21/03/31 01:08:03.67 hIHMzW3P.net
蓮實:これは、過去の作品ですが、
それを映画の現在として論じたいのは、イタリア映画において、セルジオ・レオーネと
ピエル・パオロ・パゾリーニのどちらを
選ぶかという問題です。すでにいったように、
そのどちらかを否定することが問題では
ありません。ただ、私は、セルジオ・レオーネの方が、パゾリーニとは比較しようもない
ほど重要な映画作家だと思っています。
パゾリーニの評価って、どこかガス・ヴァン・サントの評価と同じようなものに思えてならない。勿論、初期の『マンマ・ローマ』(1962)
ほか何本かのパゾリーニは大好きです。
また、イーストウッドと一緒に仕事をしていた時期のレオーネには疑問もあるし、
批判もしてきました。しかし、
彼の晩年の3本は、映画に対してきわめて貴重な貢献をしている。とくに、『ウエスタン』(1968)と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)は、その自己破壊性において素晴らしい作品です。ことによると、
ヴェンダースの『パリ、テキサス』(1984)
以上の強い意志で「最後のアメリカ映画」
を撮ろうとしている。それにくらべると、
パゾリーニの後期の作品は、どこかで
映画を甘く見ている。というより、ひとりの
個性ある芸術家が、映画を使って自分を
表現しているとしか見えない。
ですから、私は、いまこそ、映画の現在
として、パゾリーニに対してセルジオ・レオーネを擁護すべきだと思うのです。