☆☆☆ドストエフスキー統一スレッド①☆☆☆at BOOK
☆☆☆ドストエフスキー統一スレッド①☆☆☆ - 暇つぶし2ch138:吾輩は名無しである
20/12/23 09:12:23.30 bXhAzcEn.net
とても役に立つスレでありがたい
読了後忘れかけていたことが思い出されてくる
スレ主としてうれしい
なお、オレは創価学会関係者ではない

139:吾輩は名無しである
20/12/23 10:01:19.11 9zFlLWXl.net
>>138
俺はあなたの役に立っている書き込みの人ではありませんが
このスレの2つめを立てる際はぜひ>>1から朝鮮人の3文字をオミットしてほしいです

140:吾輩は名無しである
20/12/24 01:09:35.68 uXZmIrC+.net
>>138
スレ主さん乙です
いいシェルターを立ててくれてありがとう
オレも創価のじいさん(の人格の一つ)とか言われて心外極まりないが
こればっかりは違うと言っても信じない奴は信じないだろうしまぁ証明のしようもないので
このままこのスレで遊ばせてもらいます
話変わって
クリスマスで思い出すのがディケンズの「クリスマス・キャロル」
もそうなんだけどオレは四年間のシベリア流刑にドストエフスキーが処せられた時の体験記「死の家の記録」のクリスマス・シーン
曰く「だいたいにおいて、お互い同士の盗み合いはすさまじかった…想像できることと思うが、ここは泥棒の達人どもの集まりなのだ」
と獄内で所持を許されていた唯一の本である聖書を、彼に敬意を持って接してくれてた囚人に盗まれたエピソードを紹介しているが
そんな世間の除け者ぞろいの囚人たちがいつになく妙にとりすましながらうきうきワクワクする様子が微笑ましい

141:吾輩は名無しである
20/12/24 02:22:11.29 YASO9W1b.net
>>140
よく覚えていますね
もう細かい部分は忘れてしまった
ドストエフスキーで書かれている囚人て意外とキリストとか聖書を大切にしている人が登場しますよね
余談ですが、ロシア正教ではユリウス暦という暦を昔から今でも採用しているため、クリスマスは1月7日になるようです
ということは新年→クリスマスの順番だけけどなんか(変
新年についてなにか死の家の記録には書かれていなかったですか

142:吾輩は名無しである
20/12/24 02:23:11.58 YASO9W1b.net
ちなみにオレはスレ主じゃないいっす
横入りしましたw

143:吾輩は名無しである
20/12/24 03:19:10.12 uXZmIrC+.net
>>141
文学板で知ったかして間違ってた日には鬼のように叩かれるのはわかってますから
書く前に裏は取ります
覚えてるのはクリスマスのワクワクあったなと聖書盗まれた話あったな
でパラパラ読み返しながら書きました
でクリスマスが12月25日じゃないとかオレのレスを根底から揺るがすような新ネタを…
確かにドストエフスキーの誕生日も旧暦と新暦で違いますよね確か
新年については覚えないなぁ
だいたいクリスチャンてクリスマスが一年の最大のイベントで正月ははーん??て感じらしいじゃないですか
ロシア正教徒が「新年あけましておめでとうございます」って
異教徒としてポグロム仕掛けられそう

144:吾輩は名無しである
20/12/24 04:01:57.07 uXZmIrC+.net
>>141
でポグロムの裏を取るためにググったら酷い写真が結構な数出てきた
ロシア革命はユダヤ人がロシア人に復讐するために起こしたって陰謀論がありますが
これだけのことされ続けたらそりゃ復讐心も積み重なるわな   と感じさせられましたね
別にユダヤ人の肩を持つわけではありませんが
宗教が違う人間は人間ではないから何をしてもいい
逆に言えば宗教が「仲間である人間」と「敵」(カール・シュミットから適当に借りました)を分ける枠組みとなってるわけで
宗教って怖いと一般的日本人が思ってしまうのもやむを得ないかもしれないなぁと思わされました

145:吾輩は名無しである
20/12/24 09:49:39.27 uXZmIrC+.net
ついでに読み直して目についたエピソードを一つ
「最後にもう一つ、囚人の懐ろをあたためはしないが、いつもきれないで、ありがたい収入の道があった。
それは施しものである。わが国の上層階級の人々は、商人や町人や一般民衆がいわゆる『不幸な人たち』にたいして
どれほどの思いやりをもっているか、理解していない。…わたしははじめて金の施しを受けたときのことを、覚えている。
それは監獄について間もないころだった。わたしは看守につきそわれて、一人で朝の労働からもどってきた。
向こうから母親と、十歳ばかりの天使のようにかわいらしい少女がやってきた。…
少女はわたしを見ると、顔を赤らめて、母親に何ごとかささやいた。
すると母親はすぐに立ちどまって、包みの中から四分の一コぺイカ銅貨をさがして、それを少女にわたした。
少女は私を追ってはしってきた……
「さあ、『不幸なおじさん』、このお金をどうぞ、キリストさまのためよ」と少女はわたしのまえへかけぬけて、
わたしの手に銅貨をおしこみながら、叫んだ。わたしはそれを受け取ると、少女はすっかり満足して母親のところへもどっていった。
その銅貨をわたしは長いこと大切にもっていた。」
件の聖書もペテルブルグからシベリアに行く途中トポリスクでデカブリストでの妻たちに贈られたものらしい。

146:吾輩は名無しである
20/12/24 09:55:24.76 uXZmIrC+.net
訂正
デカブリストでの妻たち→デカブリストの妻たち
大事なトコを打ちまちがえてしまった…

147:吾輩は名無しである
20/12/24 21:57:26.09 YASO9W1b.net
>>143
オレが思うにキリスト者の一番のイベントは復活祭、イースターだと思っています
復活祭はキリストの復活を記憶する、言うなれば、キリスト教の最大の原理である「復活」、死の克服を意味するため大切に扱われているのかもしれません
イベントにならないイースターは、日本人では馴染みがないようですが、ロシアでは日曜日に教会に行かない人もこの日だけは参加する祝日のようです
URLリンク(jp.rbth.com)
そもそもクリスマスは1世紀頃のローマ帝国が国教を変えたために定めたキリストの誕生日であり、ローマ帝国ではミトラ教の太陽信仰がもともとあり、そのお祭りが12/25だったためキリストの誕生日と仮定したようです
キリスト教国家のフィリピンではクリスマスを祝わないようです
同じ宗教でも考え方によって見方が変わってくるのはどこの国でも同じようです
正教会とラスコーリニキとかみたいに
>>144
悪とはシステムを無批判に受け入れること、なんてアーレントはユダヤ人迫害を分析したけど、これは全体主義に言えることで特定の宗教対立に限る話ではないと思います
悪にも種類があるけど、量的な悪はおそらく受動的な追従による悪に違いないはずです
上手くやっていきたい、出来るだけ楽にこなしていきたい、誰もが思う当たり前の理屈だけど、考えることを放棄した時に悪はうまれるのかもしれません
「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。
そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。
人間であることを拒絶した者なのです。
そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました。
ハンナアーレント」

148:吾輩は名無しである
20/12/24 21:57:34.56 YASO9W1b.net
>>145
なんか死の家の記録を思い出してきた
寄付文化が習慣として根付いているのは聖書の影響っすね
貧しいものに与えよ、はキリスト教の基本ですが、オレの解釈では運命についての考え方の違いがベースになっていると推測しています
貧しいもの、悪を行うもの、不幸な人になるのは「環境」によるためであり、誰もがそうなってしまう(そう生まれていた)可能性が本来的に存在していた、もしくは現にそうなっているからに過ぎないと考えるからでもある
逆に経済的な成功や実現があっても、自分の力で獲得したというよりそれだけの力を与えてもらった、そういう人生にたまたまか必然かはさて置き運命付けられた、と考える人が多いため寄付文化が発達しているのではないか、なんて思っています
話ついでに言えば、日本は世界寄付指数がかなり悪いです
人助けランキングでは最下位をとりました
アジアではワースト3位をいつも争っています
自助とか自己責任とかよく言われるけど、まるで反対の価値観を持っている国もあることをもっと学ぶべきだし、それが出来るのも読書によると考えています
そういえばカラマーゾフでも出てきたけど、ロシアなんかは囚人のように貧しいもの以外でも「神がかり」と言われる人たち、言葉は悪いけど要は頭のおかしい人たちも保護しています
神がかりな人と言えばスメルジャチシャヤ、スメルジャイコフの母親はフョードルによって保護されることになるけど、ロシア的にはあり得ることだったのかもしれません

149:吾輩は名無しである
20/12/25 00:46:31.82 hemWJUn9.net
>>147
本屋学問のオレとは学識量が一段違いますな
イエスの誕生が福音の始まりとしたら復活は福音の本質たる奇跡
で奇跡はイエスが神の子であることを担保(スンマセン下世話な表現で)するがゆえに最も重要ということですかな
イースターの日が「春分の日の後の最初の満月から数えて最初の日曜日」と定められているとググって知り
だいたい冬至の日に生まれだいたい春分の日に復活してる
人間の血の来歴が太陽と地球に規定されるがゆえに宗教的祭日もそれに纏わって定まっていくものなのかと思うと面白いものですね
ハンナ・アーレントとシモーヌ・ヴェイユが今まで何となくごっちゃになってましたが
当たり前のことながら全然別人ですね(恥)
ハンナ・アーレントはハイデッガーの下で哲学を学びながら不倫関係になりフッサールやヤスパースの指導も受けてるって何者ですかこの人
って書きながらレーベジェフ主義者のオレの興味は下世話に走るなぁと
彼女は保守主義なのか進歩主義なのか
それともそんなに単純に分類される思想家ではないのか気になりますね
あと共和党支持か民主党支持かもって下世話すぎるか

150:吾輩は名無しである
20/12/25 12:22:02.52 hemWJUn9.net
ドストエフスキーの全集に土壌主義宣言なる文章が収録されているんですね
今度読んでみよ
私は最近は悪について取り立てて考えたことはなく
とりあえず人の支配じゃなくて法の支配と自由主義・人権尊重・民主主義という人類の英知に沿った思想・制度を守っていくしかないよね
と単純に漠然と思っており
あと人権や自由も無制限はダメねやっぱり秩序とのバランスを取っていくことが大事
という小市民的穏健主義なんですが
全体主義の暴力を身をもって体験したアーレント女史の”悪の凡庸さ”ですか
初めて接した概念なので新鮮に感じました(というかググったら女史の影響を受けた人物の中に丸山正男が入ってて
読んだことはないんですが丸山のファシズム論はアーレントの影響下というかパクリ?と言ったら怒られるか)
イタリアのファシズムの縁起は知らんのですがナチズムは第一次大戦後宿敵ドイツを殺しにかかったフランスの責任も大きく
狂ったようなインフレで経済が崩壊し生きていかれない状況になったらドイツ人も発狂するよなと
かと言ってナチズムが許されるわけもないし肯定するわけではないので不快だったらごめんなさい
ドストエフスキーが悪についてどう考えていたかちょっと思い返してみたんですが
傲慢な英雄免罪思想によって罪を犯したラスコーリニコフは結局は内面的に罰せられ大地に接吻して自首し法的に罰せられることとなり
ロシアの大地を離れたデラシネスタヴローギンは一時その富と才能と魅力によって多くの若者のカリスマ的存在となり生を謳歌することがあってもついには枯れる時が来て
理知的に有神論を切り捨てたイワンは無神論を教えたスメルジャコフによって殺人教唆犯となる
結局キリスト教/ロシア正教への信仰と土壌主義(これはまだ私はよくわかってない概念なんですが)に基づいて悪を考えていたということでしょうか

151:吾輩は名無しである
20/12/25 16:20:07.58 zkCzUiaA.net
>>149
アーレントについてはあまり詳しくありませんが、読んだ本から推論すると保守でも進歩主義でもありません
確定できる概念があるとすれば自由と新生です
まず自由とは何かを考えます
誰もが好き勝手に責任を誰も負わない世界は時に自由に見えますが、この自由の中には生命を脅かすほどの危険が伴います
それだけ人間は卑しく、わがままであり、自分勝手だとアーレントは考えました
アーレントは共生するためにまず教育が必要になると言います
教育において私的領域というものがあります
最初は家族です
子供にとっての最初の教育の場所は家庭です
次に公的領域があって、これは学校などと広がっていき、やがては社会や正解へと人は向かっていくのです
教育の場所ではまずまとめる権威者がいて、子供は服従すると同時に外部の危険から保護されます
ここに権威に対するアーレントの考え方があります
権威者は、もし暴力的な強制や理性的な説得があったとしても子供を服従させることは可能かもしれません
しかしながら、権威とは尊敬によって樹立されるべきだとアーレントは考えます
権威が喪失される場合は軽蔑によります
尊敬によって樹立される権威は、強制された権威と違って軽蔑を排除できるのです
この私的領域において大切なのは保護されているという意識づけです
子供は守られていると実感できるとアイデンティティを確立し、自らの存在を肯定します
これは自由につながります
自由なものは自律的であり、創造的であり、活動的であり、共生的です
共生の敵は対立です
恐怖は自らの存在を不安定にし、安定のために他者と対立し、そして対立は疎外を生み出します
安心を持って成長した子供は「旧い世界を(私的領域)を持ったまま更新」します
自由に社会へと参加するのです
これが新生です
自由には存在論的な安定の心と人格が自律的であること、新生には存在の確立が必要であること、アーレントは保守にとどまらず、また進歩主義にも留まることはなくその両方を批判して更新することを選んだとオレは思っています

152:吾輩は名無しである
20/12/25 16:23:00.88 zkCzUiaA.net
>>150
読んでいて思想面面白かったです
土壌主義やその他についてはまた後でね
なんと答えていいか整理してみます

153:吾輩は名無しである
20/12/25 19:35:08.41 zkCzUiaA.net
>>150
やっと見つけた
ドストエフスキーの土壌主義がよくあらわれているのは、作家の日記に記されたプーシキンのオネーギンの登場人物についての言及から読み取ることができます(最後に引用しておきます)
土壌主義を理解するために簡単な方法があります
それは土壌主義の反対を考えると分かりやすいようです
それは拡張主義です
拡張主義では文明の伝達、都市化、近代化、効率化、工業化もそうだし、とにかく没個性的に出来るだけ均等になるように「発展」していくことです
現代でうたわれるグローバル化の正体こそ拡張主義です
日本にもありました
ご存知の通りそれは文明開花と呼ばれています
明治の時代、文明開花によって日本はとても豊かになっていきます
食事から運搬具から何まで発展するのです
そもそも最初に拡張主義を取り入れたのはヨーロッパでした
これがルネッサンスです
ロシアでは、スラブ主義と西欧主義が貴族階級の人たちにもたらされることになります
文明が近代化(西欧化)するために生活は向上しました
(起源はバベルの塔、いわくバビロン文明なんだけど、この辺は宗教的な説明になるので割愛します)
ただし拡張主義には代償がありました
それは伝統の喪失です
この伝統を守ろうとする意識を土壌(大地)主義とドストエフスキーは言いました
土壌、大地、「土地」とは「伝統」のことです

154:吾輩は名無しである
20/12/25 19:38:25.62 zkCzUiaA.net
作家の日記 プーシキンについての演説より
「彼は幻想を愛しているのだ。が、彼自身も幻想なのである。まったく、もし彼女が彼に従って行ったならば、彼は明日にも幻滅を感じて、自分の一時の熱中を冷笑の目で見るだろう。
彼にはなんの地盤もない、これは風に漂う草の葉なのである。
ところが、彼女はまるで違う。
絶望の中にあっても、自分の生涯は滅びたという悩ましい意識の中にも、彼女にはなんと言っても、魂の寄り掛かる強固な揺ぎなきなにものかがある。
それは彼女の少女時代の追憶である。
彼女の慎ましい清らかな生活の始まった、淋しい田舎にある故郷の思い出である。
それは「彼女の哀れな乳母の墓の上なる十字架と、木立の陰」である。
ああ、これらの思い出と、昔の様々な人の姿は、今や彼女
にとっては何よりも尊いものであり、彼女に残された唯一のものであるが、これが彼女の魂をどんづまりの絶望から救っているのである。
これは決して些少なことではない。
否、そこには多くのものが含まれている。
なぜなら、それは完全な土台であり、一種ゆるぎのない、破壊しがたいなにものかなのである。
そこには故郷、郷土の民衆、その聖物との接触がある。」

155:吾輩は名無しである
20/12/25 19:44:05.89 zkCzUiaA.net
>>150
>結局キリスト教/ロシア正教への信仰と土壌主義(これはまだ私はよくわかってない概念なんですが)に基づいて悪を考えていたということでしょうか
ここまできて文明が開花することや発展することを善とするのか悪と呼ぶのか、伝統に留まることを善とするのか悪とするのかは自分自身です
どちらかしか選べません
貧しいままでいるか豊かになるのか、そのかわりに個性を残すか没個性になっていくのかは必ずついてきます
あくまでキリスト教では、という限定付きの枠組みで語るのならば、伝統の喪失は悪です

156:吾輩は名無しである
20/12/25 20:01:38.27 zkCzUiaA.net
開花→開化

157:吾輩は名無しである
20/12/25 21:45:56.56 eMbOZD66.net
>>154
ドストエフスキーのプーシキン演説は聴衆の熱狂的支持を得て晩年における一つの達成だったとアンリ・トロワイヤが書いた伝記だったかで読んだ記憶があります
大成功に感動したドストエフスキーが興奮して夜眠れずにわざわざ一人で演説会場に戻って感激を噛み締め直したってエピソードに
ボッチかよ!!
と要らぬ思いが頭に浮かんだのを覚えています
演説もオネーギンもこれを機会にじっくり読んでみたいと思います

確かレーニンも愛読してたらしいチェルヌイシェフスキー(合ってるかな)の「何をなすべきか」にドストエフスキーは批判的で何かの小説で揶揄してた記憶があります
若い頃にはオーウェンだかサン・シモンだかのマルクスのいう空想的社会主義を信奉してた時期もあったが
死刑判決からのシベリア流刑体験を経ていわゆる「転向」したということなんでしょうね
土壌主義は保守主義と同じと考えていいものなんでしょうか
違うとしたらどこが違うのでしょうか

158:吾輩は名無しである
20/12/25 23:44:41.91 zkCzUiaA.net
>>157
オレもそうやって次に何を読むか決めています
ようは読んでいる作家に次の作家を紹介してもらうと探す手間が省けますね
ちなみにドストエフスキーが傾向した空想的社会主義者はシャルルフーリエですね
何冊か読んだけど、まさに奇人変人でした
アレはまぎれもない天才です
保守主義の大前提は政治の分類と思っておけば間違いないんじゃないかと思っています
土壌主義とは文明の分野も含んでの主義思想です
保守とは問題解決の方法論です
知られた方法(やったことがある、誰かがやった)で問題を解決する方法論に基づいて政治を行う人たちを保守主義者と定義できます
反対が改革主義者もしくは進歩主義者
「事実確認」が保守、「行為遂行」が進歩主義
土壌主義は伝統が廃れない範囲なら解決策は何でもOK
土壌主義の目的は問題を解決していくことではなく、伝統を保存していくことが目的なので、触れてはいけない部分だけ残せるならば方法については寛容的です
伝統が守れる範囲の自由ならOK
日本に限ってはなぜか保守と土壌が同じ扱いになっているため混合しやすいようです
伝統を愛しながら進歩主義を支持する、なんて人たちは世界では珍しいことではありません
必然的に、もっとも自己を保存しようとする保守は守るという目的の土壌主義と家族定期類似性があるために同じになる傾向はあると思います
オレはなんだかんだ言っても保守的な性格なんすよw
行為遂行を簡単に口にするのは好きじゃない
事実確認を前提として解決していきたいと思っています
あなたはどうですか

159:吾輩は名無しである
20/12/25 23:50:23.53 zkCzUiaA.net
○家族的類似性↑

160:吾輩は名無しである
20/12/26 00:02:12.83 aOmelsM3.net
これはオレの主観から偏見も含んだ見方ですが、現在で土壌主義に近いのはイスラム圏の人たち
彼らからすれば日本人とかはありえない人種にみえます
神は信じない、豚肉も食う、性に対して奔放
だけど気にしない
自分たちの伝統には関与してこないからです
ユダヤ人へ対しては同じ神を信じていても敵対する
パレスチナなどの聖地を奪還しようとするからです
伝統を破壊しようとするため対立します
土壌主義者たちが問題にするのは宗教のことが多いようです
彼らにとって守るべきものは伝統が上位なんだと思います
ドストエフスキーでも言えることで、正教会がカトリックを嫌悪するのも伝統の違いがあるから
だからムイシュキン公爵はローマカトリック、西方の教会文化の伝統を嫌うのです

161:吾輩は名無しである
20/12/26 00:18:00.64 UUAd9T3Y.net
>>158
ああフーリエか
そのフーリエも何冊か読んだって貴方は何者なんですか
ってのは置いといて
オレはド氏とレベルは全然違いますが流れは一緒で昔は社会主義や共産主義にわけもなくかぶれ
とは言ってもオレの場合難しい本を読んでもよくわからんので
レーニンの国家と革命とかエンゲルスの私有財産とうんたらかんたらをわからないままページをめくってた時期もありましたが
今じゃすっかり(貴方の定義とは違うでしょうが)保守主義土壌主義です

162:吾輩は名無しである
20/12/26 00:38:09.59 aOmelsM3.net
>>161
自覚があるくらい偏ってますけどね
本はドストエフスキーから辿っていって、読んでる本に紹介してもらうだけ
プラトンは大好きだけど、ギリシャ哲学もドストエフスキーは関係あるし、やっぱりドストエフスキー関係ばっかり
日本人でありながら日本人の作家に関しては遠藤周作と宮沢賢治くらいだけ
これだってキリスト教で繋がった作家だし
古典以外はここ10年くらいまったく手も出していないっす
あとは全然話にもなりませんw
だからオレは保守で反土壌主義なんだと思います
ちなみにフーリエとかもキリスト教社会主義者なんすよ
ムシャする無神論なんかよりこれが一番厄介なんだ、ってカラマーゾフで誰だっけ、そんなことを言っていた気がします

163:吾輩は名無しである
20/12/26 00:51:31.09 aOmelsM3.net
>>161
うんうん、社会主義や共産主義が主義としては完璧なので傾向する気持ちはわかります
意外に日本の共産党って話す内容もしっかりしてるし
ただ歴史的に共産党でまともな国がなかっただけで、多分だけど社会主義やれるほど文明が発達していなかったからだと思われます

164:吾輩は名無しである
20/12/26 00:52:14.05 UUAd9T3Y.net
>>162
ほえー(驚き)

165:吾輩は名無しである
20/12/26 00:53:48.02 aOmelsM3.net
もしかするとこれだけ発達した今ならベーシックインカムできる国もあるかしれないとさえ思う
ベーシックインカムも社会主義みたいなもんすからね

166:吾輩は名無しである
20/12/26 01:12:20.86 UUAd9T3Y.net
>>163
共産主義国家は人の支配の亜種である党の支配ですからね
人権も自由も党の掲げる理想のためには侵害弾圧するもやむなしという考えで
まともな国家運営ができるわけはありません

167:吾輩は名無しである
20/12/26 01:28:48.53 UUAd9T3Y.net
>>165
自由や人権が守られるなら社会主義的政策もいいですね
ただ人間が理想のままに生きられるとは思えないので
難しい部分もあるのだと思います

168:吾輩は名無しである
20/12/26 01:38:36.78 aOmelsM3.net
>>166
>>167
そこに行き着くとは、過去にか社会・共産主義にかぶれた甲斐があったってことっすね
まさに意識の逆転ですね
カタルシスされたのかもしれない
やっぱり理想だから理想なんですよね
理想が根底にある主義は現実で運営するとなるとレベルが高すぎるようです
カエサルみたいな人が出てきてくれないもんだろうかw

169:吾輩は名無しである
20/12/26 01:57:38.74 UUAd9T3Y.net
>>168
お!!
カタルシスしちゃったってこと?
は冗談として
よく知らんのですがカエサルってそんなに政治的手腕があったんですか
逆に剛腕を振るいすぎてブルータスにまで裏切られた とか?

170:吾輩は名無しである
20/12/26 02:04:58.49 aOmelsM3.net
>>169
優秀な政治家の代名詞みたいなもんです
実際にはもっと凄腕だった人はいるけど、雰囲気で有名になってる人っているじゃないっすか
そんな感じです
裏切られてグサっとやられますね、シェイクスピアで知った口だけど

171:吾輩は名無しである
20/12/26 02:13:02.90 UUAd9T3Y.net
>>170
ほえー(感嘆)

172:吾輩は名無しである
20/12/26 02:27:26.12 UUAd9T3Y.net
>>170
いろいろと面白い話をありがとうございました
オレは落ちます(もっと人増えるといいですね…)
似たようなスレがアゲられてて
毎年同じようなことやってんのが面白い
スレリンク(book板)

173:吾輩は名無しである
20/12/26 19:40:42.50 UUAd9T3Y.net
去年のスレの方が人がいっぱいいた様子
あと学術という固定さんがいた

174:吾輩は名無しである
20/12/26 21:53:35.09 aOmelsM3.net
同じ作者のスレッドの数が増えれば人はばらけますからね
どこに書き込んでいいか分からない人もいるだろうし
ていうか最近知ったんだけど、5chにはスレッドだけじゃなく「創価・公明」の掲示板まで用意されているじゃん…

175:吾輩は名無しである
20/12/26 23:03:58.02 UUAd9T3Y.net
おもしろかったのでコピペ
1吾輩は名無しである2019/05/18(土) 09:44:46.64ID:pmpuyLd1
ドストエフスキーを真面目に語り合うスレ。
キチのソーカと学術は立ち入り禁止!
馬鹿がうつるからw
10学術2019/06/01(土) 10:25:14.23ID:DaWjqq9V
座っているので書き込んでみる。

176:吾輩は名無しである
20/12/27 16:47:16.90 IPmWMrdd.net
これは違う意味で面白かったのでコピペしてみる
0085 吾輩は名無しである 2019/08/17 01:03:51
死は我々から意識を永遠に奪うものであるが、不思議な利益もあって、深い夢のない眠りは最も幸福な人生のいずれの日よりも好ましい。
(プラトン)
この世は、苦悩と不安に苛まれている生物が、互いに食い合うことによって生を繋いでいる修羅場である。
墓石を叩いて、もう一度生き返りたいかと死者に問えば、彼らは首を横に振るだろう。
そして、ソクラテスの意見もこれと同じである。
(ショーペンハウアー)

177:吾輩は名無しである
20/12/27 21:37:37.04 ysI6xb6N.net
ドストエフスキーやトルストイと同時代のロシア人で、
この二人から自分より格上だと認められ尊敬されていたのは、
フョードロフという人物で合ってる?

178:吾輩は名無しである
20/12/27 22:14:08.37 IPmWMrdd.net
そんな人がいること自体知らんかった

179:吾輩は名無しである
20/12/28 00:10:02.69 3YPbuiuW.net
この人か
フョードロフ伝
スヴェトラーナ セミョーノヴァ (著)
安岡 治子 , 亀山 郁夫 (翻訳)
アマゾンでも売ってるね
膨大な百科全書的知識に基づいた、宗教的かつ科学的なその夢想的理念によって、
ドストエフスキー、トルストイ、プラトーノフらにも多大なイマジネーションを与えた、19世紀末ロシアの「幻の思想家」ニコライ・フョードロフ。
再評価の進むロシア思想のなかでも、もっともラディカルなその思想と、ユニークな生涯の全貌を明らかにする、本格的評伝。
だって
試しに最寄りの図書館にあるか検索掛けてみたらナントあったので予約してみた

180:吾輩は名無しである
20/12/28 16:03:46.28 jKxN4X0y.net
遥か昔に新潮文庫のソクラテスの弁明とソクラテス最後の日々(そんなの無い?)を読んだが
確かソクラテスが死は来世の始まりかそれとも無のどちらかで無は夢を見ない最も快適な眠りと同じ 怖れる必要ゼロ
と大意そんなことが書いてあった記憶がある
子供の頃は自分が死んだら永遠に消滅してしまうんだと思うと消えてなくなった自分に対する永遠の時という存在にビビりまくってたが
今は自分が消滅し無になるということは
少なくとも自分においては永遠も何もかも消滅するということで少しは永遠くんにも親しみ(?)を感じるようになった
ヒョードル・カラマーゾフは死神がすぐそこに近づいている気配を察したかアリョーシャとイワンに死後の世界の有無を尋ね
アリョーシャは「ある」と答えイワンは「ない」と断言した
ヒョードルはイワンに対しそれにしても少しぐらいは何かあったっていいだろうとブツブツ文句を言うというくだりがあるが
まぁどうなるかは死んでみなけりゃわからない
面白いのはギリシア人に近代人同様
死すなわち無
という概念があったということで
来世なり輪廻転生なりを原初的宇宙観に包含するのが人間の文化の当たり前かと思ってたが
そうでもないのか
それともギリシア人と近代人が特殊なのか

181:吾輩は名無しである
20/12/28 16:32:48.54 h1M40+ZL.net
死は無に間違いない
産まれる前が無だったように

182:吾輩は名無しである
20/12/28 17:25:45.18 jKxN4X0y.net
いくつかコピペさせてもらったレスにも同様の箴言があるので三度めのコピペ
0084 吾輩は名無しである 2019/08/17 01:03:18
今ある、ということは何物にも変えがたい恩恵なのに、生まれてこない、死を賛美するなんて悲しい
ざっとググったらこんなに出てきた、なんて世の中だw
しかもショーペンハウアーばかりじゃないかw
中略
結局、私の生活は苦痛と重荷にすぎなかったし
私は死を恐れない。私は産まれるまで何十億年もの間死んでいたのに、少しの不自由も感じなかったのだから。
(マーク・トウェイン)
マーク・トウェインてトム・ソーヤーやハックルベリー・フィンの冒険あとアーサー王宮殿のヤンキーだっけか
を書いてるとこからまるっきりオプティミストって感じだけど晩年の不思議な少年(未読ですが)て小説では完全にペシミストになってるらしい
何があったのかは知らんけど

183:吾輩は名無しである
20/12/28 19:53:25.71 8vFMh40p.net
>>179
ロシア宇宙主義の元祖みたいな人物のようだけど、何で日本ではあまり知られていないんだろ?
ドストエフスキーとトルストイの二人から一目置かれるって、何気に凄いと思うんだが

184:吾輩は名無しである
20/12/28 20:04:33.33 2AsiIBQB.net
>>183
亀山郁夫が翻訳に絡んでるということは
ネクストブレイクを狙ってるに違いない
というのは冗談として
世界にはそのような埋もれた思想家なりは山ほどいるってことではないでしょうか
というかこの世には知らないことの方が圧倒的に多い

185:吾輩は名無しである
20/12/28 22:22:36.46 ImmWNtZf.net
>>180
プラトンの国家に「エルの物語」という逸話があります
それがプラトンの輪廻転生です
プラトンなんかが死後についてどう考えていたのか理解できるようです
とても短いのでググってみて下さい
もしかするとどこかで全文も載っているかもしれません
仏教の輪廻転生は死ぬとそのまま肉体が違う肉体に転生します
人が死ねば、輪廻転生というシステムが因果応報に基づいて違う肉体に転生しますので、裁き主は必要ないし、神も必要なくなります
魂がなくても輪廻転生は成り立つのです
プラトンでの輪廻転生では、死は魂と肉体の分離で、魂は不滅で肉体は朽ちると考えます
ここまではカラマーゾフで語られた(フョードフが尋ねた)キリスト教の死後と同じです
プラトンによれば、死後、魂は変わらず前のままですが、まずは前世の行いによって裁かれて、1000年の後、魂はそのままで肉体は新しくなって転生します
この時に前の世界でのことをすべて忘れてしまいます
人は生まれる前のことを忘れてしまうため、生まれる前は無であったと言うのです
これが古代ギリシャの人が考えた無です
つまり忘れてしまうため生まれる前が無だった、と人は呼んでいるのです
現代人、日本人でいう無は唯物論の無です
現代ではなんでも科学を根拠にするので、魂なんてものは想像の産物にすぎず肉体の生が終われば死と考えます
意識は脳が作り出した映像なので、死ねば意識もなくるので文字通り無になります
なので古代ギリシャの人たちが言っている無と現代人が考える無は「同じ無」だけど意味は変わっているようです

186:吾輩は名無しである
20/12/28 22:27:00.46 ImmWNtZf.net
>>183
フョードロフって人は目立つのが嫌いな人だったようですね

187:吾輩は名無しである
20/12/28 22:31:13.43 ImmWNtZf.net
>>184
どこかでよく聞いた名前だと思ったら亀山さんが書いていたのか
ほんとにそう思います
世界は知らないことだらけで埋もれた思想家がたくさんいるけど、発掘される人とそうじゃない人の違いってなんなんでしょうか
そういうことを考えると運命なんてものがあるんじゃないかと思いたくなります

188:吾輩は名無しである
20/12/28 22:33:54.47 ImmWNtZf.net
○フョードル
スマホなのでいつもいつも誤字脱字すみません

189:吾輩は名無しである
20/12/29 00:32:05.99 fKTxF9xM.net
>>185
「エルの物語」とりあえずウィキで粗筋だけ読みましたが
唯物論的無よりもよほどマシ(言い方が悪いか)
と言うか勇気づけられる物語ですね
ユングが来世の存在という考えは人生に意味だか味わいだかを与える塩のようなもの (全くうろ覚えで適当な記憶ですが)と書いてたのを思い出しました
ダンテの神曲はこれをモチーフにしたのか?というかパクった?と言うと怒られるか
とするとソクラテスは夢を見ない眠りと死をたとえた時
このような来世観をもってそう語ったってことになりますか

190:吾輩は名無しである
20/12/29 01:18:29.12 xj7IBbOp.net
>>189
あれはきっと煉獄のことですよ
カトリックは死後の世界を天国、地獄、煉獄としました
ダンテはカトリックなので神曲で煉獄を書きました
ドストエフスキー、トルストイ、正教会、プロテスタントも煉獄の概念を否定しています
聖書のどこにも煉獄なんて書かれていない、という単純なことです
きっとそういうことっすね
正しく生きてきたものはエルの世界でも裁かれない、それが終わって転生するときだって正しい来世を選ぶことができる、と考えていたので死は恐るべきものではなかったのかもしれません
それとソクラテスが死が幸福の日より好ましいと言ったのは「生は苦痛である」という側面があって、死ぬことで生の苦しみから解放される、という見方があったからだと考えられます
肉体は魂の牢獄である、としていました
名前が一緒にあがっているショーペンハウエルもそうだけど、人間は根拠を持たずに何かを求めています
これがショーペンハウエルのいう「意志」です
世界は私の意志と表象であるとかなんとか言うんだけど、簡単に言えば、肉体は「肉」だから肉体がある以上は何かを求め続けること=生きていること、なんですよ
で、満足すると「退屈」が訪れる
退屈は苦痛です
で、満足できないと欲求不満なわけです
欲求不満は苦痛です
なのでどっちになっても生きてる=苦痛なわけです
で、安定の時があるとすれば意志がなくなった時と考えます
すなわち死は意志からの解放であるため、深い夢のない眠りは最も幸福な人生のいずれの日よりも好ましい、というわけです

191:吾輩は名無しである
20/12/29 01:53:07.55 xj7IBbOp.net
ちなみにこれらを真っ向から反対するものがいます
何を隠そうニーチェです
生きる意志こそ肯定せよ、というわけです
つまり「神がいないならば私が神である」と言ったキリーロフは神のあるなしにまだ確証を持ってはいないわけですが、ニーチェに限ってはこうです
「神はいない、だから私が神である」
キリスト教も肉は克服するもの、しかも生きたままで肉なしに生きる、という教えがあります
あくまでキリストの力を借りてということになりますが
カラマーゾフの兄弟で引用された聖句が思い当たると考えられます
ドストエフスキーの思想もこういう感じだったのではないか、とオレは個人的に考えています
ヨハネによる福音書
12:24
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
12:25
自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。

192:吾輩は名無しである
20/12/29 03:29:16.99 fKTxF9xM.net
>>191
ニーチェは難しいですね
才能を嘱望されて大学教授に招聘されたながら悲劇の誕生という学会からしたら規格外のものを発表したがゆえにアカデミズムからはまともに相手にされなくなり
ツァラトゥストラこの人を見よ等を書いた後に発狂するもその後評価され世界的哲学者として今も読み継がれるという計り知れない人生
思想的にも超人とか永劫回帰とか
難しい
ただエルの物語の1000年経つと復活するというイメージと永遠の時を経て自分と同じ人間が再び生まれ出て再び自分と同じ人生を繰り返すというアイデアが似てるのかなと感じました

193:吾輩は名無しである
20/12/29 09:59:33.64 fKTxF9xM.net
というか
神が死んだことを理知的に悟ったニーチェが
フロイトやユングのいう無意識において神と来世の代替として超人と永劫回帰を発想したのかも
と今回思いました
人は虚無に耐えきれないのか
イワン・カラマーゾフの懊悩にも通じる のか?

194:吾輩は名無しである
20/12/29 10:50:13.23 fKTxF9xM.net
で思ったのですが
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」
の「死」はキリスト教でいう悔い改めること
本スレ(?)において459氏が「これは、ゾシマの兄→ゾシマ→アリョ-シャ→アリョーシャの兄ミーチャへと伝えられていく、そしておそらく第二の小説でコーリャに伝えられることになるはずだったと思われる」
と明解されてますが
ゾシマの兄が言ったように「われわれはだれでも、すべての人に対してあらゆる面で罪深い人間だけれど、なかでも僕はいちばん罪深いんですよ」
「人間はだれでも、あらゆる人あらゆるものに対して、すべての人の前に罪があるんです」
と悟ることなのか と教えられました
エゴ/利己心を捨てること
利己心が服を着てるような私やおそらく普通の人でもそうそうできるものではないのでしょうが
そういうことだったのか と思いましたね

195:吾輩は名無しである
20/12/29 22:10:23.55 ch13FVEN.net
>>194
そんな感じっすね
オレはゾシマの思想の本質は「一括り」にして考えることがあると思っています
主語はすべて括られた人間になります
同じものとして共に生きている、という共生の思想です
原罪もそうで、もちろん幸福もそうで、何かを考える時に対象になるのは人間である以上はみんなが括られることになります
「人間はだれでも、あらゆる人あらゆるものに対して、すべての人の前に罪があるんです」

196:吾輩は名無しである
20/12/30 00:30:53.88 RFCl6bIO.net
>>195
とは言えオレはあまり良いドストエフスキーの読者ではないので
彼が訴えたかったであろう愛や善よりも
どちらかと言うともっとダークでヒリヒリするところに惹かれちゃうんですよね
だからゾシマ長老で一番印象に残ってるシーンは序盤で信者の農婦たちに祝福を授けるところで
おそらく夫を殺したために死後の裁きに恐れおののいているやつれきって見るからに結核らしい農婦に神の愛と赦しを説くところで
チョット読み返してみたけどいいこと言うね長老
「長老は女に十字を三度切ると、自分の首から聖像をはずして、彼女にかけてやった。」っていい人だなこの人と結局感心してしまった

197:吾輩は名無しである
20/12/30 01:13:02.31 mFNTmk2z.net
>>196
他人の戯言だと思ってもらえたらと思うけど、いい読者ですね
アリストテレスの悲劇論じゃないけど、作者だって普遍的な善より個人的な心の暗部を読みとってもらいたいと思って書いていると思います
善は完成されているので省みる必要がそもそもないけど、悪には完成を目指すべくして内省が必要となるようです
というオレも、イワンやキリーロフが好きなので、ドストエフスキーに心地よい物語は求めていませんw

198:吾輩は名無しである
20/12/30 02:03:52.50 RFCl6bIO.net
>>197
好きなキャラで
イワン    わかる
キリーロフ  え??
珍しいって言っちゃあ失礼かもしれませんが
かなり珍しい好みじゃないですか?

199:吾輩は名無しである
20/12/30 09:06:02.33 RFCl6bIO.net
もっとも
オレは5大長編の中では悪霊が一番好き(と言う表現が合ってるのかわかりませんが)で
おそらく奇人変人しか出てこないこの小説(常識人と言えるのはダーリアくらいのもの?)の登場人物の中で誰が一番好きかと聞かれたら
語り手である「私」(K だったかな)なので
人のことをあれこれ言える立場ではないんですが

200:吾輩は名無しである
20/12/30 09:16:46.35 RFCl6bIO.net
ググったらGか
しかもアントン・ラヴレンチエヴィチという名前まであって新聞記者でした
この人も常識人ですね 作家の分身的人物
Kはカフカかw

201:吾輩は名無しである
20/12/30 13:07:38.29 Z5T907vz.net
>>198
ドストエフスキーが存在論の立場で書いたのはキリーロフだけだと思うんすよね
なので一際目立ってキリーロフがお気に入りです
犬でも飼ったらキリーロフと名付けますw

202:吾輩は名無しである
20/12/30 13:14:44.23 Z5T907vz.net
かつてこの地上に一つの日があった。
そしてこの地球の真ん中に、三つの十字架が立っていた。十字架の上 にあった一人は、きわめて深い信仰を有していたので、いま一人の者に向って「お前は今日わしと一緒に天国におもむくだろう」と言った。
やがてその日は終わって二人とも死んでしまった。
そして、ともに旅路につい たけれど、天国も復活も発見できなかった。予言は適中しなかった。
いいか、この人は全地球における最高の 人で、地球の生活の目的となっていたのだ。その上にある一切のものを含めてこの一個の遊星全体もこの人が いなかったら、ただの狂乱にすぎない。この人の前にも後にもこれほどの人は決していたかったし、また絶対に現われないだろう。
それは実際、奇蹟といってもいい位だ。
こういう人はこれまでにあいなかったし今後も決して現われないだろうというところに奇蹟が含まれているわけなのだ。
もしそうとすれば、自然律がこの人童容赦しないでその奇蹟さえ容赦しないで、彼をして偽りの中に生き、偽りのために死なしめたとすれ ば、当然この遊星全体が虚偽で、虚偽と愚かしい剛笑の上に存在しているわけなのだ。
して承ると、この遊星 の法則そのものが虚偽なのだ。
悪魔の喜劇なのだ。一体何のために生きるのだ。
前に三本の十字架の話で触れたけど、ここに出てくるセリフ「一体何のために生きるのか」こんな話はドストエフスキーの中でキリーロフくらいです

203:吾輩は名無しである
20/12/30 16:01:40.51 3BgJwxy4.net
>>202
この宇宙の存在意義を論じたものでしょうか
おもしろいですね
これ出典は悪霊ですか
ちょっと記憶にないので

204:吾輩は名無しである
20/12/30 16:33:57.47 8vQr8PLg.net
来年はドストエフスキーメモリアルイアー、略してドスメモですからね
悪霊は岩波文庫改版でよかですか?

205:吾輩は名無しである
20/12/30 17:25:29.90 3BgJwxy4.net
>>204
おー
言われてみれば生誕200周年だ

206:吾輩は名無しである
20/12/30 17:32:22.83 RWde5f79.net
イヤーに慎んで訂正いたします

207:吾輩は名無しである
20/12/30 17:39:52.16 Z5T907vz.net
>>203
悪霊のキリーロフのセリフです
もし本当に復活なんてものがなかったとすれば、壮大な喜劇なんすよね
どれほどの人たちが復活を信じて自らの命を犠牲にしてきたか測ることすらできなくなる
>>204
URLリンク(www.aflo.com)
フョードル・ドストエフスキー生誕200年(1821年11月11日)
苦悩と矛盾に満ちた人間の内面を巧みに描き20世紀文学に多大な影響を与えたロシアの文豪。代表作『カラマーゾフの兄弟』『地下室の手記』。
200年前の作家、と言われると不思議な気持ちになります
ちなみにオレは新潮がよかったです

208:吾輩は名無しである
20/12/30 18:14:20.10 Z5T907vz.net
キリーロフってとても良心的なんだと思います
スタヴローギンなんかはとことん世界の欺瞞を否定してやろうと思っている節がある
例えばキリーロフとスタヴローギンの会話でこんなことがある
スタヴローギン
この地球で散々悪行の限りをつくし千年も万年も爪はじきになっていても月の世界に居を移してそれを眺めていれば何の揃痒も感じないだろう。
キリーロフ
わかりません、ぼくは月に住んだことがないから
そういえば、ゴーンが逃亡した時なんかはスタヴローギンを思い出した
月とは別世界という象徴でもある
日本の法の下に逸脱する行動をいくらとろうとも、レバノンに帰ってしまえばなんてことはない
誰も裁けない法律なんて、起訴されようと、重刑を課されようと、その国から出てしまえばゼロでもある
この問題にキリーロフは、そんなこと考えたこともない、と答えます
キリーロフは思ったより良心的なんだと思います

209:吾輩は名無しである
20/12/30 18:29:40.92 3BgJwxy4.net
>>208
良心的だし純粋
しかし考えようによってはキリーロフほど恐るべきキャラはそういないんじゃないか
自らの思想に忠実であるために悪党ピョートルの注文通りの文書を残し思想を実践するとか
ふと三島由紀夫が思う浮かびました

210:吾輩は名無しである
20/12/30 18:51:54.84 yC9y8ekz.net
>>207
どうもありがとうございます新潮ですか
新潮は表紙のでかい字での悪霊がかなり気に入りません
ただあなたには一目置かせていただいてるので、
図書館で両方借りて最初だけ読み決めたいと思います

211:吾輩は名無しである
20/12/30 18:56:22.59 3BgJwxy4.net
>>207
このキリーロフのセリフとかはキリスト教を知らないと理解できないでしょうね
そもそもどの作家であれより深く理解するためにはその作品が書かれた背景
例えば作家が生きた時代や生まれ育った文化・宗教・思想などを知ることによってさらに見えてくるものがあるから
それらを知っておいた方がいいのは火を見るより明らかですね
むしろ背景知識なしでは単に理解することすらままならないでしょう

212:吾輩は名無しである
20/12/31 00:07:14.93 HADEnU1J.net
>>210
幸運な時代です
翻訳が一冊ではなくて数冊ある恩恵の時代に生まれました
評価してくれたことを感謝します
ぜひ自分にあった訳を見つけて下さい
>>211
背景を知るということは分析することでもありますね
分析には理性の働きが欠かせません
人は何かを知ろうと欲すると、まずは対象を想像する
想像知によってどういうものであるのか判断します
ただし想像は間違えやすい
なぜなら想像は多種多様であり人の数だけ存在し、想像は対象物に触発されるという受動の働きが先になってしまう
対象を正確に理解して、理解の間違いを避けるためには「共通の概念」を探さなくてはならないと仮定でき得る
つまり分析です
その人を知りたいなら「私からどう見えるのか」ではなく「その人が見ていたもの」知らなければならなくなる
ドストエフスキーを分析するにあたって「キリスト」はその共通概念になり得る、とオレも同意します

213:吾輩は名無しである
20/12/31 01:11:48.62 HADEnU1J.net
>>202を理解するために聖書を知らなければなりません
該当部分はルカによる福音書などです
これを知らずしてキリーロフが語った「三本の十字架」は理解できないと考えます
ルカによる福音書 23:35-43
民衆は立って見ていた。役人たちもあざ笑って言った、「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」。
兵卒どももイエスをののしり、近寄ってきて酢いぶどう酒をさし出して言った、
「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい」。
イエスの上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札がかけてあった。
十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。
もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。
お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。
そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。
イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。

214:吾輩は名無しである
20/12/31 11:18:18.13 s0MYqNSi.net
新潮文庫の『悪霊』江川卓訳はスタヴローギンの告白を巻末に置いているのが気にいらない
米川正夫訳は岩波文庫でなく河出の全集を持っていて愛読している

215:吾輩は名無しである
20/12/31 13:28:43.13 2D4M0vAQ.net
新潮文庫『悪霊』江川卓訳
「序に代えて
 今日までなんの特記すべきこともなかったわが町において、最近、相次いで起こったまことに奇怪なる事件の叙述に手を染めるにあたり、私は、おのが非才のいたすところとはいえ、いささか迂遠なところから、
すなわち、才能ゆたかにして最も尊敬すべきステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキー氏の一代記にかかわる若干のディテールからして、稿を起すことを余儀なくされている。…」
光文社「古典新訳」文庫『悪霊』亀山郁夫訳
「序に代えて
 今日まで何ひとつきわだったところのないわたしたちの町で、最近たてつづけに起こった奇怪きわまりない事件を書きしるすにあたり、わたしはいくらか遠回りを覚悟して、
まず手はじめに、才能ゆたかにして敬愛すべきステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホヴェンスキー氏の経歴にまつわる細かい話を、いくつか紹介することからはじめなくてはならない。…」
残念ながら名訳で知られる米川正夫訳は手許にないので併記できません

216:吾輩は名無しである
20/12/31 18:52:27.23 atbHAu7C.net
新潮文庫『悪霊』江川卓訳(1回目)

光文社「古典新訳」文庫『悪霊』亀山郁夫訳(2回目)
なんでも文庫で読みたいので大体この順番で新潮社と光文社にはお世話になってる

217:吾輩は名無しである
20/12/31 19:13:00.65 s0MYqNSi.net
河出書房新社ドストエーフスキイ全集第9巻『悪霊』米川正夫訳
「序に代えて
わたしは今この町、―べつにこれという特色もないこの町で、つい近頃もちあがった、
奇怪な出来事の叙述にとりかかるに当たって、凡手の悲しさで、少し遠廻しに話を
始めなければならぬ。つまり、スチェパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキイ
という、立派な才能もあれば、世間から尊敬も受けている人の、やや詳しい身の上話から
始めようというのである。」

218:吾輩は名無しである
20/12/31 20:16:23.09 2D4M0vAQ.net
それぞれ訳文の味わいが微妙に違っていて面白いですね
米川正夫訳 →「凡手の悲しさで、少し遠廻しに話を始めなければならぬ。」
江川卓訳  →「私は、おのが非才のいたすところとはいえ、いささか迂遠なところから、…稿を起すことを余儀なくされている。」
亀山郁夫訳 →「わたしはいくらか遠回りを覚悟して、まず手はじめに、…いくつか紹介することからはじめなくてはならない。」
明治の頃には英語やドイツ語からの間接翻訳しかなかったけどロシア文学者である米川正夫が初めてすべての作品をロシア語から直接翻訳したということですね
その歴史的偉業を受けてドストエフスキー研究も進み江川卓訳も名訳として知られてますし
用語も言い回しも現在の読者に合わせてアップデートした亀山郁夫訳はまだ評価が定まってないようですが
今の若者にはより読みやすいのかもしれません

219:210
20/12/31 20:42:57.73 PN+eTCqo.net
>>217
俺のためにだけではないでしょうが親切にありがとうございます
スタヴローギンの告白を調べたら上巻に収められている方がよさそうに思います
亀さんのが1番読みやすいのですが、新カラ兄弟の出版は俺にはまったく相容れないものですので可能な限り避け続けます
河出書房新社か岩波文庫を買ってみようと思います
そして恩を仇で返すようになってしまい当方も心苦しく思いながら、
この後映画鬼滅の刃について書こうと思っています
もちろん俺としてはおもしろいことだと思ってのことです
せいぜい2回に留めますので

220:吾輩は名無しである
20/12/31 22:08:11.21 2D4M0vAQ.net
博多華丸大吉通じで
全集中水の呼吸だけは知ってる

221:吾輩は名無しである
21/01/01 01:04:44.81 Gwnilf7O.net
米川「慶賀慶祝の至りにて誠に喜ばしく存じ奉ります」
亀山「あけおめ」

222:吾輩は名無しである
21/01/01 10:29:27.23 jOxwFKWU.net
アイデアを借りて悪ふざけ
新年早々ゴメンナサイ
「オレらの地元はゼンゼンふつーの町なんだけど、最近なんかチョーやべー事が起きまくったんで、今からその話をすんだけど、
オレ頭わるくてウマく言えねーから、初めにオレらが全員リスペクトしてるステパン先生の話からしていい?」

223:吾輩は名無しである
21/01/01 12:10:08.76 Gwnilf7O.net
皆様明けましておめでとうございます
新年早々暗い話題はなんですが、ーとか、倒置法を使っていたりして、江川訳の地下室のこの文章は大好きです
『地下室の手記』 江川卓・訳 新潮文庫
ぼくは意地悪どころか、結局、何者にもなれなかった-意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも。かくていま、ぼくは自分の片隅にひきこもって、残された人生を生きながら、およそ愚にもつかないひねくれた気休めに、わずかに刺戟を見いだしている、-賢い人間が本気で何者かになることなどできはしない、何かになれるのは馬鹿だけだ、などと。
さよう、十九世紀の賢い人間は、どちらかといえば無性格な存在であるべきで、道義的にもその義務を負っているし、一方、性格をもった人間、つまり活動家は、どちらかといえば愚鈍な存在であるべきなのだ。

224:吾輩は名無しである
21/01/01 12:16:22.08 OEwZv4eT.net
映画鬼滅の刃で描かれるエピソードは物語の途中、全体の3分の1(原作コミック全23巻のうちの7、8巻)に位置するものです
現在の動員数はのべ2千5百万人です
俺が言いたいのはこの映画に登場する人物の生き様を点とした時、
物語の始点とこの点に定規を当てて線を引いた延長線上に物語の終点があることがすばらしいと思うのです
つまり物語の結末から振り返ってみても正しかったことがわかるのです
そればかりかこのエピソードが物語にふさわしい結末に向かう定規の役割りとなったとも思うのです
人は誰でも数十年ほどで人生を終えます
そしてその後も世界が続いていくことを知っています
自らの人生を大まかにいって1つの点ととらえたとき、
世界の始点と終点を結んだ線上に自分の人生の点が含まれるということはこの上ないことだと思うのです
以上はキリスト教とドストエフスキーに決して無縁なことではないと思います
コロナ禍に映画に行くことを薦めるのは常識的ではありませんが、
果たしてこの作品をたとえば俺の自宅の23インチのモニターで観て、同じように感動できたかというとできなかっただろうと思うのです

225:吾輩は名無しである
21/01/01 14:31:43.95 jOxwFKWU.net
『地下室の手記』という語弊を恐れずに言えば厭な奴を描いた中編が
作家の転換点になったというところが面白いですね
興行収入歴代1位って凄いよねマンガも映画も見てないけど
でも観客をこれだけ熱くさせる作品だからこその大ヒットなんでしょう
それにしても無限列車編てタイトルがロマンチックかつどことなく文学的で惹かれるけど列車は出てくるのかと疑問
無限列車編が分量にして3分の1で序とするなら破・急と作られるのかしらエヴァみたいに

226:吾輩は名無しである
21/01/01 14:40:17.31 jOxwFKWU.net
>>216
オレも悪霊はそのパターンで読みました
亀山訳は読みやすくてあれはあれでありだとは感じました

227:吾輩は名無しである
21/01/01 14:58:08.95 bOehLOWW.net
亀山訳はベストセラーになったために、ロシア文学者から嫉妬され、
重箱の隅をつつくような貶し方をされたが、決して悪い訳ではない
数十年前流行したシドニー・シェルダンの超訳に比べれば、まともだ

228:吾輩は名無しである
21/01/01 15:30:40.99 vXoh5h8s.net
>>225
興味があまりないでしょうけど、少なくともレンタルになったら早めに観ることをお薦めします
俺はこの映画をどんな理由であっても観られなくなったら、人間としては終わっていると思っています
だからといって観れれば人間として大丈夫だという訳でもありませんけどね
いつか観ようと思ったらぜひ観てくださいというだけです

229:吾輩は名無しである
21/01/01 16:35:16.43 jOxwFKWU.net
>>228
口コミ喚起力ハンパないですね
それほどおっしゃるならいつか見てみたいと思いますが
何故に無限列車編なんでしょうか

230:吾輩は名無しである
21/01/01 17:21:29.40 ODXzIvUk.net
>>229
東京駅と無限駅(架空)を走る蒸気機関車が舞台となるからです
知性の高い人でも観てよかったと思える映画だと強く思っています
全員じゃないでしょうけれどね
といっても特に新しいところがあるとは思えないんです
でもおそらくあなたの人生にしろ俺の人生にしろ、新しさばかりが重要ではないのではないでしょうか?

231:吾輩は名無しである
21/01/01 18:49:12.40 Gwnilf7O.net
映画はまだ見てないけど、かなり頻繁に名前を聞くのでアニメは一応全部見ました
映画はレンタルされたら見る予定です
映画を見ていないから物語論はなにも言えないけど、内容の一角の部分、罪の強調をしているところは触れられるかもしれない
罪によって堕落して鬼となる、そういうストーリーだったと思う
この罪を犯して鬼になるものにはキッカケがあった
人間側を善として鬼側を悪とする二元論的な立場はあるんだろうけど、主人公は鬼にも同情的であり、鬼になってしまった、つまり堕落してまった「理由」には心を寄せていたように見ていて感じた
ようは、自分も鬼になった人たちと同じことが起こっていたら鬼になっちゃっていたかもしれない、みたいな見方が含んでいるところがよかったと思いました

232:吾輩は名無しである
21/01/01 19:05:43.54 bOehLOWW.net
鬼滅の刃はもういいから、ドストエフスキーに戻れ

233:吾輩は名無しである
21/01/01 20:30:36.81 Gwnilf7O.net
悪に対してどう対処していくのかは日常的な問題だったりもします
そもそも悪には2種類あります
一つは生存に不利益を与えるという意味での悪
多くの人がコレを悪と勘違いしやすい
自分の生活における、快/不快、利益/不利益、などを悪としてしまうと、自分の欲望をさまたげるものはすべて悪と考えてしまう
もう一つは道徳的な悪
問題となるのは道徳的な悪についてであるし、ドストエフスキーで語られるのも道徳的な悪についてがほとんどでもある
道徳はそもそも「自分」に集約される戒めである
他者が自分に与える行為を道徳とは呼ばない
道徳は、自分が他者にどう接するかを問題としている
問題は、この生存を脅かす悪と道徳的な悪はたまに連鎖するということ
この連鎖によって行われた悪に責任をどこまで問うことが出来るのか、そもそも人間がその責任を負えるのか、そういう問題は法解釈にもつながっていくし、各人の倫理にも関係していきます
死の家の記録では囚人たちを「不幸な人たち」と呼びました
囚人は悪い人たちではなくて不幸な人たちと表現されました
彼らは彼ら自身の不利益をはらった人たちでもある
はらうために道徳的な悪を「手段」として行った人たちと言える
囚人になるのは不幸な環境に不運にも置かれた人たち(演繹:なので罪人こそ裁かずに哀れんでやらなければならない)というのがドストエフスキーの考え方だったりします
誰もがそうなっていた、もしくはそうなる可能性を秘めている
ここにドストエフスキーの線引きが存在します
連鎖の渦中に陥った不幸な人たちは(神に)許される
行いは許されざる人たちではあるけど、哀れみがその上をいく可能性を認めている
許されざるべきは、悪意だけに寄せて道徳的な悪を犯した者たちである
虐げられた人々でも、この類の人は許されざる人たちとして書かれています
この法則は他者の道徳には語りやすい
最大の問題は、自分が当事者になった時にこの道徳律を維持でき得るのか、それが問題です
この連鎖に「自分が巻き込まれた被害者」である時、果たして人を許せるのだろうか

234:吾輩は名無しである
21/01/02 00:23:01.89 GbYJpQ1Y.net
ちょっと話がずれるかもですが
キリスト教のような一神教では善と悪は絶対的に峻別されるべき概念であり神及び神にまつわるものは当然かつ絶対的に善とされ
神に敵対する者や概念は絶対的悪として排除・矯正の対象となるのでしょう
(それゆえに人間においては「悪」は規範の侵犯/原初的欲望の開放/自由などの概念と親和性が強くそれがカウンターカルチャーとしての悪魔信仰発生の契機となる)
つまりキリスト教的一神教の世界では「キリスト教徒=味方にして善なる仲間」と「アンチキリスト=悪なる敵」が峻別される
一方多神教や無神論においては善悪は相対的概念であり
例えば日本人の多くは恣意的な概念である「人としての道に沿って生きる」ことを善としますが何をもって「人としての道」とするかはまちまちです
日本においては悪魔すなわち鬼は絶対的悪とはならずむしろ日常を超えた力を持つものとして神と同じ範疇で考えられたりもするので
鬼滅の刃が日本人の心を打ち大ヒットした理由も人間vs鬼(善vs悪)という善悪二元論に打ち勝とうとする人としてあるべき姿としての兄妹愛が日本人の心の琴線をかき鳴らしたからではないかと
鬼滅をよく知らないままに思いました

235:吾輩は名無しである
21/01/02 12:35:26.09 L+2i6+B5.net
>>234
ずれていないですよ
いつかは善悪の話になるしかないですからね
旧約聖書と新約聖書でも一神教は変わらないけど、裁く主体は変わっていますので、神学的な話だと聖書も旧/新の時代で道徳的な基準は分けていかないとだと思います
ドストエフスキーは新約聖書の時代の基準です
旧約聖書の時代では、人が神の代理(預言者からの伝達)として人を裁きました
新約聖書の時代では、裁き司が遣わされ、その右に座するものがすべてを裁く権能を持っています
ヨハネによる福音書 5:22-23
父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。
それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない。
裁く主体が変わったということです
新しい契約により道徳律は変わりました
迫害するのではなく愛することが新しい戒めとなりました
悪は対峙するのではなく避ければいいのです
それがドストエフスキーで問われている道徳的基準だと思っています
>日本においては悪魔すなわち鬼は絶対的悪とはならずむしろ日常を超えた力を持つものとして神と同じ範疇で考えられたりもする
ほんとその通りですね
アニミズムが根底にある日本人は自然を神と見做したりもしますので、多神教では神は身近なものに宿ると考えられるのかもしれません

236:吾輩は名無しである
21/01/02 14:23:08.72 GbYJpQ1Y.net
>>235
ちょっとわからないところがあるんですが
>旧約聖書の時代では、人が神の代理(預言者からの伝達)として人を裁きました
>新約聖書の時代では、裁き司が遣わされ、その右に座するものがすべてを裁く権能を持っています
のところで
(モーゼ五書くらいしかまともに読んだことはないんですが)
出エジプトの頃は神が直接教えに従わない人間を裁き(罰し?裁くことと罰することは別概念ですか?)てたような気がするんですが
そのことと「人が神の代理(預言者からの伝達)として人を裁きました」とは
どう理解すべきなんでしょうか
また
「裁き司」と「その右に坐するもの」ってどっちかがイエスなんだろうと思いますが
だとしたらイエスはどっちでもう一人は誰なんでしょうか

237:吾輩は名無しである
21/01/02 15:36:50.11 Cgs5qdCg.net
自分を含めたうえで善悪を語ろうとする機会はなかなかないんじゃないでしょうか?
多くの場合は善悪といいながら自分の損得になっているのではないでしょうか?
大抵の人は自分が悪いこともしているのを自覚して生きていると思います
だから目をつむったりあまり深く考えないようにして生きている
でもこれでは本当に生きているとはいえないと思うんですね
でも俺もほとんどはそうしているのではとも思います
過去の自分の罪を突き詰めていくとそれだけで崩壊するのに十分ではないでしょうか?
別の視点からするとそれはそれで知性が高いとはいいきれないとも思います
非常に難しいことで、まったく考えなくなっても終わりで、突き詰めてしまっても終わってしまいます

238:吾輩は名無しである
21/01/02 19:20:06.48 L+2i6+B5.net
>>236
言葉が足らなかったようです
オレの中で「罰」は生存を保証されている叱責と理解しています(罪と罰とかもそうで)
「裁き」は生存を問わないかたちでの叱責、殺すことも含まれています
裁きの概念で真っ先に思いつくのはノアの洪水です
ノア一家以外の人類は裁かれて命を失います
これが裁きの概念だとオレは理解しています
>人が神の代理(預言者からの伝達)として人を裁きました
これは、旧約聖書では神が預言者に語りかけます
どこどこの民は腐敗しているので殺せとか奴隷にしろとか
で、預言者は自分たちの民を引き連れて侵略します
なので、神の代理として裁いている、という意味で書きました
> 裁き司とその右に坐するもの
両方ともイエスのことです(説明を省きすぎました)
地上でのリーダーと天上でのリーダーという象徴でオレが勝手に使っただけです(聖書から引用したあだ名みたいなもんです)
実はオレ自身、言葉が足りないことが多い自覚はあります
分かりずらい表現があるときは指摘して下さい
すいません

239:吾輩は名無しである
21/01/02 19:44:41.91 GbYJpQ1Y.net
>>238
なるほど
旧約では神が直接もしくは神の代理人である預言者を通じて間接的に人間を裁いていたが
契約が更改され
新訳ではイエスが裁き司すなわち神の右に坐するものとして人間を愛をもって赦し人間を他者を許せというルールで縛ったという理解で合ってますかな

240:吾輩は名無しである
21/01/02 19:47:22.89 GbYJpQ1Y.net
新訳て
新約です

241:吾輩は名無しである
21/01/02 19:54:09.88 l4+xQjEP.net
このスレもドストのテクストから離れてしまっている
また別のスレを作ろうかな

242:吾輩は名無しである
21/01/02 20:25:48.23 GbYJpQ1Y.net
>>241
スレ主降臨キターーーーーー
万能の創造主たる貴方にこんなこと言ったら即バン地獄行き決定という事なんでしょうが
ここは敢えて言わせてもらいます
ドストエフスキーがパロディ(先行するテクストを利用して作品に笑いや深遠さなどの作用を引き起こす手法)を随所に取り入れていることはバフチンにも指摘されており
ドストエフスキーのテクスト内に埋め込まれたそれ以外のテクストとの関連性を分析する間テクスト性の視点は
ドストエフスキーのテクスト分析には欠かせんもんでしょましてや
ドストエフスキーの思想のバックボーンである聖書にまつわる話題が
ドストエフスキーから離れてしまっているわけがない
と思いませんか
ドストエフスキーが知る由もない日本の仏教の一宗派のテクスト並びに一知半解の一宗徒の理解を延々と並べるような単なるスレ荒らしとの違いを全能なる貴方ならわかるはず
まあ別スレ作るかどうかは貴方の勝手だし面白そうなら遊びに行きますがね
というかドストのテクストで語りたいことがあるならどんどん書き込めよスレ主!
あ すいません生意気言いましたゴメンナサイ

243:吾輩は名無しである
21/01/02 21:07:26.61 L+2i6+B5.net
>>239
その通りです
トルストイもそうだし、ドストエフスキーの道徳の基準は新しい契約をベースに考えられています
裁き主が定められた以上は裁いてはならなくなりました
人が人を裁いたならば、もうそれは越権行為です
すべては「拡大解釈」です
神を愛すること、隣人を愛すること、これに留まる行為は善としこれに違反する行為が悪になります
ドストエフスキーの善悪はすべてこれで理解可能だと思っています
新しい戒め ヨハネによる福音書 13:34
わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
マタイによる福音書 22:37-39
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
1864年のメモはこの「新しい戒め」が人間の本性(自己保存の努力)と相反しているのかを問題としました
ちなみにトルストイの人生論もこれと同様です
「キリストの教えどおり、人間を自分自身のように愛することは不可能である。地上の人性の掟がこれをしばり、自我が邪魔をする……人間はこの地上で、自身の本性に反した理想(自他への愛を融合させたキリスト)を追求している。そして、この理想追求の掟を守れないとき、つまり、愛によって自身の自我を人々のために、他者(私とマーシャ)のために犠牲に供しえないとき、人間は苦悩を感じ、この状態を罪と名づける。
そこで人間はたえず苦悩を感じていなければならず、その苦悩が、掟の守られた天上のよろこび、すなわち犠牲と釣合うのである。ここにこそ地上的な均衡がある。でなければ、この地上は無意味になるだろう。」

244:吾輩は名無しである
21/01/02 21:11:02.19 L+2i6+B5.net
>>241
希望するルールがあるならば是非言ってください
秩序のためにルールは必要だと思っているので、気になることがあれば是非ご提案を

245:吾輩は名無しである
21/01/02 21:34:41.01 GbYJpQ1Y.net
>>237
まだ若いだろうに自省できるってだけで
オレなんかキミに感心しちゃう

246:吾輩は名無しである
21/01/02 21:40:13.36 GbYJpQ1Y.net
>>243
なるほど
概念として旧い契約と新しい契約があってぐらいはわかってた気になってましたが
そんなにでかい差があるとは正直思いもよりませんでした

247:吾輩は名無しである
21/01/02 22:00:04.60 L+2i6+B5.net
>>237
そのパラドックスを定義したなら身も蓋もないっすよ
死に至る病じゃないけどすべて絶望になってしまう
けど、その欺瞞を克服する良心がないなら動物と変わらないと思います
動物は自己を保存することのみが原動力だし、罪に対する概念は人間だけに与えられたロゴスでもあるとオレは信じています
言われたように、もっと鈍感に生きていく方が別の意味では賢いと言えると思いますけどね
>でもこれでは本当に生きているとはいえないと思うんですね
結局はこれがすべてじゃないんすか
少なくとも人間にとどまるしかないように思います

248:吾輩は名無しである
21/01/02 22:29:35.11 cPNSiJu6.net
>>245
なんというか若くはないです言いにくいですが

249:吾輩は名無しである
21/01/02 22:34:20.18 cPNSiJu6.net
>>247
やっぱり善人であろうとする意志だと思うんです
そこには知性伴ったうえで

250:吾輩は名無しである
21/01/02 22:48:52.31 GbYJpQ1Y.net
>>248
じゃあ青年ということで手を打ちましょう

251:吾輩は名無しである
21/01/02 23:34:39.24 Ke2vxNV5.net
カラマーゾフの兄弟は若いうちに読んでほんとうによかったと思っています
数年前読んだ時はアリョーシャが毒にも薬にもならない影の薄い人物に感じてしまいました
でも若い頃に読んではっきり印象に残っているのは、アリョーシャが善人であるということです
もっともここで指摘されたようにリーザの告白に同意した面もありますけれど
でも河合隼雄が名著猫だましいで書いているように、
どんな人間にも必ず暗い部分はあると思うのです
これは以前まったく同じことを書いた気がします
坂口安吾も言ってたはずです、アリョーシャを書いたからドストエフスキーを評価するみたいなことを
俺はドストエフスキーの本はそれほど読んでいないので想像にすぎませんが、ずっと書くことを望んでいたのに書けなかったんでしょうねアリョーシャのような人物を
カラマーゾフの兄弟という物語のなかでアリョーシャは光輝いている
これが若い頃読んで今もはっきり覚えている感想です
この間否定された意見をまた書いてしまいました
それは違うと前書いた等、否定は短めでかまいません
2度目ですから

252:吾輩は名無しである
21/01/03 00:47:43.70 hb5LzbJ4.net
否定することはないように思うけど
リーザの告白に同意したってどういうことでしょうか

253:吾輩は名無しである
21/01/03 01:04:59.93 skkePjZp.net
たしかにわかりづらいですね
過去スレからコピって来ましたご容赦ください
悪魔がでてくる夢を見ると言ってニヤける少女に、僕も同じ夢をみる、
という指摘です

254:吾輩は名無しである
21/01/03 01:17:33.07 FvvKSMT/.net
>>242
聖書を語りたいなら、ここで今後も書き込めばよい
別にドストスレが立ったから、もうこのスレに用はない

255:吾輩は名無しである
21/01/03 01:26:49.41 skkePjZp.net
聖書の話題もお気に召さないとはハードですね
新しいスレを確認しました
そちらにはスレタイにそぐわない書き込みはしないようにいたします

256:吾輩は名無しである
21/01/03 01:45:22.03 fUKP9lCJ.net
>>251
見つけましたよ
リーザの無意識の描写に違いないけど、何を意味しているのか解釈するには前後を読み直さないとのようです
捕まえられそう、ということは「何かを恐れている」と推測できるけど、追い返すやり方も知ってはいるようです
そして最後の、面白い、という感情で終わる夢
一体なにを意味しているのか考えることはとても楽しい
私は時々夢で、悪魔を見るの。夜、私が自分の部屋でろ うそくをつけると、突然、あちこちに、悪魔がいるの。部 屋の隅やテーブルの下にもいるし?扉を開けると悪魔は扉の向こうにたくさんいて、中へ入って私をつかまえようと しているの。近寄ってこようとするやつや、つかまえようとするやつがいるの。
そして私が急に十字を切ると、悪魔 たちは後ろに下がって,怖がって入ってこようとはせずに、扉のところで待っているの。そして私が突然神様の悪口を言いたくなって、悪口を言い始めると、悪魔たちは急に一 斉に私のほうへ寄ってきて、喜んで私をつかまえようとするの。
私がまた急に十字を切ると、また彼らは後ろへ下がるわ。
とっても面白いわよ。」

257:吾輩は名無しである
21/01/03 01:46:55.95 hb5LzbJ4.net
>>254
文学的にとは難しい縛りをかけたな
あとキミも相当ユニークな人だね

258:吾輩は名無しである
21/01/03 01:49:11.46 fUKP9lCJ.net
オレはドストエフスキーに宗教も哲学もぬいて論じるのは味気ないと思っています
もちろんそれぞれ思惑や希望は違うんだから、そのスレにあったことをレスしていけばいいと思いますけど
ということでオレは当分ここで、宗教的側面や哲学もしくは心理学的な側面からドストエフスキーを論じようと思っています

259:吾輩は名無しである
21/01/03 01:55:52.81 skkePjZp.net
匿名なわけだからそこはおのおのシレッと書き込めばいいと思うんです
新しいスレは専門性に留意して

260:吾輩は名無しである
21/01/03 02:06:54.85 skkePjZp.net
大げさすぎるけど俺はドストエフスキーは彼の作品の内に、特にカラマーゾフの兄弟の中に世界を作ったと思っているんです
そこにははっきり言って創価学会も存在することができます
ただ彼には限度がないので非常に困りました

261:吾輩は名無しである
21/01/03 02:11:22.53 hb5LzbJ4.net
悪魔がウジャウジャと出てくるリーザの夢
言われてみればあったかも
悪魔がらみで覚えてるのはゾシマ長老が亡くなる前後
修道院で暮らす奇人的な修道僧フェラポント神父が
ウソかマコトか悪魔が辺りにうろちょろしてると言ったとこ
あと神経衰弱に陥ったイワンの前に悪魔が現れるシーンもあった記憶があるし
カラマーゾフの兄弟には悪魔のイメージが繰り返し出てくる
ドストエフスキーは何らかの意図をもって書いてるのは確かだろう

262:吾輩は名無しである
21/01/03 02:15:15.02 skkePjZp.net
>>256
はっきり覚えてないので少し違和感がありますがおそらくそこです
読んで今はなんかパイーシー神父みたいだと思ってしまいました不本意ながら

263:吾輩は名無しである
21/01/03 02:16:23.53 fUKP9lCJ.net
>>260
彼は、ドストエフスキーを使ってそうかを語りたかったのだと思っています
そうかを使ってドストエフスキーを語るということはしませんでした
その違いがよく分かっていなかっただけったのかもしれません

264:吾輩は名無しである
21/01/03 02:17:13.92 skkePjZp.net
>>261
あれ?俺の記憶違いでしょうか?尻尾をドアで挟んでやったという

265:吾輩は名無しである
21/01/03 02:19:55.24 skkePjZp.net
>>263
いい意見だと思います
彼が創価を通してドストエフスキーを語っていたら

266:吾輩は名無しである
21/01/03 02:21:14.98 fUKP9lCJ.net
>>261
結構カラマーゾフではみんな悪魔をみているんすよね
怖いけどw
悪魔は甘いもの好きとかなんとかもイワンが言っていたし
>>264
そうでしたか
今日はもう眠れなくなるので、あとで読んで該当部分を探してみます

267:吾輩は名無しである
21/01/03 02:27:39.83 hb5LzbJ4.net
>>264
>尻尾をドアで挟んでやった
そうです
あれは誰だったっけなと新潮文庫をパラパラめくって名前を確認しました
近くでパイーシー神父も出てくるのでごっちゃになったのでは
よくあることです

268:吾輩は名無しである
21/01/03 02:38:28.23 skkePjZp.net
>>267
申し訳ありません
自分の間違った記憶を通さなくてよかったです

269:吾輩は名無しである
21/01/03 02:39:15.65 hb5LzbJ4.net
宗教や哲学の知識に触れずに大審問官についてのレスをするって可能なんだろうか
って思ったら大審問官にも悪魔が出てくる!!
カラマーゾフは悪魔だらけや

270:吾輩は名無しである
21/01/03 02:41:05.85 hb5LzbJ4.net
>>268
申し訳ありませんなんてそんな
申し訳ないことしたわけでもないのに
逆に恐縮です

271:吾輩は名無しである
21/01/03 02:50:44.39 skkePjZp.net
自分で調べなかったことにに引け目を感じてのことです
それではまた夜が明けたらです

272:吾輩は名無しである
21/01/03 12:08:44.96 hb5LzbJ4.net
スレ主の新スレ
>>2-3と素晴らしい内容のカキ込みが続いてる
持ってんな

273:吾輩は名無しである
21/01/03 12:58:23.86 fUKP9lCJ.net
リーザの残虐性の話が出たので気になったので少し読み返してみました
リーザは明らかにイワンに影響を受けている節があるのかもしれない
リーザ
「最初まず両手の指を全部切りおとして、それから壁にはりつけにしたんですって。 釘で打ち付けて、はりつけにしたのね。そのあと法廷で、子供はすぐに死んだ、4 時間後に、 と陳述しているのよ。これでも、すぐにですってさ!その子供がうめきつづけ、うなりつ づけている間、ユダヤ人は突っ立って見とれていたそうよ。すてきだわ!」
「すてき?」
「すてきよ。あたし時々、その子をはりつけにしたのはあたし自身なんだって考えてみる の。子供がぶらさがってうめいているのに、あたしはその正面に座って、パイナップルの砂糖漬けを食べるんだわ。あたし、パイナップルの砂糖漬けが大好きなんですもの。あな たも好き?」
イワン
「赤ん坊をあやし、何とか笑わせようとして、しき りに笑ってみせる。やっと成功して,赤ん坊が笑いをたてる。と、そのとたん、一人のト ルコ人が赤ん坊の顔から20センチたらずの距離でピストルを構えるんだ。赤ん坊は嬉し そうに笑い声をあげ、ピストルをつかもうと小さな手を差し伸べる。と、突然、その芸術 家がまともに赤ん坊の顔をねらって引き金を引き、小さな頭を粉みじんにぶち割ってしま うんだ・・・芸術的じゃないか、そうだろう?ついでだけど、トルコ人は甘いものが大好きだ そうだ。」

274:吾輩は名無しである
21/01/03 14:51:31.16 Vzcceol3.net
俺も2回読んでますが、
2人とも雑誌などで見聞きした話を元にしてますよね
仮に自分でしたなら大問題ですがセーフじゃないでしょうか
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365で、罪と罰をあげてドストエフスキーのことを現代人の意識を記した先駆けとして紹介していることを思い出しました
話は変わりますがイワンの幻覚について思うのは、
彼が統合失調症ではないかということです
むかし少し知り合った人がある時虚空を凝視して怒鳴っている光景を見たことがあります
彼が精神科を受診していることを周囲に言っていることを伝え聞いていましたが、
見るにいたたまれない光景でした
どうも統合失調症の罹患率は人口の1%らしいですね
そんなにいるとは信じられませんが

275:吾輩は名無しである
21/01/03 14:59:27.56 hb5LzbJ4.net
イワンが大審問官をアリョーシャに聞かせる前に延々と幼児虐待の例を挙げてこの宇宙の存在に刻まれた罪を告発してたのは記憶に残ってるけど
リーザの方はエキセントリックな女の子だとは思ってたけどこんな子だったか と改めて読むとちょっと衝撃的ですね
これがアリョーシャの内々の婚約者ですからね
アリョーシャをからかう為の偽悪の意味合いもあるんだろうけど
それにしてもエッジが効いてる
リーザで思い出すのは文芸評論家の対談かなんかでドストエフスキーの作品で明確なマゾヒズムの表現は少年に指をかなり深くまで噛みつかれたアリョーシャが帰った後リーザが自分の指を窓枠で思いっきり挟むところだって指摘してたけど
こんな子と結婚してアリョーシャは大丈夫なんだろうか

276:吾輩は名無しである
21/01/03 15:23:28.39 Vzcceol3.net
言うまでもないことですがドストエフスキーの急逝により予告されていた物語は書かれることがありませんでした
ですからリーザやアリョーシャの話はこれ以上ないことになります
でもここでふと思うのです俺や他の人の話はこれからも続いていくのだと
ちょっと前にドストエフスキーはカラマーゾフの兄弟という世界を作ったと書きましたが、
それは自分の人生に今でもつながっていると感じるのです
つまりカラマーゾフの兄弟の続きは私やあなたの人生だと思うのです
亀さんが新カラを書きましたが以上をふまえるともっともなことだとも思えてきます読む気はないですが

277:吾輩は名無しである
21/01/03 18:42:17.81 fUKP9lCJ.net
>>274
ある人間が精神病であるかどうかを決めるのは、彼と私との一致の欠如、不一致、衝突である
レインはそう定義しました
テーブルの上にリンゴが置いてある
私にはそのリンゴは青色に見える
多くの人にはリンゴ自体が見えていない
この場合は病気と認定できるのかもしれない
彼が嘘を言っている、もしくは曖昧な言い方をして何かを隠している、そういう理由がなければ妄想とみなします
より多くの人が「そこにリンゴはない」という立場であるならば、「青色のリンゴがある」という人が精神病とされます
で、結局のところリンゴはあったのかなかったのか
「私」には青色のリンゴはテーブルにあるのです
この「私」がなんと言われようと、精神病と認定されようとリンゴは妄想ではなく実在を伴った現実として確かに存在しているのです
「私」には、リンゴがないという人が妄想に陥っている人である、と確かに言えるのです
これがイワンの幻覚、悪魔と言われる正体だとオレは思っています
悪魔
「僕は君の幻覚でこそあるけれど、ちょうど悪夢の中のように、君がこれまで頭に思いうかべたこともないような、独創的なことを話しているだろう。だから、こうなるともう僕は君の考えを蒸し返しているわけじゃない。にもかかわらず、僕は君の悪夢でしかないし、それ以上の何物でもないんだからね」
イワン
「嘘をつけ。お前の目的は、ほかでもない、お前が一個の独立した存在で、俺の夢ではないってことを、俺に信じこませることじゃないか。だから今だってお前はわざと、自分が夢だってことを強調しているんだ」

278:吾輩は名無しである
21/01/03 18:52:27.46 fUKP9lCJ.net
>>275
オレが思うに、だからアリョーシャはリーザに惹かれるんすよ
アリョーシャがリーザに傾くのは蓋然的なことだと思われます
ムイシュキンがナスターシャだったのと同じ理由です
苦しんでいる人、腐敗している人こそ自分を必要としてくれるんすよ
医者は健康な人にはいらない、病人にこそ必要です

279:吾輩は名無しである
21/01/03 18:54:44.48 fUKP9lCJ.net
> 亀さんが新カラを書きましたが以上をふまえるともっともなことだとも思えてきます読む気はないですが
亀山さんいいね、すごく分かる
まあ読みはしないけどね
シュールで爆笑しました
その気持ちは分かるw

280:吾輩は名無しである
21/01/03 19:09:11.28 fUKP9lCJ.net
>>278
>医者は健康な人にはいらない、病人にこそ必要です
これだって聖書からの引用です
ムイシュキンがアリョーシャのひながただし、キリストがムイシュキンのひながたです
リーザが残酷になればなるほどアリョーシャは傾いていくのだとオレは結論づけました
マタイによる福音書 9:10-12
それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。
パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。

281:吾輩は名無しである
21/01/03 19:12:07.50 fUKP9lCJ.net
ガチ訂正
○アリョーシャはムイシュキンのひながただし、ムイシュキンはキリストのひながたです
反対にしてしまった、すいません

282:吾輩は名無しである
21/01/03 19:17:00.85 hPJkDZKW.net
2回目を亀さんで読んだとき虚空への怒号を目の当たりにした経験もあり、
イワンを統合失調症だと思ったのですが、
>>277を読むと、そうでしたイワンの幻覚の登場人物はめんどくさいことを言ってくるんでした
それでも俺はイワンは精神病だと思うのですが、
あなたは違うという意見のようですね
イワンもフェラポント神父のように見たいから見えているんでしょうかね?
俺はフェラポント神父は見たいから見えているんだと思っています

283:吾輩は名無しである
21/01/03 19:25:04.13 hPJkDZKW.net
>>281
訂正の必要がないと思うのですが?
ひながたを元という言葉に置き換えても最初の方だと思うのですが

284:吾輩は名無しである
21/01/03 19:32:05.83 hPJkDZKW.net
このスレを立てた人が新しいスレを立てましたね
そちらにも注目はしていますが
まずはこのスレを立ててくれたことに感謝します
今までだけでも学ぶところがありましたから
新しいスレにもそのうちふさわしい書き込みをする人が現れるとまた学べることになると思っています
別にすぐ結果が出る必要はないでしょうし

285:吾輩は名無しである
21/01/03 19:39:34.37 fUKP9lCJ.net
>>282
誤解だらけの言い方で申し訳ないけど、オレは基本的に精神病という概念自体を疑っているんすよ
それならあらゆる神秘が説明できなくなります
という個人的な見解の上で、という「注」を入れるべきでした
イワンは明らかに精神病ですね、同意します
現代だったら、イワンは一時的にか否かはともかく、精神が分裂しているので統合失調症に間違いないと診断されると思います
言いたかったのは、病気としてしまうと、イワンの苦しみ=妄想だから「ない」ものとされれしまうような結論も出せる気がします
特殊な人に起こっている現象だから、みたいな差別化を避けていかないと、遠い国での御伽噺ってことになりかねないような気がしたのでレスしました
妄想の現実化は架空の想像ではなく、実在論的に現実を伴った不一致なんだとオレは理解しています
と、哲学的にしか説明できません、ごめんね

286:吾輩は名無しである
21/01/03 19:40:21.67 fUKP9lCJ.net
>>283
もう頭がこんがらかってきたw
前の方(訂正する前)でいいみたいっす

287:吾輩は名無しである
21/01/03 19:43:58.97 fUKP9lCJ.net
>>284
文学的ってどういうことだと思いますか
オレはいまいち文学的の意味が分からないようです

288:吾輩は名無しである
21/01/03 20:00:59.31 hb5LzbJ4.net
>>280
病人(ぽい人)に惚れちゃうパターンてドストエフスキーの最初の結婚とそれに次ぐ恋人との愛憎劇を考えると
骨がらみの性(さが)ですかね
悪女に惹かれる無垢な青年てパターン? しかしアンナ・グリゴーリエヴナは悪女ではないな
ドストエフスキーは登場人物を精神的拷問に近い状況にわざとおいて作品を書いていった(バフチン)らしいけど

>>281
ひながたって実物模型って意味だから前ので合ってる?
よくわからなくなってきた

289:吾輩は名無しである
21/01/03 20:26:02.74 fUKP9lCJ.net
>>288
>ドストエフスキーは登場人物を精神的拷問に近い状況にわざとおいて作品を書いていった(バフチン)らしいけど
なるほどー、そういう読み方もできるかしれない
思考実験みたいな感じですね
まあ、ドストエフスキーで恋愛譚の対象になるのはかわいそうな人が多いので(アンナを省く)、哀れみは恋に落ちやすいと分析してみるw

290:吾輩は名無しである
21/01/04 09:23:20.66 YgRYXvzO.net
>>289
哀れみの感情を抱いているうちにその人を好きになっちゃうパターンが
ムイシュキン→ナスターシャ
アリョーシャ→リーザ
と繰り返されているってことですか
やっとわかりました確かにありますね
そう考えると
ラスコーリニコフ→ソーニャ
も哀れみ→無関心又は奉仕に対する感謝→愛情という感情の流れの大枠は
哀れみ→恋愛感情というパターンと似てますね

291:吾輩は名無しである
21/01/04 09:30:31.69 YgRYXvzO.net
それはオタク風にまとめると
ドストエフスキーにおける純情男子が地雷系女子を好きになる構造
ということになりますか
スミマセン飲み疲れで脳がバカになっちゃってて

292:吾輩は名無しである
21/01/04 09:40:20.19 YgRYXvzO.net
>>276
亀山郁夫の『新カラマーゾフの兄弟』と同じ疑似続編として
乱歩賞を取った高野史緒の『カラマーゾフの妹』というのもありますよね
どっちも未読ですが

293:吾輩は名無しである
21/01/04 10:37:08.49 QiZFoEUb.net
新カラ兄弟は読んだことない
ぴんから兄弟の「女のみち」なら知っている
ラスコーリニコフに恋するソーニャがモデル

294:吾輩は名無しである
21/01/04 12:59:53.14 YgRYXvzO.net
『演歌の虫』で直木賞を獲った作詞家山口洋子が作詞した「よこはま・たそがれ」(五木ひろしの唯一のオリコン1位獲得作)に
ハンガリーの代表的詩人アディ・エンドレの詩「ひとり海辺で」からのパクリ疑惑事件があったように
当時の先端ポピュラーミュージックの一角を担っていた演歌の作詞家が文学的素養を備えていたのはある意味当然と言えば当然だけど
「女のみち」のモデルが『罪と罰』のソーニャだったとは知りませんでした
面白い話なので出典があれば知りたいです

295:吾輩は名無しである
21/01/04 14:13:50.01 QiZFoEUb.net
当時、レコード大賞を争った「喝采」と「瀬戸の花嫁」より、
「女のみち」の方がレコードの売り上げは上回っていたのに、
あれは売春婦の歌だからという理由で賞レースから外されたという

296:吾輩は名無しである
21/01/04 16:23:53.78 r4cCoaZL.net
面白い記事見つけた。
ドストエフスキー の描いた落書きだって
URLリンク(rewaniwa.com)

297:吾輩は名無しである
21/01/04 16:26:41.94 hG8S6OnL.net
>>295
穿った見方をすれば「喝采」を選ぶため選考委員会があえて外す理由を探したのかもしれませんね
というのはいいとして
煽る気はさらさらないのですが
売春婦の歌なら例えば「肉体の門」が元ネタの可能性も出てきませんか

298:吾輩は名無しである
21/01/04 16:29:33.95 hG8S6OnL.net
>>296
絵心あるね

299:吾輩は名無しである
21/01/04 16:42:36.45 QuTJWgD7.net
>>296
こういうの素顔が分かって面白いと思う
誰を被写体にしていたのかすごーく気になります

300:吾輩は名無しである
21/01/04 17:16:04.22 lgX7K4Wz.net
300

301:吾輩は名無しである
21/01/04 19:47:36.48 QuTJWgD7.net
けっこう続編書いている作家がいるもんですね
亀山さんだけかと思っていた
時間ができたら一度読んでみたいとか思うけど、どうせオレのことだから粗探しが始まるんだろうと思った
こんなのアリョーシャじゃない!とか言って

302:吾輩は名無しである
21/01/04 20:09:06.49 LzBJZyCi.net
レ・ミゼラブルや高慢と偏見の続編を書いた人もいたような

303:吾輩は名無しである
21/01/04 22:12:01.26 hG8S6OnL.net
續明暗もあるね

304:吾輩は名無しである
21/01/05 10:55:29.57 o+rVHX6/.net
>>277
横から失礼します
オレはレインを読んだことはないですが今でいう統合失調症(以前は精神分裂病と呼ばれてましたね)に関心があって木村敏が書いた講談社現代新書「異常の構造」とかの一般書は読んだことがあり
あと精神と物質が別々に存在するってどういうこと?と考え込んだ時期があります
レスを読んでお聞きしたいことが二つあって
正常(健全な状態とされる状態)と異常(精神病とされる状態)について
オレは人間は遺伝子の存続と承継に沿った状態を正常と判断するようにできてると考えてますが
ご自身は正常と異常についてどうお考えですか(スイマセン質問が曖昧で)
もう一つは存在論というか認識論について
イワンが悪魔と対話していた時イワンにとって悪魔は実在していたというお考えのようですが
とすると物が存在するかどうかは認識する人次第ということになりますよね(オレはそっち系で考えてます)
では物が存在するってどういうことだとお考えですか
もっとオレの問題意識に引き寄せて質問させていただけば(一知半解の素人考えですが)
デカルトやカント風に精神と物質は別ものと考えるのか
それとも物自体が実体として存在するかどうかはいったん置いといて
精神に現れる現象を問題にすべきだ(フッサール?)
とか
精神と物質が実体として存在するに先立ってその間の関係が存在する(ソシュール?)
とか
精神物質二元論ではない方向でお考えなのか
それとも別のお考えをお持ちなのか
お時間がありましたらお願いします


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