21/01/23 23:30:15.87 3j9vFIuJ.net
ついでに目についたエピソードを一つ
「トルストイとフョードロフの困難かつ不釣合いな関係は、トルストイ自身にとっても奇妙なことに、八〇年代をとおして続けられていった。
フョードロフに対するトルストイの行き届いた、いささかおもねるような態度や、二人の口論、衝突については、それを実際に目撃した人々の多くの話がある。
息子のイリヤ・トルストイはこう回想する。「会話では、いつもかっとなって抑えがきかなくなる父が、ニコライ・フョードロフが話しだすとなると、ことに注意深く耳を傾け、彼に対していきりたつようなことは一度もなかった」
トルストイとは実際に行き来があったようですね
安岡女史の解説を再度引用すると
「……一九三〇年代以降、ソヴィエトではフョードロフの名はタブーとなった。しかし、フョードロフの復活や不死の思想は、革命後の多くの芸術家や科学者にも豊かなインスピレーションを与えていた。」とのことで
このスレでもどなたかがドストエフスキー(をはじめとするロシアにおけるロシア文学)研究は今現在新たな出発を始めているという論文を引用されてましたがまさにその通りのようですね