21/01/29 21:34:39.45 OahQsvrn.net
>>13
ーすべき、ということを伝えるのは難しいですね
倫理的法則に根拠を持って説明するのは不可能かもしれないし、というかナンセンスです
なぜそうすべきかと問われれば無限に答えが見つかるし、無限に見つかるということは何も語られなかったことと同じになってしまう
世界は事実の総体であるとある人は言いました
キリーロフと同じ独我論的傾向を持っている人です
現実世界を見渡して、世界について説明する時、「このようになっている」を語るならば「事実」だけを確認しなければならない
しかし「このようになるべき」について語る時に「事実」は必要性の多くを失う
倫理は常識との一致を必ず必要とはしない
倫理は事実に依存していない
世界が事実の総体であるならば、世界に存在する人間は事実の中にいなければならなくなる
しかし倫理は事実の中にはなかった
つまり倫理は外側にあるに違いない
自分の範囲、世界を超えて語ることは不可能と言える
倫理は語り得ない
もし語り得ないことを語ることができるとするならば、神だけであるのかもしれない
なのでキリーロフは神になろうとした、とオレは理解しています
>「もし神があれば、神の意志がすべてだ。したがって、僕も神の意志から一歩も出られないわけだ。ところが、神がないとすれば、もう僕の意志がすべてだ。ところが、神がないとすれば、もう僕の意志がすべてだ、したがって、僕は我意を主張する義務があるわけだ。」