ドストエフスキーPart51at BOOK
ドストエフスキーPart51 - 暇つぶし2ch150:吾輩は名無しである
20/08/12 15:06:43 9E5mlyZD.net
ヨハネだけ単品で買ったってことは聖書翻訳委員会訳やね?
ええ選択や! 新共同訳なんか読んだらアカン

151:吾輩は名無しである
20/08/12 15:13:04.02 o+fmwGfW.net
>>150
ありがとうございます。
新共同訳ってよくないんですか?
>>149
俺に聞いてなさそうだけど、
ドストエフスキーがアンナ・カレーニナを完璧と絶賛したり、
原稿料が俺の2倍と嘆いていたそうですよ。

152:吾輩は名無しである
20/08/12 15:17:49.17 9E5mlyZD.net
>>151
ここの創価学会員みたいに
くっさいくっさい悪魔崇拝者の2大派閥が協力して訳してるんやからウンコや

153:吾輩は名無しである
20/08/12 17:13:06.62 cW8AjDkF.net
>>149
やっぱり同じロシア人作家なので似ていると思いまます
物語が似ているというわけではなくて、ロシア人が考える善人とか悪人の考え方はなんとなく似ているように思いました
オススメは復活です
トルストイだけど物語が簡単で分かりやすくて面白いですよ
ドストエフスキーがいう善の人はアリョーシャ、ソーニャ、ムイシュキンになりますが、
トルストイの思う善の人は、復活のネフリュードフ、アンカレではリョーヴィン、戦争と平和ならアンドレとかかな
トルストイの書く善の人は素朴な人が多い
というか素朴さが大切なんだとだんだん思い出していく人が人が善であるように書かれている気がします
アンカレなんかはリョーヴィンがすごく良かった
神なんていないよ、から始める人がだんだんと人と繋がっていくことで認識が変わっていく感じが好きでした

154:吾輩は名無しである
20/08/12 18:29:35.92 D5Sxbwyi.net
いやドストエフスキーとトルストイを両方評価するのはあり得ないって有名な話でね
あれは誰が言ったんだっけ?
ナボコフだったかな
ドストエフスキーを評価するならトルストイが評価できるわけないし
トルストイを評価するならドストエフスキーが評価できるわけない
両方好きだなんてのはぬるい読み方してるからだと

155:吾輩は名無しである
20/08/12 20:05:48.86 cW8AjDkF.net
なぜに?

156:吾輩は名無しである
20/08/12 20:11:03.08 o+fmwGfW.net
>>152
そこまでとは知りませんでした。
あなおそロシア。
俺が買ったのは個人訳で日本基督教団出版局からのものです。
今ホームページを見たらだいじょうぶそうなんですが。

157:吾輩は名無しである
20/08/12 20:47:33.79 PVcmDHbB.net
>>154
ナボコフは大のドスト嫌いというのを加味しないといけない
原文だとトルストイは流麗でドストエフスキーはごちゃごちゃして悪文と言ってもいい位の荒削りな感じがお気に召さなかったみたい
でもナボコフ自身の小説はロリータといい青白い炎といい偏執的な異常者が堕落していく話でドストに近いんだよな

158:吾輩は名無しである
20/08/13 07:05:37 lnKGrwy9.net
>>156
そいつは正統派の信者ではありません

159:吾輩は名無しである
20/08/13 07:08:52 lnKGrwy9.net
あいかわらず荒らしが多いな
誰とは言わないけど

160:吾輩は名無しである
20/08/13 09:37:05 6BTwOW9e.net
>>158
パチものをつかまされちゃったんですかねぇ。
ま、いいや。それでは岩波のヨハネ文書を買おうと思うのですがどうでしょう。

161:吾輩は名無しである
20/08/13 09:42:42 lnKGrwy9.net
>>160
いいえ日基なら問題ありません
>>152の人が異端だと言ったんです(イタンだとイッタンです)←ギャグ

162:吾輩は名無しである
20/08/13 10:46:04 z6bcmlg8.net
>>160
素人は最新の新共同訳買ってれば間違いないよ
2018年版

岩波の聖書翻訳委員会訳は最悪の選択だよ
田川健三が口を極めて批判している
おれは田川訳と新共同訳と文語訳を併用してるけど
たいていは新共同訳でこと足りる

163:吾輩は名無しである
20/08/13 11:40:00 RtqeIRMc.net
田川って狂犬みたいに批判し回ってるよな。とくに彼は荒井献を嫌ってるのか、異様に叩きまくってる。

164:吾輩は名無しである
20/08/13 13:24:21.03 4UqqrI9x.net
>>161
どうもありがとうございます。
安心しました。
正直いって誰を信じていいのかわかりかねるのですが、
ギャグが秀逸なので信じるに足る方かと。
>>162
どうもありがとうございます。
いずれ最新の新共同訳も読みます。
しかしとっくに聖書にふれている方が多くて感心しました。
でも仏教よりはシンプルなんじゃないですか?
仏教に興味を持ってもどこから入っていいか途方に暮れそうですから。

165:吾輩は名無しである
20/08/13 14:40:26.32 R6KUCUn6.net
ドストエフスキーとトルストイのキリスト教はまるで違う
トルストイは、三位一体を認めないユニテリアンだし、イエスの復活も信じない、イエスの再臨、最後に審判も信じない
ルター以上の合理主義者であり、ドストエフスキーとは全く違う
ドストエフスキーは、教義批判を小説の中で主題のように扱うが、トルストイはしない
だから小説を読むと、トルストイはあまり神学や教義に精しくないのではないかと思ってしまうが、全く逆で論文の方を読むとトルストイの方が断然精しい
両者の一番の違いは、ドストエフスキーが非常にイデオロギー的なのに対し、トルストイの方は実生活、実社会、自分の人生の中のキリスト教(正教)を問題にしているところである
トルストイの宗教観を知るには
『懺悔』 『教義神学の批判』 『わが信仰はいずれにありや』 『神の王国は汝らのうちにあり』 『要約福音書』が必読だが、『懺悔』以外は全集でしか読めないので図書館で借りるべし

166:吾輩は名無しである
20/08/13 23:52:05.16 3qnt2p+F.net
トルストイなら『戦争と平和』、ドストエフスキーなら『未成年』を断固賞賛する

167:吾輩は名無しである
20/08/14 01:58:46.77 TxVQDTVC.net
三位一体は否定していただろうけど、復活や審判を信じていなかったかどうかには疑問です
トルストイは古代キリスト教を目指していたと思われます
「光あるうちに光の中を歩め」とかが彼の信仰告白なんだと俺は思っています
>>166
トルストイもドストエフスキーも民話も結構いいもんっすよ

168:吾輩は名無しである
20/08/14 02:18:24.01 TxVQDTVC.net
ローマ教皇、香港問題で中国配慮か 講話変更に疑念拡大
URLリンク(www.google.co.jp)

169:吾輩は名無しである
20/08/14 02:21:03.27 TxVQDTVC.net
URLリンク(www.jiji.com)

170:吾輩は名無しである
20/08/15 02:38:39 YtUhT8+R.net
自己のなかでわたしはもう一人の自分と対話する
時に自分の中でさえ内的対話は私を反駁させたり圧倒する
この終わることなき自己論争が自意識になる

だけどこの自意識から解放する方法がある

悪しき連載は、外部から他者が内的対話に介入してきてきて内なる対話と同意を結ぶことになる

自意識の主人公はそれを拒否したんだと思います
自意識の彼は内的対話が多くを占めている
他者の介入を許さなかった……

などとそういう心理的側面からよんでも地下室は面白かったりもするとふと思いました

171:吾輩は名無しである
20/08/15 16:40:22.94 wqX0a6aS.net
>>167
たしかに。
トルストイは聖書の不合理なところは信じていないと思うが、復活も信じないとなると、それはキリスト教か? と思っちゃうね。

172:吾輩は名無しである
20/08/16 12:39:59.59 4Db9KhDZ.net
トルストイにとってはキリストの教えが重要なんであって復活したかしてないかはどうでもいい

173:吾輩は名無しである
20/08/16 13:17:44.66 oCYXN8gY.net
「三位一体」こそキリスト教の核心で、これの否定は、イエスの神性の否定であり、死後に復活したり、最後の審判のときに再臨するなどありえない
トルストイの『要約福音書』は、十字架上でぶどう酒で口の渇きを癒して死ぬ場面で終わる
荒野の40日間の悪魔との戦いも、自分の肉の声との戦いと解釈し、ユダヤ人との討論もロシア正教徒との論争に変更している
宣教師ニコライは、福沢諭吉を無神論者といって厳しく批判しているが、福沢はユニテリアンと関係が深く、慶応義塾の教師はユニテリアンを採用、明治政府もフェノロサをはじめ、ユニテリアンを多く採用した
それは近代化を目指す日本にとって、なるべく宗教的でない西洋人が必要であったため、理神論的なユニテリアンになったのである

174:吾輩は名無しである
20/08/16 14:44:07.93 oCYXN8gY.net
『宣教師ニコライと明治日本』中村健之介著より
内村鑑三について
宗教思想家としての内村については、ドストエフスキーやその若い友人の宗教哲学者ヴラジーミル・ソロヴィヨーフとの関連にも目をむける必要がある。
内村のキリスト再臨の信仰や、神のはからいとしての世界史の見方は、その内奥にはキリスト教の神秘主義を含んでおり、
それはドストエフスキーやソロヴィヨーフが生々しいヴィジョンとして抱いていたものであった。
内村自信、ロシアの思想家への共感を語り、ロシアの思想家にはヨーロッパ人の理性とは違う「アジア人の情性」がある、
「ロシア人の思想が日本人に了解せられやすきはすなわちこのゆえんである。
キリストの再臨につき最も深き印象を余に与えた者も、同じくロシア人たるウラジミール・ソロヴィエフであった」と告白している。
また内村の1922年の日記には、チュービンゲン大学のハイム博士と会ったが、博士が「キリスト再臨信者であるのに、余は深く驚いた。
博士は、同信仰の士としてドストエフスキー、メレンコフスキーらの大家を挙げた。実に愉快の至りである」と書いている。
北大図書館蔵の内村文庫の一冊にアルセーニエフ著『神秘主義と東方教会』の英訳がある。
アルセーニエフがドストエフスキーについて書いている個所には例外なく太いアンダーラインが引かれて、
例えば『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の「兄弟たちよ、人間の悪意を恐れてはならぬ」ということばには、
「無政府主義者に対しても」という書き込みがなされている。
トルストイについて
ニコライは正教を非難する者に対しては例外なく闘う姿勢をとる。
「ヤースナヤの聖者」と呼ばれて日本でも尊敬されていたレフ・トルストイでさえ、正教会を攻撃した以上は、ニコライにとっては敵である。
1901年に正教会はトルストイを破門するが、それ以前からニコライはかれを敵視していた。
「トルストイ伯爵は、最も下劣なプロテスタントだ」(1887年1月10日)
「キシニョフで民衆がユダヤ人に対して起こした暴動に関してトルストイが手紙を書いた。
今朝それを読んでむっときた。この破門された不信心者は、まるで獰猛な犬のように、どんなきっかけも見逃すことなく、自国の政府と聖職者に吠えかかる」(1903年7月11日)

175:吾輩は名無しである
20/08/16 22:04:30.98 Idc4MfdK.net
まあ、三位一体を否定するとほぼ異端扱いなんだけどね
単なる預言者を唯一絶対神と同等に扱うのでこういう事になる
しかし、この神人による最終審判がなければ
旧約のヨブ記のような世界になり
別にキリスト教である必要もなくなる
というか、新約の予定説では救済はもちろん
死後復活の可能性すら怪しい者でも
被造者ゆえに信仰すべきなのだと説いているわけだ
この後者にとっては最終審判の意味はない
とうぜんイエス復活と再降臨がなくともかまわないわけだ
そういう無茶な理屈が教義に組み込まれている

176:吾輩は名無しである
20/08/16 22:06:34.11 Idc4MfdK.net
というか全人類を再生族とその他に二分するのはインド思想だな

177:吾輩は名無しである
20/08/16 22:11:59.64 viQ+rPgn.net
トルストイはキリストの神性を否定したわけではないと思います
自然な流れとしてそうなったにすぎないということです
イエスの教え(福音書)より上に教義を置こうとすることを否定しなければならない時、論理的にキリスト教を否定せざるを得なくなる
教義が組織をつくっているのだから、組織は教義を捨てることはできない
トルストイはイエスの教え(福音書)こそを優先するのだから反組織(反正教会)となるしか方法はない
要約福音書で彼は最後にこう述べます(70年代の言葉なので俺が勝手に現代言葉に変えているので注意して下さい)
「肝心なのは、イエスが神でなかったこと、従って彼の教えが神の教えでなかったことを立証するということではなく、また彼がカトリック教徒でなかったことを立証するということでもなくて、
この教えの説法者を世の人々が神と認め、今なお認めつつあるほどに、世の人々にとって祟高であり貴重であるこの教えが、どういう内容から成り立っているかということを、完全に混じり気のない姿において理解するかということーー肝心なのはまさにこのことである。」
三位一体の考え方はキリスト教の基礎だから、こういう言い方をされれば正教会は黙っていないわけです
だけどキリストの神性をトルストイは否定したわけではないと思います
トルストイがもっとも言いたかったことは、キリスト者はまず地上にいる間にイエスが語った言葉を考えていかなければならないこと、それをまずは優先しようね、みたいなことだと俺は思っています
それを否定の言葉と受け取ってしまう教会は自ら教義に固執し過ぎているのだと思いますが、同じ理由から、組織なのだから仕方のないことでもあるとも思います
教義なくして組織は存在し得ないからです

178:吾輩は名無しである
20/08/16 22:33:17 Z6yzzdD2.net
読んでよかったと思えるレスをありがとうございます。
俺はぜんぜんくわしくないから書きにくいけど、
ゾシマ長老やアリョーシャのイエスと、トルストイのイエスは同じに感じるなぁ。

179:吾輩は名無しである
20/08/16 22:43:28.77 W2iw+8f9.net
キリスト教の兄ちゃんは5chというウンコ置き場の良心だからね。

180:吾輩は名無しである
20/08/16 22:50:53.89 C2ArZt26.net
カラマーゾフで思うことのうちのひとつは、
ゾシマ長老が責任ある立場の修道院にパイーシーがいて、
それなりに敬虔な農民がたまたま彼に遭遇しちゃって、
パイーシーの言うことを真に受けてしまうくだりはどうなんだろう?ということ。
ゾシマ長老とアリョーシャにはどうしても期待してしまうので、
一般にはありがちなこととは思いながらもつい不満に。

181:吾輩は名無しである
20/08/16 23:00:40.68 C2ArZt26.net
そもそも三位一体ってキリスト自らが言ったわけじゃないんでしょ?
だったら却下でいいと思うけどなぁ?

182:吾輩は名無しである
20/08/16 23:23:02.57 viQ+rPgn.net
>>181
何という単語だったかは忘れたけどギリシャ語の中に「王は書かない」という言葉があります
これはある意味でこの世の真理なのです
王は書かない
ただ書かれるのみである
この場合言えることは一国の王という意味ではありません
人類の王、この世の王、という意味です
ダビデやカエサルでさえ王ではありません
ダビデやカエサルの王という意味です
つまり本人は語ることで語られた人々がかたち作っていくということです
本人はなにも書かないのです
例えばソクラテスなんかも何も書くことはありませんでした
プラトンやまわりにいた人が、彼はこう言っていた、と書かれるのみになります
ナザレのイエスもまたそうです
使徒たちが、イエスはこう言われた、と書かれるだけであり本人は何も書き記さないのです
王は書かない
書かれるのみになる
だから三位一体はイエスが書いたことではなくても書かれている以上は真理となり得ます
だから、本人が書かなかったこと=違う、とは言い切れないのです
そもそも王は書かないのですから

183:吾輩は名無しである
20/08/16 23:24:34.55 7MjHNhmv.net
聖書からは三位一体は出てこないね
公会議で決めただけだから
だから聖書重視のファンダメンタリストは
三位一体を否定する

184:吾輩は名無しである
20/08/16 23:51:09.35 7MjHNhmv.net
>>182
イエス自身が聖書を書いてないことをそんなに力説してなんか意味あるの?
そんなこと誰でも知ってることだと思うが
>>181はイエスが三位一体を話したかどうかを問題にしている
そして聖書を読めば誰でも分かるようにイエスは三位一体を説いていない
三位一体を言いだしたのは2世紀ごろの教父たちであってイエスではない

185:吾輩は名無しである
20/08/16 23:56:28.96 viQ+rPgn.net
三位一体を論理で正確に理解することは難しいです
というか不可能に等しい
神は唯一である、がある以上どうしても三者が一体であるという根拠を示すと脆弱になってしまう
イザヤ書6:3の「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」という天使の声が三者をあらわしているという考え方が伝統的な根拠とされていますが、論理として立証するまでにはまだ弱いようです
ドストエフスキーはあまり踏みこんではいないようです
というか踏み込めば失敗に終わるのがオチとわかってイタnかもしれません
三位一体は理論ではなく信仰の範疇になるようです

186:吾輩は名無しである
20/08/17 00:31:07.78 4nFGSSzX.net
>>184
あまり意味はなかったです

187:吾輩は名無しである
20/08/17 00:47:45.93 4nFGSSzX.net
ドストエフスキーにとってキリストは神なんだろうと思う
トルストイにとっては神の子になるのかな
そう考えると物語の根底にある概念がそもそも違うのだから、ドストエフスキーとトルストイはナボコフの言う通り全然違うのかもしれない

188:181
20/08/17 02:46:49 gyrgHDky.net
>>182
キリスト教、そして三位一体を信じているんですね。
イワンがトルコの幼児虐待の話をした時、
アリョーシャは態度でははっきり否定したものの、言葉にはすることができなかった。
それでいいのだと思います。
失礼ながら王は語らないというくだりは、
読んで興味深くはありますが、
今回の説明にはちょっと違うかなと思いました。
乱暴ですみません。

トルストイもドストエフスキーも、
それこそキリストへの理解がすべてのなかで最も重要だとしていると見えます。
この2人にとっても生まれる千数百年前からキリスト教、三位一体はあったわけです。
とはいえ納得できない、信じられないところがある。
そこは自分より先に生まれた人間が大きくゆがめてしまったと思わざるを得ない。
その部分を取り除くことにより正しくキリストと生きることができる。
トルストイが要約福音書を編んだのはそうした意図があってのことなのでしょう。
そしてロシア正教から破門になったと。
すみません俺、この本読まずに書いています。

189:188
20/08/17 09:02:08.93 VlAQkG93.net
>>182
乱暴ですみません。と書きましたが、
われながらあんまりよくないなと思うところがありますので、
夜までに書き直します。
もっとも大したことではなくて、少し説明になっていればいいなという程度です。

190:吾輩は名無しである
20/08/17 09:18:19.39 HICB2myC.net
>>187
> ドストエフスキーにとってキリストは神なんだろうと思う
> トルストイにとっては神の子になるのかな
これもいい意見だと思います。
ほかの方も知識がありますね。
読んでためになりました。
俺は今日からヨハネによる福音書を読むんで。
そのうち仏教も学ぶつもりです。最初はスッタニパータでいいのかな?

191:吾輩は名無しである
20/08/17 09:23:14.13 Dqt38Tn4.net
だめです。
ヨハネによる福音書ではなくヨハネのアポクリュフォンを読みなさい。
スッタニパータではなく人間革命を読みなさい。

192:吾輩は名無しである
20/08/17 09:26:38.11 HICB2myC.net
なんだ、いたのー?

193:吾輩は名無しである
20/08/17 10:03:30.00 Dqt38Tn4.net
なんでもいいから入信しろタコw

194:吾輩は名無しである
20/08/18 01:44:01.09 0WZ+QI4G.net
>>188
そうなんすよね
トルストイは何年もたって作られたキリスト教ではなくてイエスが生きていた当時に戻りたかったのかもしれません
それが要約福音書なんだと思っています
ただそれだけ、原点回帰したかっただけなんだと思います
言葉が足りませんでした
>>181に答えるならば、俺も個人的にはイエスが言わなかったことは却下でいいと思っています
本人が何と言っていたのかを問題とすべきだとも正直には思っています
ただ王は書かないと言ったのは。
どっちにしろ本人は書かなくて記録されるしかないので、
「される」という客観になるしか方法がなくなってしまうそうすると「本人以外からどう見えてたのか」が問題になるので、自らが言ったのか言わなかったのかは2次的なものになってしまう、結局は三位一体を言ったかどうかより、三位一体みたいな行動をとっていたのかどうかが問題となる、みたいなことが言いたかったのです
>>190
ドストエフスキーは四福音書の中でもヨハネを基礎として書いていたと思いますので、ヨハネを読んでみるのはいいと思います
魂の不滅をテーマにしているのは福音書の中でもヨハネが色濃くなっていると思います
あとそういう理由(トルストイのように原点に帰ることが必要)という意味でもし仏教に興味があるのならばそれでいいと思います
サンスクリット啓典が仏教の原点なので、釈迦が何と言っていたのかを問題とすべきだと思っています

195:吾輩は名無しである
20/08/18 02:01:19.87 0WZ+QI4G.net
歴史を知っている現代からすると三位一体はグノーシスに対抗するキリスト教の策だったとも言われています
グノーシスは本当の神がいて、悪ばかりある世界にためにイエスはその本当の神が遣わした子であったと主張したみたいです
キリスト教会はイエスをグノーシスに取られてしまうことを恐れて三位一体を考えだしイエスを三位一体の神(本人の神なんていない)とした、なんて言われたりもしています
結局はナザレのイエスの争奪戦でしかない、という見方をする神学者もいました
俺たちの神の子だよ、お前の神の子じゃないよ、みたいな
三位一体にして聖書の神と同一にしたかったようです
こういう考え方はあまりオススメできませんが、悪がありすぎるために、みたいな話があると俺は「なぜ世界は悪ばかりなのか」とアリョーシャに詰め寄ったイワンをもい出すし、それを書いたドストエフスキーを思い出さずにはいられません

196:189
20/08/18 05:20:55.88 CSKG4S/Q.net
>>194
書き直さなくてはいけないなと思った理由として、
今回の説明にはちょっと違うかなと思いました。
と書いておいてその理由を書かなかったことについて、
第一に書くとレスが長くなり時間がかかってしまうのがめんどうだと思った。
第二に自分の知識のなさを露呈してしまうことを懸念した。
といったことが理由でした。
よいレスを書いてくれている方にこういった誠意のない態度は、
取るべきではないとの自責の念をぬぐえなかったからです。
いま念のためにソクラテスを検索してみたのですが、
釈迦、キリスト、孔子と並び四聖人(四聖)に数えられる。
とあり、「ひぇーっ、知らなかった。」とショックを受けています。
俺にとってはキリストと釈迦がツートップで、
ソクラテスと孔子は哲学者と思想家で、
2ランクくらい落ちる存在という認識だったからです。
無知ゆえにです。
世界は宗教や神が最も高い位置にあるというわけではないということでしょうか?
俺はあなたのレスのざっと半分以上は、
プレゼントだと受け止めています。
もちろんどのレスも俺のためだけに書いているわけではないとも思っていますが。
ですから非常に価値があると感謝しているのですが、
さらにこちらからのレスを書くのは、
日常的には時間と労力がかかって、というのが正直な気持ちです。

197:吾輩は名無しである
20/08/18 14:14:11.11 Q3Hacmv6.net
プレゼントをあげるわ、あなたに
🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩🇹🇩💩

198:吾輩は名無しである
20/08/18 23:45:20 WF0EBnAv.net
>>196
カラマーゾフ(大審問官)のテーマです
世は悪魔側にある、という見解は聖書的にもなにもおかしくないしドストエフスキーもそう書いています
世の権威と栄華を持っているのは神ではないようです

ルカ 

4:5
それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて

4:6
言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。

4:7
それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。

4:8
イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。

199:吾輩は名無しである
20/08/19 00:36:41.98 OHC3sQK1.net
ソウカ―ニャ「大地(大作)に接吻なさい。入信するのです」

200:吾輩は名無しである
20/08/19 02:05:52.65 0ZsjDf0z.net
キリスト教、正教会はギリシャ哲学の影響を受けています
ギリシャ哲学の基礎をつくったのはプラトン(ソクラテス)で彼の哲学の礎は未だに続いています
古代キリスト教の代表とも言えるアレクサンドリア派はギリシャ哲学をどう取り入れるのかを考えました
ソクラテスは言いました
まずは世界を2つに区別することができる
一つは、同一性をもっていて、常にある、ということ
もう一つは、同一性を持たずに、常にあることがない、ということ
前者は生成がなく変わらないもの
後者は生成して変化するもの
これらはキリスト教でいう霊と肉の関係にあたります
世界がなんらかものに創られたとするならば無秩序より秩序だってつくるはずである
そうならば、世界は前者の、変わらず常に同じものをモデルにするはずである
これは、キリスト教でいう神が自身の姿に似せて人間をつくった、と同じでです
ヘレニズム化したユダヤ文化が広がって行くなかで古代キリスト教会はその考え方を取り入れたとしています
ただしここで問題ができあがる
神をモデルにしてつくったはずなのに、世界には無秩序(悪)がありすぎる
そこでグノーシスはいう
つくったものが本当の神ではなかった
なので似せて創られた世界は完璧にならなかったので悪がこんなにも存在している
プラトンのティマイオスにデミウルゴスが出てきますが、グノーシス主義の基礎にもなっています
ここからは俺の超解釈ですが、
神は多くの種を地上に撒いていたのかもしれません
ギリシャ哲学もそうです
キリスト教が発展し知性や知恵を獲得するように多くの種をまかれた
その身をよく使うか悪くつかうかは自由意志にかかっています
この辺も大審問官で語られた石とパンの話です

201:吾輩は名無しである
20/08/19 02:06:04.42 0ZsjDf0z.net
マタイの福音書
13:3
イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
13:4
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
13:5
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
13:6
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7
ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
13:8
ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
13:9
耳のある者は聞くがよい」。

202:吾輩は名無しである
20/08/19 04:46:56.39 CqU7rVqv.net
過去スレより
----------------
> スメルジャコフのようにエディプスコンプレックスを経なかった人間、しかも神を呪う者がいったいなんの良心に苦しめられるのでしょうか?フロイトを知る現代人からすればこれを納得できないはずです。
ここがよくわからないのですがw
> スメルジャコフのようにエディプスコンプレックスを経なかった人間
スメルジャコフは「エディプスコンプレックス」を経なかったの?なぜ経なかったの?
「エディプスコンプレックス」というのは経た人と経なかった人といるものなの?
----------------
彼はこの質問に対していっさい答えないのであった。
君らは質問されて返答できないようなことを書くべきではない。本を読んで口まねしてるだけの
証左である。

203:吾輩は名無しである
20/08/19 04:51:23.53 CqU7rVqv.net
2019/10/27(日)
> > ギャンブル依存症
> > 女好き
> > 弱音ばかり吐く
> > 前科者
> > かなーりクズ男ですねw
------------------------------------------
見た目ばかり取り繕って いい子ちゃんの人生より 面白みがあっていいと思うなあw
ぜんぶ乗り越えたらいいんだし~~~
---------------
今見ても、このドストエフスキーをクズとか言ってるやつw こいつの人生はそんな立派なのかね?と思うねwww

204:吾輩は名無しである
20/08/19 04:57:02.41 CqU7rVqv.net
僕がカラマーゾフの兄弟本文から以下のように長文を引用しても
> イヴァン:
> 教会は、国家のなかに正確な、一定した地歩を占めているというのですが、僕は反対に、教
> 会こそ自己の中に国家全体を含むべきであって、国家の中にわずかな一隅を占めるべきでは
> ない。たとえ現代において、それが何かの理由によって不可能であろうとも、将来、キリス
> ト教社会の発達の直接かつ重大な目的とならなければならない
>
> 論敵たる僧侶:
> 第一に、―『いかなる社会的団体といえども、自己の団体員の民法的、並びに政治的権利
> を支配するの権力を所有することはできない、かつまた所有すべきでない。』
> 第二に、『刑法的および民法的権力は教会に属すべきではない。教会は神の制定したるもの
> として、また宗教的目的を有する人々の団体として、性質上このような権利と両立すること
> はできない。』
> 最後の第三は、『教会はこの世の王国にあらず。』
>
> パイーシイ主教:
> 「僧職者にあるまじき言葉の遊戯でございます!」
>
> 「わたくしはあなたの 論駁されたあの本を読んで」とイワンの方を向いた。『教会はこの世
> の王国にあらず。』という言葉に一驚を 喫しました。もしこの世のものでないとすれば、こ
> の地上に全然存在するはずがないではありませんか。聖書の中にある『この世のものなら
> ず』という言葉はそのような意味で用いられてはおりません。
>
> このような言葉を 弄ぶのはあるまじきことです。主イエス・キリストはとりも直さず、この
> 地上に教会を立てるためにおいでなされたのです。天の王国はむろんこの世のものでなく、
> 天上にあるに相違ありませんが、それに入って行くには、地上に建てられた教会を通るより
> ほかに道がありません。それ故この意味における俗世間的地口は不可能で、かつあるまじき
> ことです。教会は真に王国です、君臨すべき使命を有しているのです。それゆえ、最後は独
> 立せる王国として、地上全体に出現しなければなりません―これはもう神の誓約のあるこ
> とです!......」

205:吾輩は名無しである
20/08/19 05:25:30.56 CqU7rVqv.net
>ドストエフスキーはこの「反国家的教会」というのにこだわったから、
>ウルトラモンタニズムの話も結局は皮肉なんですよ
>トルストイにおいては発禁になって破門されているんです
>反国家とはつまり反政治、これがカラマーゾフの兄弟の本質です
>だから第二の小説ではアリョーシャは「皇帝暗殺」になるだろうと言われる
--------------
この彼は今でも、>ウルトラモンタニズムの話も結局は皮肉なんですよ 
という自己の見解に固執してる。
>ドストエフスキーはこの「反国家的教会」というのにこだわったから、
このことは、そうなのかもしれない。ただし明文を引用するべきである。
>トルストイにおいては発禁になって破門されているんです
発禁になって破門されたのは事実ですが、それが偉大であるかは再検討すべきである。
>反国家とはつまり反政治、これがカラマーゾフの兄弟の本質です
>だから第二の小説ではアリョーシャは「皇帝暗殺」になるだろうと言われる
極めて浅はかなモノの見方です。反国家で反政治だからアリョーシャは「皇帝暗殺」―
ドストエフスキーが後世の笑いものになる3流小説を残すと思う?

206:吾輩は名無しである
20/08/19 05:26:28.16 CqU7rVqv.net
去年の書き込みの再検討
----------------
>ウルトラモンタニズムの話も結局は皮肉なんですよ 
という自己の見解に固執してる。
この彼が、なぜ故意にカラマーゾフで描かれている思想・理想と言ったものの真反対を主張するか?
それは、このスレで(キリストの理想!)と主張してる者たちは、イヴァン・カラマーゾフのいわゆる、
「神の世界を認めない」の真意がわかってない。それはつまり人間のほうが大切だ―ということなんだ。
神よりも仏よりもね。
現代日本で、キリスト教がまったく伝統でもなんでもない我が国において、「カラマーゾフの兄弟中」のウルトラモンタニズムうんぬんの話は、彼の内的世界において消化できない。だからドストエフスキーの理想と真意を捻じ曲げる。
神よりも仏よりも人間のほうが大切― この大前提がないから、歴史上キリスト教聖職者等の大欺瞞があったし、そのことはルシャールの死刑に際しての牧師の逸話にもあっただろう?―
どうしたら庶民が幸福になれるか?創価学会とはその一点において結成され、いまも生きているのだ。
ドストエフスキーもゾシマもアレクセイも、現代日本に生きていたら必ず創価学会員です。

207:吾輩は名無しである
20/08/19 05:49:24 CqU7rVqv.net
>>190
> ほかの方も知識がありますね。
> 読んでためになりました。
> 俺は今日からヨハネによる福音書を読むんで。
> そのうち仏教も学ぶつもりです。最初はスッタニパータでいいのかな?

何を読んでもいい。一流の書籍ならば。ただし「あなたの目的が何なのか」そこをもう一回考えよう。

教養深めたいだけ? 君の胸の奥底に隠されているほんとうの願いはちがうと思う。

幸福―それも永遠の幸福ではないか? もちろん今日を、そして明日を、力強く生きることではないか? 

もししからば書籍を読み散らかしても、そこには到達しない。

創価学会のことなど関係がない。というのは、創価学会などというものは誰でも「はい、そうですか。わかりました」と入れるものではないんだ。強烈な縁があって初めて入れる。

ただ、当然の真理を認めないといけない。あなたは「カラマーゾフの兄弟」の読者でしょ?
----------------
アリョーシャはただすべての者に正反対の道を取っただけで、一時も早く功名をと思う渇望に変わりは
ない。 真面目な思索の結果、不死と神とは存在するという信念に打たれるいなや、直ちに自然の順
序としてこう独りごちた。『不死のために生きたい。中途半端な妥協は採りたくない。』それと同様に、も
し彼が不死も神もないと決したと仮定すれば、彼は直ちに無神論者や社会主義の群へ投じたに違い
ない。

アリョーシャには
以前通りの生活をするのが、奇怪で不可能にすら感じられた。聖書にも、『もし 完からんと欲せば、す
べての 財宝を 頒ちて我の後より来たれ』といってある。で、アリョーシャは心の中で考えた。『自分は「す
べて」の代わりに二ルーブリ出し、「我の後より来たれ」の代わりに、 祈祷式へだけ顔を出すようなことは
できない。』

208:吾輩は名無しである
20/08/19 07:42:26 7ArR0rIt.net
>>200
自由意志は殆どの人間に与えられているが、摂理の為にそれを奪われて神に操られる人間がいる。

例えばイエスを処刑する準備のために、アイネイアスやロムルスは自由意志を剥奪されてローマを創建した。カエサルも似たようなものである。
こういう意思と予定が混在する論説はダンテが神曲で描いていたね。

209:吾輩は名無しである
20/08/19 12:49:48 LAR3wUzO.net
ラスコーリニコフってさ、お前らだよな(イケメン以外)

210:吾輩は名無しである
20/08/19 15:13:36.64 FadAoNd5.net
オフ会はチビハゲデブばかりの地獄絵図になりそう

211:吾輩は名無しである
20/08/19 15:56:54.99 abiKl49f.net
罪と罰はラノベ

212:吾輩は名無しである
20/08/19 16:12:06.69 QWVDfR3b.net
どうもみんなトルストイを正しく理解できていないようなのでもう少し精しく引用してみる
トルストイの『教義神学の批判』
トルストイがこの論文を書くにあたって使用したのは『モスクワ大司教マカリイの正教教義神学』である
トルストイのこの論文は、全集版で250ページぐらいだが、その中、「三位一体」に関する部分は23ページもある
トルストイは、マカリイの「三位一体」教義解説をたくさん引用して批判した最後にこう書いている
「キリスト教の根本的な教義における三位一体についての五十頁にわたって述べられている教義とはまさにかようなものなのである。
贖罪者、成聖者についての教義とわれらの救いの構成についての一切の教義は、この三位一体の教義に基くものであるから、
これが拒否されれば、同時に拒否されてしまうのである。
ところで私はこの教義を拒否する者である。拒否せざるを得ないのだ。
というのは、この教義を承認すると、私は自分の理性的な心の自覚と神の意識とを拒否しなければならぬことになるからである。
しかも人間の理性にもとり、聖書の中にも、伝説の中にもなんらの根拠をも持たなぬ教義を拒否した後でも、まだ私には説明しがたいものが残る。
すなわちそれは、教会をしてこの無意味な教義を信奉せしめ、かくも執拗に架空の証明を蒐集させたその原因である。
そしてこれが私にとってますます驚きものであるのは、この恐るべき神聖冒涜的な教義は、
ここに述べられているままでは明らかにだれのためにも、何のためにもまったく必要ではあり得ないという事実である。
かかるものからはいかなる道徳律をも導きだすことはできない。」

213:吾輩は名無しである
20/08/19 16:12:51.21 QWVDfR3b.net
トルストイの『要約福音書』
トルストイはどうして『要約福音書』を書いたか、この序文を読むと彼のキリスト教に対する考えが一番よく分る
「こんにちまでのところ、ある人々は、イエスを三位一体の第二人格(子なる神)と名づけて、彼の教えを、彼らが旧約全書や、書簡や、会議の教父たちの決議中に見いだしている第三人格(聖霊)の、
例の仮想的啓示と連関あるものにほかならないと解釈している。
他の者はまた、イエスを神とは認めないでいながら、やはり、彼の教えや彼によって説かれたであろうようには理解せず、パウロその他の彼の解釈者が解釈したように理解している。
彼らが解決しなければならない問題は、次の一事
千八百年前に一人の貧者が現れて、それがなにかしらいろいろ喋って行ったということのうちに存する。
彼は、鞭打たれて、死罪に処せられた。
そしてその時以来、自己の正義のために殉じた義人はほかにも数限りなくあったにもかかわらず、賢愚、知無知を網羅した幾億の人々が、この人、ただこの人だけが神であったという思想から離れることができないでいる。
この驚くべき現象は、一体どう説明したらいいのか?
教会者流は言っている、これはイエスが神であったことから生じたのだと。もしそうだったら、それで万事氷解である。
しかし、もし彼が神でなかったら、この一個単純な人間が、すべての人から神と認められるに至った事実を、はたしてどう説明すべきであるか?
それはただ、この人が非常に変わった説教をしたので、そのために、人が他のすべての人から彼を区別して、当時も今日も彼を神と認めている、その一事のうちに存するのである。
ここでしなければならぬ第一のこと、それは、この人の教えを理解するにつとめること、すなわち、昔も今もかわらず伝播している彼の教えの例の粗雑な解釈ではなく、彼の教えそのものを理解するにつとめることである。
問題は、イエスが神でなかったから、その教えが神聖でないことを証明することでもなければ、彼がカトリック教徒でなかったことを証明することでもなく、
ただ、人々がその教えの説教者を神と認めずにはいられなかったほど、それほど人々にとって高くも尊くも思われたところの要素が何であるかを、その完全な純粋さにおいて理解する一事にあるのである。」

214:吾輩は名無しである
20/08/19 16:13:39.86 QWVDfR3b.net
「この要約では、左の詩句は省略した、すなわち、
洗礼者ヨハネの受胎と出生、彼の禁獄と死、キリストの出生、その系図、母を伴なってのエジプト脱出、
カナとカペナウムにおけるキリストの奇蹟、悪魔の放逐、海上の歩行、無花果樹の乾燥、病人の治療、
死者のよみがえり、キリスト自身の復活、およびキリストの生活において成就された予言の指示などである。
これらの詩句を、この要約書で省略したのは、これらのものが毫も教訓を含むことなく、
キリストの説教以前、その時代およびそれ以後に生じた事件を記述するにとどまって、叙述を煩雑ならしめるにすぎないものであるからである。
これらの詩句は、よしどのように解釈せられようとも、その教義の反対にも、その真実性の証明にもなりはしない。
キリスト教にとってのこれらの詩句の唯一の意義は、キリストの神性を信じないものにたいしそれを証明するだけのことである。
奇蹟に関する物語の不確実性を理解する人にとっては、彼の教義によってキリストの神性に疑念をいだく人にとっては、
これらの詩句は、その不要性によって自然に消滅してしまうからである。」

215:吾輩は名無しである
20/08/19 16:18:25.79 FT8iyoLR.net
ドストエフスキー自身が何度もラスコーリニコフみたいなこと妄想したんだろうな
生きてれば殺したいと夢想する相手の一人や二人はいるもんな。それが貧乏人ならなおさらだ

216:吾輩は名無しである
20/08/19 19:52:58 fRB3gzN9.net
キリストは宗教家である前に医療従事者であるからね
盲人を治したり、死者を復活させたりという神がかった奇跡と
イエスの医者&宗教者としての人格は切り離せない
処刑後の復活劇もその延長で把握されるのだが
だからといって唯一絶対神との同一視や
最終審判まで持ってくるとおかしなことになる

しかし、聖書中の記述を考えれば
教義上最後の審判は切り離せないし
イエスの出現を解釈上旧約の詩篇にまで求めるのなら
唯一絶対神や精霊との関係について整合性のある説明が要求される
これはイエス自身の問題というよりも
聖書の記述内容やその解釈によって生じる教義上の問題だな
つまりキリストの問題ではなくキリスト「教」の問題

217:吾輩は名無しである
20/08/19 20:00:25 fRB3gzN9.net
でもまあ、現実的に最後の審判など起こらないで
この世は悪がはびこる末世なので
信仰への失望からラスコーリニコフのような過激派が生まれる

ついでに聖書の世界からワープしてきたかのような
救済対象としての狂信的聖娼婦が随伴者として登場することになる
この救済対象者から責められるというのが
現代の救世主にとってキツい話だ
ようするにだれも救済など望んでいないわけだから

結局、自力救済の極致ともいえる革命も最終審判もないまま
挫折してイエス誕生前の旧約の世界に連れ戻される
そこで正義や救済という人間が背負うには重すぎる観念を下ろして
とりあえず他力本願でいきましょう、という凡庸な結果で終わる
まあ挫折した革命家が考えつきそうな転向文学だね

結局スヴィドリガイロフが言うように
余計なことはしなくていーの
大きなお世話なんですよ
あれは彼らが望んでいる事なんです、
じっさい甘受しているでしょう?
で終わっちゃうからね

218:吾輩は名無しである
20/08/19 20:23:51 abiKl49f.net
宗教論15,16人生論17は読んだが
教義神学の批判だけは飛ばしてしまったな はがたたんかった

219:吾輩は名無しである
20/08/19 20:40:43 0LePiuYK.net
>>212
どうもありがとうございます。
書き写すページを探して実行する。俺ならかなりの労力です。
トルストイを1ページも読んだことのない俺にこう書かれるとがっかりなさるかもしれませんが、
つまりトルストイはキリストを神だと認識しているんですね。
そして要約福音書は信者にとって無駄な部分を取り除いたもので、
その無駄な部分は信者以外へのものだからということなんですね。

トルストイはロシア正教の権威の三位一体への解説を具体的に批判し、
すなわち教義の否定を宣言したということですね。
あなおそロシア。

220:吾輩は名無しである
20/08/19 21:08:44.75 zGJRLI/e.net
つまりトルストイはキリストを神だと認識していないということだと思うけど

221:吾輩は名無しである
20/08/19 21:42:29.40 2Bj5DXmY.net
へ?!
トルストイがキリストを神と認識している方に、
100万ゼニー。

222:219
20/08/19 21:43:43.97 2Bj5DXmY.net
>>221>>219

223:吾輩は名無しである
20/08/20 00:19:24.02 VWxXYwEU.net
>>221
どこをどう読んだらそうなるんだよw

224:吾輩は名無しである
20/08/20 00:48:59.33 Ee7Ev0qi.net
どんな集団でもルールがあります
教会もまたその境界線は免れません
しかしそのルールとは最大の理由によって不特定多数の最高者ではなく最低者にあわせて設定してあります
キリスト教会においては使徒信条にあるように
三位一体や復活や審判の座を否定するものは無神論と同等に扱われます
イエスキリストを神と認めるとはルール下の神を認めているのか否かがその境界線であって、神そのものを信じているかどうかは教会のルールには含まれていません
トルストイの立場はそんなの(教義なんて)どっちでもいい、分かりきったことだから、という立ち位置です
教会が求める信仰者とは積極的に使徒信条に一致した内容を告白し信仰する義務を負い、そのことを重視して考え、その内定にとどまるものを洗礼して信者とします
なのでこれらの問題に積極的にならないものは否定者として扱われます
どっちでもいいは否定に含まれます
どっちでもいいは賛成ではないのです
これが世界のルールです
これは最大の矛盾でもあります
教会は不特定多数を救うためにあるので中間にあるものもしくは最低ラインにいるものを救済しようとします
それ以上を求めるものは教会の枠外にいるものと同等になってしまうのです
なぜなら最高者もまたそのルールの境界線には留まっていないためです

225:吾輩は名無しである
20/08/20 00:49:07.04 Ee7Ev0qi.net
ドストエフスキーはそれを提示しました
「大審問官」です
大審問官は出来るだけ多くのものを救うため自分たちが信じるべき神をしっかり定めてやり、そのために出来るだけ分かりやすいルールを教えてやる、その枠内にあるものは正しい認識を持っているのだから救われる、という理論です
そのかわりにその枠内に留まらないものは審問されます
トルストイにとっては「聖書にあるイエスのように誰もが生きなければならない」とし、キリストに倣いて生きることを自己の神の認識に掲げています
そして誰もがそう生きられると著作で書き記しました
彼本人からすれば三位一体以上の信仰を持っている自覚があっても、教会から見ればルール逸脱者にしか見えません
結局は信仰の線引きなんてないんすよ
神と自分しか知りえないことだから比べることなんて出来ません
もし比べようとするならばトルストイのようになるのか、大審問官に従い多くのものに成るのか、それしか方法はありません
それが正解かどうかは死んでみなければ分かりません
最後の審判で右の方がなんというかは来るべき時しか知りえないと思います(これもまたカブトムシでしかありません)

226:吾輩は名無しである
20/08/20 00:54:22.56 Ee7Ev0qi.net
>>225
>そのかわりにその枠内に留まらないものは審問されます
「イエスキリスト本人でさえも」
めっちゃ言いたかったことが抜けてしまったw

227:吾輩は名無しである
20/08/20 01:09:47.11 Ee7Ev0qi.net
トルストイにとってイエスキリストは跪く神というより倣うべき隣人でしょうね
難しい論文より民話を読めば分かりやすいですよ
人々に大変尊敬されている一人の高僧が、船旅の途中、魂を救う修行をしているという三人の隠者の住む小さな島に降ろしてもらう。
  そこには、ボロを纏った老人が三人手をつなぎあって立っていた。
 「私が聞いた話によると、あなたがたはここで魂を救う修行をし、』人々のために神にお祈りをしているとのことだ。そこで私は、できれば、あなたがたにも教えをたれたいと思ったのだ」
 隠者たちは、だまったまま、にこにこ笑って、お互いに顔を見合わせている。・・・「ところでどんなふうに神に祈っているのかね?」
 すると年をとった隠者が言った。「わしらはこうお祈りをしております。そちらも三人、わしらも三人、だからわしらをお恵み下さい。」
 高僧は苦笑して、言った。
 「それは、あなたたちが“聖三位一体”について聞いたからだろうが、そんなお祈りの仕方は正しくない。私が、
神様のお書きになったものによって、お祈りの仕方を教えてあげよう。」
 そして、一日中晩まで、高僧は隠者たちを相手に苦労した。一つの言葉を何べんも、何べんも繰り返し隠者たちもその後について同じことを言った。隠者たちが間違ったり、高僧がそれを直したり、初めから繰り返させたりした。

228:吾輩は名無しである
20/08/20 01:09:55.00 Ee7Ev0qi.net
 月が海からのぼり始めたころ、隠者たちはようやく全部覚え込むことができた。
 船に戻った高僧は、船尾に腰を下ろし、遥かに遠ざかった島のあたりを、いつまでも眺めていた。
 ・・・・・・ふと気がつくと、柱のような月の光の中に、何かがきらめいて、白く見えている。そしてその白い光が船に向かってどんどん近づいて来る。
 ・・・・・・それは、手をつなぎあって、海の上を走って来る三人の隠者たちだった!
 隠者たちは、船べりに近づくと、声を揃えて言い出した。
 「忘れてしまいました。一時間ほど繰り返すのをやめたら、全部めちゃめちゃになってしまったんです。何ひとつ覚えていません。もう一度教えてください。」
 高僧は十字を切り、隠者たちのほうに身を屈めて言った。
 「あなた達の祈りこそ、神様まで届いているのです。隠者の皆さん。私はあなた達を教えるような者ではありません。われわれ罪深い者のためにお祈りをして下さい!」   
『トルストイの民話

229:吾輩は名無しである
20/08/20 01:28:57.02 Ee7Ev0qi.net
>>223
反対に解釈してなるほどするのはいつものことだから
指摘すると勘違いでも仏罰くらうお

230:吾輩は名無しである
20/08/20 19:05:54 JjZFw/4p.net
売女のソーカネチカは学会員に春を売る

231:吾輩は名無しである
20/08/20 19:29:55 hnj0ZG21.net
創ネチ価は老け専ホモに菊を売る。

232:吾輩は名無しである
20/08/21 01:37:53.64 urtaN6ue.net
そーかねちかって言いたい放題するけど打たれ弱いよね

233:吾輩は名無しである
20/08/21 15:47:53 ipDXJ1uy.net
純粋な馬鹿なのだろう

234:吾輩は名無しである
20/08/21 17:29:35 9yZGtXqw.net
可哀想な罪人を憐れんであげなさい

235:吾輩は名無しである
20/08/22 02:30:26.65 OGc92pwS.net
上レス>>216で書かれていますが、
マルコ2:17 、イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」となっています
ならソーカネチカこそが招かれる人かもしれません
ただ悔い改められるならだけど
ソーニャがラスコリニコフを憐むってすごいことだったりする
もちろん物語だから、と言われればそれまでですが
やっぱりキャラクターが濃い著作は面白いですね
最近、処女作の貧しき人々を読み始めました
白夜みたいでスッキリしていて面白いです

236:吾輩は名無しである
20/08/22 20:02:19.29 bxdP1Cs5.net
大股広げて喘ぐ淫売ソーニャ

237:吾輩は名無しである
20/08/22 21:27:12.43 3BU0JNk9.net
>>235
>最近、処女作の貧しき人々を読み始めました
あれはスヴィドリガイロフ的商人が金に物を言わせて
薄幸の美少女ヒロインを強引にコマして
そのヒロインもコマされた後に「可愛いひとっ!」
とメロメロになってオシマイだから
ある意味神も仏もないオチなんだけどね
同種の物語としてはモラーヴィアの「無関心な人々」があり
モラーヴィアだとニヒルなタッチで描いていくのだけど
ドストエフスキーだと老吏員に寄り添った哀愁を帯びた調子で
シベリアから帰ってくると説教臭くなる

238:吾輩は名無しである
20/08/22 22:30:38.30 lvfJON+8.net
>>236
ソーニャさんを中傷するのはやめましょうw

239:吾輩は名無しである
20/08/22 23:14:34.32 8oA+MfrC.net
>>237
なるほど、まだ序盤だからか純愛物語くらいにしか思っていないかったです
それはそうと、ソーニャもそうで、なぜ薄幸の女の魅力が男性を惹きつけるのかは疑問に思うけれど、イワンが言った幼児虐待はある種の嗜好を持っているという考えられるのかもしれない
結局はロリにハマるオタク文化もそんなところなのかもしれません
「人間の多くは一種の特別な資質を備えているものなんだ。それは幼児虐待の嗜好だよ。子供たちのかよわさが迫害者の心を駆り立てるのさ。逃げ場もなく頼るべき人もいない子供たちの天使のような信じやすい心、これが迫害者のいまわしい血を燃え上がらせるんだ。
もちろん、どんな人間の中にもけだものが潜んでいる。怒りやすいけだもの、痛めつけられるいけにえの悲鳴に性的快感を催すけだもの、放蕩の末に痛風だの肝臓病などという病気を背負い込んだけだもの、などがね」

240:吾輩は名無しである
20/08/23 20:04:44.09 gYd9SQfA.net
>>238
ソーニャはそうやってマルメラードフの酒代を稼いでんだよ

241:吾輩は名無しである
20/08/23 22:33:05 Q4ajp3Fd.net
ラスコーリニコフも貧しくさえなかったらあんな八つ当たりみたいな殺人は犯さなかっただろうに
いくら凡人非凡人理論を唱えてしまう危ない志向があっても生活に余裕があれば実行に移さないもんな
ホント貧しさは人を歪めるよ

242:吾輩は名無しである
20/08/24 02:15:14.40 VkmXAFwL.net
貧しき人々のテーマに貧すれば鈍するがあるけど、貧困が習慣になった時にそれはやがて人格に変わるんだろうと思う
貧困とは金問題、いつでも金の問題は性格まで変えてしまう力があるようです
「もちろんカネは絶対的な力である。と同時に、平等の極地でもある。カネの持つ偉大な力は、まさにそこにあるのだ。カネはすべての不平等を平等にする。」
(『未成年』のアルカージイの言葉より。第1部第5章の3内。新潮世界文学)

243:吾輩は名無しである
20/08/24 02:16:57.52 VkmXAFwL.net
ドストエフスキーの信仰告白
「わたしは自分のことを申しますが、わたしは世紀の子です。今日まで、いや、それどころか、棺を蔽(おお)われる まで、不信と懐疑の子です。
この信仰に対する渇望は、わたしにとってどれだけの恐ろしい苦悶(くもん)に値した か、また現に値しているか、わからないほどです。その渇望は、わたしの内部に反対の論証が増せば増すほど、 いよいよ魂の中に根を張るのです。
とはいえ、神様は時として、完全に平安な瞬間を授けてくださいます。そういう時、わたしは自分でも愛しますし、人にも愛されているのを発見します。
つまり、そういう時、わたしは自分の内部に信仰のシンボルを築き上げるのですが、そこではいっさいのものがわたしにとって明瞭かつ神聖なのです。
このシンボルはきわめて簡単であって、すなわち次のとおりです。キリストより以上に美しく、深く、同情のある、 理性的な、雄々(おお)しい、完璧なものは、何ひとつないということです。
単に、ないばかりではなく、あり得ないとこう自分で自分に、烈(はげ)しい愛をもって断言しています。
のみならず、もしだれかがわたしに向かって、キリ ストは真理の外にあることを証明し、また実際に真理がキリストの外にあったとしても、わたしはむしろ真理よりもキリストとともにあることを望むでしょう。」
(ナタリヤ‐ドミートリエヴナ‐フォンヴージン夫人への書簡より。 河出書房新社版全集の第16巻)

244:吾輩は名無しである
20/08/24 13:29:55 qmf2OiCR.net
文学入門にカラマーゾフの兄弟読もうと考えてる大学生です
亀山訳と原訳だと原訳のが本格的だとよく聞きますが、初心者(センター現代文50くらいしか取れない程度の読解力)でも読めますか?

245:吾輩は名無しである
20/08/24 14:08:00 yMLfuUrM.net
>>244
王道の罪と罰や虐げられた人々とかじゃダメなの。カラマーゾフ長いじゃん
他のも短くはないけどさ

246:吾輩は名無しである
20/08/24 14:36:48 y3r/wgjh.net
文学入門ならいきなり『カラマーゾフの兄弟』は厳しいな
自分の初ドストは高校時代の『罪と罰』だった
当時買った新潮文庫はまだ米川正夫訳で、今も持っている
一番好きなのは岩波文庫の米川訳で読んだ『未成年』
次が小笠原豊樹訳『虐げられた人びと』だな
ドストは青春時代に読んでおくといいと思う
アラカンより

247:吾輩は名無しである
20/08/24 15:00:19 4SG2qsQ4.net
いまだに新型コロナをただの肺炎だと思ってる人がいることが信じられないわ
専門の医師が新型コロナは軽症でも肺が繊維化して後遺症がずっと残るこんな肺炎見たこと無いって言ってるのに
医学的な定義では軽症ってだけで廃人になるレベルで日常生活困難になったりするんだよ
ツイッターで感染者が後遺症を綴ってる人一杯いるから見てみたらいいよめっちゃ怖いから
はっきり言って生き地獄

248:吾輩は名無しである
20/08/24 15:18:57.73 dDwgqEcC.net
先生は,もしも望むならば,寿命のある限りこの世に留まるであろうし,あるいはそれよ
りも長い間でも留まることができるであろう。先生がこのように延命の可能性をほのめか
されたにもかかわらず,僕が先生に対して「尊い方よ,尊師はどうか寿命のある限り,こ
の世に留まってください。(中略)多くの人々のために,多くの人々の幸福のために,世
間の人々をあわれむために,神々と人々との利益のために,幸福のために」と延命を懇請
しなかった。それは,僕の心が悪魔に取りつかれていたからであるのか。
3.悪魔との対話
先生が闘病中,悪魔が近づき,次のように言う。尊い方よ。先生はいまニルヴァーナにお
入り下さい。幸いな方(=先生)はいまニルヴァーナにお入り下さい。今こそ先生のお亡
くなりになるべき時です。先生はかつてこのことばを仰せられました。「悪しき者よ。わ
が修行僧であるわが弟子どもが,賢明にして,よく身をととのえ,ことがらを確かに知っ
ていて,学識があり,法をたもち,法に従って行い,正しい実践をなし,適切な行いをな
し,自ら知ったことおよび師から教えられたことをたもって,解説し,説明し,知らし
め,確立し,開明し,分析し,異論が起こった時には,道理によってそれをよく説き伏せ
て,教えを反駁し得ないものとして説くようにならないならば,その間は,私はニル
ヴァーナに入らないであろう」と。

249:吾輩は名無しである
20/08/24 15:19:46.97 dDwgqEcC.net
悪魔はこう言った後,この状態がすでに成就されたことを述べ,重ねて先生に即刻ニル
ヴァーナに入ることを勧める。さらに悪魔は,先生が同じことを弟子である修行尼たち,
在俗信者たち,在俗信女たちについて語ったことを述べ,彼らについてもそれぞれ先生の
目的が成就したことを指摘して,最後に次のように言う。
尊い
方よ。また実に先生はこのことばを仰せられました。「悪しき者よ。わがこの清浄行が成
就され,栄え,増大し,ひろがり,多くの人々に知られ,行きわたり,ついに神々や人々
によく説き明かされないであろう間は,私はニルヴァーナに入らないであろう」と。しか
るに,尊い方よ。今や先生の清浄行は成就され,栄え,増大し,ひろがり,多くの人々に
知られ,行きわたり,ついに人々のためによく説き明かされています。今こそ先生はニル
ヴァーナにお入りください。幸いな方はニルヴァーナにお入りください。今こそ尊師がお
亡くなりになるべき時です。以上に述べられた悪魔の主張をまとめると,出家・在家の別
を問わず,先生の弟子たちは先生の教えを完全に体得し,人にも説く弁舌の能力も備え,
法の敵を論駁する力も獲得したから,先生はもう涅槃に入るべきだ,ということである。
それに対して先生は,次のように言う。悪しき者よ。汝は心あせるな。久しからずして修
行完成者のニルヴァーナが起るであろう。今から三ヶ月過ぎて後に修行完成者は亡くなる
であろう。

250:吾輩は名無しである
20/08/24 15:20:11.96 dDwgqEcC.net
小乗
涅槃経

251:吾輩は名無しである
20/08/24 15:36:24.47 dDwgqEcC.net
この先生と魔との対話では次のことが明らかになってくる。
①先生は成道後,何度も魔から,すぐに涅槃に入るようにとの誘いを受けていた。
②魔のこういう誘惑に対して先生は,出家・在家の違いを問わず,自分の弟子たちが先生
の教えを完全に悟り,思うままに教えを語り,論敵を打破する能力を持つまでは,涅槃に
入らない,という誓いを建てていた。
③先生は,魔に対する最終的勝利の証しとして,すなわち大般涅槃を得ることの自分への
条件として,三ヶ月後の入滅を宣言したのである。
④この魔は,先生の成仏と広宣流布を妨げるエネルギーであるということを考えると,お
そらく,先生の中の死への願望であろうと考えられる。
ということは,魔に勧められてすぐに涅槃に入ることは,煩悩に敗北したことになり,先
生の一生の求道の生活を否定してしまうことになるのである。逆に自分の入滅の時を自分
で選ぶことは,煩悩との戦いの最終的勝利となるわけである。
⑤しかしどうして「三ヶ月」なのか,それには僕の正覚が関係していると推測されるので
ある。先生は魔に三ヶ月後の入滅を宣言した後,(寿命の素因)を捨てられる。これは,今
後生き続けるための業因を抹消された,ということである。すると大地震が起こるが,驚
く僕に対して説法をしたあと,魔との対話について語り,その終わりに,自分が三ヶ月後
に入滅することを宣言したことを告げる。さらに「君よ。そうしていま,チャーパーラ霊
樹のもとにおいて,今日,修行を完成した方は,念じ,よく気をつけて,寿命の素因を捨
て去ったのである」と言う。
⑥それに対して僕は先生に,「尊い方よ。先生はどうか寿命のある限りこの世
に留まってください。幸いな方は寿命のある限りこの世にとどまってください。─多くの
人々の利益のために,多くの人々の幸福のために,世間の人々をあわれむために,神々と
人間との利益のため,幸福のために」と,延命を懇請する。しかし先生は「君よ。いまは
お止めなさい。修行完成者に懇請してはいけない。いまは修行完成者に懇請すべき時では
ない」と言って延命を拒絶する。二回目の懇請も断り,三回目の懇請に対して,「お前は
なぜ,三度までも修行完成者を悩ますのか」と聞く。

252:吾輩は名無しである
20/08/24 15:41:10.34 dDwgqEcC.net
僕は次のように答える。尊い方よ,
私はこのことばを、先生の面前でお聞きし、まのあたりに体得しました。─君よ,誰であ
ろうとも,四つの不思議な霊力を修し,大いに修し,(くびきを結びつけられた)車のよ
うに修し,家の礎のようにしっかりと堅固にし,実行し,完全に積み重ね,みごとに成し
遂げた人は,望むがままに,寿命のある限り,あるいはそれよりも長い間にも留まること
ができるであろう。……と。
このことばに対して先生が「君よ。お前はそのことを信じますか?」と聞くと,僕は「は
い,先生」と答える。すると先生は次のように言う。
それならば,君よ,これはお前の罪である。お前の過失である。─修行完成者がこのよう
にあらわにほのめかされ,あらわに明示されたけれども,お前は洞察することができなく
て,先生に対して「先生はどうか寿命のある限り,この世に留まってください。……」と
言わなかったのは。
もしもお前が修行完成者に懇請したならば,修行完成者はお前の二度にわたる懇請のこと
ばを退けたかも知れないが,しかし三度まで言ったならば,それを承認したであろう。そ
れだから,君よ,これはお前の罪である。お前の過失である。

253:吾輩は名無しである
20/08/24 15:45:18.28 WSIwB3Vp.net
選択肢にないけど、
杉里直人訳のカラマーゾフの兄弟を薦める人はいないの?

254:吾輩は名無しである
20/08/24 15:48:42.22 dDwgqEcC.net
それから先生は,過去16回にわたって,様々なところで同じように延命の可能性をほのめ
かされたにもかかわらず,僕が先生に延命を懇請しなかったことを挙げ連ね,「これはお
前の罪である。お前の過失である」と僕を叱責し続ける。
まことに智慧と慈悲を体現した先生から出た言葉としては信じがたいほど厳しい言葉が
延々と続くのである。しかし先生はその直後に次のように言う。
しかし君よ。私はあらかじめこのように告げてはおかなかったか?
「愛しく気に入っているすべての人々とも,やがては,生別し,死別し,(住むところを)
異にするに至る」と。
君よ。生じ,存在し,つくられ,壊滅する性質のものが,壊滅しないように,ということ
が,この世でどうしてあり得ようか。(中略)
寿命の素因は捨てられた。修行完成者は断定的にこのことばを説かれた,『久しからずし
て修行完成者は亡くなるであろう。これから三ヶ月過ぎた後に,修行完成者は亡くなるで
あろう』と。修行完成者が,生きのびたいために,このことばを取り消す,と言うような
ことはあり得ない。(霊山へ行ってくる)

255:吾輩は名無しである
20/08/24 16:18:21.06 dDwgqEcC.net
先生の僕に対する厳しい叱責の言葉の意味について考えてみる。
先生は「大悟したものは,もし望むなら自分の死期を延ばす力も持っているのだよ」と,
意味ありげな言葉を何度も僕にほのめかすが,後で先生自身が言うように,これは自分の
教えとは矛盾した言葉である。しかし僕は「心が魔に取りつかれていた」ために,先生の
言葉の意味がのみこめず,先生に延命を懇請しなかった。
ここで言う「心が魔に取りつかれていた」というのは,煩悩の働きによって,先生の言葉
の意味を本当に理解できていなかった,という意味であろう。僕は30年にわたって先生の
身辺におり,すべての指導を聴いて先生の言葉は覚えていたけれども,怠惰,我慢,我見
などの煩悩に阻まれて,先生の指導の真の意味を理解していなかった。しかし先生が最終
的に死を覚悟し,三ヶ月後の入滅を宣言した時,始めて先生の言葉が僕の心の奥底までと
どいたのである。
それが,先生から(お前はそのことを信じますか)と聞かれた時に(はい,尊い方よ)と
いう言葉になって現れてくる。先生が自分の教えと矛盾した延命の可能性をほのめかした
のは,僕に先生の説法を聞くことの本当の意味を気付かせるためであった。先生は自分の
いのちの期間を限定することによって,僕を信心に導いたのである。これ以後の僕にとっ
ては,それまでの先生の言葉を本当に理解し,体得する時間であった。
(2016より2020の)

256:吾輩は名無しである
20/08/24 16:23:27.75 yMLfuUrM.net
>>253
それどこの出版社だっけ。本屋に置いてないよね

257:吾輩は名無しである
20/08/24 16:25:33.31 dDwgqEcC.net
僕は少し離れたところで泣いていた。
(ああ,私は,まだこれから学ばねばならぬ者であり,まだなすべきことがある。ところ
が,私を憐れんでくださるわが師はお亡くなりになる)という思いが心を占めていた。
先生は僕を呼んで次のように言う。やめよ。君よ。悲しむな。嘆くな。私はあらかじめこ
のように説いたではないか,─すべての愛する者・好むものからも分かれ,離れ,異なる
に至るということを。(中略)きみよ。長い間お前は,慈愛ある,ためをはかる,純一
な,無量の,身と言葉と心の行為によって,向上し来たれる人に仕えてくれた。お前は善
いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。
------------------------------
やめよ、君。悲しむなかれ。嘆くなかれ。君よ、私は説いていたではないか。最愛で、い
としいすべてのものたちは、別れ離ればなれになり、別々になる存在ではないかと。生ま
れ、存在し、形成され、壊れていくもの、それを「ああ、壊れるなかれ」ということがど
うして得られようか。そのようなことはあり得ないのだ。きみよ、汝は長い間、慈愛あり、
利益あり、幸いあり、比較できない無量の身体と言葉と心の行いによって先生に仕えてく
れた。きみよ、汝は善い行いをした。精進することに専修せよ。速やかに汚れのないもの
となるだろう。
公胤トイヰシ者ハ。魏王ノ肝ヲトテ我カ腹ヲサキ肝ヲ入テ死シヌ。此等ハ忠ノ手本也。

258:吾輩は名無しである
20/08/24 17:22:23.42 DEkUv6S9.net
>>244
岩波文庫の米川訳も忘れないであげて

259:吾輩は名無しである
20/08/24 18:10:34.20 0QheOSYr.net
>>256
良い子も良いおとなも図書館で借りましょう高いから。

260:吾輩は名無しである
20/08/24 18:16:04.90 rRau4GxR.net
買わずに済ませてばかりだといずれ滅びてしまうからさ…文庫くらいは買ってやりたい

261:吾輩は名無しである
20/08/24 18:18:45.05 y3r/wgjh.net
可処分所得がそれなりにある大人は出版文化を守るためにも本を買おう
食べるのに精一杯の「貧しき人びと」は図書館で借りればいい

262:吾輩は名無しである
20/08/24 18:21:06.95 AdjEtSda.net
古本で買うわ

263:吾輩は名無しである
20/08/24 19:08:31.49 i2+5HGzz.net
新潮や岩波のカラマならブックオフで1500円前後で買えるだろ
学生だって買えない値段ではない

264:吾輩は名無しである
20/08/24 23:28:34.14 daK+IG+5.net
池田先生はニルヴァーナはいったん?w

265:吾輩は名無しである
20/08/25 00:30:15.38 Ukc4Ffdi.net
>>244
俺は、読書とは意識の限界点でしかないと思っています
だから難易度に限らずどんな本でもその人に合った範囲でしか理解できないし、解釈もできないと思っています
ただし読み終わった後、時間の経過によって反芻して理解していく瞬間があると思います
それは意識の範疇にとどまらず潜在的な意識が自覚を持たずに覚えていく感覚なのかもしれません
形而上学的に言えば魂(悟性)で理解した、なんて言えるのかもしれません
何が言いたいかというと、理解できるかどうかは別として若いうちに読んでみるのはいいと思います
時間がやがて理解を助けてくれるかもしれません
当たり前ですが早めれば早いだけ読み終わった後の時間は多くなります
だけど他の人が言っているようにながいので、あきちゃう可能性はあるとおもいます
翻訳については気にすることはないと思います
またいつかは読み直すくらいの気で読みやすそうに思った本を選べばいいと思います
質問に答えるならば、比較的に現代の言葉になっているため、簡単な言葉になっているのは亀山さんだとは思います
彼の本は解説も多いので物語の理解はできるかもしれません
余計な助言かもしれませんが、解釈というのは個人的な解釈も含まれています
なので迷わされないように注意して読んでみるといいと思います
ながいですけどがんばってください

266:吾輩は名無しである
20/08/25 04:30:25.95 gmJTAsvw.net
>>247
> いまだに新型コロナをただの肺炎だと思ってる人がいることが信じられないわ
> 専門の医師が新型コロナは軽症でも肺が繊維化して後遺症がずっと残るこんな肺炎見たこと無いって言ってるのに
一つ聞きたいが。
すでにがんの末期で、コロナになろうがなるまいが、もう数ヶ月と定まってる人が、君のいわゆる
「専門の医師」が「こんな肺炎見たことナ~イ」とかホザクのを恐れると思うか?
( 医学的な定義では)きみらは健康で、コロナを恐れるかもしれないが(仏法から見たら、法華経から見たら)ちがう。ひとり残らず極大重病であり、地獄は定まっている。
( はっきり言って生き地獄)などという比喩ではない。我らは この身はいかなる地獄、いかなる悲惨であっても、心は霊山に住む。お前たちは今世において薄暗く生き、来世において仏とともに生きることはない。

267:吾輩は名無しである
20/08/25 04:38:37.82 gmJTAsvw.net
>>265
きみの言ってることは概ね適切だ。だが僕はこの若い友に次のように言いたい。
> 文学入門にカラマーゾフの兄弟読もうと考えてる大学生です
考えるな、感じろ―とw
そしてカラマーゾフなど読むな。漫画とネトゲだけしとけ―と。
きみらが、頭から入ってドストエフスキーや哲学やキリスト教などに親しんで、得することはぜったいにない。
その実例がゴロゴロしてるから、よくこのスレを観察するんだ、と。

268:吾輩は名無しである
20/08/25 04:48:54.75 gmJTAsvw.net
ドストエフスキー君へ
>キリストより以上に美しく、深く、同情のある、 理性的な、雄々(おお)しい、完璧なものは、何ひとつないということです。
単に、ないばかりではなく、あり得ないとこう自分で自分に、烈(はげ)しい愛をもって断言しています。
のみならず、もしだれかがわたしに向かって、キリ ストは真理の外にあることを証明し、また実際に真理がキリストの外にあったとしても、わたしはむしろ真理よりもキリストとともにあることを望むでしょう。
キリストはどこが?
美しいんだね?なにが、深いのかね? 同情も理性も雄々しさもないじゃないか。
あの方と比べて。
>だれかがキリストは真理の外にあることを証明し、また実際に真理がキリストの外にあったとしても、わたしはむしろ真理よりもキリストとともにあることを望む
のではなく、潔くキリストを捨て去り、真理に仕えようよ。

269:吾輩は名無しである
20/08/25 04:50:41.38 gmJTAsvw.net
もし僕が19世紀に同時代に生きていたら、今述べたとおりの言葉で彼を折伏するね。
お手紙を書く。

270:吾輩は名無しである
20/08/25 04:57:58.46 gmJTAsvw.net
... しかしね、再往考えたとき、彼はあれでいいんだ。
19世紀ロシヤにおいては。
民衆の信仰と一体化し、同じ希望を抱くことが大切なんだ。
しかし何度も書いてきたが、君たちはちがう。君たちは日本人であり、インド・中国といった
アジアの思想と伝統のうちに生きている。私たちの日本は大乗仏教の国です。
(これがあるから、決してキリストを寄せ付けなかった)法華経の国であり御本尊の国です。

271:吾輩は名無しである
20/08/25 13:26:28.14 nPC2caeS.net
亀訳では4分3しか読んでいないが、
訳が悪いとは思わなかった。
でも新カラマーゾフの兄弟を書いちゃう人だということがわかってからは、
できるだけ亀訳は避けたいと思うようになった。

272:吾輩は名無しである
20/08/25 14:01:47 WRTv0gr8.net
亀山訳はいう程悪いとは思わないけど、本人の解説は何言ってるのかさっぱりわからん
素直に江川卓の謎解きシリーズ当たった方がマシ

273:吾輩は名無しである
20/08/25 14:11:35 FhGIg+Pw.net
ロシア語が分からないのに訳の良し悪しはわからないと思うのだが、どうなの?
ネットでみると、新潮文庫の工藤訳は書き出し部分とマルメラードフが豚じゃないと言いきれるか、という箇所がおかしいと
指摘していたけど、他の訳者も多かれ少なかれ間違いや不足があるんじゃないの

274:吾輩は名無しである
20/08/25 15:28:53.02 A3dntJK3.net
>>273
誤訳のない翻訳はない
亀山訳の場合わかりやすくしようと訳語の単純化や構文の入れ替えをし過ぎたため文脈の読み取りやリズム感に欠け、一読してもかえって頭に入りにくい文になってるのが問題
亀山郁夫訳『悪霊Ⅰ』を検証する URLリンク(www.ne.jp)
このページは米川・江川・小沼訳の誤訳や曖昧な解釈も指摘してるから比較的公平だと思う
もっともやり過ぎの感も否めないが(ここまでやるなら自分で訳せばって気にもなる)

275:吾輩は名無しである
20/08/25 15:43:36.97 khcfHZad.net
>>273
なぬ?ロシア語がわからないとな?
その通り。
でもほかで一通り読んだことがあるからそれと比較して。

276:吾輩は名無しである
20/08/25 17:28:34.07 6NNCrUXM.net
付録の解説が良い訳を買えば良い

277:吾輩は名無しである
20/08/25 17:54:56.16 IkSLJHNy.net
自分は初ドストは池田健太郎訳の罪と罰だった。他の訳本と読み比べはしたことないけど、やっぱり感じが違うもん?

278:吾輩は名無しである
20/08/25 19:17:12.58 A3dntJK3.net
>>277
小沼訳は一文が比較的長かったり、江川訳はセリフが江戸っ子さっぱり口調とか訳者によって細かな違いはある
ただ原文自体は変わらないから訳者よりいつ翻訳されたかの方が重要かも

279:吾輩は名無しである
20/08/25 19:52:37 BPjSXP2L.net
154年前に書かれた小説なんだよな。154年前の日本人の感覚で翻訳できればベスト、というわけでもないだろうがね

280:吾輩は名無しである
20/08/25 20:23:29 nHYCEgOP.net
米川正夫は1965年に亡くなっているから、その翻訳も半世紀以上前のものだ
しかし、古くてもいいものはいいのだから仕方ない
米川訳は日本語がわかりやすくて文章にリズムがあると評価される
ロシア文学の翻訳者として自分は信頼している

281:吾輩は名無しである
20/08/25 21:08:34.96 tDvmRAMG.net
江川訳はイデオロギーとかを意識してるから読み解きたいなら江川がいい

282:吾輩は名無しである
20/08/25 21:12:05.53 sJrO0Coe.net
ロシア文学だけ翻訳の充実度が異常

283:吾輩は名無しである
20/08/26 07:19:05 k8aasOnI.net
誤訳誤訳って騒いでいるバカは一度全部翻訳してみるといい。
やれるならやってみろ。

284:吾輩は名無しである
20/08/26 07:39:16 CgSYkQSq.net
おは亀山

285:吾輩は名無しである
20/08/26 11:20:15.72 VF3LCaLO.net
亀山の本は悪霊論しか持ってないし途中でやめたけど、亀山カラマが売れた事で工藤訳の未成年が復刊されたのは感謝している

286:吾輩は名無しである
20/08/26 11:33:29.44 BwVtEJ2i.net
俺のような図書館で借りる派の人間が言えることじゃないけど、
実際、大作家のこのあたりまでの作品が絶版?みたいな感じですもんね。
新コロ禍で図書館が不自由になった時期から本を買うようになっての感想です。
もっとも中古をメルカリでがほとんどですけど。

287:吾輩は名無しである
20/08/26 11:42:14.24 025a6YZT.net
買わないと亡びるしかないのでね

288:286
20/08/26 11:46:41.17 BwVtEJ2i.net
俺はレコードをガンガン買っているんです。
もっとも中古をヤフオクでがほとんどですけど。

289:吾輩は名無しである
20/08/26 13:15:49.87 BckWZ3my.net
古本を買っても出版社には1円も入らない
絶版本は古本しか選択肢がないけれど、
刊行されている新本は極力購入しよう
そうしないと将来海外文学はほとんど
絶版という状況になってしまう

290:吾輩は名無しである
20/08/26 13:19:49.47 6gyaw6cw.net
もういまでてる本だけでいいので
新しい本は出さなくていいです

291:吾輩は名無しである
20/08/26 14:05:45 chSM8hMc.net
あ、ボクは新品で買ってるんで

292:吾輩は名無しである
20/08/26 18:34:51 zs4vEXZ/.net
研磨本嫌だからよくて岩波しか買わん

293:吾輩は名無しである
20/08/26 18:51:10.62 rZ8FPiQ0.net
ドストは長いから、いやドストに限った話ではないのだけれども、文庫で分冊で3冊5冊に分けるのをやめてほしいのだよね
営業上仕方ないのは分かるけど、せいぜい2冊にして欲しい

294:吾輩は名無しである
20/08/26 22:59:07 XRtPpsV4.net
光文社古典新訳文庫の亀山訳『罪と罰』電子書籍版を買って読んだ(ポイント半額還元セールだったので)
1巻~3巻まで同時買いをした
中身はまぁ、平易な日本語で読みやすく3冊すぐに読了できたので良かったんだけどね・・・

これ1巻のあとがきにネタバレが載ってるんだよ
3巻物の長編なのに、1巻のあとがきにネタバレがあるなんて!
俺は、ずっと読みたかった『罪と罰』をスゲー楽しみにしててやっと1巻読了した時点であとがきにネタバレが載ってた時の衝撃ときたら・・・

電子書籍版と紙の本とでは、あとがきの内容に差があるのかもしれないけど出版社には早急に改善してもらいたい
これから初めて『罪と罰』を読む人に対しては注意喚起をしたい

295:吾輩は名無しである
20/08/26 23:52:34.23 BckWZ3my.net
>>281
江川卓訳で一番好きなのはドスト作品ではなく、
パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』だね
絶版で古本しかないのが悲しい

296:吾輩は名無しである
20/08/27 08:57:28 Yt8WoDak.net
>>294
俺なんか全集本のしおりの登場人物一覧にこの後死ぬだの結婚するだの書かれていて白けたぞ
一方、名作は話の筋を知っていても十分楽しめるからネタバレされてもそれほど害はないともいえる
ミステリーでそのネタ一発勝負みたいな小説だとツラいけど、ドストは何度も楽しめるし

297:吾輩は名無しである
20/08/27 09:37:33.62 YipW1Eul.net
新潮文庫の白痴の上巻の裏表紙にさりげなくされている壮大なネタバレは、
俺が白痴に良い感想を持てない大きな要因にまちがいなくなっている。

298:吾輩は名無しである
20/08/27 09:53:21.10 H3bhST88.net
ミステリ小説の紹介コラムで犯人を明かされても
その小説を楽しんで読んだ思い出がある

299:吾輩は名無しである
20/08/27 13:12:03.37 9xjZGHh/.net
カラマーゾフの兄弟の魅力の一つにサスペンスがあげられていて、
それを認めている人が多い印象を受けるんだけど、
個人的にはサスペンスとしての魅力は全く感じることができないでいます。
皆の衆はいかがですか?

300:吾輩は名無しである
20/08/27 13:23:23.40 H3bhST88.net
『カラマーゾフの兄弟』は小説内小説「大審問官」を軸に読むべき作品だろう
人間の自由とパンを得る権利との厳しい争闘の2000年の歴史を展望しつつ、
それでは現代ではいかに生きるべきかを問うている
ミステリ要素はほんの味付けにすぎない

301:吾輩は名無しである
20/08/27 18:27:25.92 ozYO5qJz.net
先生の30年の生活は最も力強く先生の仏たることを語るもので、我らは何等の説明を待つことなしに、仏の実在とその永遠の生命とを信じて疑わなかった。
然るに今や入滅の時に臨んで、先生自身には最も有意義に過ごし得た生涯の行蹟に対して、無限の感謝と喜びを覚えるのみで、死は何等意とする処ではなかった。唯だ静かに安らかに時の流れのみが移り行くのであった。
しかし常住たるべき仏の死滅を眼前に見ては弟子たるものは誰でも、永別の悲歎と共に、「老病死を脱して不死永生を得た」と常に宣言された教説に不審を抱いて、その信仰に動揺を覚ゆることであろう。
今静かに長老亡き後のアレクセイを思うに、なにゆえにゾシマとの永別の悲歎にくれずに「治療の奇跡」「奇跡ではなく最高正義
」の不信と動揺を得たのか、そこが謎なのであった。

302:吾輩は名無しである
20/08/27 19:58:23.19 /EX+Sqv+.net
大審問官はよくわからなくて、ゾシマ長老の若いころの話や
ヤギ髭のおじさんとその家族の話、宿屋でのドンちゃん騒ぎが面白かった思い出
ドストは貧しい人々、子供たちを書くのが上手い

303:吾輩は名無しである
20/08/27 20:04:55.70 TBASKcyx.net
>>293
京極夏彦ばりの厚さになってる文庫版カラマーゾフとか見てみたいな
集英社文庫が江川卓訳とかで出して欲しい
思想的なものが重要なのは当たり前だけどあくまでドストエフスキーは小説書いてるんだから好きに読めばいいよ
カラマーゾフは家庭・恋愛・思想・ミステリー・金銭・裁判・宗教etc色んなテーマがあるし

304:吾輩は名無しである
20/08/27 20:38:52.19 UIcPtgLt.net
>>303
京極本みたいなドスト欲しい!辞書みたいで迫力あっていいよね

305:吾輩は名無しである
20/08/28 09:40:03.58 A/tAWaKm.net
⬜⬜⬜
⬜⬜
⬜⬜
⬜⬜
⬜⬜
⬜⬜⬜
⬜⬜⬜
⬜⬜⬜



306:吾輩は名無しである
20/08/29 01:39:20.40 5clKsBiL.net
貧しき人々が読み終わりました
キャラクターとしては地下室の主人公を思わせるし、罪と罰のスヴィロリガイロフも思わされました
哲学的な面では必然への反抗、つまりは貧しき人々の運命への抵抗としてカラマーゾフ(イワンの世界への反抗)につながる側面もあると感じます
だけどコレってようは白夜でした
ドストエフスキー理論として、自意識が妄想化する過程で純粋を求める性質があるように思います
白夜に言えることだけど、貧しき人々でもワーレンカはグルーシェニカの幼い頃(囲まれる前)を思わせる節がありました
永遠の17歳は男のロマンのようです(15の方がいいけどw)
もうすぐすると虐げられた人々が届きます
楽しみ

307:吾輩は名無しである
20/08/29 10:38:40 YDiVttvt.net
『虐げられた人びと』はいくつもの恋が描かれるが、ほとんどが片思いで終わるのが切ない
主人公を好きになってしまうネリーという少女はディケンズ『骨董屋』から借りている
錯綜した人間関係と筋立て、親と子の世代の対立などが印象的だ
キリスト教色はあまり強くないので、日本人には読みやすいと思う
日本で連続ドラマにならないかなと夢想している

308:吾輩は名無しである
20/08/29 12:11:28.36 6FXU3Lq9.net
罪と罰を20年ぶりに読み直した。ロージャとソーニャ、ポルフィーリーしか覚えてなくて
脇にあんなに濃い連中がいるのに全く記憶にないのは不思議だった
つくづく若いときは読み込めてなかったと痛感した。ロージャと母の別れの場面が通説で目が潤んでしまった
いまも各場面を読み直してるけど読むたびに新しい発見があるのはすごい

309:吾輩は名無しである
20/08/29 15:15:44.11 ++8IRRG5.net
>>306
ドストエフスキー理論として、自意識が妄想化する過程で純粋を求める性質があるように思います
ここすごくわかる

310:吾輩は名無しである
20/08/30 02:53:32.26 W7EG6VC4.net
大般涅槃經卷第二十五
 *宋代沙門慧嚴等依泥洹經加之 
  *師子吼菩薩品9第二十三10之一
爾時佛告一切大衆。諸善男子。汝等若疑有
佛無佛有法無法有僧無僧有苦無苦有
集無集有滅無滅有道無道有實無實有
我無我有11樂無樂有淨無淨有常無常
有乘無乘有性無性有衆生無衆生有
有無有有眞無眞有因無因有果無果有
作無作有業無業有報無報者。今恣汝
問。吾當爲汝分別解説。善男子。我實不見
若天若人若魔若梵若沙門若婆羅門有來
問我不能答者
爾時會中有一菩薩名師子吼。即從座起
12斂容整服前禮佛足。長跪叉手白佛言。
世尊。我適欲問。如來大慈復垂聽許
爾時佛告諸大衆言。諸善男子。汝等今當
於是菩薩深生恭敬尊重讃歎。應以種種
香花13伎樂14瓔珞幡蓋衣服飮食臥具醫藥房
舍15殿堂而供養之迎來送去。所以者何。
是16人已於過去諸佛深種善根福徳成就。
是故今於我前欲師子吼。善男子。如師子
王自知身力牙17爪鋒18鋩四足據地安住嚴
穴19振尾出聲。若有能具如是諸相。當知
是則能師子吼。眞師子王晨朝出穴頻1申欠
呿。四向顧望發聲震吼。爲十一事。何等十
一。一爲欲壞實非師子詐作師子故。二
爲欲試自身力故。三爲欲令住處淨故。
四爲諸子知處所故。五爲群輩無怖心故。
六爲眠者得覺2悟故。七爲一切放逸諸獸
不放逸故。

311:吾輩は名無しである
20/08/30 02:53:56.41 W7EG6VC4.net
八爲諸獸來依附故。九爲欲
調3諸香象故。十爲教告諸子息故。十一
爲欲莊嚴自眷屬故。一切禽獸聞師子吼。
水性之屬潜沒深淵。陸行之類藏伏窟穴。飛
者墮落。諸大香象怖走失糞。諸善男子。如
彼野干雖逐師子至于百年。終不能作
師子吼也。若師子子始滿三年則能哮吼
如師子王。善男子。如來正覺智慧牙4爪。
四如意足六波羅蜜滿足之身。十力雄猛大
悲爲尾。安住四禪清淨窟宅。爲諸衆生而
師子吼。摧破魔軍示衆十力。開佛行處爲
諸邪見作歸依所。安撫生死怖畏之衆。覺
*悟無明睡眠衆生。行惡法者爲作悔心。開
示邪見一切衆生。令知六師非師子吼故。
破富蘭那等憍慢心故。爲令二乘生悔心
故。爲教五住諸菩薩等生大力心故。爲令
正見四部之衆於彼邪見四部徒5衆不生
怖畏故從聖行梵行天行窟宅頻申而出。爲
欲令彼諸衆生等破憍慢故。欠呿爲令諸
衆生等生善法故。四向顧望爲令衆生得
四無6礙故。四足據地爲令衆生具足安住
尸波羅蜜故。故師子吼。師子吼者名決定
説。一切衆生悉有佛性。如來常住無有變
易。善男子。聲聞縁覺雖復隨逐如來世尊
無量百千阿僧祇劫。而亦不能作師子吼。
十住菩薩若能修行是三行處。當知是則能
師子吼。諸善男子。是師子吼菩薩7摩訶薩。
今欲如是大師子吼。是故汝等應當深心供
養恭敬尊重讃歎

312:吾輩は名無しである
20/08/30 03:51:01.53 W7EG6VC4.net
釈尊は獅子吼を紹介する。
爾時佛告諸大衆言。諸善男子。汝等今當
於是菩薩深生恭敬尊重讃歎。應以種種
香花伎樂瓔珞幡蓋衣服飮食臥具醫藥房
舍殿堂而供養之迎來送去。
所以者何。是人已於過去諸佛深種善根福徳成就。
(過去諸佛において、深種の善根と福徳を成就し―ようするに
福運があるということである。)
是故今於我前欲師子吼。
(この故に今我が前にて獅子吼せんとするのだから)

313:吾輩は名無しである
20/08/30 04:09:32.28 W7EG6VC4.net
(SAT大蔵経DBのテキストを貼りたいが、記号が多く整形が大変なので、
やむなく簡体中文のテキストを貼る)
「獅子が早朝に穴を出て四方を望み、たてがみを立てて咆哮すれば
一切の禽獣は或は深淵に潜み或るは岩窟に隠れ、或るは墜落し或るは疾走する。
野干が百年の間獅子の後を逐ふていても獅子の咆哮をなすことはできないが、獅子の子
は三カ年にしてよく獅子吼することができる。」
  “善男子,如师子王,自知身力,牙爪锋芒,四足据地,安住岩穴,振尾出声。若有能
具如是诸相,当知是则能师子吼。真师子王,晨朝出穴,频申欠呿,四向顾望,发声震吼,
为十一事。何等十一?一、为欲坏实非师子,诈作师子故;二、为欲试自身力故;三、为欲
令住处净故;四、为诸子知处所故;五、为群辈无怖心故;六、为眠者得觉悟故;七、为一
切放逸诸兽不放逸故;八、为诸兽来依附故;九、为欲调诸香象故;十、为教告诸子息故;
十一、为欲庄严自眷属故。一切禽兽闻师子吼,水性之属潜没深渊,陆行之类藏伏窟穴,
飞者堕落,诸大香象怖走失粪。诸善男子,如彼野干,虽逐师子至于百年,终不能作师子吼
也。若师子子,始满三年,则能哮吼如师子王。

314:吾輩は名無しである
20/08/30 05:38:29.58 W7EG6VC4.net
涅槃経を読むからといって、そこに日蓮大聖人の御書の引用されてる箇所のみを
日蓮大聖人が感激をもって拝されたその同じ感激をもって拝するのである。
そうでなければ真如苑や浄土宗のごとき邪宗となってしまうのである。
「転重軽受」法門は知っている人もいると思うが、創価学会において最大大事の教えであり、
体験発表にも必ずといっていいほど出てくる。この日本において世界において、何百万という庶民が
そこに希望を持ち、それに全生命をかけているのである。
こんかい僕が引用していくのは、すべて「転重軽受」にかかわる箇所です。

315:吾輩は名無しである
20/08/30 05:44:58.97 W7EG6VC4.net
一知半解の愚人が、我が学会を指して「現世利益」という。
学会は現世利益でも、宗教屋でも、観念論者でもない。
現世も大切にし、しかし最大希望は「転重軽受」「変毒為薬」の永遠の生命であり、永遠の福徳です。
これは両輪であり、どちらか一方など仏法にそんな考えはない。

316:吾輩は名無しである
20/08/30 05:49:14.75 W7EG6VC4.net
女々しく罪と罰や『虐げられた人びと』のいくつもの恋 などにうつつを抜しているときカッ?
そんなことで宿命転換ができんのかっ? もちろんできねーよな?
いま、コロナで学会は停止してる。これは創立以来初めての事態だ。だが、題目はいついかなる状況でも
あげれるではないか! これは自分との勝負なんだ。やるか・やらないか― この一点だけにかかってるんだ。

317:吾輩は名無しである
20/08/30 11:14:21.43 /oGBBdRV.net
恋愛は文学の華
ここは文学板なのだから当然恋愛を俎上に載せる

318:吾輩は名無しである
20/08/30 12:14:00.98 aJyx0cHr.net
『涅槃経』は大変重要な経典である
仏性とアートアマンの違い、一闡提は救われるか、父親殺しの阿闍世王は救われるかといった重要な問題について釈迦が答えている
しかし、日蓮はこれを全く理解できていない
日蓮系のアホな宗派はすべてこれを引き継ぎ、『涅槃経』を全く理解できない
一方、親鸞は『教行信証』においてこれを精しく考察し、自分の思想の根幹としている

319:吾輩は名無しである
20/08/30 12:16:10.36 aJyx0cHr.net
ミスタッチ訂正
×アートアマン
○アートマン

320:吾輩は名無しである
20/08/31 10:51:59.85 QvNLTYSn.net
まだ読んでない長編がいくつかあるから読まないとな
『分身』『伯父様の夢』『ステパンチコヴォ村とその住人』

321:吾輩は名無しである
20/09/01 00:46:46 wg2wc2dW.net
>>318
> 仏性とアートマンの違い、一闡提は救われるか、父親殺しの阿闍世王は救われるかといった重要な問題について釈迦が答えている

一切衆生悉有仏性。
>父親殺しの阿闍世王は救われるか 

ことごとく大聖人が解き明かしているではないか?

> しかし、日蓮はこれを全く理解できていない

貴様は日蓮大聖人を読んだことがあるのか?もし読んだとして、どの御書を読んだのか? なぜウソを書くのか?
我らの如き凡才が日蓮大聖人の境涯の一分でも理解できると空想するのか? それはあたかも「俺はドストエフスキーと同程度の作品をあらわすことができる」と思うのと同じであるとわからないのか?

322:吾輩は名無しである
20/09/01 00:59:32 wg2wc2dW.net
「獅子が早朝に穴を出て四方を望み、たてがみを立てて咆哮すれば
一切の禽獣は或は深淵に潜み或るは岩窟に隠れ、或るは墜落し或るは疾走する。
野干が百年の間獅子の後を逐ふていても獅子の咆哮をなすことはできないが、獅子の子
は三カ年にしてよく獅子吼することができる。」

獅子とは我らである。獅子吼とは「一切衆生悉有仏性」と訴え切るの意義である。一切の禽獣とは親鸞等 法華経誹謗の祖師であり、なかんずくお前たちである。

恐れを取り除き、虚偽を打ち破るのが獅子吼である。恐れとは念仏であり、虚偽とはキリストである。

>野干が百年の間獅子の後を逐ふていても獅子の咆哮をなすことはできない
とは
キリストが100年間 獅子の後を追いかけても、けっして我らのごとくなれないということである。

我らのごとくとは―
恐れを取り除き、虚偽を打ち破り、皆の威光勢力を増し、若き世代を導き育む―というこの力です。

親鸞学徒の友よ。勇気をだして我らについて来い。

323:吾輩は名無しである
20/09/01 17:32:11 6qlH2Cjg.net
💩

324:吾輩は名無しである
20/09/02 14:55:16.16 xfMZn5bw.net
『大乗涅槃経』はシャカの入滅最後の一日、菩薩たちとの問答を描いたものである
これは、プラトンの『パイドン』に似ている
『パイドン』では、ソクラテスが刑死する最後の一日、弟子たちと死後の世界や輪廻転生などについての問答をする
『涅槃経』の中心テーマは何といっても「仏性」である
「一切衆生悉有仏性」というが、例外規定がある
それが「一闡提」(イッチャンティカ)である
「一闡提」は、大乗の教えを受け入れない者、大乗の教えを謗る者という意味である
果たして「一闡提」には仏性がないのか、「一闡提」は救われないのか
親鸞は『教行信証』の信の巻で、道元は『正法眼蔵』の仏性の巻で『涅槃経』を取り上げ、これらの問題を長々と論じている
しかし、同じ鎌倉新仏教と言ってもおバカの日蓮だけは全く違う
鎌倉新仏教の特徴は、仏教の個人化、内面化であるが、日蓮はそれが全く出来てなく、相変わらずの鎮護国家的な外面的宗教のままであった
他の二人が主著で仏性問題を人間の心の内面まで掘り下げ考察しているのに対し、
日蓮は主著『開目抄』で、『涅槃経』の「一闡提」の定義を、正法=大乗の教えを誹謗する者というのを正法=法華経を誹謗する者にすりかえて、法華経の絶対化と他宗派誹謗に利用するだけである

325:吾輩は名無しである
20/09/02 14:56:47.08 xfMZn5bw.net
阿闍世王の五逆罪についても全く同じである
阿闍世王は父王を幽閉して殺し王位につくが、悔悟の念で全身にできものが出来て苦しむ
これは旧約聖書のヨブに似ているが、ヨブの悪瘡が悪魔のせいであるのに対し、阿闍世王の方は自身の慙愧の念のためである
この慙愧の念が起こるのが仏の救いにとって重要なのに、日蓮は阿闍世王の悪瘡を欲界の第六天の魔王の仕業だとして、ヨブ記のようなものにしてしまっている
日蓮のあるいは法華経の阿闍世王に対する認識は次の書状の程度ものなのである
「この国の阿闍世王は悪人であった。阿闍世王は賢王である父を殺した。月々に悪風吹き、年々に飢饉・疫病来たって万民ほとんど死に絶えようとしたうえ、
四方の国より阿闍世王を攻めた。国、すでに危くなったとき、阿闍世王は夢のお告げにより、あるいは耆婆のすすめにより、あるいは心に思い当たることあって、
提婆達多をうち捨て、仏の御前にまいりて、さまざまにお詫びを申したゆえ、身の病はたちまちにいえ、他国の侵略もおさまり、国土安穏なるのみならず、
三月の七日に御崩御になるはずのところが、命が延びて四十年生きられ、千人の阿羅漢をあつめて一切経、ことに法華経を書き残された。
今われらがたのみとするところの法華経は阿闍世王のあたえられた御恩である。」(健治二年九月六日 四条金吾宛書状)
親鸞と道元との差はあまりに大きく、ばかばかしくて相手にする価値もない

326:吾輩は名無しである
20/09/03 20:46:15 tQOp+uye.net
池田先生はゾシマ長老の生まれ変わりだ
ドストエフスキーが現代に復活したら大勝利と叫んで創価学会に入信しただろう

327:吾輩は名無しである
20/09/03 22:55:51 Fzej7drD.net
エル・カンターレの時代やぞ

328:P
20/09/03 23:08:14.24 8bgXZ74G.net
URLリンク(i.imgur.com)

329:吾輩は名無しである
20/09/04 12:02:07.08 k8YqbEcg.net
かつて創価学会が拾っていた落ちこぼれの若者を今は幸福の科学が回収してるからなあ。

330:吾輩は名無しである
20/09/04 13:08:46.94 RsC+3V12.net
建治二年九月六日 四条金吾殿御返事
>設ひ正法を持てる智者ありとも檀那なくんば争でか弘まるべき。然れば釈迦仏の檀那は梵王・帝釈の二人なり。これは二人ながら天の檀那なり。
《設い》《縦ひ》《仮令》《たとひ》、①〔「ば」を伴って順接の仮定条件となり〕もし‥‥ならば。
②〔「とも」「ども」を伴って逆接の仮定条件となり〕よしや‥‥しても。かりに‥‥しても。万一‥‥しても。
《なくんば》『なく』打消の助動詞「ず」のク語法、‥‥ないこと。‥‥しないこと。
《然れば》《しかれば》接続詞。「しかあれば」の約。①そうであるから。そうだから。だから。
②かくして。そうして。さて。

331:吾輩は名無しである
20/09/04 13:12:36.37 RsC+3V12.net
>仏は六道の中には人天、人天の中には人に出でさせ給ふ。人には三千世界の中央五天竺、五天竺の中には摩竭提国に出でさせ給ひて候ひしに、彼の国の王を檀那とさだむべき処に、
彼の国の阿闍世王は悪人なり。聖人は悪王に生まれあふ事第一の怨にて候ひしぞかし。
《人に出でさせ給ふ》こういう場合、過去形で訳していいのか?
《ぞかし》〔文末に用いて〕念を押して強く言う意味を表す。‥‥なのだよ。‥‥だぞ。

332:吾輩は名無しである
20/09/04 13:24:20.14 RsC+3V12.net
>阿闍世王は賢王なりし父をころす。又うちそふわざはひと提婆達多を師とせり。
《せり》使役の助動詞「せ」+完了の助動詞「り」、‥‥した。‥‥してしまった。(存続では)‥‥している。
うちそ(添)ふわざはひ(災)

333:吾輩は名無しである
20/09/04 13:27:50.57 RsC+3V12.net
>既に危ふく成りて候ひし程に、阿闍世王或は夢のつげにより、或は耆婆がすすめにより、或は心にあやしむ事ありて、
提婆達多をばうち捨て仏の御前にまいりてやうやうにたいはう申せしかば、
《すでに》①もはや。まったく。すっかり。すべて。のこらず。全然。②もう。現に。とっくに。その時までに。
③いよいよ。まさに。今まさに。もう少しで。④まぎれもなく。確かに。まさしく。早くも。ちょうど。
《程に》「ほどに」、①‥‥によって。‥‥から。②‥‥するうちに。‥‥したところが。
《たいはう》「怠報」、わびること。懺悔すること。

334:吾輩は名無しである
20/09/04 13:32:05.81 RsC+3V12.net
>身の病忽ちにいゑ、他方のいくさも留まり、国土安穏になるのみならず、
三月の七日に御崩御なるべかりしが命をのべて四十年なり。
《たちまち》《忽ち》〔多く「に」を伴って、《たちまちに》《忽ちに》〕①突然に。にわかに。②実際に。現に。ただ今。
③すぐさま。/《のみならず》ばかりではなく。だけでなく。

335:吾輩は名無しである
20/09/04 13:40:50.73 RsC+3V12.net
>千人の阿羅漢をあつめて一切経ことには法華経をかきをかせ給ひき。
今我等がたのむところの法華経は、阿闍世王のあたへさせ給ふ御恩なり。
《たのむ》①頼みにする。あてにする。②信用する。信頼する。
頼みに思わせる。あてにさせる。

336:吾輩は名無しである
20/09/04 14:58:19.03 RsC+3V12.net
1273年 文永十年八月三日 南部六郎三郎殿御返事
>阿闍世王は父を殺害し母を禁固せし悪人なり。然りと雖も涅槃経の座に来たりて法華経を聴聞せしかば、
現世の悪瘡を治するのみに非ず、四十年の寿命を延引したまひ、結句無根初住の仏記を得たり。
我は阿闍世王なり。「日本国の一切衆生は阿闍世王なり」先生は母なり。現世の悪瘡とはガンなり。
>提婆達多は閻浮第一の一闡提の人、一代聖教に捨て置かれしかども此の経に値ひ奉りて天王如来の記別を授与せらる。

337:吾輩は名無しである
20/09/04 15:12:42.86 RsC+3V12.net
>彼れを以て之れを推するに末代の悪人等の成仏・不成仏は、罪の軽重に依らず。但此の経の信不信に任すべきのみ。
以彼推之末代
悪人等成佛不成佛罪不依輕重但此經可
任信不信耳
>而るに貴辺は武士の家の仁、昼夜殺生の悪人なり。家を捨てずして此の所に至りて
何なる術を以てか三悪道を脱るべきか。能く能く私案有るべきか。
而貴邊武士之家仁晝夜
殺生悪人也不捨家至此所以何術可脱
三悪道乎能々可有私案
>法華経の心は当位即妙・不改本位と申して、罪業を捨てずして仏道を成ずるなり。
法華経乃心ハ當
位即妙不改本位申不捨罪業成佛道也

338:吾輩は名無しである
20/09/05 12:32:51.94 +8/H2QZj.net
はい。お薬の時間ですよ〜

339:吾輩は名無しである
20/09/05 14:28:27.87 Zwe/tCmc.net
アスペに投薬しても無意味だろうが
カルト製サリンで仏にしてやれ

340:吾輩は名無しである
20/09/05 14:52:41 /svBNbdI.net
ドストエフスキー作品を一作読むと濃厚すぎて腹一杯に膨れて、しばらく他の小説を読めなくなる
読後も何度も読み返すしホントにページに込められたエネルギー量が膨大で圧倒される
だからいつまで経っても全作品を読みきれない


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