ドストエフスキーPart52at BOOK
ドストエフスキーPart52 - 暇つぶし2ch5:吾輩は名無しである
20/11/18 16:48:22.81 AvFX2DOO.net
西欧においては、「人格」とは宗教概念を含んだものなんだ
ヘッセやマンの教養小説が宗教的なのはそのせいである
では、「人格」とは何かをヘーゲルやマックス・ウェーバーを参考にしてみよう
シナの宗教は、われわれが宗教と呼ぶものではあり得ない。
われわれにとっては、宗教とは精神が自分の最内面の本質を自分の中で表象するものだという意味における、
精神の自分自身の中における内面性を意味するものだからである。
それ故に、この領域にあっては人間は国内のいろいろの関係などは離脱し、内面性の中にのがれることによって世俗の支配力から超然としていることが可能である。
ところがシナの宗教は、まだこの段階にまでは達していない。
というのは、真の信仰は個人が自分自身の中に腰を据え、外的な強制力から離れて独立にあるところにおいて、はじめて可能なものだからである。
(ヘーゲル『歴史哲学』)
「中国人の「心」(Seele 魂)は予言者というものによって革命されたというようなことは一度もなかった。
中国では、倫理的諸要求を突きつけてくるような超現世的神の倫理的予言といったものが完全に欠如していたがゆえに、
この「現世」に対するいかなる緊張関係も成立したことはなかった。
その結果、「現世」の諸条件にもっぱら外的に適応する人間が生まれた。
この中国的人間は、われわれが「人格」(Persönlichkeit)という観念に結び付けて考えるところの、
あの内側から統一性へ向かっての努力を全く知らない。
すなわち、「真正の予言」の影響の所産であるところの、一つの価値基準に照らして生活を内側から組織的に方向づけていく生活態度を中国人は全く知らない。」
(マックス・ウェーバー『儒教と道教』)


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