☆☆☆ドストエフスキー統一スレッド①☆☆☆at BOOK☆☆☆ドストエフスキー統一スレッド①☆☆☆ - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト100:吾輩は名無しである 20/12/21 12:11:13.58 jKU8gDvi.net 100 101:吾輩は名無しである 20/12/21 12:21:19.05 PNZaS6ub.net >>99 心理的に深読みするとですけどね 懺悔室に入ることで自分の中にあるムイシュキンという想像知を殺して排除することを望んだかもしれない アレゴリカルに解釈すれば、精神的な殺害を犯すことで関係を吹っ切ることを望んだりします 102:吾輩は名無しである 20/12/21 15:31:32.82 W7xB+HVb.net >>101 いや全然ありだと思いますよ むしろその方が面白い 自暴自棄の末の精神的自殺と考えることもできるのでしょうが 私は面白い方が好きなので いずれにしろ白痴の主要登場人物4人は結末で皆象徴的死を向かえており 作家はイヴォルギン将軍やレーベジェフというコメディリリーフを交えつつ ハムレット同様最後は皆死んでしまうという悲劇として白痴を構想したのかもしれません 103:吾輩は名無しである 20/12/22 00:25:08.23 SzxG8S7Z.net >>102 そうそう、象徴的な死っすね 白痴なんかを読んでいると、やがては死についても考えなくてはならなくなります(オレだけかもしれないけどw) 死とは存在の崩壊でもあります 自己を失うことが怖いのではなく、存在を失うことこそ恐ろしいのかもしれません 心理学なんかでは自己をよく取り扱うけど、オレは個人的に、ドストエフスキーは自己と存在を同じように扱っていたと解釈しています なんで殺意と言ったかというと、オレは自殺も殺人だと思っているからです 自殺とはとりも直さず自分で自分を殺すこと 自分とは自己を含む自分の存在そのもののことです 説明があった通りに、アグラーヤは自暴自棄の末の精神的自殺と考えるのがおそらくは正しいと思いますが、その過程において殺人を犯さなければならなくなります ここでもちろん彼らが失うのは自己自身ではありますが、自己自身を失うことは自分の存在を失うことと同じことである、と言ったとして何か間違いがある言い切れるのだろうかと思います 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch