な芸術というようなことなのだろうけれど、正直難解である。
結局表題の、「なぜ」については明確な回答は出ていないように見える。近代前衛芸術史として見れば、それなりに面白い。
タイトルの問いの答えが結局わからなかったのはさすがにあれなので星3つ★★★

504:無名草子さん
12/05/19 00:42:24.09 .net
石井洋二『フランス的思考』(中公新書)。マルキ・ド・サドを正面から取り上げている新書は珍しいので買ってみた。
(自分の知る限りでは丸善ライブラリー新書で稲垣直樹『サドから「星の王子様」へ』というのがあるくらい)
序章ではタイトルについて「フランス的」なんて実体はないかもしれないけれど、云々と、まず言い訳じみたことから述べられている。
次に「周知のごとく」とか初心者に配慮しない書き方はしない、と言う。読者へのハードルを下げたのはいいけれど、著者自身ののハードル上げたな~、と思っていると、
「アプリオリ」などという語をなんの説明もなく使っていて、ありゃりゃと思う。まぁ「アプリオリ」の意味などわからなければググればいいわけだが、
それなら最初から初心者向けですみたいなことを書く必要はないじゃないかと思う。こういうどうでもいいところで引っかかってなかなか読み進めない。
合理主義と普遍主義についてざっくりと整理していて、まずはフランスの合理主義的伝統の起点としてデカルトが参照される。デカルトは本論でも参照点となる。
冒頭で「思考の快楽」という言い方が出てきて、結局これが全体を貫くキーワードになっているようだ。本論に入ってからは割とサクサク読み進められた。

505:つづき
12/05/19 00:44:30.93 .net
第一章ではサドについて。自分もサドについてはある程度読んでいて(と言ってもごく表面的に知ってるだけ。澁澤龍彦によるサド翻訳と『サド侯爵の生涯』その他のエッセイ、
三島由紀夫の『サド侯爵夫人』、ドゥルーズの『マゾッホとサド』、バゾリーニの遺作映画など)、多少のイメージは持っており、特に目新しい内容もなかった。
ここでは、絶対的な孤独のエゴスイスト(唯一者)達による共同体の思想が、モーリス・ブランショなどを引きながら提起される。
第二章は、シャルル・フーリエのユートピア思想について。過去の文明のすべてを懐疑に付し、新しく定義された人間の様々な情念のエネルギーを編成して作られる奇妙な共同体である。
後継者によって実験的なコミュニティも作られたがことごとく失敗し、結局は空想に留まった。これについては浅田彰が一時取り上げていたのでなんとなく知っている。
最近では哲学者の國分功一郎氏がブログ等でしきりに言及していたのを見かけた。
第三章ではランボーの、「人が私において考える」「私は一個の他者なのです」といった言葉を取り上げ、
デカルトの「我思う故に我あり」と対置される。「主体の充足性」に対する反逆である。
第四章ではアンドレ・ブルトンのシュールレアリズム宣言が検討される。それはあらゆる二項対立や差異を廃棄しようとする思考の革命だった。
第五章ではバタイユのエロティシズム論を紹介。不遜な言い方で恐縮だが、これも自分は大体知っていることばかりで退屈であった(もちろん深く理解しているわけではないが)。

506:つづき
12/05/19 00:46:04.81 .net
第六章ではロラン・バルトの晩年の講義を紹介。これは割と面白かった。バルトは母の死をきっかけに小説を書こうと決意し、
プルーストの『失われた時を求めて』をなぞるように小説を書く準備を延々と行う(という事について講義する)が遂に小説は書かれない。
目標には到達することなく、「書くことの快楽」を味わい続けた。これが、反合理主義的・反普遍主義的なバルト的「教養」の概念と合致する、とのこと。
一つ一つの章は難しくないのだが、これらがどう関連してひとつの主題に繋がっているのかを理解するのは結構難しい。
終章ではこれらがまとめられ、「進歩などする必要はない…その場にとどまって、ただ考えることの愉悦に身を浸せばいい。」と述べられ「明るい不条理」と総括される。
すなわち冒頭の「思考の快楽」に回帰する。身も蓋もない事を言うと、「ってことは脳のオナニーみたいなもんすか?」という感じもする(別に非難する意図はない)
実際、サドの絶対的利己主義者の共同体は不可能であり、フーリエのユートピアは空想に終わり、バタイユのエロティシズムはただ蕩尽され、バルトの小説は遂に書かれない。
まったく現実社会の改善には役立ちそうもないネタばかりだが、まぁ面白ければいいじゃないかということで(適当
サドを取り上げたユニークさを評価して星4つ★★★★

507:無名草子さん
12/05/19 00:54:51.52 .net
酒井健『シュルレアリスム』(中公新書)。シュルレアリスム運動の歴史と思想を概説したものだが、ほとんどアンドレ・ブルトン中心にページが割かれている。
アラゴンの去就については少し詳しく書かれているが、他のエルンスト、デュシャン、マグリット、マッソン、ミロ、ダリと言った美術家については、
ラスト近くにあっさりとまとめられているのみである。シュルレアリスムの周縁にいたバタイユについてはたっぷり言及されている。
これは著者がバタイユ研究者でもあるから読む前から予想はできていたことである。ベンヤミンについてもバタイユほどではないが、ある程度詳しく言及されている。
第一章では、第一次大戦の戦争からの影響を検討する。ここでは同じく戦争から大きな影響を受けたユンガーのその後の思想的遍歴と対比しつつ、
シュルレアリスムの誕生の意味が吟味されている。戦争はブルトンやマッソンらの自我に対して両義的な影響を与えた。
戦争は近代的自我を揺るがすと同時に、近代的自我の暴虐そのものでもあったわけである。
シュルレアリスム運動には近代的自我への反逆という意味が込められていた。自我については、著者は『自我の哲学史』(講談社現代新書)も出している(絶版?)。
第二章では、シュルレアリスム誕生に際しての、狂気と夢という契機を検討。ブルトンは精神科医であった。狂気に惹かれると同時に、狂気の危険性に恐怖した。
ダダイズムからの継承、フロイトの精神分析の影響、自動書記という技法、かけ離れたイメージのぶつかり合いから超現実を生み出す方法など。

508:つづき
12/05/19 00:58:56.13 .net
第三章では、都市文化との関係について。まず、ブルトンよりも過激な近代批判的立場を取ったバタイユについて詳述される。
次にアラゴンの「パッサージュ」について。都市のショッピング・アーケードをそぞろ歩き、都市の中の非近代的生を見出す。これはベンヤミンに影響を与えた。
アラゴンは文体を重んじ、シュルレアリストの中では近代的理性の働きが強い方であった。そのためか、後には社会主義リアリズムに転向し、ブルトンと離反した。
次にブルトンの代表作『ナジャ』について紹介。これはメンヘラの実在モデルが存在し、彼女は結局心を病んで精神病院で死ぬ。
ブルトンはメンヘラ女子に惹かれるが結局は見捨てるわけである。狂気とどのように関係するべきかという問題が現れている。
第四章では政治と芸術との関係について。ベンヤミンはシュルレアリスムがもっと深く社会主義にコミットすることを望んでいたのだが、
ブルトンはもっと芸術の自由を求めていた。アラゴンは社会主義リアリズムに行ったわけだが、ブルトンはトロツキーにシンパシーを持っていた。(実際トロツキーに会ってもいる)。
バタイユはブルトンよりももっと過激な反近代性を持っていて、ブルトンと反目した。
最後に、エルンスト、マグリット、デュシャン、ミロ、ダリについて簡単に触れて終わる。
著者の考える精神の自由度という基準で単純に序列化すると、バタイユ>ブルトン>ベンヤミン>アラゴン、という感じになるのだろうか?
叙述がちょっとブルトンとバタイユに偏っていて、シュルレアリスム入門としては初心者向けではないかもしれない。★★★★

509:無名草子さん
12/05/19 01:50:56.98 .net
今思い出したが、シャルル・フーリエについては、重田園江『ミシェル・フーコー』(ちくま新書)にもちょっと出てきた。
最近また注目されてるんでしょうかね。

510:無名草子さん
12/05/19 20:16:13.63 .net
>>506

酒井健(バタイユ)と酒井潔(ハイデガー)は別人だってw

竹下節子は、他のamazonレヴュー見るとかなりトンデモ著者のようだけど、
『キリスト教の真実』以外読んだ事のある人、どうですか?

511:506
12/05/19 20:27:13.12 .net
>>510
ありゃりゃ、ほんとだ…まったく気づかなかった。これは大変失礼しました。。

512:無名草子さん
12/05/20 11:40:38.33 .net
>>511
そんな謝り方で許されると思ってんのか?ちゃんと謝罪文をうpしろ

513:無名草子さん
12/05/24 23:43:35.72 .net
良スレですね

514:無名草子さん
12/05/25 01:53:39.98 .net
このスレがだいすきです。

515:無名草子さん
12/05/25 19:12:05.95 .net
松屋の新作牛めしを食べました。
ふわふわしていておいしかったです。
タレの味もさらにおいしくなりましたね。
味噌汁が無料で付くのが嬉しいですね。
店員さんの愛想もよくサービスも行き届いていました。
お金ができたらまた行きます。

516:無名草子さん
12/05/25 19:47:09.30 .net
松屋最高だよな

517:無名草子さん
12/05/25 19:47:26.21 .net
一緒にまっつしにいこうぜ

518:無名草子さん
12/05/25 20:06:14.96 .net
ごめん、俺はすき家の中盛が好きや

519:無名草子さん
12/05/29 00:28:25.51 .net
すき家のゼンショーはブラック会社として有名だが松屋はどうなのかね?

520:無名草子さん
12/05/29 00:43:10.45 .net
松屋は味噌汁がタダでついてくるから最高だよ。
でも、豚丼辞めたのがなー。

521:無名草子さん
12/07/09 23:04:48.43 .net
一ノ瀬俊哉『皇軍兵士の日常生活』(講談社現代新書)。これは出版された当初はかなり評判になったと記憶するが、遅まきながら最近やっと読了。
昭和の人々が徴兵され兵士となっていく過程と軍隊での生活と、戦時下の日本社会に徴兵制がもたらした不平等・不公平を様々な資料を元に明らかにしようとする。
後者の論点は、赤木智弘の戦争待望論に応える形で提出されている。
第一章では徴兵の実態をたどる。徴兵忌避のために身体毀損・詐病・逃亡を行った例が興味深い。章の終わりでは学歴によって待遇や命の安否まで差がついた事実を指摘。
第二章では軍隊での生活を詳述。これは平時と戦時下では兵士達の心情に大きな差がある。平時では厳しくはあるが、どこか牧歌的な明るさがある。
まるで体育会系の合宿のように楽しそうな雰囲気すらある。それは一つにはやがて必ず除隊の日が訪れたことによる。もう一つは軍隊は人生の修練道場だという通念があったためだという。
戦時下においては軍紀は乱れ、古参が初年兵の上に君臨し、階級制度は機能せず、私的制裁が蔓延する。
こうした軍紀の乱れにも関わらず、実戦において兵士が命がけで戦ったのは、「力と勇気」の価値観による相互監視が機能していたからだ、と著者は分析している。
少年兵についても触れられている。ガ島以降の航空消耗戦に直面して航空兵の大量速成に駆り出され、少年兵は訓練不足のまま飛び立ち大量の戦死に至った。さらに特攻要員とされる。
少年兵の間でも臆病はタブーであり「生きて虜囚の辱めを受けず」が規範であったが、その相互監視が解けた時には投降することができた。

522:つづき
12/07/09 23:05:42.24 .net
第三章では銃後の社会、夫や息子を徴兵に取られた後の家族の実態について。銃後の家族の困窮に対しては、公的な扶助・手当、大企業による保障などがあったが、
そこには様々な不公平・不平等があった。他に一見瑣末な現象ではあるが、軍事郵便における不平等、戦死者墓石の不平等などについて考察している。
最後に軍隊内での食の不平等について分析。第四章では戦死の伝えられ方について詳しく追求している。軍は戦死者遺族の感情を重視していた。
だが実際には遺骨が帰ってこないという事態は頻発していた。戦後は軍が崩壊してしまったため、戦死を伝える公的な仕組みも崩壊してしまった。
生き残った戦友による遺族への伝達などが行われる。役所による死亡認定事務の困難などが詳述されている。
最後に「戦争が社会を公平化する」というテーゼはほとんど正しくないと結論されている。
声高に反戦を唱えるのではなく、事実を冷静に吟味し、当時の人々の生活と心情をつぶさに再現することによって、戦争の悲惨を際立たせている良書。
※ひとつ気になったのは、軍隊における「食」の問題については詳しく述べられているが、「性」に関してはスルーされている点。
まぁこれは慰安婦問題が絡み、ウヨサヨ抗争含めていろいろ面倒くさいし、それのみを論じた本はたくさんあるので省いたのだろう。★★★★

523:無名草子さん
12/07/09 23:06:39.84 .net
本村凌二『馬の世界史』(講談社現代新書)。著者は、馬好き、競馬好きの西洋古代史学者。馬が世界史に果たした役割の大きさを論じている。
1章では馬についての生物学的な来歴と人類によって家畜化された起原について考察している。人類が家畜化に成功した動物の種類の少なさを指摘し、
馬との出会いは人類にとっての僥倖であることを強調している。2章では馬が曳く戦車の登場について。
3章では「ユーラシアの騎馬遊牧民の活躍と世界帝国」と題して、スキタイ人や匈奴らの活躍と古代帝国との関係を考察。
第四章では、ギリシア・ローマなど地中海世界における馬の文化について。古代ギリシャやローマの戦車競走やクセノフォンの『馬術論』、
アレクサンドロスやローマ軍の騎兵隊などを概観する。だがこの古代地中海世界では「馬と人間が織りなす文明のダイナミズム」は希薄である。
ここで古代ギリシアの神ポセイドンは、元は「馬の神」であったものが「海の神」に変わっていったことが指摘される。
すなわちこれは、ある時点で、馬による陸上交易よりも海域交易が発達してきたということである。
近代においては大航海が近代世界システムをもたらしたわけだが、この古代地中海世界ではそれを先取りしていたわけである。
補論では、インカやアステカなどのアメリカ古代文明においては馬は全く知られていなかった事が述べられている。
また海路の利用もあまりなかったためユーラシアの古代文明などと違って発展しなかった。

524:つづき
12/07/09 23:07:39.57 .net
第五章ではゲルマン民族大移動とローマ帝国解体の時代におけるフン族の活躍。またフン族と匈奴が同じ民族かどうかという問題が検討されている。
さらに中央アジアにおける「夷狄」の活動が歴史に果たした役割の重要性が強調されている。
6章ではイスラム世界でアラブ馬が生み出された経緯が推理されている。また十字軍とイスラム軍の騎馬について比較されている。
7章ではヨーロッパ中世における馬事情。トゥール・ポアテイエ間の戦い以降、キリスト教国側にも武装騎馬軍団が編成され騎士の時代が到来する。
8章ではモンゴル帝国について詳しく述べられる。ヨーロッパ人による歴史観ではモンゴル帝国の歴史的重要性が過小評価されていると著者は言う。
騎馬による交易や流通の進歩が、海路による交易の拡張と共に近代資本主義に至る道を準備した。
この点に関して、モンゴル帝国が「世界史」をもたらした、という岡田英弘の説に言及している。この章では朝鮮と日本の馬についても軽く触れられている。
9章では近世・近代に入る。ルネサンス期には馬術・馬産・獣医学が進歩した。またアメリカ新大陸が発見されると馬も上陸し急激に繁殖する。
先住民も17世紀には騎乗をマスターしていく。しかしヨーロッパの軍事においては火器と歩兵の重視へと戦術が転換し、騎兵中心の軍事力に陰りがみられるようになる。
一方で馬車が登場する。ヨーロッパの馬車の発展はハンガリーでの改良に負うとのこと。

525:つづき
12/07/09 23:08:23.94 .net
最後に「馬とスポーツ」と題して、近代以降の馬術の発展や、イギリス発祥の競馬の歴史について語られる。
ポロとか馬術競技は一般の日本人にとってはせいぜいオリンピックの時に注目されるくらいのもので、ハイソなイメージもあってあまり馴染みがないが、競馬ファンは依然として多いだろう。
自分は競馬もやらないので、サラブレッドの由来や名馬の血統の話など聞かされてもあまりピンとこないのだが、著者の文章からは馬好きの熱い思いがほとばしっているのはわかる。
ちょっと前までは「競馬はロマンだ」などと熱く語る競馬狂のオッサンがたくさんいたような気がするが、最近では衰退しつつあるような気もする。
全体として情報量が多く楽しい豆知識も豊富、馬への熱い思いも詰まっているし、騎馬遊牧民を中心とした大胆でダイナミックな世界史像も提起されている良書だと思う。
ただし一箇所「この純潔の故にアラブ馬にはことのほか優性遺伝の力が備わった」などと書いてあって、意味不明。遺伝の「優性」には「優秀な種を残す」というような意味はないはず。
これさえなければ余裕で星5つなのだが、こういうのが一箇所でもあると他の部分の信頼性も一気に低下してしまう。で星4つ★★★★。残念ながら絶版のようだ。

526:無名草子さん
12/08/12 00:42:07.92 .net
加藤文元『物語・数学の歴史』(中公新書)読了。数学の通史を時代を追ってただ淡々と述べるのではなく、
著者の数学観に基いて、数学の発展の上で重要と考えられるいくつかの契機を重点的に論じている。
まず第1章、「数学の芽」と言えるのは何か、という問いに対して、著者は「割り算」だと述べている。
加減乗除の中で除法だけは他の演算と異質である。例えば、16÷7という割り算に対して、どのような答えを期待するのか?
「16÷7=2…余り2」なのか「2,285714…」なのか「16/7」という分数なのかは文脈によって異なる。
古代文明においては、文明によってどの答えを要求するかが異なっている。そして古代エジプト、古代ギリシア、古代中国の数学の萌芽についてそれぞれ述べている。
ただ、これだけの論拠では、なぜ著者が割り算を数学の萌芽としたのかよくわからないのだが、
著者によると、割り算には格段に人間の精神の息吹が感じられ、ここからより深い数学が生まれてきたのだとのこと。
第2章では、改めて数学とは何かについて、科学哲学における科学の規定などを参照しながらさぐっていく。
数学における「正しさ」の認識において、ミクロ的側面とマクロ的側面があることが指摘される。
また、計算や論理・演繹と並んで直観・「見ること」も数学において重要であると言う。そして西洋の数学だけでなく東洋の数学を視野に入れると、
「演繹的構造」はギリシア数学から近代西洋数学に至る潮流に限られており、数学の特性とは言えない、としている。

527:つづき
12/08/12 00:43:00.62 .net
第3章では「西洋数学らしさ」として、古代ギリシアのピタゴラスやユークリッドが取り上げられ検討される。
ユークリッド「原論」に代表される、論証の形式化・儀式化・ゲーム化という特徴が抽出され、中国の数学との違いを際立たせる。
第4章では「古代から中世へ」と題して、西洋においてはアルキメデスとディオファントスが取り上げられ、中国においては『孫子算経』が紹介される。
次に10進表記の作られた歴史とアラビア文化の果たした役割について触れている。さらに円周率の計算の歴史を外観。
第5章では微積分の出現。ニュートン、ライプニッツ以前の微積分の萌芽についても触れている。
第6章では、オイラーの膨大な業績の一つとしてゼータ函数(著者は「関数」ではなく「函数」の字を使用している)に触れられ、和算では関孝和が出てくる。
第7章では非ユークリッド幾何学の出現。ガウスの先駆性が称揚される。第8章ではガロア理論。対称性という概念が浮上してくる。
ここでは、「ガロア理論を知っているが二次方程式の公式を知らない人」が「二次方程式や三次方程式を解く」という斬新な設定によって、
ガロア理論のイメージの一端をわかりやすく描写している。

528:つづき
12/08/12 00:44:17.54 .net
第9章では「射影幾何学」について。第10章では19世紀の数学を概観。ガウスやリーマンの業績として、楕円函数論や代数函数論などが挙げられる。
このあたりになってくると、自分にはもう何がなんだかお手上げである。さらに多様体の概念や、集合論が登場する。
多様体については入門教科書に目を通したことがあるので、多少はイメージが掴めたが。
第11章では「フェルマーの大定理」についての歴史。これについては、アンドリュー・ワイルスによる解決が話題になり、サイモン・シンなどによる一般向けの解説書が出て、
その経緯を知っている人は多いだろう。最後の第12章では、非ユークリッド幾何学の「モデル」について紹介し、また、多様体の概念の確立を契機として、ブルバキが登場する。
最後にグロタンディークの「スキーム」と「トポス」を紹介する。これらについては、言葉で説明するだけ無駄ではないかと思われる。
一般読者としては「わからなくて当然」と割りきって読むしかないだろう。著者の強調する、数学のマクロな美的直観なるものについても、
ある程度本格的に勉強した人が何となくわかるといった類のものであろうし、一般人には全く雲をつかむような話である。
我々としては、わかったつもりになるよりも、実際に大学の数学教科書を開いてみて、うわあ学部レベルですらわからんwwwと絶望を実感した方が有意義かもしれない。
一つ引っかかったのは、「古代ギリシア的な意味での証明は…仮説演繹法である」と述べている部分。
普通、科学哲学などで言われる「仮説演繹法」における「仮説」は反証可能なものとして設定される。
仮説を演繹して得られた帰結が実際の観測や実験と合致しない場合は、仮説が否定されたり修正されたりするわけである。
これは数学の証明の構造とは違う。著者の勘違いなのか、「仮説演繹法」をそういう意味で使う用法があるのか、ちょっとわからない。
著者の数学観の当否については、もちろん自分には全く判断できない。数学をやっている人の同意がどの程度得られるのか知りたいところ。
名著なのかもしれないが、先の「仮説演繹法」の件が引っかかっているので星4つ★★★★

529:無名草子さん
12/08/16 15:45:45.41 .net


530:無名草子さん
12/09/07 00:57:16.92 .net
松戸清裕『ソ連史』(ちくま新書)。革命・ソビエト樹立から91年の崩壊まで(この本では「ソヴェト」と表記されている)
革命の経緯についてはあまり詳しくは書かれていない。著者は、ソ連や社会主義を擁護する気はまったくないが非難する意図もない、と言っており、
基本的にはニュートラルでドライなスタンスで書かれているようだ。著者は「教訓としての歴史」を訴えるような意識には乏しいが、
ソ連という壮大な歴史的実験から「学び得ることは学び尽くすべき」と言う。
外政に関しては、第二次大戦から戦後の冷戦、東欧諸国への介入、中国との関係、キューバ危機、アフガン介入など、自分もだいたい知っていることではあるが、
わかりやすく整理されていて流れをつかみやすくなっている。内政については、主に農業集団化などの経済政策の失敗について詳しく分析されている。
「大テロル」を始めとするスターリンによる圧政については、その実態や民衆の受け取り方はどうだったかなど、冷静に検証している。
それによると、必ずしも民衆の全てがスターリンの圧政を憎悪していたわけではなく、没後のフルシチョフによるスターリン批判の時代となっても
スターリンを支持する人々は少なくなかったとのこと。著者は社会主義・共産主義に対しては何の思い入れもなく冷徹な分析を行なっているが、
共産主義と祖国の未来を信じて革命と労働に身を捧げた人々に対して敬意を払うことでは一貫している。
また、共産党は決して民意を無視していたわけではなく、むしろ積極的に民衆の要望を掬い上げようと努力しており、
一般にイメージされているよりも「民主的」だったとのこと。当局の「善意」にも関わらず経済が失敗したという事実がポイントなのだろうと思う。

531:つづき
12/09/07 00:58:32.31 .net
社会主義としては本来ありえないはずだが、60年代には失業も多かったとのこと(物資は常に不足していたにも関わらず)。
また治安の悪化にも悩まされた(スターリン死去後の大赦によって犯罪者が大量に釈放されたため)。
また社会主義は利潤追求第一ではないので公害はないと言われていたが実際には資本主義国以上の環境汚染にも見舞われた。
著者は冒頭で、社会主義の良かった部分も公平に評価すると宣言していたが、これを読む限りではほとんどいいとこなしである。
ペレストロイカにおいては、改革が遅々として進まなかったことが指摘されているが、
ソ連崩壊後、急激な市場経済化のハードランディングによって、人々にさらなる混乱と痛みをもたらしたわけだが、このあたりについてはほとんど述べられていない。
一応、経済改革に成功した中国との比較には触れているが、ペレストロイカの失敗についてはもう少し掘り下げて欲しかった気はする。
全編にわたってゴルバチョフによる回想を主に参照している。思想的な臭みがなく自分には読みやすかった。★★★★

532:無名草子さん
12/09/07 00:59:56.01 .net
エンツォ・トラヴェルツ『全体主義』(平凡社新書)。著者はユダヤ問題などを研究しているイタリア人学者。
「全体主義」をめぐる言説の歴史を系譜学的に辿る。序章で、「全体主義」の言葉の内には、「事実」「概念」「理論」が混在しており、
「受容の仕方の違いが相互に干渉して絡みあい、使用者によって同じ言葉が意味を変える」と指摘している。
つまり「全体主義」という言葉は、時代状況や使う人の立場や思想によって使い方が変わり、それぞれ政治性を帯びているわけである。
そして、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、ソ連のスターリニズムの歴史を追いながら、その中で「全体主義」の概念がどのように誕生し、
また様々な思想家によってどのように使われ論評されてきたかが詳しく分析されていく。なお日本の「天皇制ファシズム」については全く言及なし。北朝鮮にも言及なし。
また、毛沢東、ポルポト、東欧の共産国などは軽く言及はされているがほぼ分析の対象外となっている。
取り上げられている思想家・政治家・文学者は非常に多い。それぞれの思想家の「全体主義」に関する考え方の微妙な差異を慎重に見極めながら分類し位置づけていくので、
内容は濃いが叙述は錯綜していて読むのは結構大変。ただ最後の「結論」の章では著者自ら全体をわかりやすく整理しているのでありがたい。

533:つづき
12/09/07 01:00:33.06 .net
著者が最も注目しているのは、自由主義陣営による、ファシズム・ナチズムとスターリニズムを同一視し両者の差異を無視した「全体主義」の使い方である。
要するに、ナチスと共産主義を同じ「全体主義」であるとすることによって、反共と自由主義・資本主義擁護のイデオロギー性、
および、ユダヤ人虐殺というナチスの特殊性を隠蔽することになる。(左翼によるスターリニズム批判を自由主義陣営が取り込んでいったという面もある)
全体的に分析は公平かつ客観的であり、著者自身の思想的バイアスはほとんど感じられない。ただしラストの、
「強制ではなく社会関係の物象化を通して行為や思考が画一化される時代……市場の征服が権力の目的であるような時代、つまり「グローバリゼーション」の時代…」
という一文には、著者の思想的スタンスが端的に現れている。基本的にはマルクス主義を基盤とした(ネグリみたいな)グローバル資本主義批判の立場だろう。
論旨明晰で内容は割と高度。政治思想史の本としては良書なんだろうと思う。しかし自分の興味と微妙にずれていたので星3つ★★★

534:無名草子さん
12/09/19 01:02:22.66 .net
レビュー書くためにメモとかしてる?

535:無名草子さん
12/09/19 01:33:12.99 .net
>>534
まず通読してから、再度、本をパラパラめくりながら要点らしきところをまとめていく。
全体が把握できない時は一章ずつ要約していく。それに適当に感想を付け加えて出来上がり。
だから自分のはレビューというより、ここに書いてるもの自体がメモに毛が生えたようなもん。
自分のための覚え書きであって、人様に読んでもらえるようなもんじゃないかもね。

536:無名草子さん
12/09/19 15:08:50.49 .net
そうなんだ
俺は図書館で借りてるから線引くわけにもいかんし
読書ノートつけたほうがいいな
何書いてあったから思い出せないこと多いし

537:無名草子さん
12/09/19 20:31:57.02 .net
自分は、読んだ本の感想文というか読書メモは必ず書く!と決めてから3,4年たつが、
いまだに書くのがものすごい苦痛な事が多いw
これは内容がまとめにくいな~という本の時は何日も後回しにしてしまう。
しかし頑張って書く訓練をしてれば、そのうち頭も良くなるぞと自分に言い聞かせて無理やり書いてる。

538:無名草子さん
12/09/19 21:57:06.26 .net
小浜逸郎『頭はよくならない』(洋泉社新書)
URLリンク(www.amazon.co.jp)

539:①
12/09/21 12:02:01.26 .net
頭がよくなるかは知らないが、わからない状態→わかる状態の変化はあるわけで。
それに関連した数学板からのコピペ。

現代数学の系譜11 ガロア理論を読む6
スレリンク(math板:334番)

334 名前:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[] 投稿日:2012/09/02(日) 22:59:51.06
>>324
前スレでも紹介したわんこら式数学の勉強法(抜粋)
スレリンク(math板:187-189番) URLリンク(wankora.blog31.fc2.com)
Author:かずゆき 京都大学理学部を数学専攻で卒業
わんこら式数学の勉強法(受験生、小学生から中学生、高校生、大学生、社会人まで通用)
これを参考に効率ではなく『拘りを捨てて出来ることをやる』を常に念じて自分にあわせてやってください。

問題を見てすぐに解答、解説を読みます。
英語なら英語を読んですぐに対応する日本語を読みます。
最初に30秒ぐらいで出来た範囲をすぐに7周ぐらい繰り返す感じでやります。

1,最初の周は問題も解答も意味わからんわ~って感じで読むだけで超高速で終わらせます。
2,またその範囲を、意味や理解などすぐに拾えるものだけ拾って一周します。
3,またその範囲を、すぐに拾えるものだけ拾って一周します。
4,またその範囲を、すぐに拾えるものだけ拾って一周します。
5,またその範囲を、すぐに拾えるものだけ拾って一周します。
…こんな感じで7周ぐらいやってみてください。
これで、だんだん理解出来ていったり、処理が速くなったり、覚えられてきたら成功です。


540:②
12/09/21 12:02:14.94 .net
拾えるものだけ拾うって言うのは
○こういう意味だから、こうなのか
○これとあれは似てる
○こういう計算になるから、こうなる
○語呂合わせ などです。

最初の周は意味わからないスピードにするのがポイントです(限界突破) 2周目からは、スピードを余り落とさないで意味を拾えるだけ拾っていきます。
ほんまに速すぎたり、めっちゃ難しいのは、何も拾えずに出来ないので注意して下さい。拾えるものを拾おうとしたり、計算を紙に書いて確認して結構時間かかっても大丈夫です。
繰り返すたびに整理していって、話を簡単にしていくようにします。

こんな勉強法が良いのでは? 数学の本が最後まで読めないという勉強法は古いように思う
証明の細部は飛ばして、まず全体像をつかむ、定理と証明の組み立ての構図をつかむ、その後、細部の証明を読む
全体像がつかめていれば、証明は自分で見出すことも可能だろう

541:③
12/09/21 12:03:00.74 .net
455 名前:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[] 投稿日:2012/09/17(月) 08:38:11.71
>>454
つづき

URLリンク(www.ms.u-tokyo.ac.jp)
セミナーの準備のしかたについて 河東泰之
抜粋
セミナーの準備のしかたは個人ごとに自分にあったやり方でやればいいので,別に特定のやり方を押し付けるつもりはありませんが,一つの例としてやり方を説明します.
まず,当然書いてあることを理解することが第一歩です.書いてあるのはすべて,なぜなのか徹底的に考えなくてはいけません.
「本に書いてあるから」とか「先生がそう言うから」などの理由で,なんとなく分かったような気になるのは絶対にアウトです.
そして「全部完全にわかった」という状態になるまで,考えたり,調べたり,人に聞いたりするのをやめてはいけません.

まだ準備は終わりではなく,始まったばかりです.
本を閉じてノートに,定義,定理,証明などを書き出してみます.すらすら書ければO.K.ですが,ふつうなかなかそうはいきません.
それでも断片的に何をしていたのかくらいは,おぼえているでしょう.そうしたら残りの部分については,思い出そうとするのではなく,自分で新たに考えてみるのです.

542:④
12/09/21 12:03:27.42 .net
そうして,筋道が通るように自分で再構成する事を試みるんです.
これもなかなかすぐにはできないでしょう.そこで十分考えたあとで,本を開いてみます.するといろいろな定義,操作,論法の意味が見えて来ます.
これを何度も,自然にすらすらと書き出せるようになるまで繰り返します.普通,2回や3回の繰り返しではできるようにならないでしょう.

さらにそれができるようになったとしましょう.今度は,紙に書き出すかわりに頭の中だけで考えてみます.
全体の流れや方針,ポイントは頭の中だけで再現できるものです.

このようにして,何も見ないでセミナーで発表できるようになるんです.
数学の論理は有機的につながっていて,全体の構造を理解していれば,正しく再現できるようになります.

以上のような準備をきちんとするには当然,膨大な時間がかかります.1回の発表のために50時間くらいかかるのは,何も不思議ではないし,100時間かかっても驚きはしません.
実験系統の院生は,朝から晩まで(あるいは晩から朝まで)実験しているんですから,数学だってたっぷり時間をかけないと身につかないのは当然です.

543:無名草子さん
12/09/21 19:04:45.23 .net
>>539-542
確かに何にでも「訓練」は必要ですね。スポーツでもゲームでも同じ。
ただ、どんな訓練法がいいのかは、ジャンルや個人によって違うでしょうね。
それに自分の意志で努力を継続できる人はやはりごく一部の優秀な人だけで、
我々のほとんどは強制されないと無理ですね。

544:無名草子さん
12/09/27 14:18:47.98 .net
片岡剛士『円のゆくえを問いなおす』(ちくま新書)読了。副題「実証的・歴史的に見た日本経済」。
第一章では「円高が深刻化しています」とひとまず断言した上で、日本経済の現状を概観。
日本企業への影響、円高のデメリットがメリットを上回っている点、政府の対応、日銀の金融政策などを一通り見ていく。
第二章では為替レートとは何か、という基礎的な解説から始まる。
為替レート・名目実効為替レート・実質実効為替レートという3つの指標、購買力平価説・金利平価説、などを説明。
その後、浜矩子らの「円高ではなくドル安だ」(※1)といったグローバル要因説が批判される。
そして為替レートに影響するのは国と国の間の通貨比率であり、中央銀行の金融政策である、と結論される。
第三章では、まず経済政策の3分類「経済安定化政策」「成長政策」「所得再分配政策」(※2)、
マンデル・フレミング効果、国際金融のトリレンマなどを説明した後、為替相場制度の歴史を概観する。
そして大恐慌について現在主流の説とされる「金本位制が大恐慌の主因」説を紹介する。
また70年代の日本経済における低成長化とインフレの原因についても最新の説を提示している。
この高インフレについても日銀の金融政策の誤りを指摘しているのは新鮮でもあり、また一般常識と食い違うところだろう。

(※1)は第一刷では「円高ではなくドル高だ」と誤植されている。名指しで他人を批判する部分で誤植はまずい。
(※2)の「再分配」は「再配分」と誤植されている。分配と配分は区別するのが慣例。紛らわしいけれど。

545:つづき
12/09/27 14:19:27.95 .net
第四章では、まずアメリカからの圧力(プラザ合意)による「円高シンドローム」を検討。
しかし95年以降はアメリカは「強いドル」政策に転換したので、現在の円高についてはアメリカの圧力では説明できない。
もう一つは政治家や日銀総裁らの「強い円」信仰が指摘される。ここで、なぜプラザ合意直後の円高は日本経済にダメージは与えなかったのか、
そして現在の円高はなぜ問題なのかが説明されている。それによると実質実効為替レートへの交易条件の改善が寄与する割合が大きい場合は、円高の害は少ないということ。
90年代~現在は交易条件の悪化と円高が同時進行する「過度な円高」である。
そして「変動為替相場制では各国の名目金利および予想物価上昇率に応じて為替レートが決まる」のであれば、過度な円高とは取りも直さずデフレのことである。
円高とデフレは貨幣的現象であることが再確認され、結局、中央銀行の金融政策が決め手となる。章の最後ではユーロ危機について触れている。
第五章では「円高とデフレを止めるために何をすべきか」と題して、リフレ論が展開され、日銀とFRBの金融政策を比較したりしている。
また「デフレと金融政策に関する10の論点」として、リフレ論に対するありがちな反論・疑問に答えるFAQが置かれている。
「おわりに」では全体の論旨をまとめている。

546:つづき
12/09/27 14:20:44.61 .net
力作ではあるが、やはり既にリフレにある程度好意的な人たちの間で消費されて終わるのではないか、と自分はちょっと悲観的。
まず純然たる初心者向けとは言えない点。一応、第二章では初歩的な事柄を説明しているが、もともと頭の良い人は別として、これらを初めて読んでサラッと理解できる人は少数だろう。
また既に自己流の経済理解で頭が固まっている人も脳内を修正するのは困難だろう。なんでもそうだが、経済学の論理や因果関係を理解するにも多少の訓練がいる。
そしてここに書いてあることを理解できたとしても、それがどこまで正しいのか判断するのはまた難しい。
一般に因果関係の実証は難しいが、経済学では厳密な実験が困難ゆえなおさらだろう。だから「他の可能性」はどこまでいっても排除できない。
よって相当おかしな事を言っているエコノミストでも淘汰されにくい。いくら批判されても浜矩子や藻谷浩介はビクともしないだろう。
通俗エコノミストだけでなく、アカデミックなマクロ経済学者でもこうしたリフレ論に冷淡もしくは懐疑的な人の方が多いのは周知の通り。
自分はこの本の内容に納得したが、かと言って、斎藤誠や大瀧雅之などのマクロ経済学の大御所先生を批判する能力があるわけでもない。
全体の構成に関しては、著者はできる限りわかりやすく整理しようと苦闘した跡がうかがえるが、やはり経済書に慣れていない人だと見通しが悪いと感じるかもしれない。
初心者は先に岩田規久男の『国際金融入門』(岩波新書)あたりを読んでから取り掛かるといいかもしれない。
安達誠司『円高の正体』(光文社新書)は同趣旨のものだが、あっさりしすぎていて、既にリフレ派の議論を知っている人には目新しさはないし、
リフレに懐疑的な人を説得できるものでもないと思う。現代日本における問題の重要性を鑑みると星5つ付けたいところだが、
やはり誰にでも勧められる本ではないので星4つか…★★★★

547:無名草子さん
12/10/28 13:20:29.12 .net
長谷川眞理子『進化とはなんだろうか』(岩波ジュニア新書)。進化生物学の入門書。
この人の新書は、性淘汰を解説した『オスとメス=性の不思議』(講談社現代新書)がベストに入っているが、本書はより基礎的な内容。
第1章では、種の多様性・生物の生活史やサイズの多様性、環境への適応ということを様々な具体例と共に見ていく。
これらを説明するためには進化という考えが必要になる。
第2章では、生物の定義、遺伝・DNAについて説明した後、DNAの複製に伴う間違いや組み換えによって個体変異が生じることを説明。
また生命の誕生はただ一回きりであり、すべての生物が共通の祖先から派生してきたものだという。
第3章では自然淘汰と適応について解説。この章の後半では、進化論についてのありがちな誤解を正している。
すなわち「進化には目的はない」「進化とは“進歩”ではない」「適応は万能ではない」。
第4章では変異と淘汰の種類について詳しく述べる。さらに中立進化についても簡単に説明している。
第5章では、種とはなにか、種の分岐とはどういうことかが述べられる。
第6章は「進化的軍拡競争と共進化」。アリと蝶の共生、虫と植物の「食う・食われない」競争、カッコウの托卵など、さまざまな共生や騙し合い・軍拡競争の面白い例が紹介されている。

548:つづき
12/10/28 13:21:31.52 .net
第7章では「最適化」について説明。第8章ではゲーム理論が導入され、「タカ・ハトゲーム」などを説明。
また、多くの生物で雄と雌の数の比が1:1になっているのはなぜか、という問題をフィッシャーの理論によって解く。
この7章と8章では初歩的な数理的分析が登場し、進化論では工学や経済学に似た手法を使っていることがわかる。
第9章では、雄と雌はなぜあるのかなど、性の起源と性淘汰について掘り下げている。
第10章では進化論学説史の概説。博物学の時代から、リンネの分類学、ウィリアム・ペイリーのデザイン論、ラマルクの獲得形質遺伝説などを経て、ダーウィン、ウォレス、メンデルが登場する。
岩波ジュニアということで中高生を主な対象としているのだろうが、手抜き一切なしの良質な内容で万人にお勧めできる。
基礎をきっちり押さえた上で、動物の面白い生態の具体例も豊富(自分も知らなかった事が多い)。
また現代の研究でわかっていることとわかっていないことの峻別、自分の専門でカバー出来ている部分と漏れている部分も明確化しており、科学的知的誠実さという点で申し分ない。
欲を言えばより進んだ学習のための文献案内があればよかった。初心者向けの進化生物学入門書というのはあまり良い物がないのだろうか。
これは数少ない良質な入門書ということで星5つ進呈★★★★★。あとこれは1999年発行で既に13年経過しているが、研究の進歩が早い分野なので、そろそろ改訂版が欲しいかも。

549:蛇足
12/10/28 13:22:59.15 .net
個人的に気になった事(批判ではない)。著者は「自然主義的誤謬」(「自然の事実が~である」から「~であるべきだ」を導出する誤謬)に注意を促しているが、
同時に「進化を知り…生命の流れを知ると、みんな一人ひとり個人的に、自分自身が生きていく上で、何か重要なものを見いだせるのではないでしょうか?」とラストで述べている。
また冒頭でも「生物の美しさと多様性とを同時に説明する唯一の理論」という風に「美しさ」という主観的な価値観を入れている。
自然から直接に普遍的な規範を導くのは誤謬でも個人的な価値観を読み込むのは自由なのかもしれない。
(また「自然主義的的誤謬」がなぜ誤謬なのかと突っ込んで考えるとよくわからないし、実際に「誤謬ではないかもしれない」という議論もあるらしい)。
しかし自分は進化には美しさなどよりもどちらかと言えば残酷さを感じてしまうし(自分が淘汰される側の弱い生き物だという感覚があるのだろう)それもまた自然な感情だと思う。
そしてこうした“自然”な感情が、進化論への誤解や歪曲や拒否の原因となることもある。ならばやはり進化を論じる際には「残酷」というような感情や価値観は括弧に入れた方がいい。
とするなら「美しい」という価値観も平等に括弧に入れた方がいいのではないか、と思う。
もう一つ、これも批判でも何でもなく個人的に気になったことにすぎないのだが、「進化には目的はない」と述べつつ、実際には進化的な究極要因が目的論的に記述されていること。
まぁ機能論的に限定して記述しようとしても、どうしても目的論が紛れ込んでしまうだろうし、言葉や人間の認知の枠組みの問題なのだろうけれど、中には混乱する人もいるのではないかと思う。考えすぎか。

550:無名草子さん
12/10/28 22:04:29.08 .net
小田亮『ヒトは環境を壊す動物である』(ちくま新書)。著者は霊長類研究者であり、現在は名古屋工業大学院で環境教育を担当している人。
この本では、主に進化心理学から環境問題を論じている。第一章では生物にとっての「環境とは何か」と問うているが、
ここでは環境よりも、生物とは何か、遺伝子・ニッチ・生態系とは何か、そして進化とは何かについて基礎的な説明をしている。
環境問題に対するアプローチとしては大きく「人間中心主義」と「自然中心主義」に分けられるが、著者は、ディープエコロジーに代表される後者に批判的であり、一応前者の立場に立つ。
第二章では、自然人類学の最新の研究に基づいて、人類の進化と文明の芽生えについて概観。
第三章では、人間心理の進化について、認知心理学や行動経済学の知見を参照しながら論じる。
まず進化心理学において基本となっている「リバースエンジニアリング」という考え方について説明している。
元はIT用語だが、ここでは機能や目的から構造の意味を探ることを指している。心の成り立ちについては「モジュール説」を採用している。
そして、「群れ」ができるメカニズムを進化論によって説明し、ヒトの集団サイズについてのダンバーの理論を紹介。さらに性淘汰と集団形成の関係について論じる。
第四章では「環境との認知」と題して、環境リスクを人間がどのように認知しているか、また環境リスク認知の性差に関する研究を紹介。
そして行動経済学の知見から確率に関するヒトの認知の歪み、ヒューリスティック、感情の進化、「内集団ひいき」や利他行動の進化などについて論じる。

551:つづき
12/10/28 22:05:11.63 .net
第五章では「共有地の悲劇」などの社会的ジレンマについて、ゲーム理論の基礎を講じながら考察。このあたりはゲーム理論の啓蒙書などでもお馴染みの話題。
第六章では環境倫理を考えるにあたって、再びゲーム理論を使って「道徳の進化」を論じていく。(同時に「自然主義の誤謬」にも注意を促している)。
自分としては今までに読んだ、進化論・ゲーム理論・認知心理学・脳科学・行動経済学などの啓蒙書で断片的に触れた知識と重なる部分が多かった。
その分、新鮮さはあまりなかったが、スラスラ読めた。ただ「環境」がテーマであるはずが、あまり環境自体の話題は掘り下げられておらず、
もっぱら「人間の本性」と道徳性の問題に焦点が当てられているようだ。タイトルの『ヒトは環境を壊す動物である』というテーゼについても掘り下げが甘くて肩透かしの印象。
また第四章の「環境リスク認知についての性差」の研究は、あまり納得できるものではなかった。
「昇進のために環境の悪い地に赴任することを受け入れますか」というような質問に対して受け入れると答えた人が女より男の方が多い、という話なのだが、
これを生物学的な性差によるものとするのはあまりにも説得力がないのではないか。
むろん自分は社会構築主義者ではないのだが、この事例ではどう考えても社会的な要因の方が強いのではとしか思えない。
自分はNHKブックスから出ているスティーヴン・ピンカーの啓蒙書を読んで進化心理学の面白さを知ったけれども、近作の『思考する言語』などもちょっと勇み足と感じる部分が多かった。
進化心理学は竹内久美子などによって通俗的な紹介のされ方をしてきた不幸な経緯もあり、一般の誤解を解きながら啓蒙していく必要もあるだろうが、
この学問自体まだまだ取扱い注意なのかなという気がする。★★★

※同姓同名の別人で文化人類学者の小田亮という人がいて同じちくま新書から『レヴィ=ストロース入門』を出している(これは良書なのでおすすめ)。

552:無名草子さん
12/10/28 23:13:14.57 .net
石川幹人『だまされ上手が生き残る』(光文社新書)。進化心理学の入門書。上記の小田亮や長谷川眞理子の本とかぶる部分が多い。
序章では「恐怖」という感情を取り上げ、恐怖の生得性、生存に有利であることなどを指摘。また近親相姦タブーの生得性を述べ、
「至近要因」(生理的メカニズムなど)と「究極要因」(進化的要因)という概念を説明。
第1章では、進化生物学の基礎を簡単に説明している。既に長谷川眞理子の入門書を読んでいれば、飛ばしていいところ。
ただ、「退化」とは「進化」の反対語ではなく、進化の一種であることを指摘しているところは目を引く。
これは長谷川眞理子の本では「進化は進歩ではない」と述べているところに対応する。
石川の本では、本文とは別に、「進化心理学は何でないか」と題して、進化論と進化心理学に対する誤解を解くコラムを設けている。
第2章は「遺伝子の生存競争」で、ハトータカ戦略の話や、カッコウの托卵の話など、これも長谷川の本の内容とかぶっている。
第3章は、オスとメスの話。性淘汰の話なども出ててくるが、性差の生得性について論じている部分が多い。
正直、このあたりの議論は(小田亮『ヒトは環境を壊す動物である』と同様に)乱暴な印象が否めない。
自分は社会構築主義的なジェンダー論に詳しいわけでもないのだが、現代の日常的な男と女のステレオタイプを短絡的に進化にこじつけているように見えてしまう。
進化心理学自体が粗雑なわけではないのだろうが、啓蒙書レベルで語った場合、厳密さが犠牲になっているのではないか。
無駄な反発をくらわないためにも、もう少し繊細な語り口が必要ではないかと思う。

553:つづき
12/10/28 23:14:02.62 .net
第4章では、人類の歴史のおいて長い狩猟採集生活がもたらした、心の進化について。ここでも認知能力等に関する男女の性差について述べている。
第5章では、さらに認知心理学やゲーム理論などを導入しながら、「協力行動」の進化について論じる。
「協力」は全員に利益をもたらすが、「裏切り」や「タダ乗り」は協力行動を脅かす。そこで人間は裏切りやタダ乗りに対する憤りの感情を進化させた。
このあたりは思い当たる所が多くて面白い。先日あった生活保護不正受給バッシングなどは、こうした原始的な道徳感情の噴出だろう。
第6章は第5章の続きで、群れの協力行動に必要な「信頼」の進化について。ここでは贈与や貨幣や記号など、経済人類学や文化人類学との接続を試みている印象。
第7章では、狩猟採集生活に適応した人類の、現代社会への不適応について考える。例えば「肥満」は慢性的な飢えを生き抜いてきた人類が豊かな社会には適応できていない例である。
またイギリスの進化生物学者ロビン・ダンバーの説によれば、人間が密な交流を結べるのは150人が限度ということで、より大きな集団になると戦争など様々な問題が起こる。
最終章では嘘と自己欺瞞について論じ、意識とクオリアの進化の謎に触れたあと、「だまされ上手の極意」として、進化心理学の知識を応用して幸福に生きるハウツーが書かれている。
この「だまされ上手」というキーワードはなかなか含蓄があって面白い。(光文社新書らしいキャッチーなタイトルで若干いかがわしさもあるが)
6章で論じられる「貨幣」にしても、単なる紙切れに価値が宿っているかのようにみんなが「騙されてやる」ことによって経済が回るわけである。
宗教や道徳も同じだろう。「神」という嘘をみんなが信じることによって絆が生まれみんながハッピーになれるわけだ。
とすると進化論が宗教や道徳感情によって拒否されがちな理由も、宗教や道徳の本質が「嘘」であることを暴いてしまうからなのだろうということがわかる。
また「上手」の意味するところは、騙されきってしまうと色々と弊害も出るので「上手く」騙されよう、ということだろう。

554:つづき
12/10/28 23:14:50.31 .net
実はこの本の中で一カ所、自分には意味がわからないところがあって、それは第1章でモグラの眼の退化を説明した部分。
土の中で生活するモグラには視力は必要ないので眼が退化するわけだが、眼はあってもなくてもいいという意味では中立なのに、なぜすべてのモグラの眼が退化するのか?
この説明として、眼が退化したモグラの個体の中に、土の中で生きるのに有利な変異が生じたからだ、と言う。これは変ではなかろうか?
眼の見える方のモグラに有利な変異が起こる可能性だってあるはずだからだ。むしろ最初は眼の見える個体の方が多いのだから、有利な変異が起こる確率も大きいはず。
素人考えでは「不必要な機能の維持にはコストがかかるから、不要なものはない方が有利だから」ではないかと思うのだが、著者はそういう説明はしていない。
自分が何か根本的に誤解しているのかもしれないが(退化が発現する群の方が突然変異率が高いとか、中立進化が関わる問題だろうか?)いずれにしても説明不足だと思う。
人間の心や社会の諸相を統一的に理解できるような気がするという意味では面白いし、進化論に対する誤解を解くために労力を費やしているのは評価できるが、
竹内久美子などによって植え付けられた胡散臭いイメージが拭い去られるところまでは行ってないので星3つ★★★。

555:無名草子さん
12/10/29 00:32:28.93 .net
太田朋子『分子進化のほぼ中立説』(ブルーバックス)。副題「偶然と淘汰の進化モデル」とあるように、
遺伝子浮動(ドリフト)と自然淘汰の両方の効果が関わる分子レベルの進化を論じたもの。
「ほぼ中立」とは、純粋な中立進化ではなく、ごく弱い淘汰が加わる進化のことである(弱有害突然変異仮説)。
「進化とはほとんどが中立進化だ」という意味ではない(自分は最初そのように誤解していた)。
「ほぼ」は副詞なので、「ほぼ中立である」なら自然だが、「中立説」という名詞を直接修飾するのは違和感がある。
しかし「準中立」とすると「純」と紛らわしいという問題が生じるので「ほぼ中立説」という命名に落ち着いたのだろうか。
言葉の段階で既にわかりにくいわけだが、内容はさらに難しく、やや専門的な叙述になっているので、正直、後半は自分には理解できない部分が多かった。
よって自分の能力では要約は不可能。

556:つづき
12/10/29 00:33:23.58 .net
一応用語解説が付いているし、先に(ベストに入っている)木村資生『生物進化を考える』(岩波新書)を読んで、
「中立説」についてだいたいのことがわかっていれば、全然読めないということはない。
ポイントは「集団が大きいときは遺伝的浮動の力が弱く、淘汰が有効に働いて、弱有害突然変異が集団から除去される」が
「小さな集団では遺伝的浮動の力が大きくなって、弱有害突然変異が中立のようになり、集団中にある程度広がる」ということである。
もっと縮めて言うと、集団大の時は淘汰・集団小の時は中立ということ。
著者の説明は初心者にはちょっと不親切な感じはするが、よくわからないながらも理系の頭脳の切れ味の良さみたいなものが感じ取れて、読んでいてなかなか気持ちよかった。
後半の「ロバストネス」(遺伝子は違うのに表現型が同じ)と「エピジェネティクス」(遺伝子は同じなのに遺伝子発現が変化)の話も面白い。
しかし分子・遺伝子レベルの話と形態レベルの話がどう繋がるのかはやはりよくわからない。普通に考えて、形態レベルではほとんど淘汰が働くのだろうとは思うが。
難しいけれど、生物学の本当の面白さが垣間見れるということで星は4つ★★★★(よく理解できもしないものに偉そうに星をつけたりするのはいかがなものかとも思ったが、まぁいいか…)

557:無名草子さん
12/12/08 13:42:52.94 .net
高護『歌謡曲』(岩波新書)。主に1960年代から80年代までの「歌謡曲」史。一応「はじめに」では、戦前から戦後、1950年代までが短くまとめられている。
1章は60年代、2章は70年代、3章は80年代、という構成になっていてわかりやすい。特に70年代と80年代前半の記述が充実している。
原則的に、シンガーソングライター(作曲者として言及される場合は別)やGS以外のロックバンドはほとんど省かれている。
しかし、例えば加山雄三「君といつまでも」や寺尾聡「ルビーの指輪」は自作曲であるが、大きく取り上げられている。
確かにこの2曲は大ヒットしたせいか歌謡曲の範疇と感じられる。あるいは作曲のみ自作で作詞は作詞家が行なっているためかもしれない。
ニューミュージックの中でも歌謡曲に接近したアリスやさだまさし、あるいは矢沢永吉やサザンには言及されていないのは、作詞作曲共に自分でやっているからだろうか。
むろん、シンガーソングライターまで網羅しようとすれば収拾がつかなくなってしまうのは明白なので、この限定措置は妥当なのだろう。
終章では「90年代の萌芽」として、ダンスビートの系譜(特にユーロビート)についてのみ簡単に論じている。
90年代に小室サウンドが一世を風靡し、和製ヒップホップやR&Bが定着し、現在の集団アイドルも基本的にダンスビート歌謡であるから、この着眼点も妥当だと思われる。
要所要所で詳論されている歌手と楽曲の選択もおおむね納得できる。

558:つづき
12/12/08 13:43:49.65 .net
70年代歌謡の中では割と軽視されがちな黛ジュンと奥村チヨが大きく扱われているのは、歌謡曲オタとしてはニヤリとさせられる。
一方でアイドルの起源の一人と考えられる天地真理の扱いが小さい(作曲家・森田公一の紹介のついでという扱い)のはちょっとガッカリではあった。
80年代では松田聖子と中森明菜が、ガッツリ論じられていて、特に明菜の評価が高いのが意外だった。
簡にして要を得た音楽的分析がすばらしく、歌詞の分析も鮮やか、楽器や機材の知識も散りばめられており、痒いところに手が届く出来。
溢れんばかりの歌謡曲愛を迸らせつつ、オタク的な視野狭窄はなく、もちろん昔の竹中労や平岡正明の歌謡曲評論みたいな思い入れ過剰・思想性過剰でもなく、バランス感覚に優れている。
欲を言えば、50年代が端折られているので、美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみの全盛期が省略されている点(美空については60年代の章で詳述されるが)がちょっと残念か。
輪島祐介『創られた「日本の心」神話・「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』 (光文社新書)※と合わせて読むべし。
個人的には星5つレベルだが、歌謡曲オタ向け、もしくはオッサン・オバサン向けで読者が限定される事を鑑みて星4つ★★★★

※…こちらの本は文句なしの星5つで、歌謡曲に興味がなくても読む価値あり。内容は、演歌の「系譜学」と言えるだろう。
すなわち起源の虚構性や歴史の物語性を明らかにしながら、それらの虚構がどのように作られていったかを分析している。

559:無名草子さん
12/12/08 13:45:44.71 .net
岩根國和『物語・スペインの歴史』(中公新書)。著者はスペイン文学者であり、セルバンテスの研究者。
あとがきで自ら、スペイン史の執筆は自分の任ではないのではないかと思ったと書いているが、「物語」というコンセプトならばやってみよう、とのこと。
したがって、標準的でバランスのとれたスペインの通史を期待すると裏切られる。
Ⅰ章は「スペン・イスラムの誕生」。西ローマ滅亡後、西ゴート族の圧政下にあったスペインをイスラム帝国が攻略し統治する。
イスラム帝国内の内部抗争と弱体化を突いて、キリスト教勢力が国土回復を図る。Ⅱ章ではイサベルとフェルナンドのカトリック両王がイスラムを破り、国土を奪還する。
当初は寛容な政策をとっていたが、次第にイスラムとユダヤに対する迫害が強くなる。
この地では異端審問がヨーロッパの他の地域より長く続き、ルター派なども迫害の対象となる。この章の後半では異端審問の模様が詳しく語られる。
Ⅲ章では、トルコ帝国に対抗すべく、スペイン・ヴェネチア・教皇庁の間に神聖同盟が締結される。そして、レバント湾にてトルコ艦隊とスペイン艦隊の海戦となる。
総司令官は国王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の私生児ドン・ファン・デ・アウストゥリアであり、艦隊の中にはセルバンテスもいた。
この章ではレバント海戦の模様が詳しく描かれる。またこの戦争でセルバンテスは左手を負傷するが、この左手が切断されたのか、不具になっただけなのかという問題についてなぜか細かく追求している。
Ⅳ章では全編にわたって、セルバンテスがトルコの捕虜になった話が展開されている。セルバンテスは何度も脱走を試みては連れ戻されるが、処刑は免れている。
最終的には高額の身代金が支払われ、どうにか身請けが成功した。

560:つづき
12/12/08 13:46:37.37 .net
Ⅴ章ではスペイン無敵艦隊がイギリスに敗れ、スペイン継承戦争を経て凋落するまで。
終章では「現代のスペイン」と題して、まず悲惨なスペイン市民戦争とフランコ将軍独裁について少しだけ触れる。
フランコが第二次大戦時にはヒトラーからの援助要請をきっぱり断ってスペインの立て直しを図ったことについては著者は評価している。
フランコ死去後には王政復古、民主化、社会主義労働党政権、そして現在の国民党政権となる。
もう一つの話題は、バスク民族主義のETAのテロ活動について。ここではETAの残忍なテロ事件を列挙し、厳しく非難している。
しかしただ単にテロを非難しているだけで、テロリスト側の主張やバスク人達の置かれた状況など、民族問題に対する分析が全然ないのは、ちょっとどうかと思う。
やはり通史としてはバランスを欠いていて、全体が見通しづらい。戦争の叙述などは臨場感たっぷりに描かれているが、省略されているところは思い切り省略されていて、
世界史全体の中での位置づけもわかりにくい。ある程度世界史の知識が頭に入っている人でないと楽しめないのではないか。
またいくら著者がセルバンテスの専門家とはいえ、一章まるまるセルバンテスの話だけというのもいかがなものか。
その前の章でもセルバンテス左手の負傷という瑣末な点について妙に深く追求しているのはやりすぎの感がある。
やはりこのあたりの話は、セルバンテスの伝記で書くべきことではなかろうか。
文章については、常套句が多く、紋切型の言い回しがちょっと鼻につくのだが、「物語」というコンセプトを鑑みれば、むしろ評価すべきところか。
結局、歴史の物語化をどこまで許容できるかによって、評価は異なってくるのかもしれないが、物語としてもそれほど面白いわけでもない。
ちょっと不満ありで星3つ★★★。

561:無名草子さん
12/12/08 13:49:53.65 .net
>>559タイポ
Ⅰ章は「スペン・イスラムの誕生」

Ⅰ章は「スペイン・イスラムの誕生」

562:無名草子さん
12/12/08 13:51:03.42 .net
渡辺啓孝『フランス現代史』(中公新書)。第二次大戦終了後のフランス解放から、シラク大統領の時代まで。
まず第一章ではフランス解放後の、エピュラシオン(ナチ協力者などへの報復的懲罰)の模様と、終戦処理、ドゴール臨時政府の成立、そしてドゴールの辞任までを素描。
第二章は、第四共和政の成立と展開。冷戦下の外交と、国内政治における諸勢力の興亡、復興と高度成長、そしてインドシナ紛争、アルジェリア紛争勃発。
こうしてフランス帝国の没落が始まる。このアルジェリア紛争の経緯はいろんな意味で香ばしく、ここだけを詳しく書いた本を読みたくなる。新書では出ていないようだが。
第三章はドゴール時代。第五共和政の発足。ドゴールはアルジェリアの独立を容認する。
ドゴールはフランスの「自立」と「偉大さ」を求め、対外的には東西両陣営のいずれにも従属しない均衡政策を採った。
経済的には豊かになり消費社会が到来したが、雇用問題の悪化などを背景に、68年には有名な五月危機が起こる(左派などは「五月革命」と称することが多いが、ここでは「五月危機」と書かれている)。
そしてドゴールの引退と死去。
第四章ではポンピドゥー大統領とジスカール・デスタン大統領の時代を扱う。石油ショック以後の高度成長の終了とスタグフレーションを招いた時代。

563:つづき
12/12/08 13:51:43.05 .net
第五章はミッテラン大統領の時代。86年にはシラクが首相となり、大統領が左派で首相が保守というコアビタシオン=保革共存が成立。
その頃、ルペンを代表とする極右の「国民戦線(FN)」も勃興する。国内的には移民問題が浮上する。また、ヨーロッパ経済統合の準備として緊縮財政が行われる。
96年にはミッテランが前立腺癌で逝去。第六章ではシラク大統領が登場し、97年にジョスパン社会党内閣が成立して第三次コアビタシオンとなるまで。
全体的に政治史としては詳細で、経済史にもかなり踏み込んでいる。社会や文化の側面はあまり触れられていない(第三章で社会階層や消費社会について述べられているくらい)。
しかし経済史に踏み込んでいると言っても、当時の経済に対する診断と経済政策は正しかったのか否かは、これを読んだだけではよくわからない。
これらは経済学者による本格的な分析が必要なところであるが、自分のいい加減な印象で言えば、フランスの現代史は経済失政の歴史であるかのように見える。
経済政策論で言う「政策の割当」が滅茶苦茶だったのではないか。現在のユーロ圏におけるドイツ以外の国の惨憺たる経済状況を見るにつけ、感慨深い。日本も人ごとではないが。
文章は単調かつ無味乾燥(アマゾンレビューを見るとこの点を批判している人がいる)だが、自分はあまり気にならなかった(むしろ『物語・スペインの歴史』での陳腐な文学的レトリック満載文章の方が辛かった)。
無味乾燥とは言っても、ドゴール、ミッテラン、シラク達の肖像はそれなりに生き生きと描写されている。政治史のまとめとしては、これで充分だと思う。
ただ、著者の責任ではないかもしれないが、アルファベットの略語が次から次へと出てくるのは勘弁してほしかった(CFLN・CNR・CDL・FFI・CGT・SFIO・MRP・UDSR・RGB等々々…略語フェチかw)
略語だけの索引が欲しかったくらい。一応星4つ★★★★(ちょっと甘め)

564:無名草子さん
12/12/20 18:54:52.31 .net
>>557『歌謡曲』
これ書き忘れたけど、一刷では沢田研二のヒット曲『勝手にしやがれ』の元ネタの映画を、フェリーニだと書いてある(むろん正解はゴダール)
ちょっと恥ずかしい凡ミス。二刷では訂正されてるかな?
他のデータはたぶん正確だと思うが。

565:無名草子さん
13/01/02 17:40:43.08 .net
あけおめ。ことよろ

566:無名草子さん
13/01/02 17:53:21.97 .net
あけおめことよろ

567:無名草子さん
13/01/02 21:19:42.07 .net
あけおめことよろ今年も謙虚に生きていきたいと思います(ドヤ顔

568:無名草子さん
13/01/07 20:32:13.77 .net
早く新しいレビューしろよ。お正月暇だったんだろ

569:無名草子さん
13/01/10 00:15:33.19 .net
田中美知太郎『ソクラテス』(岩波新書)ギリシア哲学の泰斗によるソクラテス入門。
限られた資料の中からソクラテスの実像を浮かび上がらせようとする。
実証的な態度でソクラテスの出自や生活的事実にアプローチしていくのが少し意外であった。
どうやって生計を維持していたのか、というような形而下的な事実をまずは追求している。
有名な悪妻伝説については、実際は誇張であると推定している。
次に、当時のギリシアの思想状況とソクラテスへの知的な影響、そしてソクラテスが知的世界にどのような影響を与えたのかが検討され、
なぜソクラテスが死に追い込まれたのかの手掛かりを探る。
四章ではソクラテスの行動を制限した霊のごときものである「ダイモン」について詳しく検討される。
五章では、ソクラテスが、デルポイの神託を受け、そこから「無知の知」(この本では「不知の知」「無知の自覚」と書かれている)という解釈を引き出す経緯。
六章ではソクラテスにとっての「知」とは何かが問われ、それは「徳」や「正義」という倫理的な知であることが述べられる。
最後に再び、ソクラテスが訴えられ死刑にされた原因を考察。
決して奇矯な思弁にはのめり込まず、常識から出発し、あくまでも現実的な思考を積み重ねている。
しかし同時に、執拗に問い続け、決して考え続けることをやめない思考のスタイルは、本物の哲学者らしいと言える。
自らの「思い込み」の外に出ようとする意志を感じる。これは最近の哲学者や思想家の一般向けの発言にはあまり感じられない点である。星5つ★★★★★

570:無名草子さん
13/01/10 00:21:56.35 .net
斎藤忍随『プラトン』(岩波新書)。あまり初心者向け入門書という体ではなく、ある程度の教養のある読者に向けたプラトン概論という趣。
トインビーやラッセルなど現代の歴史家や哲学者による様々な批判に対する反論が述べられ、やや論争的な内容となっている。
「死」や「知と美への恋」や「政治」や「イデア」といった主題を検討しながら、プラトンの思想に迫っていく。
「死」の章では、神話やホメロス叙事詩において、死がどのように考えられていたかを詳しく追っていき、プラトンについては最後の一行で言及されるのみであるのにはちょっと驚いた。
ここでは、ギリシアの伝統的思想における「死の肯定」、人間は早く死ぬ方が良いという思想があったことが述べられる(但し自殺はいけない)。
「恋」の章に入ってもしばらくは「死」についての考察が続き、半ば頃でやっとソクラテスが登場する。少年愛が、知への愛の契機となることが指摘される。
「政治」の章ではプラトンの「ポリティアー」(「国家」)が詳しく分析される。
「ポリティアー」はマルクス主義者やラッセルやポパーによって、全体主義的、反民主主義的だとして激しい批判にさらされたが、著者はそれらに対して反論を試みている。
「イデア」の章では、「洞窟の比喩」をいかに解釈すべきかが問題とされる。最後に、プラトンの著作が簡単に紹介され、この部分が最も入門的になっている。
プラトン本人よりも、神話のアポロンや、ホメロスの叙事詩についての論考の割合の方が多い感じであった。
神話や宗教、叙事詩やギリシアの思想全体との関係におけるプラトンの思想の位置付けを考察する内容。ちょっと難しい。星4つ★★★★

571:無名草子さん
13/01/10 00:30:21.38 .net
上尾信也『音楽のヨーロッパ史』(講談社現代新書)。
音楽史というよりも、音楽と歴史の関わり、すなわち音楽と宗教・政治権力・軍事との関係性を追ったもの。また楽器についても詳しく書かれている。
Ⅰ章では、古代オリエント、旧約聖書に出てくる音楽と楽器(角笛・ラッパ)、古代ギリシア・ローマ(竪琴)等。
Ⅱ章では中世キリスト教における音楽。グレゴリオ聖歌やオルガン、天使の奏する楽器など。またイスラムの影響の大きさにも言及。
Ⅲ章では、十字軍や百年戦争など、中世の戦争・軍事にまつわる音楽。そして王権と祝祭で用いられる音楽など。
Ⅳ章では、音楽が宗教改革の宣伝に使われたことなど。Ⅴ章では再び戦争に使われた軍楽について。
オスマントルコの軍楽、イングランドの内戦・清教徒革命(清教徒革命では世俗音楽が弾圧されたことにも言及)、
イタリアではルネサンスからバロックへ、フランスでは、太陽王ルイ14世による戦争と祝祭のための音楽など。
このあたりからいわゆる近代クラシック音楽の歴史が始まる。
Ⅵ章では「国歌と国家」と題して、各国の国歌の成立とナショナリズムの関係を論じていく。また近代の革命と世界大戦に伴う音楽について述べる。
アマゾンレビューでも言われていたが、ある程度、世界史と音楽についての知識がないと、耳慣れない固有名の羅列が多くてピンと来ないかもしれない。
文章が悪いという評価もされていたが、自分はそうは思わない。むしろ名文の範疇ではなかろうか。
ただ文章からは音楽は聞こえてこないわけで、頭に入りにくいのは仕方のないところか。
図版も豊富なのだが、これを見て何かを感じろと言われてもちょっと無理があるかもしれない。★★★


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