20/12/30 13:14:44.23 Z5T907vz.net
かつてこの地上に一つの日があった。
そしてこの地球の真ん中に、三つの十字架が立っていた。十字架の上 にあった一人は、きわめて深い信仰を有していたので、いま一人の者に向って「お前は今日わしと一緒に天国におもむくだろう」と言った。
やがてその日は終わって二人とも死んでしまった。
そして、ともに旅路につい たけれど、天国も復活も発見できなかった。予言は適中しなかった。
いいか、この人は全地球における最高の 人で、地球の生活の目的となっていたのだ。その上にある一切のものを含めてこの一個の遊星全体もこの人が いなかったら、ただの狂乱にすぎない。この人の前にも後にもこれほどの人は決していたかったし、また絶対に現われないだろう。
それは実際、奇蹟といってもいい位だ。
こういう人はこれまでにあいなかったし今後も決して現われないだろうというところに奇蹟が含まれているわけなのだ。
もしそうとすれば、自然律がこの人童容赦しないでその奇蹟さえ容赦しないで、彼をして偽りの中に生き、偽りのために死なしめたとすれ ば、当然この遊星全体が虚偽で、虚偽と愚かしい剛笑の上に存在しているわけなのだ。
して承ると、この遊星 の法則そのものが虚偽なのだ。
悪魔の喜劇なのだ。一体何のために生きるのだ。
前に三本の十字架の話で触れたけど、ここに出てくるセリフ「一体何のために生きるのか」こんな話はドストエフスキーの中でキリーロフくらいです