20/07/31 01:57:12.52 Ljay1s0z.net
荒らし創価学会員はスルー推奨。
3:吾輩は名無しである
20/07/31 02:36:07.27 GjtSQjqu.net
>>1乙です
最初なので長いですが引用してみます
イワンは「神がいなければすべてが許される」と言ったけどその世界は無秩序な無政府主義をもとめたわけではない
むしろ彼は幸福と安定を手につかめると思ってその思想を実践した、ただしその最大の敵は良心がいて、そにために精神を分裂させることになる
必要なのは人類のうちにある神の観念を破壊することだけだ。いったん人類が一人残らず神を否定しさえすれば、ひとりでに、旧来のあらゆる世界観や、そして何よりも、旧来のいっさいの道徳が崩壊し、すべて新しいものが訪れるだろう。
人間は、人生の与えうるすべてのものを手に入れるために結合する。しかしそれは必ず、単にこの世界での幸福と喜びのために他ならない。人間はやがて死ぬ身であり、復活もないことを、誰もが知り、神のように冷静に死を受け入れるようになる。もはや何の報酬もなしに同胞を愛するようになる。
神なき世界を知っているものはすべてが許さている
それはキリーロフが試みた、神がいなければ神の意思はなくなり、そこには自分の意思しか無い世界の到来になる
4:吾輩は名無しである
20/07/31 02:38:14.10 Ljay1s0z.net
三浦春馬さん演劇『罪と罰』ラスコーリニコフ、ほゞ完璧に演じ切り好評を博す。
URLリンク(www.bunkamura.co.jp)
「Fight for your heart」Music Video
URLリンク(www.youtube.com)
「Night Diver」Music Video
URLリンク(www.youtube.com)
神の御許に召された故人を偲び、心から哀悼の意を捧げます。
5:吾輩は名無しである
20/07/31 05:43:07 +SWkoaFG.net
>>1
日本道路交通情報センターの佐々木さん 乙
6:吾輩は名無しである
20/07/31 12:34:47.12 2KagRopk.net
死の直前に書かれた「遺言」のような、ドストエフスキー晩年の思想がよく分るものを「作家の日記」から抜粋
『作家の日記』1881年1月
第1章4
わが国の民衆は一人ぼっちである、すなわち孤独なのである。ただ自分の力だけを頼りにするようにほうり出されており、精神的には誰一人支持するものがない。
彼らにあるのはただ神と皇帝のみである―この二つの力、この二つの偉大な希望によってのみ、民衆はもちこたえているのである。
わがロシアの民衆の圧倒的大多数は正教信者であり、しかるべき科学的な解釈こそはなし得ないが、完全に正教の理念によって生きているのである。
私は、わがインテリゲンツィヤ諸君が私を嘲笑したのを、知っている。
彼らは民衆の罪やけがれを指摘しつつ、また民衆の迷信や宗教に対する無関心を指摘しつつも、民衆が「そのような理念」をもっていることを認めないのである。
彼らの犯している深刻な誤謬は、ロシアの民衆の中にある教会を認めないことにある。
ここで私が論じているのは、教会の建物でもなければ、教会の僧侶でもなく、われらがロシアの「社会主義」である。
私は、たとえどんなに奇妙に思われようとも、自分の思想を解明するために、教会というものとは正反対の、この言葉をわざわざ取り上げるのである。
ロシアの社会主義の終局の目的は、この地球が入れ得る限りでの、地上に実現される全民族的・全宇宙的教会なのである。
私が言っているのは、常にロシアの民衆の中に存在する飽くことなき渇望、キリストの名における偉大な民族的・全兄弟的結合の渇望なのである。
たとえこの教会が単に祈祷の中ばかりであって、現実の中に、完全には建設されていないにせよ、とにかくこの教会の本能と、
それに対する飽くことなき渇望は、時にはほとんど無意識なものでさえあるけれども、われらの何百万という民衆の心の中に、疑いもなく存在しているのである。
ロシア民衆の社会主義は、共産主義や機械的形式に存するのではない。
彼らは、究極においては、キリストの名における全世界的結合によってのみ救われるものと、確信しているのである。
これこそわがロシアの社会主義である!
7:吾輩は名無しである
20/07/31 12:35:26.43 2KagRopk.net
第1章5
このことに対して、ただ一つの魔術的な力をもった言葉がある。すなわち、「信頼を寄せること」である。
事実、わが民衆には信頼を寄せることができる。彼らはそれに値しているからである。
彼らを皇帝の周囲に、近くに、かたわらに見なかった者があるだろうか?
彼らは皇帝の赤子であり、真の、まぎれもなき、肉親の子であり、皇帝は彼らの父親なのである。
「皇帝は彼らの父である」という一句は、わが国では、果たして単なる言葉、単なる響き、単なる名称にすぎないのであろうか?
そのようなことを考える者は、ロシアにおいて何ひとつ理解するところのない者である!
否、そこには、きわめて深い、この上なく独創的な理念が含まれているのである。
そこには、生きた、力強い、皇帝と合体した民衆の有機体が存するのである。この理念こそまさに力なのである。
皇帝は民衆にとって、外的な力でもなければ、征服者としての力でもない。
それは全国民的な、すべてを一致団結させる力であって、民衆が自らそれを望み、心の中で育てはぐくみ、愛し、そのために苦しみさえしたのである。
民衆にとって、皇帝は、彼ら自身、彼らの全理念、彼らの希望、彼らの信仰を一身に具現化した存在なのである。
こうした希望はつい最近、かくも巨大な実現をみたのである―したがってこれから先の希望を棄てるはずがあるであろうか?
それどころか、ますます希望は強まるばかりである。
と言うのは、農奴解放以来、皇帝は単に理念や希望の上ばかりではなく、事実の上において、彼らの父親となったからである。
事実、父に対するような、この皇帝に対する民衆の関係こそ、わが国においてあらゆる改革を成就させる堅固な礎石なのである。
言うまでもなくわがロシアには、皇帝と民衆とのこの有機的な、生けるつながりなくしては、われらを守り導く建設的な力は何もなく、
これがわが国においていっさいの源泉になっているのである。
8:吾輩は名無しである
20/07/31 12:43:44.86 2KagRopk.net
『カラマーゾフの兄弟』の続編は、この思想によって書かれたであろう
したがって、アリョーシャが皇帝暗殺の指導者になることはありえない
アリョ-シャは、キリスト教的社会主義をめざしてコーリャたち無神論的社会主義と対立する
その思想的核心は、アリョーシャによってまとめられたゾシマの伝記の中に書かれている
9:吾輩は名無しである
20/07/31 14:03:24.18 dsdHt6GH.net
凄まじいカルト作家ぶりだな。
こんなん皇帝も絶句だろうよ。
10:吾輩は名無しである
20/07/31 15:44:45.33 oif+asuX.net
この日記や水声社の資料など、
カラマーゾフの兄弟を読むにあたり必要なものなのだろうか?
こういった知識なしで感動できるのだから、
むしろ不要だと言ってしまいたいのだが。
11:吾輩は名無しである
20/07/31 18:54:03 a2FtqVJl.net
読書の目的は人によって違うんだぞ。
そんなことも分からないのかよ。
12:吾輩は名無しである
20/07/31 19:57:49 spMtK5AM.net
おっしゃる通りです。
痛み入ります。
13:10
20/07/31 19:58:40 spMtK5AM.net
>>11
おっしゃる通りです。
痛み入ります。
14:吾輩は名無しである
20/07/31 20:35:44.47 wcou7d37.net
>>3
『イワンの悪魔』か~。
実際は彼が考えてるよりも「神の観念」って壊しがたいんよね。彼の言う「神の観念」はキリスト教徒の手によって、あらゆる物質・精神にイデアとして混ざってるから、一つ残らず消し去るのは不可能やね。壊れたり戻ったりを繰り返して、再び同じ状態になると思うんよ。
15:吾輩は名無しである
20/07/31 20:38:35.15 wcou7d37.net
>>6
相変わらずのドストエフスキー節やね。
古くさくて仕方ないんよ、現代に復活してくれたら面白いこと考えてくれそうなんやけどね。
16:吾輩は名無しである
20/08/01 02:05:17.86 sunUzDyP.net
>>14
死んで2000年経っているのに未だキリストがこれだけ残っている社会の中から一つ残さず消え去ることは不可能ですけどね
神なき世界の、その手始めがキリーロフでした
そして手始めだから自殺で証明する必要があった、と彼は考えていました
イワンも自殺まで行かなくても、自分が最初のものになる、くらいの没頭があればいい先導者になれたのかもしれません
でも彼には良心がありました、そしてその良心こそ神の存在を否定できない懐疑心です
弟でもある愛すべき神を思わせる小さな良心がいたから精神は分離して発狂しました
ラスコリニコフじゃないけど、自分が思うことに従って、躊躇せずに我意のオノを振り下ろせる人間なんて鉄の心臓をもっているものしかありえないのかもしれません
彼いわく、ナポレオンのように
17:吾輩は名無しである
20/08/01 23:10:10.67 RjX/9EMA.net
>>4
カッコいいけど神経質っぽい顔をしてるね。だからラスコの役に選ばれたのかも。
18:吾輩は名無しである
20/08/02 06:38:19.44 +3mAwmxF.net
>>17
ロージャと呼ぶんじゃないの。ロシア文学マニアはラスコと呼ぶの。ラッコみたい
19:吾輩は名無しである
20/08/02 08:36:47.12 e115m16I.net
地 ネクラ
罪 ラスコ ラズミ
白 ムイシュ ロゴー
悪 スタヴ ヴェル
カ カラマ スメル
20:吾輩は名無しである
20/08/02 13:18:46.31 G8euxxQp.net
スタヴ・ストラスコってモデルがいるよ(豆知識)
21:吾輩は名無しである
20/08/02 15:58:30 n7TTa0VQ.net
非キリスト教徒の日本人に神の観念はないよね
だからすべては許されるのだ
22:吾輩は名無しである
20/08/02 16:22:54.69 gOdozA7O.net
キリスト教を知ってる時点で神の観念を有してることになるはず。
23:吾輩は名無しである
20/08/02 21:22:47.56 IdXUxc4O.net
前スレでロシア正教の特質を書いてくれた人。
興味深いので、参考文献を紹介していただけませんか。
24:吾輩は名無しである
20/08/02 22:37:53 fuj9M9YT.net
>>23
> 前スレでロシア正教の特質を書いてくれた人。
> 興味深いので、参考文献を紹介していただけませんか。
ロシア正教の特質を知って何になる? きみはロシヤ正教に入る気がないんだろう?
25:吾輩は名無しである
20/08/02 22:43:33 fuj9M9YT.net
>>22
> キリスト教を知ってる時点で神の観念を有してることになるはず。
キリスト教を知ってると神の観念を有するのかい?
それなら創価学会の名前を知ってる君たちは、仏と魔の戦い・御本尊と
日蓮大聖人のこと。
第六天の魔王の恐ろしきこと、創価学会の理想、師弟不二のこと、これらが分かるってのかい?
26:吾輩は名無しである
20/08/02 22:49:30 YmkYZTpo.net
ドストエフスキーは制約があるからそうは書けなかったけど、
ロシア正教とかじゃなく直接キリストを信じていた。
27:吾輩は名無しである
20/08/02 22:53:55.95 fuj9M9YT.net
>>21
> 非キリスト教徒の日本人に神の観念はないよね
> だからすべては許されるのだ
おそらくは、こういうことだろう。"非キリスト教徒の日本人" も"キリスト教徒のアメリカ人"も
ない。"創価学会の日本人" も、"特に無信仰の日本人" もない。
神の観念があるなし? 観念などあっても死魔の前にはへの突っ張りにもならん。
>とはいえ根本的な、先天的な信仰が、心の底で動揺し始めたわけではむろんない。
彼は自分の神を愛している。今とつぜん不平を訴えはしたものの、確固たる信仰を有している。
と記述されてるようなものは、『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ』と御書に
あるように、これをくぐり抜けたものにしか絶対にありえない!
> だからすべては許されるのだ
そんな観念の遊びや、おれはキリスト教信仰者だ! そんな口先なんか関係がない。
創価学会員も同じだ。
28:吾輩は名無しである
20/08/02 22:58:27.32 fuj9M9YT.net
>>26
> ドストエフスキーは制約があるからそうは書けなかったけど、
> ロシア正教とかじゃなく直接キリストを信じていた。
そんなテキトウな きみの妄言は関係がない。
直接キリストを信じた─などと書くのは信仰の本質をわかってない。
我らで言えば、創価学会を信ぜず御本尊と日蓮大聖人を信じた─と言ってるのと同じ。
愚かである。
29:吾輩は名無しである
20/08/02 23:25:46.60 fuj9M9YT.net
では、僕が解説してあげよう。僕は以下の文をきみの引用によって初めて読んだ。
それでもどんな学者よりも正しく説明できる─という自負がある。
> 『作家の日記』1881年1月
>
> 第1章4
>
> わが国の民衆は一人ぼっちである、すなわち孤独なのである。ただ自分の力だけを頼りにするようにほうり出されており、精神的には誰一人支持するものがない。
(我)これは「君のこと」だよ。君らは(一人ぼっちで)(孤独)で(自分の力だけを頼りにするようにほうり出されている)
君を(精神的に支えてくれるひと)は誰ひとりいない。
……そして(君)とは(僕)だよ。
30:吾輩は名無しである
20/08/02 23:26:05.19 YmkYZTpo.net
イワンことはわからんでもないが、
二言目にはすぐ学会学会言う人にはなりたくないなー。
31:吾輩は名無しである
20/08/02 23:27:28.68 fuj9M9YT.net
>彼らにあるのはただ神と皇帝のみである―この二つの力、この二つの偉大な希望によってのみ、民衆はもちこたえているのである。
ここ以下は明日以降、僕が気が向いた時に書いてあげよう。
32:吾輩は名無しである
20/08/02 23:29:20.70 YmkYZTpo.net
明日また学会学会って言う気やろー。
33:吾輩は名無しである
20/08/02 23:30:50.60 fuj9M9YT.net
>>30
> イワンことはわからんでもないが、
どういう点が(わからんでもない)と感じたか、そこ書いてほしかったなあ~w
> 二言目にはすぐ学会学会言う人にはなりたくないなー。
これはね、功徳を受けるためだよ。もしかしたらバチを受けるかも知れないけどねwww
34:吾輩は名無しである
20/08/02 23:34:21.60 fuj9M9YT.net
>>32
> 明日また学会学会って言う気やろー。
確かに言い過ぎだな。イヤになるよな。でもしょせんは 心に隠してるからいっしょだろ?
じゃーなw
35:吾輩は名無しである
20/08/02 23:36:26.66 YmkYZTpo.net
それはその方が具体的だからですよー。
36:吾輩は名無しである
20/08/02 23:59:47.27 n7TTa0VQ.net
大勝利
37:吾輩は名無しである
20/08/03 00:02:09.13 MCq+qq7a.net
ドストの批判した狂信者が復活してるやんけ!
38:吾輩は名無しである
20/08/03 00:30:02.92 i9KPPCZO.net
>>23
前スレであげた正教会の特質については色々な本からの寄せ集めのまとめで個人的な推測としてレスしましたが、ドストエフスキー的な正教会について参考にするならばこの人の本がオススメです
大江 健三郎他『21世紀 ドストエフスキーがやってくる』
URLリンク(micheal.blog.jp)
正教会、それもロシア正教会のドストエフスキー的な視点で書かれています
安岡治子さんの本ですが、光文社の地下室とか白夜の翻訳者の人でロシア語翻訳者でもありロシア正教会の研究者でもある人のようです
あとは少し長い本ですが、講談社学術文庫から出版されている「キリスト教史」はとても参考になりました
東方教会も含めて西方教会や異端教会の古代から現代までのキリスト教の歴史をまとめた本です
39:吾輩は名無しである
20/08/03 00:35:03.96 i9KPPCZO.net
>>26
皇帝に逆らって(最初は社会主義で)死刑判決を受けたのに、また皇帝に反抗する(今度は反正教会)のは難しいですからね
仮面をかぶることを覚えた、ってことなのかもしれません
40:吾輩は名無しである
20/08/03 00:41:51.52 i9KPPCZO.net
>>21
論理ではそうなりますね
そして現実的にそういう人が有名人でもあったりします
そういう論理を言葉にはしないけど暗黙の深層意識として特に資本主義と民主主義の国では誰もが気がつくか気が付かないかに関わらず心に秘めているのかもしれません
>>22
この考え方は俺も同じです
世界は言葉でできている、言語論的実在論を俺は支持してるので私的言語の前にクオリア的な感覚を感覚する何かが存在していると思います
それが聖書であらわにされた、と考えます
41:吾輩は名無しである
20/08/03 00:42:48.03 JKqUxzEl.net
>>24
ドストエフスキーに興味があって、ロシア正教について知ると理解が深まると思っただけなんだが。
言わないと分からないタイプ?
42:吾輩は名無しである
20/08/03 00:47:13.71 JKqUxzEl.net
>>38
ありがとうございます。
さっそく注文します。
二つ目の本は持ってたんですが、正教にも触れてたのですね。
あんまり記憶に残ってませんでした。
今は手元にないのですが、後で読んでみますね。
43:吾輩は名無しである
20/08/03 00:50:46.50 JKqUxzEl.net
>>38
僕が持ってたのは『キリスト教史』ではなくて、『キリスト教の歴史』でした……。
44:吾輩は名無しである
20/08/03 00:58:55.30 8hDM+5qS.net
>>39
> 皇帝に逆らって(最初は社会主義で)死刑判決を受けたのに、また皇帝に反抗する(今度は反正教会)のは難しいですからね
> 仮面をかぶることを覚えた、ってことなのかもしれません
ドストエフスキーの作品を読みながら、また眼前に『作家の日記』の明白たる彼の信念を
読みながら─同時にドストエフスキーをこのような俗物と考えることができるとは……!
今まできみがカキコした全書き込みの中で もっとも俗悪で醜い考えです。
きみにとって信仰とは「 仮面をかぶることを覚えた」程度の問題なのだろう。
したがって人生への対処も同じです。おそらく君の人生は「仮面をかぶって逃げまくる人生」を
歩んできたし、これからも歩むだろう。
45:吾輩は名無しである
20/08/03 01:03:26.08 8hDM+5qS.net
ID:i9KPPCZO 君!
きみは言語論的実在論なんかどーでもいい、ドストエフスキーも読まなくていい。
現実の、実在する尊敬する人を持ちなさい。すぐ身近にです。
そういう人を探すんです。残りの人生のすべてをかけてね。
46:吾輩は名無しである
20/08/03 01:07:40.01 8hDM+5qS.net
アリョーシャにとってのゾシマのような存在です。
その点がイヴァンやミーチャとの違いです。
庶民の中で庶民のひとりとして生きるのです。
かならず出会える。きみがいま執着してるチッポケなものを何もかも捨て去った時に!!
47:吾輩は名無しである
20/08/03 01:08:58.98 i9KPPCZO.net
>>43
同じ出版社でも内容は違うのかもしれませんね
概ね同じだとは思うけど
俺が読んだのは藤代泰三さん著作の「キリスト教史」でした
神学の歴史の発展や以前少し話題になった異端のグノーシスの歴史についても書かれています
だけど正教会については少ししか書かれていないようです
西方教会は基本謎なんでしょうね
正教会は国単位で組織されている教会なので解析するのは難しいのかもしれません
だけどギリシャ哲学が詰め込まれているのも正教会です
ギリシャが起源だし、新約聖書はギリシャ語ですからね
48:吾輩は名無しである
20/08/03 01:11:19.82 c6p9oiMv.net
>>45
俺にはあなたの方がよっぽどだと思いますよ。
ドストエフスキーは今の日本よりはるかに制約のある中で創作していたのは確かでしょう。
49:吾輩は名無しである
20/08/03 01:12:36.76 8hDM+5qS.net
いいかい?勘違いしないでくれよ。
君は(一人ぼっちで)
(孤独)で
(自分の力だけを頼りにするようにほうり出されてい)て
君を(精神的に支えてくれるひと)は誰ひとりいない。
─ということは知っている。だから君が(そんな人を発見できるはずがない)と思ってることも
わかった上で言ってるんだ。
なぜならば、僕も(ひとり)なんだ。
50:吾輩は名無しである
20/08/03 01:17:25.78 c6p9oiMv.net
ここで学会の出番ですね。
わかります。
51:吾輩は名無しである
20/08/03 01:22:24.22 8hDM+5qS.net
>>50
> ここで学会の出番ですね。
> わかります。
ところが(学会の出番)ではないw
君がキリストにかけるなら、全身全霊でかけよ─ということなんだ。
アリョーシャが考えたように。それがアリョーシャの青春の誓いだろ?
人間というものは、究極のところでいのちを捨てるものなんだ!
きみは哲学や書籍に逃げている。損をするのはきみなんだ。
>人間というものは、究極のところでいのちを捨てるものなんだ!
このことは、書籍からは絶対に学べないのだ。
現実の人間から教えられることなんだ。
52:吾輩は名無しである
20/08/03 01:59:26.52 i9KPPCZO.net
>>26
トルストイなんかも福音書主義で直接イエスを信じることを強調したりして正教会からは破門されます
トルストイの場合は有名人だったから刑罰とかはなかったけど、ロシアは今でも分かる通りに社会主義国で中央集権にある権威がとてつもなく強い国家です
キリスト教の歴史でもよくあることで、国教以外の宗教(まだキリスト教が国教になっていない時代)なんかはキリスト教です、といっただけで捕まる時代は多くありました
そのことも聖書に預言されているんですが、ドストエフスキーがいた時代もそんな時代でその中で本を書くのは命がけだったんだと思います
おかげで俺がヌクヌクと部屋でよんでられますが
53:ニコラス
20/08/03 03:51:22.54 OiF9ONDz.net
アレクセイ・カラマーゾフはイエス・キリストと同じ世界観に生きている。
勿論、某カルト狂信者とは一片の共有点もない。
54:スタヴローギン
20/08/03 03:54:34.07 OiF9ONDz.net
アレクセイ・カラマーゾフはイエス・キリストと同じ世界観に生きている。
勿論、某カルト狂信者とは一片の共有点もない。
以上。
殆ど皆が周知の事柄であっても大事なポイントなので2度書いて強調しておく。
55:吾輩は名無しである
20/08/03 04:26:27.06 OiF9ONDz.net
某カルト狂信者、頭おかしいだろ? 相手にしないのが賢明、魂が腐臭を放っている。
現世利益?
滑稽なことにリアル世界でも、極端な貧乏・長期の無職・誰からも相手にされない孤独・重度の精神疾患に苦しんでいる様子が看取できる。
IQは50もない知的障害者。バカで、クズ、邪悪、早くくたばった方が皆の為だ。
消えろ、気違い! とっとと入院するか野垂死にしろ!
56:吾輩は名無しである
20/08/03 09:41:08.85 MCq+qq7a.net
創価学会万歳!!!!
ボクは学会のお情けでナマポに与るクズかもしれない・・・w
でも邪教クリトリス狂を信仰するキミタチや宗教をしないチミタチには仏罰が下るッッッ!!!
57:吾輩は名無しである
20/08/03 09:42:01.12 MCq+qq7a.net
みたいなカンジかな?
58:吾輩は名無しである
20/08/03 12:38:46.36 DhYpXGa1.net
以上、閉鎖病棟からの中継でした
59:吾輩は名無しである
20/08/03 12:47:56.00 5is5coF8.net
>>58
うるせええええ!!!!
南無妙法蓮華経を唱えろッ!!
ちっぽけな頭しか持たないクズどもがWWWWW入信しろWWWW!!!
60:吾輩は名無しである
20/08/03 12:57:05.47 qEFo8uS4.net
ロシア正教について知りたいなら、先ずは神田のニコライ堂で有名なニコライについての本 『宣教師ニコライと明治日本』中村健之介著 岩波新書
より詳しく知りたいなら、中村さん訳のニコライの日記(岩波文庫)
ちなみに、ドストエフスキーはわざわざニコライに話を聞くためニコライを訪れている
ロシア正教の教義を詳しく知りたいなら、トルストイの『教義神学批判』
トルストイは逐一、正教の教義を厳しく批判している
61:吾輩は名無しである
20/08/03 19:34:00.57 VSxFkyVT.net
創価キモすぎ、死んだら?
62:吾輩は名無しである
20/08/03 21:07:16.00 qm2jqzf/.net
ボクは永遠の命を得た池田先生より直々に聖ナマポを受給している。
だから君たちより偉い。君たちはボクをゾシマ長老のように師と仰ぎ、絶対服従するのだ。
ところで真に自由な人間は他人を支配することなど望まない。
しかし誰かに服従する者は、自らもまた教祖を真似て他者を服従させたくなるものだ。
これが創価パワーの秘訣である。大勝利!
63:吾輩は名無しである
20/08/03 21:42:15.54 pmPKbTQv.net
日蓮系だけはマジで無理
大審問官か書記長に頼んでアイツらを処刑したい
64:吾輩は名無しである
20/08/04 01:53:49 L19E9a3F.net
宗教が語る信仰とは箱の中のカブトムシと同じことです
自分しか確かめられないし、自分しか知りえないことは反証できないし反証を必要すらしない
だけど一方で共有することは可能です
言葉で想像して理解すること
だから人間は知性があって、その知性の塊こそ文学です
知性や知恵を蔑ろにする人はもはや人間であることを放棄しているに等しい、動物と変わらない、そう昔から考えられていたし、俺もまたそう思う
ドストエフスキーもその一人だったりします
「一人に一つずつ箱を持っていて、その中に私たちが「カブト虫」と呼んでいるような何かが入っていると仮定する。誰も他人の箱を覗きこむことができず、自分のカブト虫を見ることによってのみ、カブト虫とは何であるかを知ることができる。
この時、皆が「カブト虫」とは言っているものの、他人の箱を覗きこむことは不可能なので、それぞれの箱の中に違ったものを持っているという事が当然あり得てくる。
それどころか、箱の中のものが絶えず変化し続けるということさえ想像可能である。
カブト虫だと言っている箱の中にある何かは、自分が思っているだけのカブトムシであって、他人が言っているカブト虫とはどんなものであるのかは全くわからない。
そして自分自身のカブト虫についてもこの「(私だけのカブト虫=)私的カブト虫」はどのように言おうとしても、言語に乗せる事ができない。
カブト虫という言葉の意味の基準は「それぞれの箱に入っているもの」という公的な基準しか存在せず、私的な基準で「私的なカブト虫」に意味を持たせる事ができないのだ。」
65:吾輩は名無しである
20/08/04 02:16:01.36 HNAqDkvl.net
でも動物でもコミュニーションってとるよね
66:吾輩は名無しである
20/08/04 02:21:33.92 L19E9a3F.net
>>65
それでも動画どうしは共有しない
生存本能で同調したかにみえることはあるけど、感情や相手の意思、相手の事情、もしくは論理的なことすべて「知性」で共有しているわけではないだろうと思います
動物に似ている人間ならいるけど
人間に似ている動物はいない
67:吾輩は名無しである
20/08/04 09:48:10 uy8CfkI5.net
少し背の高い~♪
あなたの耳に寄せたおでこ
甘い匂いに誘われたあたしはかぶとむし~♪
神秘主義哲学でかぶとむしの存在を覚知(グノーシス)しましょう!
68:吾輩は名無しである
20/08/04 13:29:32 EBpFXxuy.net
浄土真宗の教えは、創価を含め日蓮系とは正反対である、日蓮による他宗派中傷と自宗賛美の伝統はいまだ続いている
真宗行者の中に於いて停止すべき子細の事。
一、諸神ならびに仏菩薩等軽んずべからざるの事。
一、諸法・諸宗全く誹謗すべからざる事。
一、我宗の振舞を以て、他宗に対して難ずべからざるの事。
一、物忌の事、仏法の方に就き之無きと雖も、他宗ならびに公方に対し堅く忌むべき事。
一、本宗に於いて相承無き名言を以て、恣に仏法讃嘆旁然るべからざる事。
一、念仏者に於いて国の守護地頭を専らにすべし、軽んずべからざる事。
一、無智の身を以て、他宗に対して雅意にまかせて、我宗の法儀其の憚り無く讃嘆せしむ、然るべからざる事。
一、自身に於いていまだ安心決定せず、人の詞を聞き信心法門讃嘆、然るべからざる事。
69:吾輩は名無しである
20/08/04 15:47:39.24 /oygZJc2.net
あのバカはナマパーであることを認めたのか。まあ、創価とナマポ不正受給はセットみたいなものだから当然のことだけど。
70:吾輩は名無しである
20/08/05 21:48:20.60 +/5JomKv.net
浄土真宗というか、浄土宗というか、親鸞が語る言葉の意味ととナザレのイエスの言説はよく似ているといわれますね
悪人正機説はキリスト教でいう隣人愛に近い
サンスクリット語で阿弥陀如来は光としての意味を持つ
聖書ではキリストイエスは光の光という意味で訳される
そして何より浄土宗系の大乗仏教では他力思想があること
仏教としてはとても珍しいことになる
基本的に仏に「なる」ことを目指す仏教では、この「なる」という自動詞があるために動詞的に自力を求められることになり、そしてそれは自然な流れになる
けれど浄土宗系には他力本願がある
キリスト教も神による全面的な救いを求めることを前提とする宗教で、自由意志はその付属品にすぎないとされる
罪と罰の飲んだくれのマルメラードフは悪人正機説を思わせる
ソーニャのなけなしの金を使ってしまう自分を罪人として認めている
一方で「だからこそ救われる」と開き直っている態度は飲んだくれのそれでもあるけど、全面的な他力救済の階段でもあると飲んだくれは語る
「罪人として自分を低くするものはそのことで神に許される」と語る飲んだくれは聖句を意味する
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」(1テモテ1:15)
71:吾輩は名無しである
20/08/05 21:48:41.34 +/5JomKv.net
悪人正機説
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
(善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる。)
しかるを世の人つねにいわく、「悪人なお往生す、いかにいわんや 善人をや」。
(ところが、世間の人は常に 「悪人でさえ救われるのだから、善人はなおさら救われる」 と言っています。)
この条、一旦そのいわれあるに似たれども、 本願他力の意趣に背けり。
(これは一見それらしく聞こえますが、 阿弥陀仏が本願をたてられた趣旨に反するのです。 )
そのゆえは、自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる 間、弥陀の本願にあらず。
(なぜならば自分の力で後生の一大事の解決をしようとしている 間は、他力をたのむことができないので、阿弥陀仏のお約束の対象にはならないのです。)
しかれども、自力の心をひるがえして、 他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を遂ぐるなり。
(しかし、自力をすてて他力に帰すれば、 真実の浄土へゆくことができるのです。)
72:吾輩は名無しである
20/08/05 21:54:05.01 +/5JomKv.net
日蓮は自力が好きなので反対になる
池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」
「釈迦の法はもう過去のもので何の利益もない」P63
「われわれは釈迦仏教に縁のない民衆であることを知らねばならない」P65
「日蓮聖人が末法の御本仏であらせれる」P67
「釈迦等のとうていおよぶ 分際ではない」P316
「釈尊出世の本懐である法華経でさえも末法の今日には まったく力はない」P93
「(創価学会の)この大御本尊を拝む以外に末法の衆生は基本的に幸福になれないのである。」P70
「釈迦仏法など立てるのは去年の暦と同様で役に立たないしろものである。これを使用するから生活に破錠をきたすのは当然である。」P303
釈迦は仏教の元になるはず
なのに自分のうみの親を否定するのはなぜなのか理解ができないところでもある
あとは仏教なのに、大勝利!なんて言っているのは冗談みたいに聞こえるけれど本人たちは真面目らしいです
俺はもし仏教するならなら親鸞とかの方がいいかな
73:吾輩は名無しである
20/08/05 22:30:36.21 wWacr24I.net
>>70
ドストエフスキーの作品を愛読してる親鸞系の僧侶は多いです。
おっしゃるとおり、他力での救済を訴えたドストエフスキーと親鸞は似ていますから、不思議でもなんでもありませんね。
74:吾輩は名無しである
20/08/05 22:32:04.51 wWacr24I.net
>>71
そのまま作中で描かれてそうな主張ですね。
75:吾輩は名無しである
20/08/05 22:42:28.72 wWacr24I.net
>>72
不二一元論あるいは梵我一如論を日蓮が参考にして創ったであろう本尊の概念は、その言葉こそ違えどボクも信じています。
だからこそ、それを売って汚している創価学会が嫌いです。すいません、愚痴になりました。
76:吾輩は名無しである
20/08/06 01:15:57 RK35X370.net
本尊でも神でもつくっている時点で異なります
ようは無神論なんすよ
ヴォルテールと同じで、神がいないのならば神をつくらなければならない、とか言い出すのと同じ原理です
結局は汎神論なんですよ
この場合はブラフマンの存在はない、つくっているにすぎない
ドストエフスキーは汎神論じゃなくて汎在神論
ロシア正教も汎在神論
ブラフマンとアートマンが同じという思想はロシア正教でいう神化ととても近い考え方
だけどキリスト教でいう神化ではアートマンにならない
なぜなら魂という考え方が残っているから
ヴェーダなんかでは外的世界(宇宙)と内的世界(無意識)は調和するという
だけどこの場合、仏教では我はないとする
つまり無我ということ、融合したのだから
アートマンになる、無我を目指す宗教でもあるから
アートマンになるなら我はない、魂もない、個もない
アートマンを強調する場合は無神論になる
ブラフマンを強調する場合は無我になる
だから汎神論はつねにどちらかが欠けることになる
個別の魂や霊、体という考え方がないから
77:吾輩は名無しである
20/08/06 01:16:05 RK35X370.net
マルメラードフはキリストという存在(人格を持った神)に救済を求めているし、ラスコリニコフは「大地という神ではなくて」「神が創りたもうた神のあらわれる一部である大地」に額をつけたということ
ソーニャは無我を求めたのではなく、我を保ちつつ我で他者を救おうとしているのだから
梵我のためにはr神は神であり、唯一であり、存在である、という前提が必要になる
汎神論は融合であるけど、汎在神論は「在」という「神の存在」が消えないから
上記の理由によるならば上記の条件を満たさなければ、ブラフマンとアートマンは一致しない
だから汎神論は無神論と変わらない
だからドストエフスキーは汎在神論にこだわった
78:吾輩は名無しである
20/08/06 01:18:17 RK35X370.net
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
汎在神論このことです
万有内在神論(ばんゆうないざいしんろん、panentheism)とは、有神論の一種であり、世界の全てが神(絶対者)の内に存在している、言い換えれば、神(絶対者)は超越と内在を兼ね備えているという考え方のこと。
万有内在神論(panentheism)は、語義的には「πᾶν(all)- ἐν(in)- θεός(God)」、すなわち「all-in-God」「all things-in-God」ということであり、「神の内に万物・万有(全ての有るもの=世界)が属している」という意味である。
汎神論(pantheism)が、「πᾶν(all)- θεός(God)」、すなわち「万物(世界)=神」だと考えるの対して、万有内在神論(panentheism)は、神が万物(世界)よりは大きいもの、それを超え出て包み込んでいるもの、すなわち「万物(世界)⊂神」と考える。
79:吾輩は名無しである
20/08/06 08:49:56.90 rnEh6dca.net
そういえば創価学会は妙にゲーテを高く評価してるな。
同じ汎神論つながりとはいえ、本質が大きく異なってるのにね。
一にして全である構造の文学から、自分にとって都合のいい部分を抜き出すのは学会員の伝統なんだろうか。
80:吾輩は名無しである
20/08/06 13:01:40 1zYiedU/.net
上で紹介した宣教師ニコライは、浄土真宗の説教を聴くとまるでキリスト教の説教を聞いているようだと書いている
一番のポイントは、「人間すべて罪人である」ととらえている点である、その理由付けは違うが、これが分らないとドストエフスキーの作品も理解できない
もうひとつは、その救済における自力と他力の問題である
仏教では修行と他力本願との問題で、キリスト教では人間の自由意志と神の恩寵との問題である
この論争は、アウグスチヌスvsベラギウス、ルターvsエラスムスなど長い歴史があり、『カラマーゾフ』の大審問官もこれを扱ったものだ
日蓮のお題目「南無妙法蓮華経」は、日蓮が批判攻撃する浄土系の念仏「南無阿弥陀仏」のパクリだが、両者はまるで違う
日蓮は、お題目を唱えるとこの世で救われるとか成仏できるとか説くが、親鸞は、念仏で成仏できるか地獄へ行くかは分らないといっている
浄土真宗の念仏は、浄土への成仏を願ったり、ほかの利益のためにするものではない
そのように目的を持って念仏すること自体が、自力の行為になってしまうのであるから、これを戒める
念仏は、阿弥陀如来の本願を信じて無心で行い、それぞれの職業に専念せよ、と説く
81:吾輩は名無しである
20/08/06 18:22:01 vv3FidaW.net
>>80
なるへそ。浄土真宗に興味がわいたから詳しく調べてみるかな。
82:吾輩は名無しである
20/08/06 19:42:57.83 gvyrT02b.net
ジークハイル池田大作、大勝利!
83:吾輩は名無しである
20/08/06 20:07:06.39 GpNCUjV7.net
「永久に創しましょう、一生手を取り合って行きましょう! 池ダーゾフ万歳!」もういちど創ニャが感激したように叫ぶと、ほかの中年たちはもう一度その叫びに和した。
84:吾輩は名無しである
20/08/06 20:24:26.42 2ZkAOB2T.net
>>80
>一番のポイントは、「人間すべて罪人である」ととらえている点である
いや、真宗は「悪人」であって「罪人」ではない
この場合の悪人とは悪所に生まれてその生業ゆえに業の深い人間が
罪悪の観念すら無き無明の境地から正機を得る、という事で
それは弥陀の救いの賜物であるという結論
キリスト教ではイエスの受難と復活そしてその遺訓によって罪の意識に目覚める
いずれも啓示的ではあるのだが
真宗の場合はより内面的な神秘体験として意識覚醒が説かれるわけだ
キリスト教諸派でこれに近いのはプロテスタント
とくにルター派の教理
仏教諸派、とくに浄土教系では西山浄土宗
85:吾輩は名無しである
20/08/07 12:41:38.88 +zXrWUmz.net
蓮如文集
「そもそも当流の他力信心のおもむきとまうすは、あながちにわが身のつみのふかきにもこころをかけず、
ただ阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、かかる十悪五逆の罪人も、五障三従の女人までも、
みなたすけたまへる不思議の誓願力ぞと、ふかく信じて・・・・・・」
これは「仏性」と罪の関係をどうとらえるか、キリスト教では「神の似姿」としての人間と原罪をどう捉えるかの問題である
これが自力と他力、人間の自由意志と神の恩寵の問題につながるのである
真宗では、人間を「末代不善の凡夫」ととらえる、これはルターがエラスムスの「自由意志」に対して反論した「奴隷意志」の中で、人間の自由意志は悪しか考えないとしたものに通ずるのである
真宗とプロテスタント、親鸞とルターの類似性が指摘されるのはこういうところである
86:吾輩は名無しである
20/08/08 01:20:05.55 3u8N1ITj.net
>>85
大事なのは
南無妙法蓮華経はいのちのリズムであり、南無阿弥陀仏は死のリズムである─ということであろう。
これは実際に唱えてみればわかることである。
そしてもう一つ。
南無妙法蓮華経の国へ生まれ、偉大なる光り輝くひとたちと ともに暮らしたいか、念仏の哀れみの人々の元へ生まれたいか?
ということです。
いかにいわんや、縁もゆかりもなき、ロシヤ正教の国へ。ゾシマたちがいる世界へ来世 行きたいか?ということだ。
僕は絶対に南無妙法蓮華経の国へ生まれたい。南無妙法蓮華経を知らぬ、または拒否するが、僕がとても好きなひとは
今世においてなんとかしたいが、ムリでも、たとえあの世からでも、好きなひとは引き上げる! 生きていても死んでからも
広宣流布です……!
87:吾輩は名無しである
20/08/08 01:38:04 3u8N1ITj.net
冷静に考えるとアリョーシャなどぜんぜん偉くない。我のほうがはるかに偉い。
偉大なのはドストエフスキーの文豪としての筆力です。
ゾシマも同じである。学会にははるかに上の人物がいる。
作品内部世界における彼がすごいのは、小冊子としてまとめられた、その思想内容です。
創価学会固有の思想・文化というものがあったとしても、それが既存の西欧社会の、たとえばドストエフスキーのごとき
最良のものとくらべたとき、明確に上であるなどと言えるほど洗練されてはおらぬ。しかし
大事なのは、さきの南無妙法蓮華経と同じで、(じっさいにどうか?)という点なんだ。
わたしたち庶民はぜんぶそこを見る。君らはバカだから空論に目を奪われる。(これは暴言だが、特に注意してほしいから書くんだw)
すべての創価学会員さんもさいしょは小バカにしていた。実際にやってみたら(こりゃあ、一体なんだ……! なんで今までやらんかったんだっ?)というのが共通体験です。
このスレの大半はそこ知れぬほどの愚民であり、僕がこれ以上教えを垂れる義理はない……ww
だが蓮如を引用したカキコを書いた彼のために書いた。 今後よいカキコを目にすることがあれば書きに来る。
88:吾輩は名無しである
20/08/08 01:44:39 3u8N1ITj.net
>冷静に考えるとアリョーシャなどぜんぜん偉くない。
僕は逆にカラマーゾフの愛読者である諸君に聞きたい。
作品冒頭の(著者より)でドスト自身がアリョーシャは(偉くないが偉い)と書いた。
君はどう思うんだ? アリョーシャはどういう点が偉いんだ?
89:吾輩は名無しである
20/08/08 02:52:49.12 3u8N1ITj.net
やめよ、アーナンダ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。アーナンダよ、私は説いていたではないか。最愛で、いとしいすべてのものたちは、別れ離ればなれになり、別々になる存在ではないかと。生まれ、存在し、形成され、壊れていくもの、それを「ああ、壊れるなかれ」ということがどうして得られようか。そのようなことはあり得ないのだ。
アーナンダよ、汝は長い間、慈愛あり、利益あり、幸いあり、比較できない無量の身体と言葉と心の行いによって如来に仕えてくれた。アーナンダよ、汝は善い行いをした。精進することに専修せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。
さあ比丘たちよ、いまあなたたちに伝えよう。
さまざまの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。
90:吾輩は名無しである
20/08/08 08:11:24.36 uCucEdDf.net
以上、隔離精神病棟からの中継でした
91:吾輩は名無しである
20/08/08 10:19:06.37 H9F4mAks.net
オウムかな?
92:吾輩は名無しである
20/08/08 11:28:41 GV224HSd.net
宗教スレッドだな
93:吾輩は名無しである
20/08/08 20:13:52.26 V92DjVvd.net
野狐禅スレだろ
94:吾輩は名無しである
20/08/08 20:41:43.40 8NTPHcWM.net
ソーニャの処女は高く売れた
95:吾輩は名無しである
20/08/09 02:09:33.43 gmkRWuMw.net
URLリンク(echo-lab.ddo.jp)
96:吾輩は名無しである
20/08/09 02:14:41.25 gmkRWuMw.net
>釈尊は最晩年に,アーナンダおよび数人の弟子たちとともに,王舎城近
郊の씔鷲の峰씕を去り,北方に向かって旅に出る。80歳という年齢もあっ
て,体力の衰えを痛感し,アーナンダに次のように言う。
アーナンダよ。私はもう老い朽ち,齢をかさね老衰し,人生の旅路
を通り過ぎ,老齢に達した。わが齢は八十となった。例えば古ぼけた
車が革紐の助けによってやっと動いていくように,おそらく私の身体
も革紐の助けによってもっているのだ。
>ヴェーサーリーで釈尊はアーナンダに以下のように言う。
アーナンダよ。修行を完成した人は,四つの不思議な霊力を修し,
大いに修し,( を結びつけられた)車のように修し,家の礎のように
堅固にし,実行し,完全に積み重ね,みごとになしとげた。
かれは,
もしも望むならば,寿命のある限りこの世に留まるであろうし,ある
いはそれよりも長い間でも留まることができるであろう。
>씘南伝大般涅槃経씙は,釈尊がこのように延命の可能性をほのめかされ
たにもかかわらず,
アーナンダが尊師に対して씔尊い方よ,尊師はどうか
寿命のある限り,この世に留まってください。(中略)多くの人々のため
に,多くの人々の幸福のために,世間の人々をあわれむために,神々と
人々との利益のために,幸福のために씕と延命を懇請しなかった,と言い,
씔それは,彼の心が悪魔に取りつかれていたからである씕と言っている
97:吾輩は名無しである
20/08/09 02:16:21.31 gmkRWuMw.net
少し後に釈尊がこれをアーナンダの씔過失씕としてアーナ
ンダを何度も叱責するが,ここに씔三ヶ月後の入滅씕の謎を解く鍵がある
と쬠える。
98:吾輩は名無しである
20/08/09 02:21:17.13 gmkRWuMw.net
3.悪魔との対話
釈尊がヴェーサーリーに滞在中,悪魔が近づき,次のように言う。
尊い方よ。先生はいまニルヴァーナにお入り下さい。幸いな方(=
ブッダ)はいまニルヴァーナにお入り下さい。今こそ先生のお亡くな
りになるべき時です。
先生はかつてこのことばを仰せられました。
「悪しき者よ。わが修行僧であるわが弟子どもが,賢明にして,よ
く身をととのえ,ことがらを確かに知っていて,学識があり,法をた
もち,法に従って行い,正しい実践をなし,適切な行いをなし,自ら
知ったことおよび師から教えられたことをたもって,解説し,説明し,
知らしめ,確立し,開明し,分析し,異論が起こった時には,道理に
よってそれをよく説き伏せて,教えを反駁し得ないものとして説くよ
うにならないならば,その間は,私はニルヴァーナに入らないであろ
う」と。
99:吾輩は名無しである
20/08/09 02:24:36.52 gmkRWuMw.net
悪魔はこう言った後,この状態がすでに成就されたことを述べ,重ねて釈
尊に即刻ニルヴァーナに入ることを勧める。
さらに悪魔は,釈尊が同じこ
とを弟子である修行尼たち,在俗信者たち,在俗信女たちについて語った
ことを述べ,彼らについてもそれぞれ釈尊の目的が成就したことを指摘し
て,最後に次のように言う。
尊い方よ。また実に先生はこのことばを仰せられました。
「悪しき
者よ。わがこの清浄行が成就され,栄え,増大し,ひろがり,多くの
人々に知られ,行きわたり,ついに神々や人々によく説き明かされな
いであろう間は,私はニルヴァーナに入らないであろう」と。しかる
に,尊い方よ。今や先生の清浄行は成就され,栄え,増大し,ひろが
り,多くの人々に知られ,行きわたり,ついに人々のためによく説き
明かされています。今こそ先生はニルヴァーナにお入りください。
100:吾輩は名無しである
20/08/09 02:26:11.64 gmkRWuMw.net
幸いな方はニルヴァーナにお入りください。今こそ尊師がお亡くなりに
なるべき時です。
以上に述べられた悪魔の主張をまとめると,出家・在家の別を問わず,
釈尊の弟子たちは釈尊の教えを完全に体得し,人にも説く弁舌の能力も備
え,法の敵を論駁する力も獲得したから,釈尊はもう涅槃に入るべきだ,
ということである。それに対して釈尊は,次のように言う。
101:吾輩は名無しである
20/08/09 02:27:29.55 FymtNR+g.net
ここドストエフスキースレッドだよ
102:吾輩は名無しである
20/08/09 02:32:52.22 gmkRWuMw.net
悪しき者よ。汝は心あせるな。久しからずして修行完成者のニルヴ
ァーナが起るであろう。今から三ヶ月過ぎて後に修行完成者は亡くな
るであろう。
この釈尊と悪魔との対話では次のことが明らかになってくる。
①釈尊は成道後,何度も悪魔から,すぐに涅槃に入るようにとの誘いを
受けていた。
②悪魔のこういう誘惑に対して釈尊は,出家・在家の違いを問わず,自
分の弟子たちが釈尊の教えを完全に悟り,思うままに教えを語り,論敵を
打破する能力を持つまでは,涅槃に入らない,という誓いを建てていた。
---------------------------
③釈尊は,悪魔に対する最終的勝利の証しとして,すなわち大般涅槃を
得ることの自分への条件として,三ヶ月後の入滅を宣言したのである。
-----------------------------
④この悪魔は,釈尊の成道と仏道の興隆を妨げるエネルギーであるとい
うことを考えると,おそらく,釈尊の中の死への願望であろうと考えられ
る。
------------------------------
ということは,悪魔に勧められてすぐに涅槃に入ることは,煩悩に敗
北したことになり,釈尊の一生の求道の生活を否定してしまうことになる
のである。
逆に自分の入滅の時を自分で選ぶことは,煩悩との戦いの最終
的勝利となるわけである。
------------------------------
しかしどうして「三ヶ月」なのか,それにはアーナンダの正覚が関係し
ていると推測されるのである。
4
103:吾輩は名無しである
20/08/09 02:38:05.99 gmkRWuMw.net
「南伝大般涅槃経」によれば
釈尊は悪魔に三ヶ月後の入滅を宣
言した後,(寿命の素因)を捨てられる。
これは,今後生き続けるための業因を抹消された,ということである。
すると大地震が起
こるが,驚くアーナンダに対して説法をしたあと,悪魔との対話について
語り,その終わりに,自分が三ヶ月後に入滅することを宣言したことを告
げる。
さらに「アーナンダよ。そうしていま,チャーパーラ霊樹のもとに
おいて,今日,修行を完成した方は,念じ,よく気をつけて,寿命の素因
を捨て去ったのである」と言う。
104:吾輩は名無しである
20/08/09 02:41:10.45 gmkRWuMw.net
それに対してアーナンダは釈尊に,「尊い方よ。先生はどうか寿命のあ
る限りこの世に留まってください。幸いな方は寿命のある限りこの世にと
どまってください。─多くの人々の利益のために,多くの人々の幸福の
ために,世間の人々をあわれむために,神々と人間との利益のため,幸福
のために」と,延命を懇請する。
しかし釈尊は「アーナンダよ。いまはお止めなさい。修行完成者に懇請し
てはいけない。いまは修行完成者に懇請すべき時ではない」と言って延命
を拒絶する。
105:吾輩は名無しである
20/08/09 02:46:56.98 gmkRWuMw.net
二回目の懇請も断り,三回目の懇請に対して,「お前はなぜ,三度
までも修行完成者を悩ますのか」と聞く。
アーナンダは次のように答える。
尊い方よ,私はこのことばを、尊師の面前でお聞きし、まのあたりに
体得しました。
─アーナンダよ,誰であろうとも,四つの不思議
な霊力を修し,大いに修し,( くびきを結びつけられた)車のように修し,
家の礎のようにしっかりと堅固にし,実行し,完全に積み重ね,みご
とに成し遂げた人は,望むがままに,寿命のある限り,あるいはそれ
よりも長い間にも留まることができるであろう。……> と。
このことばに対して釈尊が「アーナンダよ。お前はそのことを信じます
か?」と聞くと,アーナンダは「はい,尊い方よ」と答える。すると釈尊
は次のように言う。
106:吾輩は名無しである
20/08/09 02:54:23.03 gmkRWuMw.net
それならば,アーナンダよ,これはお前の罪である。お前の過失で
ある。─修行完成者がこのようにあらわにほのめかされ,あらわに
明示されたけれども,お前は洞察することができなくて,尊師に対し
て「尊師はどうか寿命のある限り,この世に留まってください。
……」と言わなかったのは。もしもお前が修行完成者に懇請したなら
ば,修行完成者はお前の二度にわたる懇請のことばを退けたかも知れ
ないが,しかし三度まで言ったならば,それを承認したであろう。そ
れだから,アーナンダよ,これはお前の罪である。お前の過失である。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
107:吾輩は名無しである
20/08/09 02:56:46.07 gmkRWuMw.net
それから釈尊は,過去16回にわたって,様々なところで同じように延命
の可能性をほのめかされたにもかかわらず,アーナンダが釈尊に延命を懇
請しなかったことを挙げ連ね,
「これはお前の罪である。お前の過失である」とアーナンダを叱責し続ける。
まことに智慧と慈悲を体現した釈尊か
ら出た言葉としては信じがたいほど厳しい言葉が延々と続くのである。
しかし釈尊はその直後に次のように言う。
108:吾輩は名無しである
20/08/09 03:02:00.58 gmkRWuMw.net
しかしアーナンダよ。私はあらかじめこのように告げてはおかなか
ったか?
「愛しく気に入っているすべての人々とも,やがては,生
別し,死別し,(住むところを)異にするに至る」と。
アーナンダよ。生じ,存在し,つくられ,壊滅する性質のものが,壊滅しないように,
ということが,この世でどうしてあり得ようか。
(中略)寿命の素因
は捨てられた。修行完成者は断定的にこのことばを説かれた,『久し
からずして修行完成者は亡くなるであろう。これから三ヶ月過ぎた後
に,修行完成者は亡くなるであろう」と。
修行完成者が,生きのびた
いために,このことばを取り消す,と言うようなことはあり得ない。
109:吾輩は名無しである
20/08/09 09:38:24.22 gmkRWuMw.net
釈尊のアーナンダに対する厳しい叱責の言葉の意味について考え
てみる。
釈尊は「大悟したものは,もし望むなら自分の死期を延ばす力も
持っているのだよ」と,意味ありげな言葉を何度もアーナンダにほのめか
すが,後で釈尊自身が言うように,これは自分の教えとは矛盾した言葉で
ある。
しかしアーナンダは「心が悪魔に取りつかれていた」ために,釈尊
の言葉の意味がのみこめず,釈尊に延命を懇請しなかった。
ここで言う
「心が悪魔に取りつかれていた」というのは,煩悩の働きによって,釈尊
の言葉の意味を本当に理解できていなかった,という意味であろう。
アーナンダは25年にわたって釈尊の身辺の世話をし,すべての説法を聴いて釈
尊の言葉は覚えていたけれども,怠惰,我慢,我見などの煩悩に阻まれて,
釈尊の説法の真の意味を理解していなかった
110:吾輩は名無しである
20/08/09 09:43:23.09 gmkRWuMw.net
しかし釈尊が最終的に死を覚悟し,三ヶ月後の入滅を宣言した時,始め
て釈尊の言葉がアーナンダの心の奥底までとどいたのである。
それが,釈尊から(お前はそのことを信じますか)と聞かれた時に(はい,尊い方
よ)という言葉になって現れてくる。
釈尊が自分の教えと矛盾した延命の可能性をほのめかしたのは,アーナンダ
に釈尊の説法を聞くことの本当の意味を気付かせるためであった。
釈尊は自分のいのちの期間を限定することによって,アーナンダを正覚に導いたのである。
これ以後のアーナンダにとっては,それまでの釈尊の言葉を本当に理解
し,体得する時間であった。
クシナーラについて,釈尊は沙羅双樹のもと
に横になられるが,アーナンダは少し離れたところで泣いていた。
(ああ,私は,まだこれから学ばねばならぬ者であり,まだなすべきことがある。
ところが,私を憐れんでくださるわが師はお亡くなりになるのだろう)と
いう思いが心を占めていた。
釈尊はアーナンダを呼んで次
のように言う。
111:吾輩は名無しである
20/08/09 10:49:52.59 gmkRWuMw.net
やめよ。アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。私はあらかじめこのよ
うに説いたではないか,─すべての愛する者・好むものからも分か
れ,離れ,異なるに至るということを。
(中略)アーナンダよ。長い
間お前は,慈愛ある,ためをはかる,純一な,無量の,身と言葉と心
の行為によって,向上し来たれる人に仕えてくれた。アーナンダよ,
お前は善いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。速やかに汚れ
のないものとなるだろう。 (中村元訳)
------------------------------
やめよ、アーナンダ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。アーナンダよ、私は説いていたではないか。最愛で、いとしいすべてのものたちは、別れ離ればなれになり、別々になる存在ではないかと。生まれ、存在し、形成され、壊れていくもの、それを「ああ、壊れるなかれ」ということがどうして得られようか。そのようなことはあり得ないのだ。
アーナンダよ、汝は長い間、慈愛あり、利益あり、幸いあり、比較できない無量の身体と言葉と心の行いによって如来に仕えてくれた。アーナンダよ、汝は善い行いをした。精進することに専修せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。
(別訳 wikipedia より)
------------------------------
112:吾輩は名無しである
20/08/09 15:49:04.52 bEpxhHRu.net
創ーニャ、先生に買われて処女喪失
113:吾輩は名無しである
20/08/09 19:52:13.16 gmkRWuMw.net
ここで釈尊は,間もなく起こるアーナンダの成道を預言している。さらに
釈尊は他の修行僧たちに (アーナンダは賢者である)と言い,さらに次の
ようにアーナンダを誉める。
修行僧たちよ,アーナンダにはこのようにこの四つの不思議な珍し
い特徴がある。
修行僧たちよ。もしも修行僧の集いが,……乃至……
尼僧の集いが……乃至……在俗信者の集いが……乃至……在俗信女の
集いが,アーナンダに会うために近づいていくと,彼らは,会っただ
けで心が喜ばしくなる。
そこで,もしもアーナンダが説法するならば,
世法を聞いただけでも彼らに心が喜ばしくなる。
またもしアーナンダが沈黙しているならば,修行僧の集いは,彼を見ていて飽きることが
ない。
このように釈尊はアーナンダを,悟りを得た阿羅漢のように讃えている。
さらに釈尊は死後の遺体の処理の仕方をアーナンダに指示し(p.132),自
分の亡き後は,(私が説いた教えと私の制した戒律とが,私の死後にお前
たちの師となるのである)(p.135)というように,法の委嘱もしている。
これを見ても明らかなように,釈尊の死に至る3ヶ月間はアーナンダの成
道のためにとっておかれたものだと考えてよい。
114:吾輩は名無しである
20/08/09 19:58:50.23 gmkRWuMw.net
6.漢訳(大般涅槃経)の場合
ここで大乗の漢訳(大般涅槃経)(田上訳)に目を向けることにする。
南伝と漢訳の(大般涅槃経)とでは,その形態と成立背景が大きく異なる
が,ここで両者を比較対照する目的は,
釈尊が未信のものを仏智に導くた
めに入滅を遅らせ,未信のものに間もなく起こる釈尊の死を知らせること
によって,はじめて教えを未信のものの心の奥底まで浸透させる,
という構造を両者が共通して持っていることを示すためである。
115:吾輩は名無しである
20/08/09 20:04:55.18 gmkRWuMw.net
漢訳(大般涅槃経)で,南伝の釈尊とアーナンダの関係に相当するもの
は,釈尊とアジャセ王の関係である。
暴悪で父を殺し王位を簒奪した阿ジャ世王は,後悔のあまり発熱し,体中に
ひどい腫れ物をつくって苦しんだ。
母の韋提希が種々の薬で手当をしたが,腫れ物はますます増
えた。これは自分の悪業の報いであり,地獄に堕ちるのも間近だろう,と
思って悶々としていた。
そこへ6人の大臣が次々に現れて,自分たちの師
(六師外道)のところに行くように勧めるが,王は納得できない。最後に
釈尊の弟子であり名医である耆婆大臣が現れて,
(あなたは確かに罪を造
られましたが,心に深く悔いて,慚愧の気持ちをもっておられます。(中
略)悪行をしてもすぐに懺悔して,悔い改めて慚愧の気持ちを持ち,二度
と悪行をしない人がすぐれた智者だといわれています)
と言い,王に釈尊にお目にかかることを勧める。
釈尊のところへ行く途中,阿ジャ世は自分の悪行を恥じて,こんな罪深いものを
釈尊が会ってくださるだろうか,と言うと天空から声がして,釈尊の入滅の近いことを知らせ,
今釈尊に会わなければ阿ジャ世は必ず阿鼻地獄に堕ちて,救いに会うことは
ないだろう,と言う。
その声の主が,自分の父・頻婆沙羅王(びんばさらおう)だと知って,
阿ジャ世は悶絶する。
ここのところは,(南伝大般涅槃経)において,アー
ナンダが釈尊のニルヴァーナが近いことを知って,急に有学の自分に気付
き,嘆き悲しむのと対応している。
116:吾輩は名無しである
20/08/09 20:12:09.58 gmkRWuMw.net
引用者注:
>急に有学の自分に気付き,嘆き悲しむ
とは
(ああ,私は,まだこれから学ばねばならぬ者であり,まだなすべきことがある。
ところが,私を憐れんでくださるわが師はお亡くなりになるのだろう)
のこと。有学(うがく)とは一般的な(学が有る)という意味ではない。無学の反対。
学ぶことに満ちている! 我が師に聞きたいことだらけなのに!
117:吾輩は名無しである
20/08/09 20:16:33.87 ma50Fqi/.net
夏と言えばやはり罪と罰
118:吾輩は名無しである
20/08/09 20:19:43.94 gmkRWuMw.net
一方,漢訳では,釈尊はクシナーラの沙羅双樹の下で涅槃に入ろうとし
ているが,智慧の力で阿闍世の来訪を知り,
(いま暫くは私は阿闍世王の
ために妙寂に入る時を延ばし,この世間に留まることにしたい)という。
これは,南伝(小乗)において,釈尊が3ヶ月後の入
涅槃を宣言するのと軌を一にしている。カッサパ菩薩が
(世尊,本来ならば無数の人々のために留まっていただくべきはずなのに,
どうして一人阿闍世王だけのために留まられるのですか)と聞くと,
釈尊は次のように答
える。
119:吾輩は名無しである
20/08/10 02:50:49.79 X5JBKyrM.net
>>118
ドストスレでスレチ連投ですよ
それはそれとして、で? 何がいいたいの?
120:吾輩は名無しである
20/08/10 16:35:18.99 DI5IwK5+.net
「罪と罰」(新潮文庫)の上巻読破
名前の呼び方がコロコロ変わって少し混乱するところあり。
121:吾輩は名無しである
20/08/10 16:49:58.07 mjT4+wYM.net
>>120
皆が通る道ですね
122:吾輩は名無しである
20/08/10 17:26:12.09 by3IJaok.net
読破()
123:吾輩は名無しである
20/08/10 20:32:24 feXmgEbX.net
俺にとってのフョードルは、カミュが言うような
実存主義的な作家と言うよりも、白夜に代表されるような人情に溢れた、恋愛小説家なんだよな。
124:吾輩は名無しである
20/08/10 21:39:31.04 DvozCkIb.net
『ステパンチコヴォ村とその住人』を読めば喜劇作家でもあると分かる
文庫で全訳が出ていない作品だが、全集を探しても読むべきだ
125:吾輩は名無しである
20/08/10 21:46:57.92 DuPqFmCY.net
ギャグマンガ好きのオレからすると、ドストエフスキーの作品はギャグ小説のように思える。
オレのイチオシはマクシーモフ。
126:吾輩は名無しである
20/08/10 23:23:48.69 UQFxGtjE.net
>>124
未成年みたいに新潮が旧訳を文庫で出せばそこそこ売れそうな気がするがな
安岡治子あたりの古典新訳でもいいけど(亀山はやる気なさそう)
127:吾輩は名無しである
20/08/11 01:43:29.61 vZMZrCCx.net
>>118
カッサパ菩薩(迦葉)が
(世尊,本来ならば無数の人々のために留まっていただくべきはずなのに,
どうして一人阿闍世王だけのために留まられるのですか)と聞くと,
釈尊は次のように答
える。
----------------------------
カッサパ菩薩よ,ここにいる人々の中のだれ一人として,私が結局は
妙寂に入るだろうと言う者はいない。
阿闍生王だけがブッダは妙寂に
入ると思っているのだ。だから王は悶絶して地に倒れたのだ。
私が阿闍生王のために妙寂に入らないと言ったのは,このような裏の意味が
あったことを君は解っていない。
私が「……のため」と言っているのは,決まってすべての凡夫のためという意味である。
阿闍生王と言ったのは五つの重罪を犯した者という意味である。
また,「……のため」とはこの世間の生類のためという意味である。
私はこの世間以外の生類のために生きているのではない。大体,世間
を超えたところにいる者は生類ではないからだ。
阿闍生王と言ったのは煩悩を持っている者という意味でもある。
128:吾輩は名無しである
20/08/11 01:49:17.30 vZMZrCCx.net
ここで明らかなように,釈尊は阿闍世を救うことが全衆生を救う道を「開
く」ことだと見ている。
これは,南伝で釈尊が,出家・在家を問わず自分の
弟子のすべてが自分の教えを完全に悟るまではニルヴァーナに入らない,
と言っているのに対応している。
「阿闍世王だけがブッダは妙寂に入ると思っている」という言葉は南伝で,
アーナンダが始めて釈尊の死の近いことを痛切に知り,それがきっかけと
なって,釈尊の教えを始めて心から「信」じたのと軌を一にしている。
129:吾輩は名無しである
20/08/11 01:59:48.37 vZMZrCCx.net
大乗の(大般涅槃経)に話を戻すと,阿闍世は釈尊の月愛三昧(がつあいさんまい)と説法に
より身心ともに救われ,釈尊に対する「信」を告白する。
世尊,私は世間ではエーランダ毒樹の種子からはエーランダ毒樹が
生じることを見てきましたが,エーランダ毒樹から栴檀樹が生じたの
を見たことはありません。
ところがいまエーランダ毒樹から栴檀樹が生じたのを見ました。
つまりエーランダの種子とは私の身体です。
栴檀寿とは私の心の無根信,つまりブッダのたすけによって生じた,
それまでになかった私の信心です。
無根とは私はかつてブッダを崇敬す
ることも,教えを崇敬することも,そして修行者の集まりを崇敬する
こともまったくなかったことを言ったのです。
世尊,いまブッダに遇わなかったら,おそらく私は数え切れない年
月の間,地獄に堕ちて量り知れない苦しみを受けることになったでし
ょう。私はいまブッダを目のあたりにみることができて,そのおかげ
で量り知れない功徳を得ました。この功徳であらゆる人々がもってい
るのと同じ,煩悩にまみれた悪心を取り除くことができました。
130:吾輩は名無しである
20/08/11 02:01:03.42 vZMZrCCx.net
ここでは阿闍世が,清らかな「信心」を得て救われた喜びを表明してい
るが,南伝の方では,釈尊の厳しい叱責によって,始めて如来の言葉を本
当に「信」じたことに対応している。
131:吾輩は名無しである
20/08/11 02:04:26.23 vZMZrCCx.net
7.結 び
以上の議論をまとめると,(南伝大般涅槃経)において釈尊が自分の入
滅を(三ヶ月後)としたのは,アーナンダの成道と関わっている。釈尊は,
自分の弟子たちがすべて釈尊の教えを理解し,他人に説法したり異教異解
を論駁できる弁舌の能力を持つまではニルヴァーナに入らない,と誓って
いた。
80歳になり,自分の身体の衰えを感じていた釈尊にとって,唯一の
気がかりはアーナンダを成道に導くことであった。
アーナンダは25年も釈尊の身辺で仏の説法を聴いて記憶していたが,
説法の深い内容を理解していなかったのである。
132:吾輩は名無しである
20/08/11 02:05:57.98 vZMZrCCx.net
そこで釈尊はアーナンダに自分の死の近いことを知
らせ,それまで説法をぼんやり聞いていたことを厳しく叱り,法の心を本
当に(信)じるところまで導いたのである。
133:吾輩は名無しである
20/08/11 02:07:51.38 vZMZrCCx.net
大乗の(大般涅槃経)で
阿闍世王の救いが全衆生の救いの道となり,釈尊の悟りも完結したように,
(南伝大般涅槃経)では,アーナンダの成道があって始めて,私たち衆生
が成道できる道が開かれたと言っているのである。またこのことが釈尊の
大般涅槃の成就につながって行くわけである。
134:吾輩は名無しである
20/08/11 02:11:49.36 vZMZrCCx.net
以上
新 井 俊 一
(相 愛 大 学)による
日本佛教學會年報 第76号 掲載
『大般涅槃経』(南伝)における釈尊「三ヶ月後の入滅」の意味
------------------------
ひじょうに重大な意味を含む論文と思い全文を紹介した。
135:吾輩は名無しである
20/08/11 09:33:25 mBTkvzT9.net
新井俊一さんも災難だな、こんな創価のクズに絡まれて。
本人にメールしておいたわ。
著作権侵害でお前有罪だよ。
前科者認定。クズの創価。
136:吾輩は名無しである
20/08/11 12:43:08 v8ZwXl3h.net
阿闍世王については、親鸞も日蓮も論じているが、両者の違い、その宗教家としてのレベルの差が非常によくわかる
親鸞のすごさ、日蓮のアホぶりがよくわかる
137:吾輩は名無しである
20/08/11 12:57:11 OX53dY3x.net
>>136
親鸞と日蓮はホモだったのだよ。
男根をしゃぶるのが上手だった。
おまえは少し勉強不足。
138:吾輩は名無しである
20/08/11 13:00:54 Nu1zTNob.net
>>137
お前はバカかw
親鸞と日蓮なんぞハリストスのブロージョブに比べれば素人同然というのが通説だろ。
宗教史を学び直せw
139:吾輩は名無しである
20/08/11 13:20:39 8zgxchP3.net
マグダラのマリアとナザレのイエスは同一人物であると最新の研究で判明してる。
これは近年公開された映画「堕・淫痴・行動」でも緻密に描写されており、バ痴漢の性職者からも多大な支持を得ている。
140:吾輩は名無しである
20/08/11 13:40:11 G4z2i8e4.net
なぜ仏教おたくがドストスレにいつくのか
141:吾輩は名無しである
20/08/11 14:03:00 CT6C6ETz.net
>>140
本人は自身の頭脳に対する自信を持っていないので、彼が賢いと見込んでいるドストエフスキーの愛読者から認められたがっていると考えられる。
それゆえ仏教(らしきもの)についての知識を衒っているのだろう。こういうのはカルトやアムウェイの信者にしばしば見られる心理だと思われる。
142:吾輩は名無しである
20/08/12 01:50:19.25 ht7qSt9r.net
ドストエフスキーを読んでいるとよく思うことがある
ある場面での言葉の不思議さを感じる
同じ言葉が発せられた場合、自分の口からでるのか他人の言葉からでるのかによって価値が変わってしまうことがある
これらの現象をなんと名づけたれいいのだろうか
オレはバカだから、と自分で言うとなんともない
お前はバカだから、と他人の口から言われると考えてしまう
意味が、価値が変わってしまう
イワンとアリョーシャの会話でそう思った
イワンは、オレは殺していない、という
アリョーシャがそこで、あなたは殺していない、という
イワンは殺していないとアリョーシャに言ってもらったのにムキになって言い返してしまう
だからオレは殺していないと言っているじゃないか、と
変わるどころか反転している
同じ言葉でも他人の口から発せられる場合は意味と価値がかわるらしい
ならばキリストが発する言葉はどうなのか
まったく同じことを言ったとしても、キリストから発せられた言葉は同じ意味や価値を持たないだろう
だから真理は邂逅と言われるのかもしれない
生き言葉は存在と関係しているのかもしれない
143:吾輩は名無しである
20/08/12 02:04:22.67 xkHaHQ2T.net
>>96
> かれは,もしも望むならば,寿命のある限りこの世に留まるであろうし,ある
> いはそれよりも長い間でも留まることができるであろう。
>
> 「南伝大般涅槃経」は,釈尊がこのように延命の可能性をほのめかされ
> たにもかかわらず,
>
> アーナンダが尊師に対して
「尊い方よ,尊師はどうか> 寿命のある限り,この世に留まってください。
(中略)多くの人々のため
> に,多くの人々の幸福のために,世間の人々をあわれむために,神々と
> 人々との利益のために,幸福のために」
と延命を懇請しなかった,と言い,
>それは,彼の心が悪魔に取りつかれていたからである」と言っている
144:吾輩は名無しである
20/08/12 02:12:40.57 xkHaHQ2T.net
>>143
先生は,もしも望むならば,寿命のある限りこの世に留まるであろうし,ある
いはそれよりも長い間でも留まることができるであろう。
先生がこのように延命の可能性をほのめかされたにもかかわらず,
僕が先生に対して
「尊い方よ,尊師はどうか 寿命のある限り,この世に留まってください。
(中略)多くの人々のため に,多くの人々の幸福のために,世間の人々をあわれむために,神々と
人々との利益のために,幸福のために」
と延命を懇請しなかった。
それは,僕の心が悪魔に取りつかれていたからであるのか。
145:吾輩は名無しである
20/08/12 02:51:36.47 xkHaHQ2T.net
先生の僕に対する厳しい叱責の言葉の意味について考えてみる。
先生は「大悟したものは,もし望むなら自分の死期を延ばす力も
持っているのだよ」と,意味ありげな言葉を何度も僕にほのめか
すが,後で先生自身が言うように,これは自分の教えとは矛盾し
た言葉である。
しかし僕は「心が悪魔に取りつかれていた」ために,先生
の言葉の意味がのみこめず,先生に延命を懇請しなかった。
ここで言う「心が悪魔に取りつかれていた」というのは,煩悩の働きによって,
先生の言葉の意味を本当に理解できていなかった,という意味であろう。
僕は30年にわたって先生の身辺におり,すべての説法を聴いて先生の言葉は
覚えていたけれども,怠惰,我慢,我見などの煩悩に阻まれて,
先生の説法の真の意味を理解していなかった
しかし先生が最終的に死を覚悟し,三ヶ月後の入滅を宣言した時,始め
て先生の言葉が僕の心の奥底までとどいたのである。
それが,先生から(お前はそのことを信じますか)と聞かれた時に(はい,尊い方
よ)という言葉になって現れてくる。
先生が自分の教えと矛盾した延命の可能性をほのめかしたのは,僕
に先生の説法を聞くことの本当の意味を気付かせるためであった。
先生は自分のいのちの期間を限定することによって,僕を正覚に導いたのである。
これ以後の僕にとっては,それまでの先生の言葉を本当に理解
し,体得する時間であった。
146:吾輩は名無しである
20/08/12 11:03:29.51 4LodTw5c.net
以上、隔離精神病棟からの報告でした
147:吾輩は名無しである
20/08/12 14:46:50 9E5mlyZD.net
しゃぶってやれ
148:吾輩は名無しである
20/08/12 15:00:18 o+fmwGfW.net
俺今までトルストイを読んだことがなかったのね。
それで読む気になって人生の道、戦争と平和、アンナ・カレーニナ、復活を中古で入手したわけ。
そこで気が付いたんだけど、
何と言ってもイエス・キリストじゃん。
トルストイ、ドストエフスキーといったら。
それで今ヨハネによる福音書を中古で買ったんで、
これから読むことにしました。
149:吾輩は名無しである
20/08/12 15:02:08 bKonIy3L.net
ドスト好きにトルストイってはまるん?
真面目で固いって印象ある
150:吾輩は名無しである
20/08/12 15:06:43 9E5mlyZD.net
ヨハネだけ単品で買ったってことは聖書翻訳委員会訳やね?
ええ選択や! 新共同訳なんか読んだらアカン
151:吾輩は名無しである
20/08/12 15:13:04.02 o+fmwGfW.net
>>150
ありがとうございます。
新共同訳ってよくないんですか?
>>149
俺に聞いてなさそうだけど、
ドストエフスキーがアンナ・カレーニナを完璧と絶賛したり、
原稿料が俺の2倍と嘆いていたそうですよ。
152:吾輩は名無しである
20/08/12 15:17:49.17 9E5mlyZD.net
>>151
ここの創価学会員みたいに
くっさいくっさい悪魔崇拝者の2大派閥が協力して訳してるんやからウンコや
153:吾輩は名無しである
20/08/12 17:13:06.62 cW8AjDkF.net
>>149
やっぱり同じロシア人作家なので似ていると思いまます
物語が似ているというわけではなくて、ロシア人が考える善人とか悪人の考え方はなんとなく似ているように思いました
オススメは復活です
トルストイだけど物語が簡単で分かりやすくて面白いですよ
ドストエフスキーがいう善の人はアリョーシャ、ソーニャ、ムイシュキンになりますが、
トルストイの思う善の人は、復活のネフリュードフ、アンカレではリョーヴィン、戦争と平和ならアンドレとかかな
トルストイの書く善の人は素朴な人が多い
というか素朴さが大切なんだとだんだん思い出していく人が人が善であるように書かれている気がします
アンカレなんかはリョーヴィンがすごく良かった
神なんていないよ、から始める人がだんだんと人と繋がっていくことで認識が変わっていく感じが好きでした
154:吾輩は名無しである
20/08/12 18:29:35.92 D5Sxbwyi.net
いやドストエフスキーとトルストイを両方評価するのはあり得ないって有名な話でね
あれは誰が言ったんだっけ?
ナボコフだったかな
ドストエフスキーを評価するならトルストイが評価できるわけないし
トルストイを評価するならドストエフスキーが評価できるわけない
両方好きだなんてのはぬるい読み方してるからだと
155:吾輩は名無しである
20/08/12 20:05:48.86 cW8AjDkF.net
なぜに?
156:吾輩は名無しである
20/08/12 20:11:03.08 o+fmwGfW.net
>>152
そこまでとは知りませんでした。
あなおそロシア。
俺が買ったのは個人訳で日本基督教団出版局からのものです。
今ホームページを見たらだいじょうぶそうなんですが。
157:吾輩は名無しである
20/08/12 20:47:33.79 PVcmDHbB.net
>>154
ナボコフは大のドスト嫌いというのを加味しないといけない
原文だとトルストイは流麗でドストエフスキーはごちゃごちゃして悪文と言ってもいい位の荒削りな感じがお気に召さなかったみたい
でもナボコフ自身の小説はロリータといい青白い炎といい偏執的な異常者が堕落していく話でドストに近いんだよな
158:吾輩は名無しである
20/08/13 07:05:37 lnKGrwy9.net
>>156
そいつは正統派の信者ではありません
159:吾輩は名無しである
20/08/13 07:08:52 lnKGrwy9.net
あいかわらず荒らしが多いな
誰とは言わないけど
160:吾輩は名無しである
20/08/13 09:37:05 6BTwOW9e.net
>>158
パチものをつかまされちゃったんですかねぇ。
ま、いいや。それでは岩波のヨハネ文書を買おうと思うのですがどうでしょう。
161:吾輩は名無しである
20/08/13 09:42:42 lnKGrwy9.net
>>160
いいえ日基なら問題ありません
>>152の人が異端だと言ったんです(イタンだとイッタンです)←ギャグ
162:吾輩は名無しである
20/08/13 10:46:04 z6bcmlg8.net
>>160
素人は最新の新共同訳買ってれば間違いないよ
2018年版
岩波の聖書翻訳委員会訳は最悪の選択だよ
田川健三が口を極めて批判している
おれは田川訳と新共同訳と文語訳を併用してるけど
たいていは新共同訳でこと足りる
163:吾輩は名無しである
20/08/13 11:40:00 RtqeIRMc.net
田川って狂犬みたいに批判し回ってるよな。とくに彼は荒井献を嫌ってるのか、異様に叩きまくってる。
164:吾輩は名無しである
20/08/13 13:24:21.03 4UqqrI9x.net
>>161
どうもありがとうございます。
安心しました。
正直いって誰を信じていいのかわかりかねるのですが、
ギャグが秀逸なので信じるに足る方かと。
>>162
どうもありがとうございます。
いずれ最新の新共同訳も読みます。
しかしとっくに聖書にふれている方が多くて感心しました。
でも仏教よりはシンプルなんじゃないですか?
仏教に興味を持ってもどこから入っていいか途方に暮れそうですから。
165:吾輩は名無しである
20/08/13 14:40:26.32 R6KUCUn6.net
ドストエフスキーとトルストイのキリスト教はまるで違う
トルストイは、三位一体を認めないユニテリアンだし、イエスの復活も信じない、イエスの再臨、最後に審判も信じない
ルター以上の合理主義者であり、ドストエフスキーとは全く違う
ドストエフスキーは、教義批判を小説の中で主題のように扱うが、トルストイはしない
だから小説を読むと、トルストイはあまり神学や教義に精しくないのではないかと思ってしまうが、全く逆で論文の方を読むとトルストイの方が断然精しい
両者の一番の違いは、ドストエフスキーが非常にイデオロギー的なのに対し、トルストイの方は実生活、実社会、自分の人生の中のキリスト教(正教)を問題にしているところである
トルストイの宗教観を知るには
『懺悔』 『教義神学の批判』 『わが信仰はいずれにありや』 『神の王国は汝らのうちにあり』 『要約福音書』が必読だが、『懺悔』以外は全集でしか読めないので図書館で借りるべし
166:吾輩は名無しである
20/08/13 23:52:05.16 3qnt2p+F.net
トルストイなら『戦争と平和』、ドストエフスキーなら『未成年』を断固賞賛する
167:吾輩は名無しである
20/08/14 01:58:46.77 TxVQDTVC.net
三位一体は否定していただろうけど、復活や審判を信じていなかったかどうかには疑問です
トルストイは古代キリスト教を目指していたと思われます
「光あるうちに光の中を歩め」とかが彼の信仰告白なんだと俺は思っています
>>166
トルストイもドストエフスキーも民話も結構いいもんっすよ
168:吾輩は名無しである
20/08/14 02:18:24.01 TxVQDTVC.net
ローマ教皇、香港問題で中国配慮か 講話変更に疑念拡大
URLリンク(www.google.co.jp)
169:吾輩は名無しである
20/08/14 02:21:03.27 TxVQDTVC.net
URLリンク(www.jiji.com)
170:吾輩は名無しである
20/08/15 02:38:39 YtUhT8+R.net
自己のなかでわたしはもう一人の自分と対話する
時に自分の中でさえ内的対話は私を反駁させたり圧倒する
この終わることなき自己論争が自意識になる
だけどこの自意識から解放する方法がある
悪しき連載は、外部から他者が内的対話に介入してきてきて内なる対話と同意を結ぶことになる
自意識の主人公はそれを拒否したんだと思います
自意識の彼は内的対話が多くを占めている
他者の介入を許さなかった……
などとそういう心理的側面からよんでも地下室は面白かったりもするとふと思いました
171:吾輩は名無しである
20/08/15 16:40:22.94 wqX0a6aS.net
>>167
たしかに。
トルストイは聖書の不合理なところは信じていないと思うが、復活も信じないとなると、それはキリスト教か? と思っちゃうね。
172:吾輩は名無しである
20/08/16 12:39:59.59 4Db9KhDZ.net
トルストイにとってはキリストの教えが重要なんであって復活したかしてないかはどうでもいい
173:吾輩は名無しである
20/08/16 13:17:44.66 oCYXN8gY.net
「三位一体」こそキリスト教の核心で、これの否定は、イエスの神性の否定であり、死後に復活したり、最後の審判のときに再臨するなどありえない
トルストイの『要約福音書』は、十字架上でぶどう酒で口の渇きを癒して死ぬ場面で終わる
荒野の40日間の悪魔との戦いも、自分の肉の声との戦いと解釈し、ユダヤ人との討論もロシア正教徒との論争に変更している
宣教師ニコライは、福沢諭吉を無神論者といって厳しく批判しているが、福沢はユニテリアンと関係が深く、慶応義塾の教師はユニテリアンを採用、明治政府もフェノロサをはじめ、ユニテリアンを多く採用した
それは近代化を目指す日本にとって、なるべく宗教的でない西洋人が必要であったため、理神論的なユニテリアンになったのである
174:吾輩は名無しである
20/08/16 14:44:07.93 oCYXN8gY.net
『宣教師ニコライと明治日本』中村健之介著より
内村鑑三について
宗教思想家としての内村については、ドストエフスキーやその若い友人の宗教哲学者ヴラジーミル・ソロヴィヨーフとの関連にも目をむける必要がある。
内村のキリスト再臨の信仰や、神のはからいとしての世界史の見方は、その内奥にはキリスト教の神秘主義を含んでおり、
それはドストエフスキーやソロヴィヨーフが生々しいヴィジョンとして抱いていたものであった。
内村自信、ロシアの思想家への共感を語り、ロシアの思想家にはヨーロッパ人の理性とは違う「アジア人の情性」がある、
「ロシア人の思想が日本人に了解せられやすきはすなわちこのゆえんである。
キリストの再臨につき最も深き印象を余に与えた者も、同じくロシア人たるウラジミール・ソロヴィエフであった」と告白している。
また内村の1922年の日記には、チュービンゲン大学のハイム博士と会ったが、博士が「キリスト再臨信者であるのに、余は深く驚いた。
博士は、同信仰の士としてドストエフスキー、メレンコフスキーらの大家を挙げた。実に愉快の至りである」と書いている。
北大図書館蔵の内村文庫の一冊にアルセーニエフ著『神秘主義と東方教会』の英訳がある。
アルセーニエフがドストエフスキーについて書いている個所には例外なく太いアンダーラインが引かれて、
例えば『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の「兄弟たちよ、人間の悪意を恐れてはならぬ」ということばには、
「無政府主義者に対しても」という書き込みがなされている。
トルストイについて
ニコライは正教を非難する者に対しては例外なく闘う姿勢をとる。
「ヤースナヤの聖者」と呼ばれて日本でも尊敬されていたレフ・トルストイでさえ、正教会を攻撃した以上は、ニコライにとっては敵である。
1901年に正教会はトルストイを破門するが、それ以前からニコライはかれを敵視していた。
「トルストイ伯爵は、最も下劣なプロテスタントだ」(1887年1月10日)
「キシニョフで民衆がユダヤ人に対して起こした暴動に関してトルストイが手紙を書いた。
今朝それを読んでむっときた。この破門された不信心者は、まるで獰猛な犬のように、どんなきっかけも見逃すことなく、自国の政府と聖職者に吠えかかる」(1903年7月11日)
175:吾輩は名無しである
20/08/16 22:04:30.98 Idc4MfdK.net
まあ、三位一体を否定するとほぼ異端扱いなんだけどね
単なる預言者を唯一絶対神と同等に扱うのでこういう事になる
しかし、この神人による最終審判がなければ
旧約のヨブ記のような世界になり
別にキリスト教である必要もなくなる
というか、新約の予定説では救済はもちろん
死後復活の可能性すら怪しい者でも
被造者ゆえに信仰すべきなのだと説いているわけだ
この後者にとっては最終審判の意味はない
とうぜんイエス復活と再降臨がなくともかまわないわけだ
そういう無茶な理屈が教義に組み込まれている
176:吾輩は名無しである
20/08/16 22:06:34.11 Idc4MfdK.net
というか全人類を再生族とその他に二分するのはインド思想だな
177:吾輩は名無しである
20/08/16 22:11:59.64 viQ+rPgn.net
トルストイはキリストの神性を否定したわけではないと思います
自然な流れとしてそうなったにすぎないということです
イエスの教え(福音書)より上に教義を置こうとすることを否定しなければならない時、論理的にキリスト教を否定せざるを得なくなる
教義が組織をつくっているのだから、組織は教義を捨てることはできない
トルストイはイエスの教え(福音書)こそを優先するのだから反組織(反正教会)となるしか方法はない
要約福音書で彼は最後にこう述べます(70年代の言葉なので俺が勝手に現代言葉に変えているので注意して下さい)
「肝心なのは、イエスが神でなかったこと、従って彼の教えが神の教えでなかったことを立証するということではなく、また彼がカトリック教徒でなかったことを立証するということでもなくて、
この教えの説法者を世の人々が神と認め、今なお認めつつあるほどに、世の人々にとって祟高であり貴重であるこの教えが、どういう内容から成り立っているかということを、完全に混じり気のない姿において理解するかということーー肝心なのはまさにこのことである。」
三位一体の考え方はキリスト教の基礎だから、こういう言い方をされれば正教会は黙っていないわけです
だけどキリストの神性をトルストイは否定したわけではないと思います
トルストイがもっとも言いたかったことは、キリスト者はまず地上にいる間にイエスが語った言葉を考えていかなければならないこと、それをまずは優先しようね、みたいなことだと俺は思っています
それを否定の言葉と受け取ってしまう教会は自ら教義に固執し過ぎているのだと思いますが、同じ理由から、組織なのだから仕方のないことでもあるとも思います
教義なくして組織は存在し得ないからです
178:吾輩は名無しである
20/08/16 22:33:17 Z6yzzdD2.net
読んでよかったと思えるレスをありがとうございます。
俺はぜんぜんくわしくないから書きにくいけど、
ゾシマ長老やアリョーシャのイエスと、トルストイのイエスは同じに感じるなぁ。
179:吾輩は名無しである
20/08/16 22:43:28.77 W2iw+8f9.net
キリスト教の兄ちゃんは5chというウンコ置き場の良心だからね。
180:吾輩は名無しである
20/08/16 22:50:53.89 C2ArZt26.net
カラマーゾフで思うことのうちのひとつは、
ゾシマ長老が責任ある立場の修道院にパイーシーがいて、
それなりに敬虔な農民がたまたま彼に遭遇しちゃって、
パイーシーの言うことを真に受けてしまうくだりはどうなんだろう?ということ。
ゾシマ長老とアリョーシャにはどうしても期待してしまうので、
一般にはありがちなこととは思いながらもつい不満に。
181:吾輩は名無しである
20/08/16 23:00:40.68 C2ArZt26.net
そもそも三位一体ってキリスト自らが言ったわけじゃないんでしょ?
だったら却下でいいと思うけどなぁ?
182:吾輩は名無しである
20/08/16 23:23:02.57 viQ+rPgn.net
>>181
何という単語だったかは忘れたけどギリシャ語の中に「王は書かない」という言葉があります
これはある意味でこの世の真理なのです
王は書かない
ただ書かれるのみである
この場合言えることは一国の王という意味ではありません
人類の王、この世の王、という意味です
ダビデやカエサルでさえ王ではありません
ダビデやカエサルの王という意味です
つまり本人は語ることで語られた人々がかたち作っていくということです
本人はなにも書かないのです
例えばソクラテスなんかも何も書くことはありませんでした
プラトンやまわりにいた人が、彼はこう言っていた、と書かれるのみになります
ナザレのイエスもまたそうです
使徒たちが、イエスはこう言われた、と書かれるだけであり本人は何も書き記さないのです
王は書かない
書かれるのみになる
だから三位一体はイエスが書いたことではなくても書かれている以上は真理となり得ます
だから、本人が書かなかったこと=違う、とは言い切れないのです
そもそも王は書かないのですから
183:吾輩は名無しである
20/08/16 23:24:34.55 7MjHNhmv.net
聖書からは三位一体は出てこないね
公会議で決めただけだから
だから聖書重視のファンダメンタリストは
三位一体を否定する
184:吾輩は名無しである
20/08/16 23:51:09.35 7MjHNhmv.net
>>182
イエス自身が聖書を書いてないことをそんなに力説してなんか意味あるの?
そんなこと誰でも知ってることだと思うが
>>181はイエスが三位一体を話したかどうかを問題にしている
そして聖書を読めば誰でも分かるようにイエスは三位一体を説いていない
三位一体を言いだしたのは2世紀ごろの教父たちであってイエスではない
185:吾輩は名無しである
20/08/16 23:56:28.96 viQ+rPgn.net
三位一体を論理で正確に理解することは難しいです
というか不可能に等しい
神は唯一である、がある以上どうしても三者が一体であるという根拠を示すと脆弱になってしまう
イザヤ書6:3の「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」という天使の声が三者をあらわしているという考え方が伝統的な根拠とされていますが、論理として立証するまでにはまだ弱いようです
ドストエフスキーはあまり踏みこんではいないようです
というか踏み込めば失敗に終わるのがオチとわかってイタnかもしれません
三位一体は理論ではなく信仰の範疇になるようです
186:吾輩は名無しである
20/08/17 00:31:07.78 4nFGSSzX.net
>>184
あまり意味はなかったです
187:吾輩は名無しである
20/08/17 00:47:45.93 4nFGSSzX.net
ドストエフスキーにとってキリストは神なんだろうと思う
トルストイにとっては神の子になるのかな
そう考えると物語の根底にある概念がそもそも違うのだから、ドストエフスキーとトルストイはナボコフの言う通り全然違うのかもしれない
188:181
20/08/17 02:46:49 gyrgHDky.net
>>182
キリスト教、そして三位一体を信じているんですね。
イワンがトルコの幼児虐待の話をした時、
アリョーシャは態度でははっきり否定したものの、言葉にはすることができなかった。
それでいいのだと思います。
失礼ながら王は語らないというくだりは、
読んで興味深くはありますが、
今回の説明にはちょっと違うかなと思いました。
乱暴ですみません。
トルストイもドストエフスキーも、
それこそキリストへの理解がすべてのなかで最も重要だとしていると見えます。
この2人にとっても生まれる千数百年前からキリスト教、三位一体はあったわけです。
とはいえ納得できない、信じられないところがある。
そこは自分より先に生まれた人間が大きくゆがめてしまったと思わざるを得ない。
その部分を取り除くことにより正しくキリストと生きることができる。
トルストイが要約福音書を編んだのはそうした意図があってのことなのでしょう。
そしてロシア正教から破門になったと。
すみません俺、この本読まずに書いています。
189:188
20/08/17 09:02:08.93 VlAQkG93.net
>>182
乱暴ですみません。と書きましたが、
われながらあんまりよくないなと思うところがありますので、
夜までに書き直します。
もっとも大したことではなくて、少し説明になっていればいいなという程度です。
190:吾輩は名無しである
20/08/17 09:18:19.39 HICB2myC.net
>>187
> ドストエフスキーにとってキリストは神なんだろうと思う
> トルストイにとっては神の子になるのかな
これもいい意見だと思います。
ほかの方も知識がありますね。
読んでためになりました。
俺は今日からヨハネによる福音書を読むんで。
そのうち仏教も学ぶつもりです。最初はスッタニパータでいいのかな?
191:吾輩は名無しである
20/08/17 09:23:14.13 Dqt38Tn4.net
だめです。
ヨハネによる福音書ではなくヨハネのアポクリュフォンを読みなさい。
スッタニパータではなく人間革命を読みなさい。
192:吾輩は名無しである
20/08/17 09:26:38.11 HICB2myC.net
なんだ、いたのー?
193:吾輩は名無しである
20/08/17 10:03:30.00 Dqt38Tn4.net
なんでもいいから入信しろタコw
194:吾輩は名無しである
20/08/18 01:44:01.09 0WZ+QI4G.net
>>188
そうなんすよね
トルストイは何年もたって作られたキリスト教ではなくてイエスが生きていた当時に戻りたかったのかもしれません
それが要約福音書なんだと思っています
ただそれだけ、原点回帰したかっただけなんだと思います
言葉が足りませんでした
>>181に答えるならば、俺も個人的にはイエスが言わなかったことは却下でいいと思っています
本人が何と言っていたのかを問題とすべきだとも正直には思っています
ただ王は書かないと言ったのは。
どっちにしろ本人は書かなくて記録されるしかないので、
「される」という客観になるしか方法がなくなってしまうそうすると「本人以外からどう見えてたのか」が問題になるので、自らが言ったのか言わなかったのかは2次的なものになってしまう、結局は三位一体を言ったかどうかより、三位一体みたいな行動をとっていたのかどうかが問題となる、みたいなことが言いたかったのです
>>190
ドストエフスキーは四福音書の中でもヨハネを基礎として書いていたと思いますので、ヨハネを読んでみるのはいいと思います
魂の不滅をテーマにしているのは福音書の中でもヨハネが色濃くなっていると思います
あとそういう理由(トルストイのように原点に帰ることが必要)という意味でもし仏教に興味があるのならばそれでいいと思います
サンスクリット啓典が仏教の原点なので、釈迦が何と言っていたのかを問題とすべきだと思っています
195:吾輩は名無しである
20/08/18 02:01:19.87 0WZ+QI4G.net
歴史を知っている現代からすると三位一体はグノーシスに対抗するキリスト教の策だったとも言われています
グノーシスは本当の神がいて、悪ばかりある世界にためにイエスはその本当の神が遣わした子であったと主張したみたいです
キリスト教会はイエスをグノーシスに取られてしまうことを恐れて三位一体を考えだしイエスを三位一体の神(本人の神なんていない)とした、なんて言われたりもしています
結局はナザレのイエスの争奪戦でしかない、という見方をする神学者もいました
俺たちの神の子だよ、お前の神の子じゃないよ、みたいな
三位一体にして聖書の神と同一にしたかったようです
こういう考え方はあまりオススメできませんが、悪がありすぎるために、みたいな話があると俺は「なぜ世界は悪ばかりなのか」とアリョーシャに詰め寄ったイワンをもい出すし、それを書いたドストエフスキーを思い出さずにはいられません
196:189
20/08/18 05:20:55.88 CSKG4S/Q.net
>>194
書き直さなくてはいけないなと思った理由として、
今回の説明にはちょっと違うかなと思いました。
と書いておいてその理由を書かなかったことについて、
第一に書くとレスが長くなり時間がかかってしまうのがめんどうだと思った。
第二に自分の知識のなさを露呈してしまうことを懸念した。
といったことが理由でした。
よいレスを書いてくれている方にこういった誠意のない態度は、
取るべきではないとの自責の念をぬぐえなかったからです。
いま念のためにソクラテスを検索してみたのですが、
釈迦、キリスト、孔子と並び四聖人(四聖)に数えられる。
とあり、「ひぇーっ、知らなかった。」とショックを受けています。
俺にとってはキリストと釈迦がツートップで、
ソクラテスと孔子は哲学者と思想家で、
2ランクくらい落ちる存在という認識だったからです。
無知ゆえにです。
世界は宗教や神が最も高い位置にあるというわけではないということでしょうか?
俺はあなたのレスのざっと半分以上は、
プレゼントだと受け止めています。
もちろんどのレスも俺のためだけに書いているわけではないとも思っていますが。
ですから非常に価値があると感謝しているのですが、
さらにこちらからのレスを書くのは、
日常的には時間と労力がかかって、というのが正直な気持ちです。
197:吾輩は名無しである
20/08/18 14:14:11.11 Q3Hacmv6.net
プレゼントをあげるわ、あなたに
🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩
198:吾輩は名無しである
20/08/18 23:45:20 WF0EBnAv.net
>>196
カラマーゾフ(大審問官)のテーマです
世は悪魔側にある、という見解は聖書的にもなにもおかしくないしドストエフスキーもそう書いています
世の権威と栄華を持っているのは神ではないようです
ルカ
4:5
それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて
4:6
言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。
4:7
それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。
4:8
イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
199:吾輩は名無しである
20/08/19 00:36:41.98 OHC3sQK1.net
ソウカ―ニャ「大地(大作)に接吻なさい。入信するのです」
200:吾輩は名無しである
20/08/19 02:05:52.65 0ZsjDf0z.net
キリスト教、正教会はギリシャ哲学の影響を受けています
ギリシャ哲学の基礎をつくったのはプラトン(ソクラテス)で彼の哲学の礎は未だに続いています
古代キリスト教の代表とも言えるアレクサンドリア派はギリシャ哲学をどう取り入れるのかを考えました
ソクラテスは言いました
まずは世界を2つに区別することができる
一つは、同一性をもっていて、常にある、ということ
もう一つは、同一性を持たずに、常にあることがない、ということ
前者は生成がなく変わらないもの
後者は生成して変化するもの
これらはキリスト教でいう霊と肉の関係にあたります
世界がなんらかものに創られたとするならば無秩序より秩序だってつくるはずである
そうならば、世界は前者の、変わらず常に同じものをモデルにするはずである
これは、キリスト教でいう神が自身の姿に似せて人間をつくった、と同じでです
ヘレニズム化したユダヤ文化が広がって行くなかで古代キリスト教会はその考え方を取り入れたとしています
ただしここで問題ができあがる
神をモデルにしてつくったはずなのに、世界には無秩序(悪)がありすぎる
そこでグノーシスはいう
つくったものが本当の神ではなかった
なので似せて創られた世界は完璧にならなかったので悪がこんなにも存在している
プラトンのティマイオスにデミウルゴスが出てきますが、グノーシス主義の基礎にもなっています
ここからは俺の超解釈ですが、
神は多くの種を地上に撒いていたのかもしれません
ギリシャ哲学もそうです
キリスト教が発展し知性や知恵を獲得するように多くの種をまかれた
その身をよく使うか悪くつかうかは自由意志にかかっています
この辺も大審問官で語られた石とパンの話です