【ばふり】蓮實重彦 X+4【P ◆.uKag/vUmY】at BOOK
【ばふり】蓮實重彦 X+4【P ◆.uKag/vUmY】 - 暇つぶし2ch93:吾輩は名無しである
21/04/02 18:16:06.01 Tnszhgv5.net
そんな中平康はゴダールを酷評して古典的な技法を踏まえたトリュフォーは認めた
ロブ=グリエは全く逆の評価をした

94:吾輩は名無しである
21/04/02 18:57:20.22 0VZSE/JB.net
志紀島啓「ドゥルーズと法」
今考えなければならないことは、マゾヒズムの戦略を権力サイドが取ったならばどういうことが
起こるか、ではないだろうか? そして何よりも悪いことに権力側がマゾヒズムの戦略を取るならば、その
力は強大であるため、彼らのファンタスムは単なるファンタスムに留まらないで、近代的法体系が実際に根
本からねじ曲げられてしまうのだ。
近代的な国家制度は憲法によって国家権力の行使に一定の歯止めを掛けている。これを立憲主義という。
国家機関や政党や政治家が憲法の規定を超えて政治を行うことは基本的に許されていない。憲法と国家権力
との関係において、国家権力の側がマゾヒズムの戦略を取ったならばどうなるのか? 憲法違反が罷り通り、
憲法は有名無実となる。国家の根幹となる構造がなし崩し的に解体されてしまう。これは今我々の眼前に繰
り広げられている光景ではないだろうか

95:吾輩は名無しである
21/04/02 19:09:38.98 0VZSE/JB.net
カント「実践理性批判」
法が善に依拠するのではなく、善が法に依拠する
サディズムは、「善」とされていたものに基づく法を否定し、
あらたに「自然」(「多型倒錯的」欲望)に基づく法を立て、
それを定言命法的に遵守することによって「超越」を試みる。
ドゥルーズの理解では、マゾヒズムには、サディズムとちがって、否定がない。そのかわり否認がある。
法の「超越」は目指さず、法からずれることを択ぶ。
蓮實話法は、「東大話法」だという批判が、このスレッドでは何度かあったが、
「東大話法」といわれるものが、志紀島氏のいう、権力や財力や知名度を有する側のマゾヒズム戦略のひとつ
だとすれば、たしかに、類似点もあるかもしれない。

96:吾輩は名無しである
21/04/02 19:18:59.09 0VZSE/JB.net
サディズムとマゾヒズムの根本的な違いは、
一方では否定性と否定、他方では否認と宙づり
という対応関係にある二つの過程としてあらわ
れている。所与ではけっしてありえない死の本
能を把握する思弁的で分析的な方法を前者が代
理=表象するなら、後者は神話的で弁証法的で、
かつ想像的なまったく別の方法を代理=表象し
ているのである
(ドゥルーズ「マゾッホとサド」)

97:吾輩は名無しである
21/04/02 19:25:24.95 0VZSE/JB.net
ナチス時代のドイツの裁判官の最重要な仕事というのは、ナチ党の定めた法が合憲であること、
ナチス政府の政令や施策が適法であること、
そのような解釈をひねり出すことだったそうだ。
ちょっと「ディコンストラクション」みたいですな。
「東大話法」を極めるとナチスドイツ裁判所話法になるでしょうか。

98:吾輩は名無しである
21/04/02 19:29:21.23 iuI0+mh+.net
ハッスは高い城の男だったのか

99:独り言\(^o^)/
21/04/02 22:09:00.57 zGa96Kfs.net
>>73 >>93
実際に観れば分かるが、中平康の映画は一貫して50~60年代当時の日活撮影所の「撮影照明」
「美術」の制作力に最大限に依存している。
初期の掌編(公開は遅れたが確か撮影は『狂った果実』より先)『狙われた男』56の
時点で舞台となる銀座の街の一角をセット美術(松山崇)で創作。
『狂った果実』56も実際に作品を観ればあくまで「撮影所」の機構あっての映画だよ。
後の『月曜日のユカ』64などもそうだね。
「ヌーベルバーグの開祖」と賞賛されはしたが、当の本人はあくまで「撮影所」あっての
商業映画を作っていたのだから、それはいざ向こうのヌーベルバーグを観ても「でもこういうのは
違うな」という事だったのでは?
蓮實重彦の中平康嫌いは別にいいが、シネフィルまでが観もしないで中平康を腐すみたいなのは
滑稽だよね。それも上辺は「自分は蓮實なんかに影響されてないよ」風でね(わらい)
どうせ「狂った果実を実際に観たら言われてるほど大した事なかった」ということなんだろうが、
50~60年代頃の中平映画はむしろそれ以外の作品の方が凄かったりするんだけどな。
自分も全て観たわけではないし、「でもこの程度なら往年の日本の撮影所映画の水準
なのでは?」と言われればそれまでではあるんだが、、

100:吾輩は名無しである
21/04/02 23:15:26.52 d8on0bwZ.net
>>75
映画は全部監督のものではないし。
全然監督のものでなかったのもある。
だから映画を全部作家のものとしてもるのは無理があるし。
現在読むと、あの頃は熱くなっていたと昔のプロレスを見るような
気持ちになる。これもガチじゃなくてショーだったのだと。

101:吾輩は名無しである
21/04/02 23:38:33.21 d8on0bwZ.net
表層批評は従来の批評のアンチテーゼであるが、
何も目指さす、何も生まないことを志向していたゆえ。
弁証法的な成長とは無関係であり、
ひたすら横穴を掘り続けることに終始し、やがて止まり、
朽ち果てていった。

102:吾輩は名無しである
21/04/02 23:48:33.46 Tnszhgv5.net
蓮實は映画も小説ももちろんお好きなんだろうけど一番好きなのはヌーヴェルクリティックなんだろうなというのはある

103:吾輩は名無しである
21/04/03 00:48:53.15 vUGh+aGT.net
黒澤と共同脚本書いてた人だって「手柄はぜんぶ黒澤のもの」だと気づいてやる気を無くし組まなくなったし
黒澤だけで書いた脚本の作品はあんなもの。
ヒッチコックも他人の手柄まで自分の事にしてしまうようだし
清順に脚本を無断でいじられて、それを現場で目撃した取材中の評論家が「さすが清順」と感激してるのを見てしらけたのは田中陽造。「面白く改変してるのならともかく」

104:吾輩は名無しである
21/04/03 01:29:14.40 vUGh+aGT.net
中平康レトロスペクティブもすっかり昔のこと。
渋谷系的な評価(月曜日のユカ)も、宝島→秘宝的な評価(危いことなら銭になる)もあった。
蓮實が評価していないからこそ、アンチ蓮實は中平康を盛り上げれば良いのでは?
「映画をメッセージやテーマで評価するのではなく、どう演出したかで評価すべき」というのは、求めてるものこそ違えど蓮實の主張と遠いわけではない。

105:吾輩は名無しである
21/04/03 01:37:30.61 vUGh+aGT.net
蓮實は家族ゲームを年間ベストテンに入れたり
竹中直人「無能の人」を褒めたりしていたけど
蓮實系の批評家は森田芳光や竹中直人を嫌う。
なんでも褒める為にとりあげるような高橋源一郎が森田芳光(あと武田鉄矢と暗夜行路)の事はボロカスに貶していた。

106:吾輩は名無しである
21/04/03 02:00:18.22 HRlbcgfr.net
黒沢監督作品は、小国脚本、三船主演、これがなければ何もないのと一緒でしょう。
鈴木清純は、共同でも脚本を書いていないでしょう。書いていましたか。
蓮実映画批評の最大の問題は、よくいわれるように、脚本軽視でしょうが、
動機は何なのでしょうか。
外国映画を理解するためには、語学ができないとダメ、みたいな欧米文学者らのエリート主義を解体しようとか、
そういう意図でもあったのでしょうか。
くわえて、日本の歴史劇・時代劇を理解するには、古典語や能。歌舞伎やあるいは有職故実がわからないとダメ、みたいなエリート主義も解体し語ったとか。
自分がヨーロッパ文学者で初等科から学習院ということの反動でしょうか。

107:吾輩は名無しである
21/04/03 02:01:48.38 HRlbcgfr.net
×し語った
〇したかった

108:P
21/04/03 02:26:41.05 rF+DhKjo.net
よく考えたら俺の名前が入ってるな。この嫌がらせ異常だよね。

109:吾輩は名無しである
21/04/03 07:17:05.36 9V+TBJ42.net
シネマヴェーラのボギー特集
マイケルカーチスもジョンヒューストンも悪くないじゃないと観てたらウォルシュの初見の夜までドライブがなんかやはり際立ってた
なんでかわからんがワンショット、ワンショットが全然違うんだよなあ脚本はまあデタラメだなと思ったけどそれはそれで面白い
女優はあれはみんなアイダルピノ言うんだろうけど個人的にはアンシェリダンの魅力にやられた何であんま売れなかったのかなあ
ハードボイルドスターになる前のボギーは微妙な役どころだけどそれはそれで興味深く観賞

110:吾輩は名無しである
21/04/03 08:11:12.72 kZTqrv6g.net
ボギーは内面を持った役者の第一人者になるのかなディーンチブルスキー裕次郎の先駆けというか
ボギー作品だとハイシエラ三つ数えろカサブランカを見てて三つ数えろはかなり好き
しかしクサい演技だよね

111:吾輩は名無しである
21/04/03 08:48:58.42 vUGh+aGT.net
マイケルカーティスは特権的には扱わないにせよ肯定的に語ってるだろう。
ヒューストンだって「身体(ガラ)ばかりデカい虚弱児」と貶してもいるが「勇者の赤いバッジ」「ファットシティ」など評価してるし、「男と女の名誉」ですらそれなりに楽しんでいる。
キーラーゴは悪くない(ただしエドワードGロビンソンのメイクは失敗と指摘)とか。

112:吾輩は名無しである
21/04/03 08:51:05.51 vUGh+aGT.net
ボギーは顔がウザい。
中谷美紀はボギー嫌い。

113:吾輩は名無しである
21/04/03 08:53:45.38 vUGh+aGT.net
エドワードGロビンソンのメイクがあれなのはホークス「バーバリーコースト」だったかも。

114:吾輩は名無しである
21/04/03 09:06:42.53 vUGh+aGT.net
鈴木清順は日活時代に裕次郎作品を任せられなかった事に不満を抱いていたので、テレビCMで裕次郎を撮れて嬉しかったそうだ。
しかし、中平だけでなく舛田や蔵原らの作品を観てがっかりする最大の理由は石原裕次郎の顔だったりする。
蓮實に言わせると「自分の見せ方をよく知ってはいる」そうな。

115:吾輩は名無しである
21/04/03 09:11:18.51 vUGh+aGT.net
「裕次郎現象」がいろんな事を動かしたのは認めるが、下膨れで歯並びの悪い面だけは受け入れがたい。
それが長身で(当時の日本人として)足長というのも腹が立つ。
顔色の悪いブルドッグ風になる前からそう。

116:吾輩は名無しである
21/04/03 09:17:34.01 9V+TBJ42.net
ボギー好きだなあw
原作のマーロウはボギーじゃねーだろと思うがボギーの映画として楽しんじゃうw

117:吾輩は名無しである
21/04/03 09:21:52.56 4wkfkbIw.net
>>106
表層批評するゆえか。脚本はなおざりになる。
物語という紋切り型から自由になりたいからだろうか。

118:吾輩は名無しである
21/04/03 09:26:30.31 9V+TBJ42.net
大好きなホークスですらモンキービジネスは途中ギャグがやり過ぎ感ありすぎて観てて白けちゃった

119:吾輩は名無しである
21/04/03 09:33:01.27 kZTqrv6g.net
裕次郎を初めて見たのは幼少期に見た西部警察の再放送だったけど
こんなデブのどこがいい男なのかさっぱりわからなかった
後に見た白黒映像の裕次郎はスラっとはしてるが
猫背気味で滑舌悪くてリアルな若者ではあったのだろうと思う
いわゆる二枚目役者とは雰囲気が全く違う
宍戸錠勝新太郎小林旭の語る裕次郎は兄貴とは正反対の気遣いと配慮の人で
そういう人は早逝しがちね

120:吾輩は名無しである
21/04/03 09:36:56.20 kZTqrv6g.net
エドワードGロビンソンは深夜の告白が好きだけどみんなワイルダーに厳しいからなw
サンセット大通りも好きだな

121:吾輩は名無しである
21/04/03 09:41:13.19 9V+TBJ42.net
>>120
俺も深夜の告白のエドワードGロビンソンは大好き
キーラーゴのギャングのボスはなんかなあw

122:吾輩は名無しである
21/04/03 09:50:06.56 4wkfkbIw.net
>>106
当時はそうかもしれないが。
今は橋本忍以外は忘れられているんじゃないか。
小国英雄も菊島隆三も久坂栄次郎も
井出雅人、植草圭之助も名前を目にするのは
黒澤明の共同脚本家としてだけだ。
これは皮肉と言わざるを得ない。

123:吾輩は名無しである
21/04/03 10:34:33.17 Ed06d61A.net
蓮實はワイルダーのコメディの野暮ったさと地獄の英雄や第十七捕虜収容所などを貶していたけど
サンセットは認めている(イヤな言い方だけど)し深夜の告白も好きなのではないか?
情婦辺りはどうなのか?
アルドリッチの事も最初(おそらく処女作から順番に観てたわけではない)はなかなか受け入れられなかったと言っていた。

124:吾輩は名無しである
21/04/03 12:04:51.78 HRlbcgfr.net
蓮実重彦は、英仏伊語は(世間並みの尺度では)堪能、独西を理解でき、
その他、オランダ,デンマーク、スウェーデン語なども、読む分にはさほど苦労しないだろう、
という人です。欧米映画を語るうえで、原語で理解できる、というその自分の能力を封印しているのですから、
なにか自らに課した命法があるのではないですか。
また、むかしの学習院の出ですから、古典語や有職故実については、並よりはずっとわかっていたはずだ。
しかし、日本の歴史・時代劇を論じるにあたって、その能力も封印している。

125:吾輩は名無しである
21/04/03 12:35:22.77 Ed06d61A.net
「でもあの人は外国語が出来ないから」と、蓮實が自分のことを評していたのを知って激怒した自称スーパーエディター。
鈴木清順も「カタコトなら、フランス語はまったく喋れないという事にしておいた方が良い」と蓮實からアドバイスされた事があると本人に言い
蓮實はそれを否定。

126:吾輩は名無しである
21/04/03 13:30:39.99 HRlbcgfr.net
「自称スーパーエディター」というのは、安原顯
この人ですか。それとも別の人ですか。

127:吾輩は名無しである
21/04/03 15:44:24.24 Ed06d61A.net
ヤスケン。
蓮實がアイドル文化人となるきっかけを作った一人だが、晩年は蓮實の悪口ばかり。
「蕎麦を食べに行ったら勘定は俺持ちで、しかも夫婦して礼のひとつも言わない」

128:吾輩は名無しである
21/04/03 16:31:13.78 z/fHMtrb.net
>>124
自分のスタイル、好き嫌いをハッキリさせているよね。
読む側が読みやすくしている。

129:吾輩は名無しである
21/04/03 16:35:31.76 z/fHMtrb.net
>>127
やっぱヤスケンだけど、
外国の映画祭とかでみんなで会食した際も、食事が終わると何も言わずに立ち去っていった。
東急の映画関係者の女の子だけが残された。
その子が領収書もらって払ったらしい。
そういうたかり癖がついてる人でもあるんだろうね。
みんなが忖度してくれる。

130:吾輩は名無しである
21/04/03 17:09:38.20 HRlbcgfr.net
むかしから、芸能人(古典芸人はとくに)、文化人、知識人、将棋指し、碁打ち、等々は、
ご馳走さま、というくらいで、お金は払いません。
水商売感覚ですから。
官僚体質、文壇体質、映画村体質の三つ併せ持っている方でしょうから、払いっこないでしょう。

131:吾輩は名無しである
21/04/03 18:39:26.76 M3wqsbZC.net
>>125
たけしがアキカウリマスキをボロクソ言った評論が入ってる映画評論本が
文庫化するとき外させたハスミらしい

132:吾輩は名無しである
21/04/03 18:42:43.47 M3wqsbZC.net
プライベートじゃないなら映画会社や出版社が持つのは当たり前でしょ
北方謙三は接待される店のランクで出版社にとっての自分のランクをはかってて
銀座に呼ばれたときは出世したと喜んだと言ってた

133:吾輩は名無しである
21/04/03 18:47:00.01 Ed06d61A.net
カウリスマキとパラジャーノフを批判したのを単行本化にあたって「外させた」のではなく、森あたりが勝手に削ったのではないかと思う。

134:吾輩は名無しである
21/04/03 18:51:39.28 HRlbcgfr.net
むかしのマスコミ商売の関係者は、私的な飲食であっても、ごちそうになろうとすることが多い。

135:吾輩は名無しである
21/04/03 18:52:41.48 Ed06d61A.net
ゴダールからも昼飯を奢ってもらい車代まで貰っていたけど、それは遠慮したり(断ったりお礼言ったり?)するタイミングも与えないほどスムーズで自然な振る舞いだったようだ。
そのゴダールに対して「今のゴダールは金で動く事は間違いない。『03』が村上龍でやったでしょう?でも僕はゴダールでも誰でもタダで(インタビュー)とりましたよ」

136:吾輩は名無しである
21/04/03 18:53:00.82 HRlbcgfr.net
河原乞食根性、戯作者根性、そういうものが根強かったわけですよ。

137:吾輩は名無しである
21/04/03 18:56:39.38 Ed06d61A.net
海外の映画祭でノルマをこなすのに必死で食事を取る暇もなく、山根か誰かに
「いいところが見つかりましたよ!」
と言ってマックに向かって駆け出す蓮實。

138:吾輩は名無しである
21/04/03 19:05:44.05 HRlbcgfr.net
俳優なんか、本人を飲食に招待すると、取り巻きを連れてくるような人がザラでしょう。
とくに歌舞伎俳優。
なんとか犯科帳の方なんか、わたくしの知り合いのおばさん(正確にはおばあさん)が、
舞踊の会が終わってから本人を招待したら、弟子までぞろぞろ連れてきていました。
そのしゅの経験は、ほかにも少なからずあります。

139:吾輩は名無しである
21/04/03 19:08:21.61 M3wqsbZC.net
モリだったか
北野・森・蓮實のようなトリオは今後もなかなかでないだろうな
松本・大崎のようなコンビはいてもハスミのポジションを担える活動家がいない

140:吾輩は名無しである
21/04/03 19:15:57.84 M3wqsbZC.net
ベストセラーになると懇意の出版関係者を連れて海外旅行がてら悪所で遊蕩してきた団鬼六先生は特殊例外か

141:吾輩は名無しである
21/04/03 19:25:08.32 Ed06d61A.net
相撲上がりではない長州力にしても、高い食事に招待されて数十万の小遣い貰うのが当たり前だった。
小遣いが予想より少なかったり無かったりすると関係者に不平をもらす。
K-1旗揚げの人柱にされたお調子者の佐竹雅昭も、タイ行って練習して来いと言われたら、食事の時にジムのタイ人が家族や親戚やその知り合い(らしき連中)までみんな連れて平気な顔して毎回佐竹に奢らせていたという。

142:吾輩は名無しである
21/04/03 19:25:11.85 HRlbcgfr.net
欧州人に金をばらまいたのは、北野、蓮實、森、ではなく
なんとか父子の息子さんのほうではないでしょうか。

143:吾輩は名無しである
21/04/03 19:26:44.75 HRlbcgfr.net
もちろん、その父子のお金ではなく、私物化?していたという会社のお金でしょうけれど。

144:吾輩は名無しである
21/04/03 19:38:38.45 Ed06d61A.net
「(金獅子賞は)林加奈子さんたちの尽力もあってその成果と言えます。もちろん作品そのものが良いので受賞に至ったわけですが」

145:吾輩は名無しである
21/04/03 19:39:02.39 M3wqsbZC.net
金ばらまいてたの?
もちろん映画祭でパーティ打ったりのお金はかかるのだけど
それ以外にもタケシには大きなタニマチがいたってこと?
となるとトリオですら足りないのか

146:吾輩は名無しである
21/04/03 19:45:36.79 HRlbcgfr.net
ある映画会社の社長とその子息のプロデュ―サーが解任された事件についてのうわさですよ。
真相は知りません。ただし、クビにした側のトップ責任者、つまり、父の上司は、
縁戚のおじさんですが。

147:吾輩は名無しである
21/04/03 19:53:02.17 HRlbcgfr.net
盛大なパ―ティーを催して飲ませる食わせろその他の接待をするのも、
ばらまきの一つではないですか。
どっかの役所など、何人もが某社から数万円ほどの飲食をふるまわれた、とかで問題になっているではないですか。

148:吾輩は名無しである
21/04/03 20:25:11.70 M3wqsbZC.net
バラマキの一つではあるね
線引きが難しいところだけど映画祭中にする作品のイベントとそれ以外での接待はまた違うのかなと
カンヌ映画祭は松本人志の大日本人を招待作として歓迎したのに吉本は映画祭中に何のイベントもしてない
映画評論家に売り込みもしないし映画評論家の推し監督作品の配給をするわけでもない
吉本興業は興業が苦手なのかと揶揄されたくらいで
最近なら麻雀をした官僚も賭博はけしからんと怒られてました
確かにカケゴトの一つではある

149:吾輩は名無しである
21/04/03 20:36:36.19 HRlbcgfr.net
社長と専務兼プロデュ―サーが、自己満足的に映画を作り
その広義の宣伝のために金を使うが、採算ははなから度外視、というのでは、
創業者一族と会長以下の役員も我慢できない、とうことになるのではないですか。
なお、私の縁戚(血縁はない)のおじさんというのが、その会長です。

150:吾輩は名無しである
21/04/03 20:37:12.02 Ed06d61A.net
奥山和由と関係あったのはソナチネまでなのでHANA―BIの受賞とは関係ない。
その男~はアメリカの小さな映画祭、あの夏~はイタリアの小さな映画祭、ソナチネがカンヌ「ある視点」部門。
日本のミニシアターに相手にされなかった塚本晋也が、海外の小規模な映画祭にどんどん出品し賞を獲るなどして「逆輸入」的に凱旋し「鉄男」を成功させた。
塚本はHANA―BIが出品された時にはコンペ部門審査員として招かれており、「もちろんたけしさんに入れました」と語る。

151:吾輩は名無しである
21/04/03 20:41:33.66 Ed06d61A.net
塚本作品は苦手だが、海外のミュージシャン(たとえばミックハリス、ナインインチの人かマリリンマンソンのどちらか)からカルト的な支持をされていた。
現代日本映画としてはこうしたリアクションを受けた先駆者ではないか。

152:吾輩は名無しである
21/04/03 20:51:52.89 zwgrBDzh.net
>>145
タケシの受賞は金と蓮實の力じゃないのかな。
どっちが欠けてもだめ。
もちろん、あの作品はグランプリとる力はあった。

153:吾輩は名無しである
21/04/03 21:10:55.94 M3wqsbZC.net
ID:HRlbcgfr 氏は広義の意味で業界人なんだね
通りで詳しいはずだ
あなたにとっては当たり前のことでもどんどんレスしてね
こちらは知らないことばかりだから
ビョークが北野作品を好いてたみたいな話もあったね
dollsは確かにある種の女性アーティストには刺さる作品だった

154:吾輩は名無しである
21/04/03 21:19:39.60 HRlbcgfr.net
このスレッドの面々の中で、映画に関しては、わたしが、もっとも詳しくないと思いますけれどね。

155:吾輩は名無しである
21/04/03 21:26:21.05 HRlbcgfr.net
金獅子賞を受賞する前から、ヨーロッパでは、北野監督映画について、
一定の評価があったでしょう。それが受賞に結びついたとはいえるでしょう。
その点では、奥山氏の貢献は大きいのではないですか。
しかし、株主や同僚の役員・社員に対しては、おそらく良くはなかったのでしょう。

156:吾輩は名無しである
21/04/03 21:43:19.02 HRlbcgfr.net
ビョークは三島由紀夫作品の愛読者ですよ。
来日した時に、そう言っています。

157:吾輩は名無しである
21/04/03 21:48:24.35 HRlbcgfr.net
ビョーク 金沢21世紀美術館での作品展示で来日した際の三島由紀夫についてのコメント
「すばらしい作家だけれど、10代の頃に読むものでしょう」
リップサービスの部分を除けば、子供の読み物ということでしょうか。
子供向けというのは、当たっていると思います。

158:吾輩は名無しである
21/04/03 22:16:07.88 4wkfkbIw.net
ヨーロッパはコネ社会だから実力だけじゃダメなんだよ。

159:吾輩は名無しである
21/04/03 23:59:23.71 M3wqsbZC.net
ユルスナールも三島を好いてた
ビョークの言う耽美な作家としてではなく
アンガージュマンとしての三島を好いてた感じ
なんとなくパゾリーニと三島って似たイメージ

160:吾輩は名無しである
21/04/04 00:44:10.24 mlNutFHK.net
映画は戦争(サミュエル・フラー)
一将功成りて万骨枯る(曹松)

161:吾輩は名無しである
21/04/04 00:53:07.92 mlNutFHK.net
松竹自社製作部門の縮小、
松竹邦画系のブロックブッキング制の廃止とフリーブッキング制への移行、
洋画配給部門である松竹富士の解散及び松竹本社との統合、
大船撮影所の売却、旧本社&松竹セントラル跡地を東京都に委託し再開発
この費用が掛かって、ほぼ唯一の成果は、
北野武氏国際的な映画監督になる
日本映画は、産業として成立していない、
どころか、そもそも産業として成立させようとしていない、一部の人たちの名誉や自己満足のためのもの
ということの証左ではないでしょうか。

162:吾輩は名無しである
21/04/04 05:24:41.95 BZjDC2lx.net
中平康を持ち上げるとアンチ蓮實になるのか
とするとアンチ中平康はアンチゴダール、アンチトリュフォー、アンチロメール?
しかし言うまでもなく蓮實よりゴダールやロメールのほうが大事だからなあ
信者は逆なんだろけど

163:吾輩は名無しである
21/04/04 06:00:18.15 iIQb8YIV.net
中平康の映画にショットがあるなら言ってみろ。まずはそれからだ。『月曜日のユカ』は雰囲気映画にすぎないし、薄っぺらで空間が表象できていない。

164:吾輩は名無しである
21/04/04 13:42:53.67 mlNutFHK.net
内田樹
@levinassien
·
2019年3月29日
車内の読書はミチコ・カクタニ『真実の終わり』。面白いです。トランプの思想的基盤が頽落したポストモダニズムであるという指摘にびっくりしました。ポール・ド・マンがどれほど脱構築という営みの知的・倫理的威信を傷つけたかは日本ではよく分かりませんでしたが。
内田樹
@levinassien
·
2019年3月29日
自らの親ナチス知識人としての過去を隠蔽しておきながら「作家について伝記的事実を探るのは時間の無駄だ」と言い切ったのはやっぱり人としてまずかったですね。ソーカル事件とポール・ド・マンのせいでアメリカのポストモダニズムは致命傷を負い、その破壊的なウェポンは右派の手に渡った。

165:吾輩は名無しである
21/04/04 14:34:58.97 mlNutFHK.net
ギルバート・アデア「作者の死」についての猫額洞さんの書評
主人公のモデルは、ポール・ド・マン
第二次大戦中に青年期を過ごしたフランス人が主人公だ。作家・
批評家になろうという意志と才能のある、若い男だったが、彼には
対独協力の過去がある。戦後のフランスで知識人として存在する
道は閉ざされた。
 彼は過去を隠してアメリカに渡り、生き直そうとする。書店の店員
から始まり、書いたものが認められて大学に招かれ、少しずつ評価が
上がり、遂には新批評の権威としてアメリカ文学界に君臨してしまう。
 アラモードな、ファッショナブルな新思考の文芸批評家として有名に
なったことは、彼が怖れていた過去の汚点にスポットライトが当たる
可能性も高まることだ。
 伝記を書きたいという女子大生が彼の前に登場してきたとき、彼は
自分の文学理論を援用して、若書きとはいえ彼が書いたことには
違いない、ナチズム擁護のテクスト及び作者である彼自身を救おう
と試みる

166:独り言\(^o^)/
21/04/04 19:00:45.42 H+BZ6+kL.net
>>163
「ショット」とは具体的に何の事ですか?
「空間」を「表象」とは具体的に何がどうなっている事なんですか?
それ、実際に中平の現場にいた峰重義・中尾駿一郎・横山実・姫田真左久・間宮義雄・
山崎善弘、、この人たちに聞いてきてよ。
あるいは美術の松山崇や佐谷晃能などでも可。
助監督だった蔵原惟繕や松尾昭典でも可。
「中平さんの映画は画が撮れてない、空間の広がりもない、つまらないですよね?」と。
みんな「なにこのインテリぶってる馬鹿はアタマでっかちな事を言ってるの?」と( ゚д゚)ポカーン
とするだろうけど。
、、もちろんいま存命なのはたぶん山崎さんだけだろうから、どうせ聞けないけどね。
あれだけセットとロケを駆使して東京の都市空間を大胆に再創造した『街燈』『殺したの誰だ』
『誘惑』57を観てなお「ここにはショットもない、空間の表象(ってなんだそれ?)もない、
何もない、凡庸!」とか言いきれる根拠とは何だろう?
個人的には近年だと例えば東京藝大の黒沢清の弟子(わらい)が監督した『寝ても覚めても』18
などいかにもイマドキの日本映画らしい低予算の凡庸な画と単調な(それでいて監督だけが
オレすげ~とご満悦の)シナリオ・演出の繰り返しにウンザリしたけど、ハスミ大先生とフォロワー
たちにはあれが現代日本映画を代表する屈指の傑作に見えるらしいしね。
そんな日本映画なんか要らんわ。はよ滅びてくれや\(^o^)/オワタ

167:吾輩は名無しである
21/04/04 19:57:27.17 mlNutFHK.net
蓮実重彦本人は、自分の趣味で評価をしているのだろう、
義理褒め・仲間褒めや教え子筋を褒めるなどのことを除けば。
しかし、その「フオロワー」は、自分の趣味を
蓮実重彦と同一化してしまうことによって、失ってしまっているかのように見える。
これが問題。
それから、「ショット」にこだわるのもいいけれど、
映画はもっと多角的に見ないと面白くないのではないでしょうか。
場合によっては、映画そのものから離れて、
歴史や社会や経済やその他もろもろとの関係を見ることが
面白いことだってあるでしょう。
それとわたしとしては、蓮実重彦は資質的に、思想の人、または文学の人だと思う。
映画の人ではないですね。映画はたんに好きなだけでしょう。

168:吾輩は名無しである
21/04/04 20:04:40.97 mlNutFHK.net
とにかく意味から離れたがるという、ド・マンの批評スタイルには、私的な理由があるように見える。
新ナチだった過去を忘れたい、という秘められた切実な理由。
蓮実重彦のほうは、わたしとしては、理由がよくわからない。むかしからわからないのです。

169:吾輩は名無しである
21/04/04 20:06:03.05 mlNutFHK.net
上の「意味」は、「真意」のこと。

170:吾輩は名無しである
21/04/04 22:11:29.24 cabeYILx.net
>>164
トランプの思想的基盤が頽落したポストモダニズムであるという指摘に
これが2019年のツイートなのかw
ポモは対ソビエトに機能する言説でしょ
ソビエトへの緊張の欠けたポモって資本主義を礼賛するだけじゃん

171:吾輩は名無しである
21/04/04 22:29:31.78 mlNutFHK.net
それを今活躍中の50歳以下の日本の現代思想家に言ってあげてください。

172:吾輩は名無しである
21/04/04 22:33:39.18 cabeYILx.net
蓮實重彦は天皇が好きなんでしょ
それを隠したい
真や善に執着(漢心)しないで、美や知を愛でる(やまとごころ)って
源氏物語の紫式部っぽい女性原理で、そのまま天皇制への回路になってる
篠沢教授以上に天皇が好きで横恋慕してる人がハスミ

173:吾輩は名無しである
21/04/04 22:37:20.64 mlNutFHK.net
しかし、ミチコ・カクタニ、内田両氏は、
右派であるはずのトランピストがポストモダニストだ、というのではないですか。
資本主義を礼賛する、ないし、少なくとも是認する、というのは、たいがいの左派も同じことだが、
両氏は、それをポストモダニズム的だとはいっていないでしょう。

174:吾輩は名無しである
21/04/04 22:47:18.66 mlNutFHK.net
たしかに、蓮實重彦は、本心では天皇が好きだ、というのは、
むかしから、ちらちら見えていたところはありますね。
最近の熱心なトランピストの行動は、リバタリアンというよりも、
右のアナキストみたいなのですよね。
じっさい、アナキストと呼んでいるアメリカの「識者」も多いようです。

175:吾輩は名無しである
21/04/04 23:24:45.19 2Ofqe9vP.net
おそらく、日本にはもはや語の「ヨーロッパ的」或いは「歴史的」な意味での宗教も道徳も政治もないのであろう。だが、生のままのスノビズムがそこでは「自然的」或いは「動物的」な所与を否定する規律を創り出していた。
これは、その効力において、日本や他の国々において「歴史的」行動から生まれたそれ、すなわち戦争と革命の闘争や強制労働から生まれた規律を遙かに凌駕していた。
なるほど、能楽や茶道や華道などの日本特有のスノビスムの頂点(これに匹敵するものはどこにもない)は上層富裕階級の専有物だったし今もなおそうである。
だが、執拗な社会的経済的な不平等にもかかわらず、日本人はすべて例外なくすっかり形式化された価値に基づき、すなわち「歴史的」という意味での「人間的」な内容をすべて失った価値に基づき、現に生きている。
このようなわけで、究極的にはどの日本人も原理的には、純粋なスノビスムにより、まったく「無償の」自殺を行うことができる(古典的な武士の刀は飛行機や魚雷に取り替えることができる)。
この自殺は、社会的政治的な内容をもった「歴史的」価値に基づいて遂行される闘争の中で冒される生命の危険とは何の関係もない。最近日本と西洋世界との間に始まった相互交流は、結局、日本人を再び野蛮にするのではなく、(ロシア人をも含めた)西洋人を「日本化する」ことに帰着するであろう。
『ヘーゲル読解入門』アレクサンドル・コジェーヴ、上妻精・今野雅方訳、国文社、1987年 246-247頁

176:吾輩は名無しである
21/04/04 23:28:33.94 2Ofqe9vP.net
というのは、一九八〇年代において高度情報・消費社会に入った日本にあらわれたポストモダン的な傾向は、ある意味で江戸時代の三百年の平和において洗練されたスノビズムの再現でもあったからである。
それまで、日本の近代文学や思想は、基本的に西洋的な理念や意味を規範とし、いわば「人間的な主体」たらんとするものだったといってよい。
 八〇年代に顕著になってきたのは、逆に「主体」や「意味」を嘲笑し、言語の形式的な戯れに耽ることである。むろんそれはアメリカ的なポストモダニズムと無縁ではないが、コジェーブが見抜いたように、こうした生の形態にかんして日本人には「伝統」がある。
少数の例外をのぞけば、現在の日本文学においてドミナントな傾向は、何一つ達成すべき理念や意味をもたない生を肯定すること、そして差異の戯れの結果としての無=関心(差異)にいたることである。
 一九七〇年の三島由紀夫の自殺は、コジェーブがいう意味での「自殺」であった。つまりそれは切腹や特攻隊を想起させるものだ。だが、八〇年代においては、三島の行為は、政治的な意味や伝統的なものと切り離されて、ポストモダニズムの先駆者として評価されてしまう始末なのである。だが、それこそが「伝統的」なのだといってよい。
 いうまでもなく、近代日本は「歴史的な」闘争や労働なしにありえなかった。それがないかのように見える時期には、いわば「江戸時代」的なスノビズムが復活する。西洋に追いつこうとしてきた日本人がなんらかの達成感や自己充足感をもったときには、そうなるのだ。
それは八〇年代においては最も顕著になる。「世界と自己を理解する」思弁的必要性をもたないがゆえに、哲学も批評もスノビズムと化している。つまり、何をいおうと、装飾的な言葉の戯れでしかない。
ポストモダン=ポスト歴史的な状態は、ある意味で、八〇年代の日本に実現されたのである。(柄谷行人『終焉をめぐって』p148-149)

177:吾輩は名無しである
21/04/05 01:10:30.64 XYSGiOd9.net
蓮實に軽蔑されるの怖くて過去の教養だけで良く出来た映画なんて作ってて面白いのかね
蓮實に囚われると全く冒険出来なくなるんだろうな
しかしここまで自分の趣味を読者に強要するのに長けた批評家も珍しいのかもしれない

178:吾輩は名無しである
21/04/05 01:14:54.25 zscCiGU0.net
>>177
蓮實に軽蔑されるのがお洒落という時代になりつつある。
テレンスマリックのツリー・オブ・ライフは面白かったぞ。

179:吾輩は名無しである
21/04/05 01:51:07.96 SF6d9OkF.net
蓮實重彦の映画評論は、エンターテインメントであって、どう考えても、
実用書ではないでしょう。
そもそも脚本を軽視して、まともな映画が作れるはずがありません。
ある頃からの日本の映画監督の問題点というのは、
娯楽産業の商品制作の現場監督だということを忘れてしまって、
みょうな「自己表現」型の芸術家意識で凝り固まってしまったことにつきるでしょう。
映画作家とか、映像作家とか、肩書も普通に映画監督といいたがらない人が、
いつごろからか増えました。そして、そういう人は、原作ものよりも、
自分の書いたオリジナル脚本で映画を作りたがる。

180:吾輩は名無しである
21/04/05 04:36:51.85 3agz93YU.net
そうやって名高い職人の名前を列挙するのは蓮實重彦譲りの権威主義なんだろうなー

181:吾輩は名無しである
21/04/05 04:38:33.87 4hjNoQQm.net
>>20
浅田さんは「豊富な常識」に基づいてごく妥当なことを言ってるだけ
それすら日本では希少

182:吾輩は名無しである
21/04/05 04:41:59.35 4hjNoQQm.net
>>40
天皇は毒味してランクをつけるのが仕事だからな

183:吾輩は名無しである
21/04/05 04:47:56.99 4hjNoQQm.net
>>87
映画評論って独裁者の品評会がおおっぴらに出来る場所なんだね
政治家を「こいつは素晴らしい独裁者」と称賛したら問題になる

184:吾輩は名無しである
21/04/05 04:49:03.34 4hjNoQQm.net
>>90
保身に長けた東大官僚の一人

185:吾輩は名無しである
21/04/05 04:52:17.18 4hjNoQQm.net
>>97
だから志紀島啓は愚かで、憲法なんか何の歯止めにもならない。

186:吾輩は名無しである
21/04/05 05:13:42.59 4hjNoQQm.net
最近のゲームアニメではいろんなものが擬人化されているが、シネマ娘を作ろうとしたのが蓮実

187:吾輩は名無しである
21/04/05 05:15:20.72 4hjNoQQm.net
寝ぼけて間違えた
シネマ娘として蓮実評論を捉えてもよいかもしれない

188:吾輩は名無しである
21/04/05 08:27:47.48 XYSGiOd9.net
庵野なんかは過去のアニメ、特撮の膨大な教養を駆使すれば技術的に簡単に作れちゃうんだろうけどそれには飽き飽きしてて他人にいろいろやらせたり新しいこと探究してるわけだ
出来に関しては賛否あるだろうけどそっちのほうが生産的じゃないかな?
批評家の目を気にしてほどよく出来た映画なんて作ってもしょうがない
北野さんなんて褒めてくれるから愛想良くしてるけど貶されたら一転蓮實のヤロー、バカヤローってなるんじゃないかな?
アーティストならそうじゃなきゃw

189:吾輩は名無しである
21/04/05 08:50:13.83 /3OLq6Dc.net
映画を撮る前のビートたけしにもちょくちょく言及してたけど、吉本隆明とか浅田彰とは違って余計な感情移入などすることなく距離を置いて語っていた。
相対的には優れているけど彼の発言が正しいから支持されているわけではない。「面白い」人物かもしれないが自分にとってはあまり興味を持てる存在ではないといったニュアンス。
だから、仮にたけしが蓮實の言ってる事を読んでいたとしても吉本や浅田に対して吼えた(もちろん著書で)ような真似はしなかったと思う。
中野翠なんて、同世代人たけしに共感し過ぎてるために「たけしのためを思っての苦言」を呈して「大きなお世話だ。てめえの心配しろ」と舐められてしまった典型だろう。
北野武監督作品が蓮實にとってつまらなかったとしてもほとんど(たけしの気に障るような事は)何も発言しなかっただろう。
柄谷行人も蓮實とは違った意味でたけしにほとんど興味がなく「なんでビートたけしが社会時評をしているんだ?」と、野暮だがストレートな発言をしている。

190:吾輩は名無しである
21/04/05 08:56:49.45 /3OLq6Dc.net
たけしも映画批評における記号論(らしきもの)に対する胡散臭さを指摘したり
「教祖誕生」の続きを書かなかった(ゴーストがいたにせよ)理由も、今の小説は内容ではなく形式重視になっているようだとでも嗅ぎ取ったのか「数学みたいになってる」からと語っていた。

191:P
21/04/05 20:38:20.35 A+oLhEAv.net
>>178
でも正直あれはわかんないな個人的に。難しすぎる。

192:P
21/04/05 20:38:50.15 A+oLhEAv.net
>>181
超わかるわー

193:吾輩は名無しである
21/04/05 23:19:26.77 D2h50pxk.net
柄谷行人は真っ当なポモ批判してるんだね
ポスコロ・カルスタに厳しく言ってるのは知ってたけど
「今活躍中の50歳以下の日本の現代思想家」は柄谷行人をスルーしてるのかな
しかし、じゃあ今の柄谷が面白いか?というと岩波文化人みたいで退屈なのは否めない
アメリカの右派はアナーキストといえど
労働組合を嫌うからサンディカリストにはならないだろうけど
ミリシアから果てはアーリアンブラザーフッドまで多様な連帯はある

194:吾輩は名無しである
21/04/06 00:06:11.53 6JdQiw1j.net
「芥川君の説に依ると、私はなにか奇抜な筋と云うことに囚われ過ぎる、変てこなもの、奇想天外的なもの、大向こうをアッと云わせるようなものばかりを書きたがる。それがよくない。小説はそう云うものではない。
筋の面白さに芸術的価値はない。と、大体そんな趣旨かと思う。しかし私は不幸にして意見を異にするものである。筋の面白さは、云い換えれば物の組み立てかた、構造の面白さ、建築的の美しさである。此れに芸術的価値がないとは云えない。
勿論此ればかりが唯一の価値ではないけれども、凡そ文学に於いて構造的美観を最も多量に持ち得るものは小説であると私は信じる。筋の面白さを除外するのは、小説と云う形式が持つ特権を捨ててしまうのである」(谷崎潤一郎『饒舌録』)
物語形式の表現である映画や小説から物語を抹消する批評を書く蓮實重彦は反谷崎的な存在

195:吾輩は名無しである
21/04/06 01:41:35.54 7IKtFuO4.net
谷崎の言ってることなんて支離滅裂というのが蓮實のスタンスだと思う。
「谷崎が言う『芸術』って何を指しているのでしょう?」
谷崎のそうした部分を否定しているわけでもなく、蓮實の言う「愚鈍さ」に当て嵌めて飼い殺しにしてるようにも思えるけれど。

196:吾輩は名無しである
21/04/06 14:01:18.15 9MWeUHZw.net
>>167
蓮實の表層批評は当時は目新しかったのかもしれないが、今となってはそれこそ凡庸なものに成り下がったよね
なにより映画制作の現場も知らずに、ショットがどうとか画面がどうとか言うのがもう終わってる
今やデジタルやソフトで画面なんていくらでも加工できるというのに
蓮實が「これは素晴らしいショット」と思ったショット、実はパソコンで補正されまくった画面かも知れないぞw

197:吾輩は名無しである
21/04/06 14:41:13.95 vgEsRK16.net
橋田壽賀子先生が亡くなりました。
橋田氏は、松竹の若手脚本家時代に、セリフが長い、映画は画面で説明するんだ、
とある巨匠に言われたウラミがずっとあったようです。
しかし、橋田氏は、日本のテレビドラマ史上最高視聴率の記録保持者で、テレビ屋さんたちからみれば
神様です。いまやそのテレビ屋さんたちに仕切られている日本映画界というのはどんなもんなんでしょう。

198:吾輩は名無しである
21/04/06 14:59:42.43 vgEsRK16.net
いまや日本映画は、セリフで説明するどころか、画面に表示される文字で説明しています。
「シン・ゴジラ」は、その文字による説明がやたらと多かったらしいですね。
極端を言えば、日本映画における表現とは文字である、といった傾向は、いったいどんなもんなんでしょうか。

199:吾輩は名無しである
21/04/06 15:26:50.89 WAhZOyL2.net
蓮實がありがたがっている映画よりもバットマンやトム・クルーズのアクション映画のほうが面白いからな
そこを無視しできないと思うな

200:吾輩は名無しである
21/04/06 22:23:33.38 xld7E/TQ.net
いやノーランはつまらんわ…
トムの映画は蓮實も認めてるの多くね?

201:吾輩は名無しである
21/04/06 22:46:48.52 jgKsDdAw.net
ランキングだけ見て評論を読んでないか読めない人なんだろ
ハスミはトムクルーズが出てるだけで喜んでる人だろ
むしろ映画評論家がほめないような大衆作品をほめたのがハスミなのに
ALWAYS 三丁目の夕日やアメリカンアウトローに嬉々としてるわけで
ラストサムライも要はトムクルーズのキスシーンが良かったから褒めてる
ノーランのバットマンが好きならアメリカンニューシネマあたりが好きなのかな
映画秘宝と町山智浩が喜びそうな映画だ

202:吾輩は名無しである
21/04/06 23:53:12.51 ThXLUu+/.net
ジョン・フォードやハワード・ホークスの映画もゴダールやストローヴ=ユイレよりはスターウォーズやゴジラ対コング側だからな

203:吾輩は名無しである
21/04/07 00:44:03.16 y0pyQtKv.net
>>176
これは蓮實批判だね
浅田彰も蓮實を日本的スノビズムの法王とか言って馬鹿にしてたっけ

204:吾輩は名無しである
21/04/07 01:52:38.88 oD3Lq+ga.net
バットマンでもバートンのリターンズには言及しており
精神を病んだキャラクターばかりを「エンターテインメント大作」風の作品にしれっと出すぬけぬけとしたところは面白いと。
柳下のような社会のはみ出し者への過剰な(感傷的な)思い入れというのではなく。

205:吾輩は名無しである
21/04/07 02:09:41.39 40QgZdTM.net
≫精神を病んだキャラクターばかりを「エンターテインメント大作」風の作品に
≫しれっと出すぬけぬけとしたところは面白い
こういう斜に構えた批評が、とうに時代錯誤だというのが大方の見方なのでしょう。
蓮実重彦が「しれっと」「ぬけぬけと」と感じるようなことが、なんのインパクトもなくなっていて、
あまりにありふれていて、いまさら「面白い」わけでもない、ということに気づいていないと思う人は多いだろう。
けっきょくは、70年代、80年代のある種の知識青年層の、平凡な俗物根性に過ぎないシニシズムを、
「自分のセンスは独特だ」と思い込みたがっている心理には受けたスタイルのまま、という感を強く持つ。

206:吾輩は名無しである
21/04/07 02:13:27.86 40QgZdTM.net
蓮實重彦自身は、至極まっとうな、ぜんぜん「はみ出さない」知識人であって、「しれっと」も「ぬけぬけ」もしていないのが、
わかられているのです。

207:吾輩は名無しである
21/04/07 02:20:55.68 40QgZdTM.net
蓮實訳のドゥルーズのマゾッホ論にある「否認と宙吊り」の「上昇」を望まず横にずれる「戦略」が、
上でどなたかおっしゃったように「ソビエト(正統的マルクス主義の意味だろう)に対するもの」でなければ、大した意味がないのとおなじで、
ハイカルチャーやプロレタリア芸術思想な「真面目さ」がなくなると、蓮実的な斜に構えた批評スタイルも、
対すべきものがなく、大した意味をなさない。

208:吾輩は名無しである
21/04/07 02:34:10.61 40QgZdTM.net
福田和也の、若いころの横紙破りだったころの気分のいまだ抜けない、
体制内で功なり名をとげた老人、というかのような蓮実重彦についての評は、およそ当たっている。

209:吾輩は名無しである
21/04/07 02:49:00.36 oD3Lq+ga.net
福田は蓮實でも江藤でも柄谷でも中上でもバカにするのは良い(効果はある)けど
では誰を毎回持ち上げてるかと言えば慎太郎とか村上春樹だったりするので結局ダメ。

210:吾輩は名無しである
21/04/07 03:04:23.54 40QgZdTM.net
福田和也は、自分のことを棚に上げた外野からのちょっと面白いヤジのごとき批評スタイルだし、
存在感にも差があるので、蓮実重彦と同列には扱えません。

211:吾輩は名無しである
21/04/07 08:58:34.92 dRGsriWR.net
福田和也が江藤淳をバカにしたことなどありましたか?
無いでしょう、愛弟子なのに

212:吾輩は名無しである
21/04/07 09:16:34.48 mztavYdQ.net
芸人が師匠のおかしい話をネタにするのは良くあること

213:吾輩は名無しである
21/04/07 09:17:10.26 oD3Lq+ga.net
尊敬してるとは言ってるけど、チラチラと馬鹿にしてた。
同じく評価はしてる柄谷に対してもプライベートの冴えなさを具体的に挙げたりして。
ただひたすら嫌われてその上でボロカスに言われてる蓮實の方がダメージなさそう。

214:吾輩は名無しである
21/04/07 09:24:12.31 oD3Lq+ga.net
村上龍を「流行を7年遅れで追いかける田舎者」とし、最高傑作は「テニスボーイの憂鬱」というのも…
テニスボーイは本宮ひろ志のマンガのナンパ路線よりはずっと面白い(愛と幻想のファシズムは「お勉強」した本宮ひろ志みたい)けど。
あまりにも調子づいてる時の罵詈雑言には、いくら冷酷さを装っても福田自身のコンプレックスが滲み出てるような気もする。

215:吾輩は名無しである
21/04/07 09:48:26.91 mztavYdQ.net
>>214
田舎者だから良い小説は書けない、ということはない。

216:吾輩は名無しである
21/04/07 10:13:35.18 oD3Lq+ga.net
大江が妹と結婚するのに大反対したと言われる伊丹十三。
宮本信子が持ち込んだ嫁入り道具をすべて捨てたスタイリッシュな男。

217:吾輩は名無しである
21/04/07 10:15:18.85 oD3Lq+ga.net
福田が「あらゆる遊びに飽き果てた」だの慶應ボーイだの元パンクスだの言っても…

218:吾輩は名無しである
21/04/07 10:57:55.62 7WDCpmtN.net
デブは何言ってもデブ。

219:吾輩は名無しである
21/04/07 11:02:06.91 oD3Lq+ga.net
デブですらなくなって、どこかへ消えてった。

220:吾輩は名無しである
21/04/07 21:36:36.88 y0pyQtKv.net
奇妙な廃墟とボヴァリー夫人論てどっちが凄いの?

221:吾輩は名無しである
21/04/07 23:09:08.82 RGk8rcQx.net
『子猫をお願い』の映画評は『ボヴァリー夫人論』を応用したように読めた

222:吾輩は名無しである
21/04/07 23:37:19.65 dRGsriWR.net
福田先生って離婚したんですか?

223:吾輩は名無しである
21/04/08 01:44:50.03 6jbzpFkr.net
死んだぜ?

224:吾輩は名無しである
21/04/08 02:58:03.32 chugXC72.net
>>201
ニューシネマは好きだけどノーランは嫌い
アクションの殺陣もカット割りもくそじゃん
アクションコーディネーターが悪いのかも知れんが、どっちにしろそれを監督する立場にあるんだからノーランの責任だわな

225:吾輩は名無しである
21/04/08 07:31:42.32 To82/QrS.net
福田和也は図書新聞でイキってるデブだったな。

226:吾輩は名無しである
21/04/08 14:39:17.54 lhFxlLwO.net
蓮実重彦はかつて、蓮実重彦を受取人として振り出された小切手を
近所の銀行に持参して、そこにある蓮実重彦名義の口座に記載の金額を振り込むよう手続きをしてほしいとの旨を行員にいった時のことを日経新聞に書いた。
蓮實氏は、行員から身分証明書類の提示を求められ、わたしは運転もしないので免許証もない、などのことをいったところ、それでは手続きできない決まりです、云々ということになり、そこから少々押し問答になったというのである。
その件について蓮實が言うに、蓮實重彦その人を受取人とする小切手に記載の金額をその蓮實重彦その人の名義の口座に振り込むよう手続きするに、際して、小切手を持参した者の身分証明はいらないだろう、ということだ。たしかにそのとおりだろう。たとえ、小切手を持参した人間が、別人であっても、何の問題も生じない。
そして、蓮実氏は、こういうわけのわからない決まりを、なにも疑わずにいる様な不合理的な心性がはびこっているから、本州四国間に橋が3本もかかるようなおかしなことになるのだろう、といったことを書いて締めくくっている。
わたしとしては、蓮実重彦が書いた内容は、一般論としてもっともだと思うが、一方で、その応対をした銀行員がかわいそうだ、とも思うのだ。
銀行員は、決まりどおりにやらないと上司に怒られるとかというような目に合うのだろう。
その客である蓮実重彦は、当時、東京大学総長である。
東大総長のお客の要望(クレーム?)と会社の決まり事との間に挟まれて、行員は困った立場になっている。このように地位の高い客の正論にもとづく「強硬」な態度は、広義のパワハラになりかねないのである。
蓮実重彦は正論よりも、その銀行員にたいする世間並みの思いやりを優先すべきだったのではないか。

227:吾輩は名無しである
21/04/08 20:09:04.42 UwJ5Hhtc.net
個人商店じゃなく一応銀行だからねー
文章で銀行自体にケチつけるのはいいとして受付係も個人の裁量で勝手なことは出来ないからな
しかし蓮實先生、車も運転出来ないで映画を語ってたのか

228:吾輩は名無しである
21/04/08 20:59:33.24 FYcxKEtv.net
フランスのTVシリーズ「現代の映画作家」でたけしの回にインタビュアーで
出たときの、蓮実のハイヤーの運転手に対する態度はドン引きするレベルだよな

229:吾輩は名無しである
21/04/08 22:41:12.91 XYS4QeMg.net
吉本隆明「彼は伯爵か何かなんですか?」

230:吾輩は名無しである
21/04/08 23:04:08.00 lhFxlLwO.net
「伯爵夫人」は、さすがに傑作ですよ。
蓮実重彦が書いたすべてのもののなかで、ベストです。
とにかく完成度が高い。思想の水準はもちろん、構成の巧みさ、パロディの秀逸さ、文章、どれもぴったりはまっている。
それと作品の背景、あの雰囲気をだせる人が、
もういないでしょう。
マネできる人は、まずいない。
日本のポストモダン文学史上の最高作なのはまちがいないです。
21世紀の日本文学で、同等の作品というと、笙野頼子の「だいにっほん三部作」くらいしか思いつかない。

231:吾輩は名無しである
21/04/08 23:05:27.57 lhFxlLwO.net
×思いつかない
〇思い浮かばない

232:吾輩は名無しである
21/04/08 23:21:47.38 XYS4QeMg.net
蓮實重彦「わたしは無爵である」

233:吾輩は名無しである
21/04/08 23:24:04.50 PNQ/zxG7.net
>>230
あのエロ小説よくできてるよね本当に
太平洋戦争開戦前夜という時代設定も秀逸

234:吾輩は名無しである
21/04/08 23:24:28.10 lhFxlLwO.net
母方の祖父が男爵ではなかったですか。

235:吾輩は名無しである
21/04/08 23:34:10.46 UwJ5Hhtc.net
 私自身は、文学賞の候補になったりする以前、文芸誌に掲載された時点で当の『伯爵夫人』を読み始めたものの、その惨憺たる内容に呆れ果て、半ばほどで読み進めることを放棄したのであった。
 とはいえ、これは、『伯爵夫人』という小説が完全に無価値であることを意味しない。むしろ、ある程度の価値が担保されてしまっているということにこそ、この小説のタチの悪さがあるのだ。……
『伯爵夫人』という作品を構成する言語を技術的に分析する限り、どこがどのようになりどのようなことがなされどの程度の技術的水準にあるのかということは、どの点から見てもそこそこ高い評価を下さざるをえない。
しかし、そこで駆使されている技術は、既存の文学研究において提出された技術面での理論的言説において、既に明確に定式化されているようなことばかりなのである。
ここにあるのは既知の技術の組み合わせでしかなく、小説家としての蓮實重彦自身の取り組みによって従来の理論的研究からはみ出した部分は、全くない(とりあえず、私が読んだ前半までの範疇では)。
 言ってみれば、これはリヴァース・エンジニアリング小説とでもいうべきものであって、文学研究・文学理論の成果をそのまま適用しさえすれば誰にでも書けるはずのものなのである。
その意味では、プロの書き手でも批評家・研究者の類でも、この小説から学べることは何一つない。『伯爵夫人』より低水準の小説しか書けない実作者などというものは単に不勉強でトレーニングが足りないのだからプロ失格だし、批評家・研究者がこの小説の読解を通して新たに生み出しえる知見などというものも存在しない。
 にもかかわらず、ここに何か語るべきことがあるかのように振る舞ってあれやこれやの論外の駄弁を労する連中の醜態を鼻で笑っていたりもしたのだが、さすがにこんな茶番が文学の名の元に行なわれるのはあんまりなのではないかとも思い、
『伯爵夫人』を最後まで読み切ってその技術的成り立ちを全て明確に示した上で「この小説に何か取り立てて語るべきことがあるかのように考えている者は、全員、単なる馬鹿である」という結論に至る文章を書こうかなどとも考えたりしたのだが、後半を読むのは完全に時間の無駄であろうと判断して結局やめておいたのであった。

236:吾輩は名無しである
21/04/08 23:38:22.62 UwJ5Hhtc.net
 そんなことがあるうち、なんだかこの小説が文学賞の候補になって大きな話題になりつつあったのだが、そんな中、ただ一人、この小説に関して非常に的確であり私にも妥当であると思える評価を下した人物がいた。
これまでも、それなりに信頼に足る業績を積み上げてきており、その仕事にも一定の評価を下している批評家……そう、蓮實重彦である。この小説に対して述べる機会がなぜかあった批評家・蓮實重彦は、
この程度の作品であれば文学研究者であれば大した労力もかけずに誰でも書ける程度のものでしかなく取り立てて価値もないことを、辛辣ながらも的確に評していたのであった。……いやー蓮實先生、やっぱりさすがですね~。
 さて、やや脱線が長くなってしまったが、セリーヌやジュネやベルンハルトの手になる小説は、文学研究のリヴァース・エンジニアリングによって完全に説明がついてしまい正当な手続きさえ踏めば誰にでも構築できてしまうようなしょうもない小説とは、まさに対極にあるものである。
 既存の文学理論の方法論なりそこで積み上げられた分析方法なりをセリーヌなりジュネなりベルンハルトなりに適用してみて明らかになるのは、むしろ、なぜそのような文章をそのように長大に書き連ね連結することによって長篇小説を構成することができるのか、全く理解不能であるということだろう。
 むしろ、セリーヌやジュネの場合、純粋に技術的な見地からのみ見ると、そこにそれまでの文学史で登場していなかった高度な達成があるとも思えない。にもかかわらず、作品全体としては、高度な達成がなされていると評価せざるをえない。
……以上のような、明確な分析を拒む異様な散文を改めて丁寧に読み続けることによって私が改めて実感するようになったのは、セリーヌとジュネがあれだけの分量を持つ長篇小説を平然と何作も書くことができたのは、全くわけがわからないということだ。

237:吾輩は名無しである
21/04/08 23:46:06.49 XYS4QeMg.net
確か戦前戦中の映画鑑賞についての話でかな
吉本)戦前戦中に映画を見てる人なんていなかった
蓮實)いやいや普通に見てた、『モロッコ』が売れると『トロッコ』が出てきたりしてた
吉本)そんな文化豊かな生活ができたなんて、あの方は伯爵か何かですか?
蓮實)何か言ってる方がいるけど、わたしは無爵である
こんなヤリトリがあったのよ(もちろん直接の対談ではないよ)

238:吾輩は名無しである
21/04/09 00:06:09.48 bJQokckT.net
「伯爵夫人」の文学理論や文章技巧やポストモダン的な構成などのことばかりいう人が多いが、
それは一面的だ、と私は思う。
あの作品は、おそらく蓮実重彦のお祖母さんへの思いが書かせたものではないですか。
「伯爵夫人」の底にあるものを一言でいえば、愛だと思いますよ。

239:吾輩は名無しである
21/04/09 00:10:25.90 vTnBvD+i.net
新垣隆「私は、お金とか名声が欲しいのではありませんでした。佐村河内の依頼は現代音楽ではなく、調性音楽でしたから、私の仕事の本流ではありません」、「彼の申し出は一種の息抜きでした。あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者だったら誰でもできる。どうせ売れるわけはない、という思いもありました」
この発言を真似したかったとしか思えない

240:吾輩は名無しである
21/04/09 00:11:52.95 bJQokckT.net
≫『伯爵夫人』より低水準の小説しか書けない実作者(中略)はプロ失格
職業作家では、一人もいないから、日本の文学界は全滅でしょう。

241:吾輩は名無しである
21/04/09 00:13:28.01 bJQokckT.net
ところで、235,236は、いったい誰が書いたものですか。

242:吾輩は名無しである
21/04/09 00:17:54.22 c1ou19yg.net
238、蓮實重彦が最も忌み嫌った評価で絶賛するってなかなか意地悪ですね

243:吾輩は名無しである
21/04/09 00:27:34.53 bJQokckT.net
≫文学文学研究・文学理論の成果をそのまま適用しさえすれば誰にでも書ける
すぐにこういうことを言う人が出るけれども、
書けませんよ。
だいたい、あの時代のあの階級の女性たちに特有の言葉遣いが、文壇の現役では、
もはや蓮実重彦くらいしかわからないでしょう。
生きていいたら100歳以上の太宰の「斜陽」でさえ、三島由紀夫に言葉遣いが変だ、とか言われたんだから。

244:吾輩は名無しである
21/04/09 08:17:26.15 JkhaIUJ6.net
戦場の描写なんてうまいけど、全体的にチープなのは通俗的な文学性を回避したわけなのか?
性器の名を連呼するのは「やんちゃ」がしたかったのか?
あの短さ(長さ)にこだわったのかもしれないが、細部が膨張して収拾がつかない状態になる事を夢見たりしないのか?
それは「批評家としての自分の倫理」が許さなかったのか?

245:吾輩は名無しである
21/04/09 19:16:27.10 vTnBvD+i.net
蓮實:いや、黒田さんは、これは傑作であり、私の書いたものは到底傑作と言えるものではありません。あの程度のものなら、私のように散文のフィクションを研究してる者にとってはもういつでも書けるものであるわけですが。あの程度の作品というのは、すなわち相対的に優れたものでしかない、ということだと思っております。

蓮實:いや、情熱やパッションはまったくありませんでした。もっぱら知的な操作によるものです。
蓮實:評価については先ほど申し上げたとおりです。相対的に優れたものであり、あんなものはいつでも書けるということです。それから、最初の質問はなんでしたっけ?
蓮實:いや、まったくなにも書いてません。お読みになってくださったんでしょうか? そしたらなにが書かれていましたか?

246:吾輩は名無しである
21/04/10 00:29:08.06 ez1w/iVa.net
235,236の方は、The Red Diptychの方でしょう。
ちらちら拝読したところ、ひじょうに優れた批評が多くて、
ただ感心しました。

247:吾輩は名無しである
21/04/10 00:53:36.35 yacoVYpO.net
アメコミの評論もやってた人かな
アルファビル、惑星ソラリスを並べて「見立てる」ことについて語ってたり
今見たら見れなくなってた
蓮實重彦等のコピペを接続して文章を完成させていくブログも好きだった
書きたいことはすでに書かれているってノリのね
評論DJみたいで面白かった
こちらも見当たらないな

248:吾輩は名無しである
21/04/10 07:12:02.40 26PwdZtN.net
蓮實さんは細部が膨張して収拾がつかない状態になるフリしか出来ないでしょ
どこまでも相対的な聡明さの人であって愚鈍なる野蛮な知性からは徹底的に見放されてる人ですから
批評ではその聡明さが威力を発揮するけど小説ではその限界が激しく露呈する
伯爵夫人は読んでないけど陥没地帯をそれなりに期待して読んだ時のガッカリ感は忘れられないな

249:吾輩は名無しである
21/04/10 08:40:32.42 T5KPGYr+.net
>>233
大東亜戦争な

250:吾輩は名無しである
21/04/10 12:01:18.74 ez1w/iVa.net
僧正遍照『古今集』『小倉百人一首』
天津風(あまつかぜ)雲の通ひ路(かよひじ)吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむきのつらゆき
紀貫之の評は、絵にかける女を見ていたづらに心をうごかす、ようである、というもの。
こぬひとをまつほのうらのゆふなぎにやくや藻塩の身もこがれつつ
後鳥羽院の定家評は、定家は生得の上手にてこそ、こことなにとなけれども、うつくしく言ひつづけたれば
殊勝のものにてあれ
「伯爵夫人」についての蓮実重彦本人の評も含めた世の大方の評は、
こういうのに似ているのです。
日本ポストモダニズム=「伝統」・プレモダニズムという批評は正当だろうが、
そういうものへの批判にしても同じくらい古くから「伝統」的にあるのです。

251:吾輩は名無しである
21/04/10 12:02:25.81 ez1w/iVa.net
引用の藤原の定家の歌は、「新古今集」「小倉百人一首」に自選

252:吾輩は名無しである
21/04/10 12:04:51.60 ez1w/iVa.net
×天津風(あまつかぜ)雲の通ひ路(かよひじ)吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむきのつらゆき
〇天津風(あまつかぜ)雲の通ひ路(かよひじ)吹き閉ぢよ をとめ(乙女)の姿 しばしとどめむ

253:吾輩は名無しである
21/04/10 12:50:10.12 ez1w/iVa.net
かかるものを幽玄というならば、幽玄の冒涜だと思っている。
屏風に向うて歌をつくり白氏文集の句を唱して歌をつくるは、尊からざるごとく
(斎藤茂吉「定家の歌一首」)
紀貫之の僧正遍照の歌への批判とおそらく同趣旨でしょう。
なにも近代になってはじめて日本ポストモダン的「伝統」が批判されたわけではなく、
批判のほうもおなじく「伝統」的なのです。

254:吾輩は名無しである
21/04/10 12:58:21.84 ez1w/iVa.net
後鳥羽院は承久の乱を引き起こしました。
しかし、その寵臣の藤原定家は、「紅旗征戎吾事(わがこと)に非ず」といって、
関わりませんでした。そして、鎌倉幕府よりだった義弟が乱ののちに太政大臣になったおかげで、
破格の正二位にまでなりました。
なお、三島由紀夫は晩年、定家のように「紅旗征戎吾事(わがこと)に非ず」といった「政治」に対する諦念を自分は持てない、といっていました。

255:吾輩は名無しである
21/04/10 14:02:25.29 ez1w/iVa.net
ちなみに、後鳥羽院の西行評
「こころ殊に深し」
定家評とは逆です。

256:吾輩は名無しである
21/04/10 14:04:59.37 cFfQIylI.net
ICレコーダーに西落合1-18-18 更生施設けやき荘にたった数日入居していた間偶々偶然に録音したのをみつけその内容の酷さに公表する事を決意しました、文字起こしします。
西落合1-18-18 更生施設けやき荘勤務の柳沢は、職員に対して「ここの入居者に対してはどれだけ酷い事をしても、第三者委員会も設置してあるだけ、施設の苦情にここの入居者の「人間以下」が訴えたら「事実と異なる」と本当の被害であったとしても、そのように言い切れば「こちらの言い分」を裏付けも取らずに鵜呑みにするよ「世間」は・・・職員が「ここの人間以下のゴミクズ以下の入居者」を殴ってごらん・・・殴られた入居者が警察に訴えたら「こんなところに入居している「人間じゃあない生き物の言い分」を信用するのか」と言えばいい・・・土下座して謝罪してくれるよ「警察が」
そう言って柳沢は近くに居た入居者の女性の髪を引っ張り平手打ちした(平手打ちをした音声が入っていた)
「これを世間に訴えても「映像証拠」でもない限り「こちらの言い分」を世間は鵜呑みにする・・・ここに入居している人間は生活困窮者でもあるからスマートフォンは所有していない・・・「映像証拠」等撮れない」
そう言うと柳沢は、平手打ちをした入居者に対して馬乗りになり激しく殴打した(殴打していると思われる音声が入っていた

257:吾輩は名無しである
21/04/10 14:09:25.34 ez1w/iVa.net
紀貫之 古今集仮名序
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、
心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける 
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり・・

258:吾輩は名無しである
21/04/11 08:44:14.89 UIaYFQWI.net
蓮實重彦の趣味にどこまで同一化出来るかを競うシネフィルの不毛なゲームの規則なんか無視する浅田彰や福田和也のほうがマトモ
金井美恵子が柄谷行人に小説が読めないとか浅田彰は映画のセンスが悪いとか言うのも蓮實に染まってない!ってことだからな
恥ずかしい奴

259:吾輩は名無しである
21/04/11 18:04:44.37 7xof1ruR.net
とはいえ、浅田彰は、本を書かない。
福田和也は、書きまくっているが、その実は、雑文を書き散らかしていただけで
ちゃんとしたものは書かない。
これでは、迫力がないでしょう。
金井美恵子という人は、精神的に蓮実映画批評に依存しすぎな感じです。

260:吾輩は名無しである
21/04/11 18:08:25.94 7xof1ruR.net
しかし、浅田、福田両氏がそうなっている理由も、すこしわかるような気がします。
日本の思想や文学について、とうに諦めてしまっているのではないでしょうか。

261:吾輩は名無しである
21/04/11 22:26:05.53 jXdSx36x.net
>>226
ゴダールの映画には日本車がよく出てくるけど、
重ちゃんは、ゴダールは日本車は個性がないを引用してるだけ。
この人車のこと知らないんだと思ったよ。

262:吾輩は名無しである
21/04/12 01:05:31.52 Eg700YOR.net
蓮實は画面の中にどういう形の存在がどう位置しどんな光が当たりどのくらい映っているかなどを問題にしてれば良い。
「車好きから見たゴダール作品」とかそういうのは誰かにやって貰えば充分。
ガンマニアが見たら名作だっていい加減極まりないと唾棄される事もよくあるのだし、そういう角度から蓮實批判するのは良いけど、勝ち誇る事などできない。

263:吾輩は名無しである
21/04/12 05:30:54.91 rCGLYVLN.net
>>262
批判は勝ち負けじゃない

264:吾輩は名無しである
21/04/12 08:41:48.77 gtnNYUSm.net
Howard Hoaxさんの書くもの面白いね
変な人のことなど気にせず書いたほうがいいと思うなあ勿体ない
徒労感が凄いのかもしれないけど・・・

265:吾輩は名無しである
21/04/12 12:36:36.50 +oVp0TZD.net
しかし、蓮實スレの住民は、さすがに優秀です。
それも蓮實先生のおかげではないですか。
やはり、何について語るか、あるいは、誰について語るか、
といったことが議論の性質をきめていまうところがある。
これが現在活躍中の50歳以下の思想家や作家について語るスレッドだったら、
はっきり言ってどうでもいい連中だからまともな話のタネもないし、
たとえ、話が成立しても、へんなステマみたいなのが出てきて、荒れて終わりになるでしょう。
あるいは、ずっとうえの、四方田犬彦や松浦寿輝について語るスレッドであっても、
こうはいかないでしょう。
けっきょくのところ、さすがは蓮実重彦、ということなのです。

266:吾輩は名無しである
21/04/12 21:52:28.83 gtnNYUSm.net
何をいかにして語るかは両方大事なのに、いかにして語るかだけを問題にする蓮實はやはり問題だと思うという素朴な正論をやはりぶつけたいw

267:吾輩は名無しである
21/04/13 08:05:30.40 rk4QOIvj.net
>>259
すでにご存知と思うが知ってる範囲では田中康夫との対談が唯一定期的に
行ってる仕事かな
URLリンク(sotokoto-online.jp)

268:吾輩は名無しである
21/04/13 14:30:08.49 TXDzz3Hr.net
福田和也の東浩紀評は、
久しぶりに会った。むかしよりは大人になっていたが、相変わらず、教養がない、
漫画とアニメしか知らない、というようなものです。
若いころは横紙やぶりで、出世してからは清濁併せ呑む、
という福田氏の蓮実評は、遥かかなた上のレベルでの批判でしょう。
このように福田氏にしても、ちゃんと相手を見て、
しかるべき批判をしているのではないでしょうか。

269:吾輩は名無しである
21/04/13 14:36:05.53 H2iDGBhz.net
>>268
福田より哲学は知ってるんじゃないですかね、東は

270:吾輩は名無しである
21/04/13 14:52:24.97 TXDzz3Hr.net
東浩紀の哲学の「わかり方」というのは、解説書的なものですからね。
お勉強的には、間違ってはいない。ただたんにそれだけ、というものでしょう。
もっと若い千葉雅也さんには、むかしからすこし「過剰」なところがあって、
東氏が「郵便的」みたいな図式で分かった気になっているところを、
マラブーとかを援用したうえで、
もっとモヤモヤっとした領域に踏み込むような面があります。
雑に言えば、「郵便的」は、存在者の存在を、
けっきょくは存在者として扱う議論の一種なのです。
千葉氏は、それでは元も木阿弥ではないか、ということにかなり若いころから気づいていた感じだ。
しかし、千葉市が、それをうまく言えているとは思えませんが。
とはいえ、ハイデガーでさえ、うまく言うどころか、
うわ言みたいなのを繰り返すことに終始していた問題ですから、
しょうがないでしょう。
おもうに、福田和也はむかしから、千葉さんがひかかっかようなことは、
はわかっていました。福田氏は、勉強しなくても第一観でわかる人なのです。
福田・浅田の共通点は、地の頭が極端にいい坊ちゃん育ちところでしょう。だから気が合うのです。

271:吾輩は名無しである
21/04/13 15:11:54.87 TXDzz3Hr.net
柄谷行人の東評は、倫理的衝迫がぜんぜんない、ただ有名になりたいだけの子供、
というものです。
倫理的衝迫のない人が哲学をやっても、それは単なるお勉強です。
「お勉強」ですから、画一的教育制度に順応した人ならば、
それなりに上手くやれるでしょうが、しかし、それだけのこと、ではないですか。

272:吾輩は名無しである
21/04/13 21:54:32.26 /Mi/28eX.net
ID:TXDzz3Hrは自分が東より物を見る眼があると勘違いしている

273:吾輩は名無しである
21/04/13 22:26:42.19 TXDzz3Hr.net
ゲンロン 批評家養成講座 蓮実重彦の功罪
高橋秀明
蓮實は最近、『ユリイカ』の中で「あるとき見ることをやめてしまうことこそが最大の映画批評であるという可能性もあるのではないか?」と述べているが*3、これはいったいどういうことなのだろうか?あれほどまでに見ることにこだわり続けていた批評家が、見ることをやめてしまうことを肯定するかの発言をするとは、どういう意図なのだろうか?文字通り受け取っていいものだろうか?そのことの真意を問うために。そもそも私たちは何を「見ている」のかについて考察していく。
 脳機能学者の苫米地英人によれば、私たちの脳は自分にとって関係がないと思っていることは、脳幹にあるRAS(網様体賦活系)と呼ばれるフィルターが遮断し、情報を情報として受け取れていないという*4。つまり、我々はRASによるフィルターを通して、現実世界を認識しているのである。その結果、我々はしばしば、目の前にあるものが見えなかったり、ないものが見えたりすることが起きる。このような、認識できていない部分のことを苫米地は「スコトーマ」(盲点)とする。これは宮台のいう「見たいものしか見ない」ということ繋がるのではないだろうか。『世界はそもそもデタラメである』の中でも、宮台は安定した世界像の方こそが主観性による世界の体験加工なのだとして、体験加工以前の世界が描かれている映画を擁護する*5。
 このように考えると蓮實の映画批評における徹底して、「画面」=「表層」を「見る」とは、苫米地のいうような「スコトーマ」を失くし、現実世界そのものを認識しようとする試みであったといえる。ただ、全てを見ようとしても、人間の脳には限界があり、全てを見ることが出来ない。また、メディアなどの変化により、DVDなどで自分が見えていたと思っていたものを検証することが可能となった。その結果が、さきほど挙げた『ユリイカ』の中での蓮實の発言だったのではないだろうか。

274:吾輩は名無しである
21/04/13 22:34:33.16 TXDzz3Hr.net
前に、「認知限界」云々ということを書いていた別の人の批評を引用しましたが、
↑もおなじ線の理解です。
こういうのが、蓮実映画批評についての東氏系の理解なのです。
浅田彰の一見しては頭よさげに見える悪いところ(浅田氏の良いところは別にある)からばかり影響された東氏の「理系っぽくする」、
あるいは、ブルーバックスふうに「理系っぽく」しないと頭に入らないので物がいえない、という面を
そのまま引き継いでしまっているのです。
蓮實重彦は、文学でしかいえないことを文学の言葉で語っているのに、
サイエンスの言葉に翻訳してしか理解していない、ということです。

275:吾輩は名無しである
21/04/13 22:45:38.23 /Mi/28eX.net
>>274
いい加減自分は物を分かってると自惚れるのをやめなさい

276:吾輩は名無しである
21/04/14 01:33:55.68 62TuJ23c.net
キルケゴール 遺構から
混乱していること、それは、学問として伝えられるべきものが、芸術として伝え
られる場合であるが(・・・)、同様に、芸術として伝えられるべきものが、学問
として伝えられる場合もそうである。そして、現代における混乱は、ここに、す
なわち、倫理的なものが、学問として伝えられている、というところにある。

277:吾輩は名無しである
21/04/14 01:34:26.64 62TuJ23c.net
×遺構
〇遺稿

278:吾輩は名無しである
21/04/14 08:27:25.05 Ug655eRD.net
教養かあ・・・厄介なもんだね
教養あったほうがいいんだろうけどさ教養のマウンティングばっかりで実際の仕事は大したことないってことばかりじゃないか
浅田や福田はマトモな仕事出来ないし蓮實はあんな程度の小説しか書けないし
結局才能と言ったら身も蓋もないが

279:吾輩は名無しである
21/04/14 08:29:06.16 Ug655eRD.net
変なオタク的な教養の煽りは無視していいんじゃないかなあ

280:吾輩は名無しである
21/04/14 13:20:01.28 SUQRxxYP.net
教養あったからって仕事ができるわけではない。

281:吾輩は名無しである
21/04/14 14:36:41.05 62TuJ23c.net
「感情教育』(L'Éducation sentimentale)は、情操教育でもいいわけでしょう。
蓮實映画批評は、学問として知識を伝達するものではなく
芸術として伝えるべきものである情操の伝達なのです。
蓮実重彦が感得したものをほかの人にも伝えたい、
趣味判断において普遍性を主張したい
(そのためには語学力や出身階級などにとらわれず万人にたいして開かれていなければならない)、
これは倫理的要求です。
そのためにあのようなスタイルになっているのでしょう。

282:吾輩は名無しである
21/04/14 16:04:46.56 62TuJ23c.net
浅田・福田両氏には、美の判断を崇高の判断に近い形で理解するような
ハイデガー、リオタール、ドゥルーズなどの系統の解釈を
安易に受け入れてしまう軽薄なところがある。
これは、天変地異や大乱の待望、サド・マゾヒズム、ファシズム・ナチズム、
公理論的(公理主義的)方法の過度の肯定、といった考え方に至りやすい。
國分巧一郎氏などは見たかんじ普通っぽいから、浅田・福田両氏ほどのつよい嗜好に基づくわけでもなかろうに
ドゥルーズがそうだから、というだけの理由で、美=崇高判断賞賛みたいなことを書いている。
蓮實重彦には、「マゾッホとサド」の訳者であるにもかかわらず、そういうことには陥らないような節度もある。
後期のパゾリーニにダメ出するのも、リンチ監督やら大勢のその種の人を無視するのも、
そういう節度が働いているからではないですか。

283:吾輩は名無しである
21/04/14 16:07:58.26 62TuJ23c.net
たぶん、蓮実重彦は、フランシス・ベーコン(画家のほう)も無視しているでしょう。

284:吾輩は名無しである
21/04/14 16:55:12.20 GLZizTwf.net
>>282
あんたはどうなの?

285:吾輩は名無しである
21/04/14 17:00:56.54 62TuJ23c.net
わたしは、あまり節度もないし、その種の嗜好が強烈で、抑えきれない。
しかし、公理論的方法はきらい、というか、わからないから、
なんとなく気分的にきらい、ですか。

286:吾輩は名無しである
21/04/14 17:24:16.16 62TuJ23c.net
そういえば、公理論的方法は、ハイデガーも嫌ってましたね。
形而上学の執拗な支配、と言っていました。
福田氏は、ハイデガーを援用したはずの「日本の家郷」では、空無である日本の歴史における生成のメカニズム、
みたいなことで、公理論のアナロジーみたいなことを言っていましたから、
案外と好きなんでしょう。
いがいに、福田氏は、じつはドゥルーズ寄りなんではないでしょうか。

287:吾輩は名無しである
21/04/14 17:43:46.07 62TuJ23c.net
福田氏がじつはドゥルーズ寄りで、千葉雅也氏はじつはハイデガー寄り、
といえそうです。
千葉雅也『ツイッター哲学』発売
@masayachiba
·
2019年4月3日
ドゥルーズ+ガタリによれば、資本主義の脱領土化する速度は「公理系」に制約される。公理系とは、一国家には収まらない普遍的な原則のことで、諸々の人権とか、弱者保護、福祉とかがそう。ポリコレは資本主義の公理系と言える。
千葉雅也『ツイッター哲学』発売
@masayachiba
·
2019年4月3日
アンチ・オイディプスは、資本主義を制約する公理系をぶっ飛ばして脱領土化を加速するのが革命だと言っていて、これがニック・ランド。ポリコレは公理系なので、ランドの加速主義は必然、ポリコレ不要のダーク・エンライトメントになる。
千葉雅也『ツイッター哲学』発売
@masayachiba
·
2019年4月3日
僕はある種の加速主義批判かつ減速主義批判を展開する。ダーク・エンライトメントに対し、人権だ、ポリコレだ、と批判する啓蒙主義=減速主義者が資本主義と共犯関係にあることを指摘しつつ、ランドとも啓蒙主義とも違う線、別の速度について論じる。

288:吾輩は名無しである
21/04/14 18:27:15.95 GLZizTwf.net
イスラム圏に欧米的ポリコレはないよ

289:吾輩は名無しである
21/04/14 18:37:14.37 FJcM+kxR.net
ドゥルーズなんてわからんし、読んでなくてもいいんだよね。

290:吾輩は名無しである
21/04/14 18:58:01.12 62TuJ23c.net
「資本主義社会は,数多の利害の表出に耐えるが,欲望の表出にはいっさい耐えられない。資本主義社会の下
部諸構造を吹き飛ばすには欲望の表出があれば十分なのだ )」(アンチ・オイディプス)
広瀬純
利害の表出は,それがどんなに革命的なものであっても,すなわち,それがどんなに甚大な危機を資本主義に突き付けよう
とも,資本主義の歯車を吹き飛ばすようなものにはならない,つまり,それによってもたらさ
れる危機を,資本主義は,おのれ自身の内的限界として処理し,そうした内的限界の拡大によっ
て乗り越えることができる。ドゥルーズ=ガタリは,内在的体系としての資本主義を「公理系」
と呼んでもいますが,新たな利害の表出に対しては,資本主義は,新たな「公理」を追加する
ことで,それをおのれの内部で処理してしまう。要するに,どんな利害の表出も「資本の平面」
上にとどまる現象でしかないということです。

291:吾輩は名無しである
21/04/14 19:03:32.34 Ug655eRD.net
蓮實さん美術について語ったことあったっけ?
やはりひたすら描かれてるもの、造形されたものの表面を見るのが大事なんかね?w

292:吾輩は名無しである
21/04/14 19:03:56.08 62TuJ23c.net
ちゃんと読んだら、千葉さんの「公理系」の理解が、従来のものと違うことに気づいた。
ドゥルーズ・ガタリの「公理系」というのは、
資本主義社会の法律その他のルールの総体のことでしょう。
なにもポリコレとかに限定されるようなものではない。
千葉さんが「公理系をぶっ飛ばして」というのは、
無視するというような意味なのかな。
それだとおかしい。
資本の運動をがんがん加速すると、それにつれて公理系もどんどん変わる、
というのが従来の理解だった。

293:吾輩は名無しである
21/04/14 19:09:47.18 40Iucu3H.net
蓮實はとっくにオワコンのはずだが。
まだ、しつこくつきまとってうろついてる奴がいるんだなw

294:吾輩は名無しである
21/04/14 19:12:46.33 62TuJ23c.net
ポリコレが、資本主義を加速したおかげで、現在盛んになった、という話なら分かるが、
どうも逆だな。
暗黒啓蒙主義のランドは「加速主義」だというのだが、
「加速主義」だと「構造と力」のころの浅田彰とおなじですよ。
どんどん資本の運動を加速していけば、いずれ器官なき身体になる、ということを、
「ちびくろサンボ」の三匹の虎がすごいスピードで、
サンボが登って天辺に逃げた木の周りをぐるぐる回った挙句バターになるたとえを出して説明したのは、
ひじょうに有名なことです。
その浅田の喩えを、中上健次が、柄谷行人、村上龍との鼎談でバカにしたものです。

295:吾輩は名無しである
21/04/14 19:32:40.61 40Iucu3H.net
>>294
浅田も下らない例え話をしてたのかw
馬鹿にするのも馬鹿らしいようなw
ポスト構造主義の全盛時代には世界中でその類の例え話が流行ったろ。
それに釘を刺したのがソーカル事件であって。

296:吾輩は名無しである
21/04/14 19:53:19.44 62TuJ23c.net
思えば現代思想ブームのピークの1980年代後半はいい時代だった。
日本はバブル経済のころで、
好景気が永遠に続くかのような錯覚に浸っていられたものだった。
その好景気の奇跡的な持続のムードのまま、
資本の運動を加速しまくれば、
いずれは差別やら抑圧やら搾取やらのない社会が来るかのような夢想をしていることができた。

297:吾輩は名無しである
21/04/14 20:07:10.06 40Iucu3H.net
>>296
中上の文体はフィジカル、つまり物理的な
表現が多いんだが、そういう特質を彼の文
体は失って行ったのではないかな。
ミケランジェロの彫刻に顕著なんだが、彼
は奴隷の肉体を自由民の肉体と区別してい
た。中上にはそういう区別はついてなかった
と俺は思う。つまり中上は奴隷の肉体=被差別
民の肉体を分かってなかった。

298:吾輩は名無しである
21/04/14 20:07:25.48 62TuJ23c.net
超越論的金融哲学論考 / 藤崎 達哉【著】
すばらしい題名の本を見つけた。
スレチかもしれないが、ぜひ皆さんにも知っていただきたいので、コピーしました。

299:吾輩は名無しである
21/04/14 21:28:30.65 62TuJ23c.net
wiki
上部構造は政治的・法制的な諸関係や社会的意識の諸形態、たとえば道徳・宗教・芸術などのことである[3]。これらは生産関係の総体を土台としており、
その土台に依存しかつ土台が変化するに応じて変化することから上層建造物の比喩として「上部」構造と名付けられている[3][6]。
ドゥルーズ・ガタリの「公理系」というのは、およそ
↑の「上部構造」をいわば機能主義的に言い換えたものだと考えれば、別にわかりにくいものでもないのだが、
そういう説明をする人をあまり見かけなくなりましたね。
千葉さんみたいに、公理系=ポリコレとか言う人も出てくるし。
ポリコレもイデオロギーだから、たしかに「公理系」の一部とはいえるでしょうけれど。

300:吾輩は名無しである
21/04/14 21:38:27.51 62TuJ23c.net
書き落としたが、「公理系」は、グローバルな「政治的・法制的な諸関係や社会的意識の諸形態
たとえば道徳・宗教・芸術」の総体、でしょうね。
そして、経済システムも、
相対的には強いものでしょうが、土台ではなく「公理系」を構成する一つということでしょうか。

301:吾輩は名無しである
21/04/15 07:56:18.27 fWKu5rO6.net
下のようなのが、ドゥルーズ・ガタリ公理論の元ネタです。
こういうものは、むかし批評空間グループなどが、ネタばらしをしたんですが、
最近は忘れられていますね。
ヒルベルト→ブルバキの流れから出てきた数学的アイデアの一つ、
それをカントの崇高論の中の数学的崇高についての論説を拡大解釈したものでもって料理した、
ということではないでしょうか。
数学における概念拡張の二つの様式
八杉満利子
第二にブルバキ構造理論における概念拡張の仕組みを『建築術』に沿って
考察する。『建築術』は、異なる諸数学理論間に存在する共通項の系統的研究
という内的進化が、我々を公理的方法へと導いた、と言う。ブルバキの数学
論の核心は ”構造 ”概念である。構造とは個別の数学理論から個別性を捨象
して得られる、多くの理論に共通な性質の公理的規定と言える。公理を増や
すにしたがって下部構造が定義される。
構造理論における概念拡張の同質性は次のように述べることができる。初
期理論が、ある構造に属し、その上の演算あるいは関係(性質)に関して理
論の拡張という内的必要性が生じたとする。それに応じて定義される新理論
が初期理論の所属する構造に公理を付加した下部構造に所属するとき、この
拡張は同質的、と見なしてよい。内的必要性は当然成り立っており、理論の
法則は構造の法則として形式的に継承されるとともに、初期理論の要素も演
算も新理論の中に同じ形で埋め込まれる。したがって形式保存も実質保存も
成り立っている。

302:吾輩は名無しである
21/04/15 08:02:34.80 fWKu5rO6.net
なお、ドゥルーズ・ガタリ公理論のねらいは、
最近は言いたがりませんが、
硬直化していたマルクス・エンゲルス主義構造論の改変だったのは、
あきらかです。

303:吾輩は名無しである
21/04/15 13:34:23.87 fWKu5rO6.net
ドゥルーズ・ガタリによれば、
資本主義は、既存の共同体を破壊してあらゆる商品を「脱領土化」する一方で、
所有権という形でそれを「再領土化」して秩序の中に回収する制度、ですから、
ランドの「加速主義」(浅田彰「逃走論」と同趣旨)の結果は、なにか秩序だった違う地平がひらける、
ということなはずなので、ドゥルーズが正しければ、
千葉雅也氏が心配するようなこともないでしょう。
つまり、ドゥルーズは無政府資本主義のイデオローグ、フーコーはそれにくわえて少年虐待魔でもある、
というような一面を見せないようにして、いまどきのソーシャルリベラリズムに反しないようにあく抜きして
解説しているから、↑の引用のように、突っ込まれるようなことをいわなければならなくなるではないでしょうか。

304:吾輩は名無しである
21/04/15 14:53:32.77 fWKu5rO6.net
IMさんのよる小泉小泉義之「ドゥルーズの哲学」の書評
私はドゥルーズより数年遅れて生まれました。彼が活動的であった60年代から70年代にかけて、私も数年間をパリで過ごしました。国立の研究所でしたし、付き合う人も理系とは言え、教養の高い人たちでした。相当突っ込んだ話が出来るようにもなっていました。例のパリ騒動も現地で体験しました。でも、ドゥルーズについて彼らと会話したことは一度もありません。その後も親密な付き合いが続いていますが、今になっても、話題には登って来ません。日本での、ある層に限られていたかもしれませんが、あの「知識人」たちの熱狂ぶりは何であったのでしょう。
この書で題材に取り上げられている、複雑系の問題は、私の専門ではありませんが、関わり合いはあり、多分私も日本では最初に着目した人たちの中に入ります。ほとんどローレンツと同じ時期に、同様な性質を持つ現象に着目して論文を書いたこともあります。それもあり、かつは何年か前にソーカルの批判を面白く読んだこと、もう実験に携われなくなったので、もっぱら科学哲学の書を読み始めたことなどもあって、この書を通読しました。
レビューを見て、なるほどと思いました。見事に、評価が分かれています。私も少し、厳密というほどでなくても、いくらかは詳細に分析してみようと思いましたが、断念しました。理由は他の方のご意見でもお分かりになると思います。とても分析にかかるような代物ではありません。確かに、単なるドゥルーズの解説書ではなく、著者が彼を下敷きにして自分の書きたいことを書いたという書なのですが、ソーカルの意見は、この書にも当てはまります。数学的概念の使い方など、変に初歩的なこと、いきなり「哲学」的な意味をくっつけるところ、全く「教祖のご託宣」調の、批判を許さない断定、等々、解説者の調子がこれに輪をかけて、まるで「哲学村」の同人紙みたいですね。

305:吾輩は名無しである
21/04/15 15:01:17.17 fWKu5rO6.net
ローレンツと同じ時期に云々という記述からして、上の書評を書いた方は、
京都大学理学部(当時、カオス・非線形物理学・非平衡統計力学研究の世界の最先端)
にいた先生のどなたかの可能性がおおきい。

306:吾輩は名無しである
21/04/15 15:19:46.28 1ayVTDLI.net
ドゥルーズを引き合いにして蓮實を延命させるのかw
どんだけせこいんやw

307:吾輩は名無しである
21/04/15 16:11:45.00 fWKu5rO6.net
ハイデガー ナチ党員 女子学生との淫行の常習者
ウィトゲンシュタイン 青年買春の常習犯
フーコー ホモセクハラ少年買春魔
ドゥルーズ オルタナ右翼の元祖
ネグリ 赤い旅団の幹部?
蓮實重彦 髭男爵

308:吾輩は名無しである
21/04/15 16:32:31.41 kugWqSB8.net
ドゥルーズがオルトライトってのはどんな意味で?
千葉雅也が硬直したポリコレリベラル連中に批判的なのは知ってる
ハスミは生活保守って感じかな

309:吾輩は名無しである
21/04/15 16:44:22.63 fWKu5rO6.net
shiki02
ニック・ランドは、もともと大陸哲学とフランス現代思想の研究からスタートしており、初期にはジョルジュ・バタイユに関する著書もあるが、90年代中頃になると、のちに「加速主義(accelerationism)」と呼ばれることになる思想を展開するようになる。加速主義とは、ざっくり言えば、資本主義のプロセスを際限なく加速させることで、あらゆる既存の体制や価値観を転倒させる技術的特異点=シンギュラリティを志向する思想的立場を指す。
 
 この思想は、フランスの現代思想家ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリによる共著『アンチ・オイディプス』から多大な影響を受けている。1972年、パリの五月革命の余韻醒めやらぬなか書かれたこの大著は、「資本主義と分裂症」という副題が付されているが、その中で「脱領土化」という概念が出てくる。これは一言でいえば「解体」のプロセスであり、土地や貨幣がグローバルに流動化していく資本主義、そして自我が解体していく分裂症患者に見られるプロセスであるとされる。

310:吾輩は名無しである
21/04/15 17:12:30.08 fWKu5rO6.net
アルチュセールを忘れていた。
アルチュセール 妻を絞殺

311:吾輩は名無しである
21/04/15 17:34:07.91 fWKu5rO6.net
広瀬純
「服従集団には革命的集団と反動的集団とがあるとドゥルーズ=ガタリは考えています。新た
な利害を表出させ,資本主義を危機に晒すのが革命的な服従集団ですが,この革命的服従集団 ・・・・
は,おのれの生じさせる危機が,資本主義にとって同化可能なものでしかないという現実に直
面した瞬間から,主体集団へと転じる可能性に開かれる。」
上にあるように、欲望を表出させて資本主義を「解体」する「主体集団」になりうるのは、
なにも「革命的集団」つまり左だけではないのです。
反動的集団であってもよい、つまり右であってもいいのです。

312:吾輩は名無しである
21/04/15 17:35:13.83 kugWqSB8.net
その辺はオルトライトより
マッキノンやバトラーのような価値擾乱タイプのフェミニスト等に近いイメージ
しかしなぜ日本のフェミは矯風会のような権威主義的保守タイプばかりなのだろう

313:吾輩は名無しである
21/04/15 17:35:26.11 kugWqSB8.net
ラカン ネトリ好き

314:吾輩は名無しである
21/04/15 17:42:35.32 fWKu5rO6.net
[上にあるように、]
は削除。
広瀬氏は、反動的な右の「服従集団」でも「主体集団」になりうるとは考えていないようなので。

315:吾輩は名無しである
21/04/15 18:58:27.72 fWKu5rO6.net
三つの革命・ドゥルーズ・ガタリの政治哲学
佐藤喜幸/廣瀬純
イエローケーキさんの書評
ドゥルーズ=ガタリによる「アンチ・オイディプス」「千のプラトー」「哲学とは何か」の三著作から、革命という共通概念を抽出し組み立てた本である。それは、利害と欲望の切断から分子的多様性をもった主体集団に横断結合する革命戦略といえる。近代を上書き保存する限り、革命は資本順応の袋小路へ入り込み、民衆は固有の利害に従って分裂し国家階層秩序の下部と周縁部に組み込まれる。この背理を乗り越えるのは、市民、労働者、マイノリティに分裂した各々が所属集団の利害を切断し反近代、反賃労働を求め、他のマイノリティの中に自己を見出す逸脱的欲望を通じて分裂主体となる出会いだ。近代の嫡子たる産業資本が人類の生存を脅かす存在に転じ、秩序との一体感が失われる時代の中で、逸脱的欲望への分裂者的備給が生成され切断と接続を繰り返す。そこから、権力に服従化されない世界市民へと変容した民衆による、新たな生の創造過程を再領土化する革命が開始される。巻末の日本社会への戦略適応を読む時、じつは日本こそが革命の最前線であると認識を新たにさせられる。

316:吾輩は名無しである
21/04/15 18:59:55.65 aW6yMD8B.net
消費の拡大がなんで資本主義の消滅に繋がるのかさっぱりわかんない
金融資本の拡大は資本主義を消滅させるか?

317:吾輩は名無しである
21/04/15 19:23:04.99 +//pUBtw.net
それにしても、この手の人は欲望という言葉が好きだよな。
情報量が多いならスッキリ明快に書けw

318:吾輩は名無しである
21/04/15 19:41:48.66 fWKu5rO6.net
消費を拡大しても景気が良くなるだけで資本主義は消滅しませんから、
つまりデタラメですから、
理解できないのは当然です。

319:吾輩は名無しである
21/04/15 20:47:49.47 +//pUBtw.net
この手の人は専門用語の理解に欠けている。
イメージだけでものを語りがち。

320:吾輩は名無しである
21/04/15 21:21:40.36 +//pUBtw.net
>利害と欲望の切断から分子的多様性をもった主体集団に横断結合する革命戦略
>反近代、反賃労働を求め、他のマイノリティの中に自己を見出す逸脱的欲望を通じて分裂主体となる出会いだ。
好き勝手なことするってこと?

321:吾輩は名無しである
21/04/15 21:38:12.88 fWKu5rO6.net
前々から言っているのですが、ドゥルーズ・ガタリ政治哲学というのは、
新左翼主義の一種なのですよ。68年五月革命、日本の全共闘運動、こういうものの雰囲気が残っているときには、
錯覚かもしれないがいちおう意味ありげだったので、言わんとするところが、それなりに伝わったのです。
しかし、日本のドゥルージアンみたいなのは、このことを、とにかく認めたがらない。
いまはそうではないけれど、何年か前は、それをいうと、
5ちゃんねるでも、すごく攻撃されましたからね。

322:吾輩は名無しである
21/04/15 21:41:01.98 fWKu5rO6.net
中島浩壽
この方はドゥルーズの教え子だそうです。
私は 1972 年 3 月に行われたフーコーとドゥルーズの『知識人と権力』という対談を読んで受けた衝撃を
忘れられない(Michel Foucault 1994)。
 二人の対話を読んで、衝撃を受けたのは、もちろん論理展開の面白さがあるが、それよりも、私たちが
全共闘運動の中で考えてきたものと通底した内容だったからである。そして、そのテーマこそが、68 年 5 月
と全共闘運動が提起した大きな問題の一つと感じられたからである。
 その対談の大きなテーマの一つは全体化と特異性についてである。

323:吾輩は名無しである
21/04/15 21:58:58.00 fWKu5rO6.net
蓮實重彦は、ドゥルーズは美の人、哲学の人ではない、ドゥルーズは、思考、思考、といいながら、
ぜんぜん思考していない、
言い切っていますよ。こうして日本における「ドゥルーズ」を守ったわけですが、
いまどきの日本ドゥルージアンは、親の心子知らず、というべきか、
ドゥルーズの思考、哲学ばかり問題にしているでしょう。

324:吾輩は名無しである
21/04/15 22:21:24.93 fWKu5rO6.net
ドゥルーズ、フーコー、デリダ、らの思想を、
カルチュラル・レフトは、それなりに受け継いだでしょう。
しかし、文化左翼主義というのは、けっきょく、ソーシャル・リベラリズムに吸収されて終わり、
ということがはなから予想できたし、実際そうだったでしょう。
今やそこから先の展望がないのです。

325:吾輩は名無しである
21/04/15 22:24:19.98 aW6yMD8B.net
蓮實)浅田さんが「偉大な哲学者」とおっしゃることが全否定に近いということを理解したうえでならばいいけれども、その発言はやはりポスト・モダンな身ぶりであって、いまでははっきり否定しないと一般の読者にはわからないんですよ。
浅田)いや、一般の読者の反応を想定するというのがポスト・モダンな身ぶりなのであって、ぼくは全否定に限りなく近い全肯定として「ドゥルーズは偉大な哲学者だった」と断言するまでです。
ただ、たとえばこういうことはありますね。さっき言われたように、ドゥルーズとゴダールは、言葉のレヴェルにおいては非常によく対応する。ただ出来事だけがある(eventum tantum)というのは、たんにイマージュがある(juste une image)ということですよ。
しかし、ドゥルーズは、ゴダールがそのイマージュを生きているようには、出来事を生きていない。ぼくはゴダールは絶対的に肯定しますけれど、ドゥルーズは哲学者として肯定するだけです。
蓮實)うん、そこを言わせたいのよ(笑)。
浅田)そんなの自分で言ってくださいよ(笑)。
蓮實)だから浅田さんにとっては、ドゥルーズは一般的に偉いけれども、特異なものとして見た場合はやはりゴダールを取るでしょう。
浅田)絶対にゴダールを取ります。
蓮實)そうしたらば、ドゥルーズに対してもう少し強い否定のニュアンスがあってもいいと思う。
浅田)でも「偉大な哲学者」というのは最高に強い否定のニュアンスでもあるわけですよ。たとえばニーチェは哲学者ではないが、ハイデガーは哲学者である。それで、ゴダールがニーチェだとしたら、ドゥルーズはしいてどちらかといえばハイデガーなんです。

326:吾輩は名無しである
21/04/15 22:28:22.68 aW6yMD8B.net
蓮實)ただし、ドゥルーズにとっての美というのは、ハイデガーのそれと全く違いますけれどもね。それともうひとつ、やはり彼は20世紀の両対戦間からその終わりまでに至って哲学は負けたと思っているのは明らかです。
何に負けたかというと、実はゴダールではなくて、ジャン・ルノワールに負けている。ジャン・ルノワールが、風の潜在性からこれを顕在化することをやってしまっている、と。
浅田)ベルグソンを超えてしまったんですね。
蓮實)そう、超えてしまった。ぼくがいちばんドゥルーズに惹かれるのは、そこまで見た人はいなかったということです。不意にルノワールが出てくるでしょう。それでルノワールに負けているんですよ。おれの言ったことをもう全部やってしまている、と。
浅田)『物質と記憶』とほとんど同時に映画が生まれた。で、映画が哲学を完成してしまったんですね。
蓮實)そうです。それも、だれが完成したかというと、ゴダールではなくて、ルノワールなんです。それでもなお「偉大」ですか。
浅田)だから、たかだがそんな哲学だといえばそれまででしょう。でも、ほかにそんな哲学者がいます?(笑) フーコーは、自分は歴史家だと言わねばならなず、デリダだって、自分は物書きだと言わねばならない。
しかし、ドゥルーズは単純に、私は哲学者であると言ってしまうんですからね。そして現にハイデガー以後はドゥルーズしかいないでしょう。

327:吾輩は名無しである
21/04/15 23:25:35.03 fWKu5rO6.net
とはいえ、展望がないのはしょうがない、というのはあるから、
それはそれなのだけれども、なんか意義ありげに見せようとしますしね。

328:吾輩は名無しである
21/04/16 11:36:54.45 g1zUrS3e.net
ドゥルーズは構造主義者でありながらサルトル的な実存的な何かを抱えて生きて自死に至る壮絶な人生
そういう部分はオミットして美的に消費するのがハスミ浅田
西部邁の死を弱さを認められない弱さと言った上野千鶴子の方がまだマシかもな

329:吾輩は名無しである
21/04/16 12:28:06.03 jmyyMEGa.net
あんた同じような死に方できんのか?

330:吾輩は名無しである
21/04/16 12:41:15.73 g1zUrS3e.net
URLリンク(i.imgur.com)

331:吾輩は名無しである
21/04/16 12:47:44.67 g1zUrS3e.net
同じような死に方ってのは?

332:吾輩は名無しである
21/04/16 14:30:26.44 sn+qa29t.net
死体は窓から投げ棄てよ

333:吾輩は名無しである
21/04/16 14:37:37.29 fvalvT/0.net
>>328
上野には頑健な肉体を持った人特有の残酷さがある。

334:吾輩は名無しである
21/04/16 14:45:19.45 jmyyMEGa.net
特に意味は無いですよ
やっぱり自死は苦しく痛い思いをしてるでわけしょう
その人たちの死を弱いだのなんだの他人は言えないですよ

335:吾輩は名無しである
21/04/16 14:52:08.23 fvalvT/0.net
>>334
西部は知人に殺してもらうという形だった

336:吾輩は名無しである
21/04/16 15:51:00.59 g1zUrS3e.net
確かに上野は西部邁の死をフェミニズムの文脈で糾弾してて野蛮だ
しかし厄介な問題はスルーして趣味に勤しむ御二方もシニカル過ぎる

337:吾輩は名無しである
21/04/16 15:52:55.97 0j5qiTgb.net
蓮實の東大表象文化論が日本のフェミニズムの進歩を妨げてる現実は大きい。
日本のフェミニズムは表象文化論に一辺倒に依存してる。
だが、世界のフェミニズムにおいては反表象のフェミニズムが台頭している。
ドゥルーズを質にとって蓮實の延命を図るとか、醜いことをするな。
ドゥルーズは蓮實と関係なく生き残る。
ドゥルーズの話をしたければ、哲学板に来いよ。

338:吾輩は名無しである
21/04/16 16:29:55.79 WmLhWicl.net
wiki
フィロゾーフ (philosophe) は、フランス語で「哲学者」を意味する言葉であるが、特に18世紀の啓蒙時代において、啓蒙思想の担い手であった知識人を指す[1]。実際に哲学者であった者は少なく、哲学のみならず、歴史、科学、政治、経済、社会問題などの多くの領域において、理性を主張して公的な活動をおこなった知識人たちがフィロゾーフと称された。
ドゥルーズは、文芸評論家ですよ。

339:吾輩は名無しである
21/04/16 16:35:50.20 WmLhWicl.net
だいたいドゥルーズが、自分の本に文学や映画や美術などのことを書くのではないですか。
↑で出てきた「器官なき身体」なんてのも、アルトーの言葉でしょう。
だいたい日本の教授科目としての「哲学」なんてのは、単純な図式をいじっているだけで、
ラノベみたいなもんですよ。

340:吾輩は名無しである
21/04/16 16:37:56.49 0j5qiTgb.net
>>338
哲学者で文芸評論家だろう。
お前はどうせ、新潮か岩波の編集者だろうが、蓮實を守るなど下らないことを
止めろ。
蓮實を早く退場させて新しいものに目を向けろ。

341:吾輩は名無しである
21/04/16 16:40:34.14 WmLhWicl.net
ドゥルーズが、これからも「生き残る」とすれば、
それは暗黒啓蒙加速主義のニック・ランドのおかげでしょう。

342:吾輩は名無しである
21/04/16 16:53:30.44 0j5qiTgb.net
>>341
磯崎新よりずっと若い現代の建築家でドゥルーズに言及する奴は多いだろ。
蓮實はただ死ぬだけで何も残らんだろうが。

343:吾輩は名無しである
21/04/16 16:55:20.59 0j5qiTgb.net
>>341
お前はジャネットか。
お前は変態だから、嘘を吐くのも、他人を
裏切るのもやりたい放題だな。

344:吾輩は名無しである
21/04/17 02:38:52.19 1NHZuPlx.net
瀧本由美子
90 年代、建築界においてはドゥルーズの「襞」概念が大きな流行となり、ピーター・アイゼンマン、磯
崎新ら建築家が主催した、建築と哲学を交差させる国際会議「Any」においても、その理論を実践へと結
びつける動きが見られた。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch