20/12/29 01:53:07.55 xj7IBbOp.net
ちなみにこれらを真っ向から反対するものがいます
何を隠そうニーチェです
生きる意志こそ肯定せよ、というわけです
つまり「神がいないならば私が神である」と言ったキリーロフは神のあるなしにまだ確証を持ってはいないわけですが、ニーチェに限ってはこうです
「神はいない、だから私が神である」
キリスト教も肉は克服するもの、しかも生きたままで肉なしに生きる、という教えがあります
あくまでキリストの力を借りてということになりますが
カラマーゾフの兄弟で引用された聖句が思い当たると考えられます
ドストエフスキーの思想もこういう感じだったのではないか、とオレは個人的に考えています
ヨハネによる福音書
12:24
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
12:25
自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。