ドストエフスキーPart51at BOOK
ドストエフスキーPart51 - 暇つぶし2ch6:吾輩は名無しである
20/07/31 12:34:47.12 2KagRopk.net
死の直前に書かれた「遺言」のような、ドストエフスキー晩年の思想がよく分るものを「作家の日記」から抜粋
『作家の日記』1881年1月
第1章4
わが国の民衆は一人ぼっちである、すなわち孤独なのである。ただ自分の力だけを頼りにするようにほうり出されており、精神的には誰一人支持するものがない。
彼らにあるのはただ神と皇帝のみである―この二つの力、この二つの偉大な希望によってのみ、民衆はもちこたえているのである。
わがロシアの民衆の圧倒的大多数は正教信者であり、しかるべき科学的な解釈こそはなし得ないが、完全に正教の理念によって生きているのである。
私は、わがインテリゲンツィヤ諸君が私を嘲笑したのを、知っている。
彼らは民衆の罪やけがれを指摘しつつ、また民衆の迷信や宗教に対する無関心を指摘しつつも、民衆が「そのような理念」をもっていることを認めないのである。
彼らの犯している深刻な誤謬は、ロシアの民衆の中にある教会を認めないことにある。
ここで私が論じているのは、教会の建物でもなければ、教会の僧侶でもなく、われらがロシアの「社会主義」である。
私は、たとえどんなに奇妙に思われようとも、自分の思想を解明するために、教会というものとは正反対の、この言葉をわざわざ取り上げるのである。
ロシアの社会主義の終局の目的は、この地球が入れ得る限りでの、地上に実現される全民族的・全宇宙的教会なのである。
私が言っているのは、常にロシアの民衆の中に存在する飽くことなき渇望、キリストの名における偉大な民族的・全兄弟的結合の渇望なのである。
たとえこの教会が単に祈祷の中ばかりであって、現実の中に、完全には建設されていないにせよ、とにかくこの教会の本能と、
それに対する飽くことなき渇望は、時にはほとんど無意識なものでさえあるけれども、われらの何百万という民衆の心の中に、疑いもなく存在しているのである。
ロシア民衆の社会主義は、共産主義や機械的形式に存するのではない。
彼らは、究極においては、キリストの名における全世界的結合によってのみ救われるものと、確信しているのである。
これこそわがロシアの社会主義である!


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