ドストエフスキーPart51at BOOK
ドストエフスキーPart51 - 暇つぶし2ch727:吾輩は名無しである
20/10/04 17:53:38.16 IJY6lKOM.net
劇では、複数の視野がそれぞれまったき状態のまま、超視野的な統一性において結合することなど不可能だ。
劇の構造がそうした統一性のための足場を与えてくれないからだ。
したがって、ドストエフスキーのポリフォニー小説において、正真正銘の劇的対話はごくニ義的な役割しか演じることはできない。
バフチンはそう語ったけど、簡単に言えばドストエフスキーは基本的に劇に向いていない、ということ
それがもっとも当てはまるのが未成年です
例えばヴェルシーロフを思い描くとすると、彼には客観的なヴェルシーロフがまったく存在しない
彼がどういうものかを知るためには、アルカージイ、もしくはソフィアやマカールからの見えているヴェルシーロフを分析していくことを読者は求められてしまう
しかしこれは各キャラクターから見ているヴェルシーロフの本当の姿がどこかにあって、実体と影を正確に分析していけば本当のヴェルシーロフ像が見えてくる、というわけでもなかったりする
そもそも実体はなく影しかありえないからだと言える
ドストエフスキーは未成年でそれを書いてみせたけど、人間もきっとそんなもんなのかもしれません
ある他者に見えている実体などなく影の寄せ集めでしかなく、その影もまた自分の視点を通した実体の残余みたいに曖昧なものでしかかったりすると思います


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