21/04/22 14:50:12.16 eOlLbLvi.net
蓮實映画論は映画にとって功罪が半々だとしても、
渡辺守章の演劇論は、じつは芝居好きな文学役人がくちばしを挟んでいただけ、
といったもので、演劇にとって迷惑なだけだっただろう。
とくに能楽の理解にたいする害悪ははなはだしいように思う。
現実の歌舞伎などの制作の経営側などの本音には、
文学役人が自分の思い入れであれこれいっているが、
上っ方に話を通すことに役立つこともあるし、逆に、
「泣く子と地頭」の喩えのようにへそを曲げらても困る、
だから、とりあえず相槌は打っておこう、
というのが少なからずあったのではないか。
渡辺氏の真摯そうなところは、フーコー来日に際の対談(「哲学の舞台」)で、
三里塚(成田)闘争を二人して「そうそう」などと支持していたようなことにありそうだが、
実際の活動には、渡辺氏の思想のそういう面は、全然反映されなかったように思う。