21/04/08 07:31:42.32 To82/QrS.net
福田和也は図書新聞でイキってるデブだったな。
231:吾輩は名無しである
21/04/08 14:39:17.54 lhFxlLwO.net
蓮実重彦はかつて、蓮実重彦を受取人として振り出された小切手を
近所の銀行に持参して、そこにある蓮実重彦名義の口座に記載の金額を振り込むよう手続きをしてほしいとの旨を行員にいった時のことを日経新聞に書いた。
蓮實氏は、行員から身分証明書類の提示を求められ、わたしは運転もしないので免許証もない、などのことをいったところ、それでは手続きできない決まりです、云々ということになり、そこから少々押し問答になったというのである。
その件について蓮實が言うに、蓮實重彦その人を受取人とする小切手に記載の金額をその蓮實重彦その人の名義の口座に振り込むよう手続きするに、際して、小切手を持参した者の身分証明はいらないだろう、ということだ。たしかにそのとおりだろう。たとえ、小切手を持参した人間が、別人であっても、何の問題も生じない。
そして、蓮実氏は、こういうわけのわからない決まりを、なにも疑わずにいる様な不合理的な心性がはびこっているから、本州四国間に橋が3本もかかるようなおかしなことになるのだろう、といったことを書いて締めくくっている。
わたしとしては、蓮実重彦が書いた内容は、一般論としてもっともだと思うが、一方で、その応対をした銀行員がかわいそうだ、とも思うのだ。
銀行員は、決まりどおりにやらないと上司に怒られるとかというような目に合うのだろう。
その客である蓮実重彦は、当時、東京大学総長である。
東大総長のお客の要望(クレーム?)と会社の決まり事との間に挟まれて、行員は困った立場になっている。このように地位の高い客の正論にもとづく「強硬」な態度は、広義のパワハラになりかねないのである。
蓮実重彦は正論よりも、その銀行員にたいする世間並みの思いやりを優先すべきだったのではないか。
232:吾輩は名無しである
21/04/08 20:09:04.42 UwJ5Hhtc.net
個人商店じゃなく一応銀行だからねー
文章で銀行自体にケチつけるのはいいとして受付係も個人の裁量で勝手なことは出来ないからな
しかし蓮實先生、車も運転出来ないで映画を語ってたのか
233:吾輩は名無しである
21/04/08 20:59:33.24 FYcxKEtv.net
フランスのTVシリーズ「現代の映画作家」でたけしの回にインタビュアーで
出たときの、蓮実のハイヤーの運転手に対する態度はドン引きするレベルだよな
234:吾輩は名無しである
21/04/08 22:41:12.91 XYS4QeMg.net
吉本隆明「彼は伯爵か何かなんですか?」
235:吾輩は名無しである
21/04/08 23:04:08.00 lhFxlLwO.net
「伯爵夫人」は、さすがに傑作ですよ。
蓮実重彦が書いたすべてのもののなかで、ベストです。
とにかく完成度が高い。思想の水準はもちろん、構成の巧みさ、パロディの秀逸さ、文章、どれもぴったりはまっている。
それと作品の背景、あの雰囲気をだせる人が、
もういないでしょう。
マネできる人は、まずいない。
日本のポストモダン文学史上の最高作なのはまちがいないです。
21世紀の日本文学で、同等の作品というと、笙野頼子の「だいにっほん三部作」くらいしか思いつかない。
236:吾輩は名無しである
21/04/08 23:05:27.57 lhFxlLwO.net
×思いつかない
〇思い浮かばない
237:吾輩は名無しである
21/04/08 23:21:47.38 XYS4QeMg.net
蓮實重彦「わたしは無爵である」
238:吾輩は名無しである
21/04/08 23:24:04.50 PNQ/zxG7.net
>>230
あのエロ小説よくできてるよね本当に
太平洋戦争開戦前夜という時代設定も秀逸
239:吾輩は名無しである
21/04/08 23:24:28.10 lhFxlLwO.net
母方の祖父が男爵ではなかったですか。
240:吾輩は名無しである
21/04/08 23:34:10.46 UwJ5Hhtc.net
私自身は、文学賞の候補になったりする以前、文芸誌に掲載された時点で当の『伯爵夫人』を読み始めたものの、その惨憺たる内容に呆れ果て、半ばほどで読み進めることを放棄したのであった。
とはいえ、これは、『伯爵夫人』という小説が完全に無価値であることを意味しない。むしろ、ある程度の価値が担保されてしまっているということにこそ、この小説のタチの悪さがあるのだ。……
『伯爵夫人』という作品を構成する言語を技術的に分析する限り、どこがどのようになりどのようなことがなされどの程度の技術的水準にあるのかということは、どの点から見てもそこそこ高い評価を下さざるをえない。
しかし、そこで駆使されている技術は、既存の文学研究において提出された技術面での理論的言説において、既に明確に定式化されているようなことばかりなのである。
ここにあるのは既知の技術の組み合わせでしかなく、小説家としての蓮實重彦自身の取り組みによって従来の理論的研究からはみ出した部分は、全くない(とりあえず、私が読んだ前半までの範疇では)。
言ってみれば、これはリヴァース・エンジニアリング小説とでもいうべきものであって、文学研究・文学理論の成果をそのまま適用しさえすれば誰にでも書けるはずのものなのである。
その意味では、プロの書き手でも批評家・研究者の類でも、この小説から学べることは何一つない。『伯爵夫人』より低水準の小説しか書けない実作者などというものは単に不勉強でトレーニングが足りないのだからプロ失格だし、批評家・研究者がこの小説の読解を通して新たに生み出しえる知見などというものも存在しない。
にもかかわらず、ここに何か語るべきことがあるかのように振る舞ってあれやこれやの論外の駄弁を労する連中の醜態を鼻で笑っていたりもしたのだが、さすがにこんな茶番が文学の名の元に行なわれるのはあんまりなのではないかとも思い、
『伯爵夫人』を最後まで読み切ってその技術的成り立ちを全て明確に示した上で「この小説に何か取り立てて語るべきことがあるかのように考えている者は、全員、単なる馬鹿である」という結論に至る文章を書こうかなどとも考えたりしたのだが、後半を読むのは完全に時間の無駄であろうと判断して結局やめておいたのであった。
241:吾輩は名無しである
21/04/08 23:38:22.62 UwJ5Hhtc.net
そんなことがあるうち、なんだかこの小説が文学賞の候補になって大きな話題になりつつあったのだが、そんな中、ただ一人、この小説に関して非常に的確であり私にも妥当であると思える評価を下した人物がいた。
これまでも、それなりに信頼に足る業績を積み上げてきており、その仕事にも一定の評価を下している批評家……そう、蓮實重彦である。この小説に対して述べる機会がなぜかあった批評家・蓮實重彦は、
この程度の作品であれば文学研究者であれば大した労力もかけずに誰でも書ける程度のものでしかなく取り立てて価値もないことを、辛辣ながらも的確に評していたのであった。……いやー蓮實先生、やっぱりさすがですね~。
さて、やや脱線が長くなってしまったが、セリーヌやジュネやベルンハルトの手になる小説は、文学研究のリヴァース・エンジニアリングによって完全に説明がついてしまい正当な手続きさえ踏めば誰にでも構築できてしまうようなしょうもない小説とは、まさに対極にあるものである。
既存の文学理論の方法論なりそこで積み上げられた分析方法なりをセリーヌなりジュネなりベルンハルトなりに適用してみて明らかになるのは、むしろ、なぜそのような文章をそのように長大に書き連ね連結することによって長篇小説を構成することができるのか、全く理解不能であるということだろう。
むしろ、セリーヌやジュネの場合、純粋に技術的な見地からのみ見ると、そこにそれまでの文学史で登場していなかった高度な達成があるとも思えない。にもかかわらず、作品全体としては、高度な達成がなされていると評価せざるをえない。
……以上のような、明確な分析を拒む異様な散文を改めて丁寧に読み続けることによって私が改めて実感するようになったのは、セリーヌとジュネがあれだけの分量を持つ長篇小説を平然と何作も書くことができたのは、全くわけがわからないということだ。
242:吾輩は名無しである
21/04/08 23:46:06.49 XYS4QeMg.net
確か戦前戦中の映画鑑賞についての話でかな
吉本)戦前戦中に映画を見てる人なんていなかった
蓮實)いやいや普通に見てた、『モロッコ』が売れると『トロッコ』が出てきたりしてた
吉本)そんな文化豊かな生活ができたなんて、あの方は伯爵か何かですか?
蓮實)何か言ってる方がいるけど、わたしは無爵である
こんなヤリトリがあったのよ(もちろん直接の対談ではないよ)
243:吾輩は名無しである
21/04/09 00:06:09.48 bJQokckT.net
「伯爵夫人」の文学理論や文章技巧やポストモダン的な構成などのことばかりいう人が多いが、
それは一面的だ、と私は思う。
あの作品は、おそらく蓮実重彦のお祖母さんへの思いが書かせたものではないですか。
「伯爵夫人」の底にあるものを一言でいえば、愛だと思いますよ。
244:吾輩は名無しである
21/04/09 00:10:25.90 vTnBvD+i.net
新垣隆「私は、お金とか名声が欲しいのではありませんでした。佐村河内の依頼は現代音楽ではなく、調性音楽でしたから、私の仕事の本流ではありません」、「彼の申し出は一種の息抜きでした。あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者だったら誰でもできる。どうせ売れるわけはない、という思いもありました」
この発言を真似したかったとしか思えない
245:吾輩は名無しである
21/04/09 00:11:52.95 bJQokckT.net
≫『伯爵夫人』より低水準の小説しか書けない実作者(中略)はプロ失格
職業作家では、一人もいないから、日本の文学界は全滅でしょう。
246:吾輩は名無しである
21/04/09 00:13:28.01 bJQokckT.net
ところで、235,236は、いったい誰が書いたものですか。
247:吾輩は名無しである
21/04/09 00:17:54.22 c1ou19yg.net
238、蓮實重彦が最も忌み嫌った評価で絶賛するってなかなか意地悪ですね
248:吾輩は名無しである
21/04/09 00:27:34.53 bJQokckT.net
≫文学文学研究・文学理論の成果をそのまま適用しさえすれば誰にでも書ける
すぐにこういうことを言う人が出るけれども、
書けませんよ。
だいたい、あの時代のあの階級の女性たちに特有の言葉遣いが、文壇の現役では、
もはや蓮実重彦くらいしかわからないでしょう。
生きていいたら100歳以上の太宰の「斜陽」でさえ、三島由紀夫に言葉遣いが変だ、とか言われたんだから。
249:吾輩は名無しである
21/04/09 08:17:26.15 JkhaIUJ6.net
戦場の描写なんてうまいけど、全体的にチープなのは通俗的な文学性を回避したわけなのか?
性器の名を連呼するのは「やんちゃ」がしたかったのか?
あの短さ(長さ)にこだわったのかもしれないが、細部が膨張して収拾がつかない状態になる事を夢見たりしないのか?
それは「批評家としての自分の倫理」が許さなかったのか?
250:吾輩は名無しである
21/04/09 19:16:27.10 vTnBvD+i.net
蓮實:いや、黒田さんは、これは傑作であり、私の書いたものは到底傑作と言えるものではありません。あの程度のものなら、私のように散文のフィクションを研究してる者にとってはもういつでも書けるものであるわけですが。あの程度の作品というのは、すなわち相対的に優れたものでしかない、ということだと思っております。
蓮實:いや、情熱やパッションはまったくありませんでした。もっぱら知的な操作によるものです。
蓮實:評価については先ほど申し上げたとおりです。相対的に優れたものであり、あんなものはいつでも書けるということです。それから、最初の質問はなんでしたっけ?
蓮實:いや、まったくなにも書いてません。お読みになってくださったんでしょうか? そしたらなにが書かれていましたか?
251:吾輩は名無しである
21/04/10 00:29:08.06 ez1w/iVa.net
235,236の方は、The Red Diptychの方でしょう。
ちらちら拝読したところ、ひじょうに優れた批評が多くて、
ただ感心しました。
252:吾輩は名無しである
21/04/10 00:53:36.35 yacoVYpO.net
アメコミの評論もやってた人かな
アルファビル、惑星ソラリスを並べて「見立てる」ことについて語ってたり
今見たら見れなくなってた
蓮實重彦等のコピペを接続して文章を完成させていくブログも好きだった
書きたいことはすでに書かれているってノリのね
評論DJみたいで面白かった
こちらも見当たらないな
253:吾輩は名無しである
21/04/10 07:12:02.40 26PwdZtN.net
蓮實さんは細部が膨張して収拾がつかない状態になるフリしか出来ないでしょ
どこまでも相対的な聡明さの人であって愚鈍なる野蛮な知性からは徹底的に見放されてる人ですから
批評ではその聡明さが威力を発揮するけど小説ではその限界が激しく露呈する
伯爵夫人は読んでないけど陥没地帯をそれなりに期待して読んだ時のガッカリ感は忘れられないな
254:吾輩は名無しである
21/04/10 08:40:32.42 T5KPGYr+.net
>>233 大東亜戦争な
256:吾輩は名無しである
21/04/10 12:01:18.74 ez1w/iVa.net
僧正遍照『古今集』『小倉百人一首』
天津風(あまつかぜ)雲の通ひ路(かよひじ)吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむきのつらゆき
紀貫之の評は、絵にかける女を見ていたづらに心をうごかす、ようである、というもの。
こぬひとをまつほのうらのゆふなぎにやくや藻塩の身もこがれつつ
後鳥羽院の定家評は、定家は生得の上手にてこそ、こことなにとなけれども、うつくしく言ひつづけたれば
殊勝のものにてあれ
「伯爵夫人」についての蓮実重彦本人の評も含めた世の大方の評は、
こういうのに似ているのです。
日本ポストモダニズム=「伝統」・プレモダニズムという批評は正当だろうが、
そういうものへの批判にしても同じくらい古くから「伝統」的にあるのです。
257:吾輩は名無しである
21/04/10 12:02:25.81 ez1w/iVa.net
引用の藤原の定家の歌は、「新古今集」「小倉百人一首」に自選
258:吾輩は名無しである
21/04/10 12:04:51.60 ez1w/iVa.net
×天津風(あまつかぜ)雲の通ひ路(かよひじ)吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむきのつらゆき
〇天津風(あまつかぜ)雲の通ひ路(かよひじ)吹き閉ぢよ をとめ(乙女)の姿 しばしとどめむ
259:吾輩は名無しである
21/04/10 12:50:10.12 ez1w/iVa.net
かかるものを幽玄というならば、幽玄の冒涜だと思っている。
屏風に向うて歌をつくり白氏文集の句を唱して歌をつくるは、尊からざるごとく
(斎藤茂吉「定家の歌一首」)
紀貫之の僧正遍照の歌への批判とおそらく同趣旨でしょう。
なにも近代になってはじめて日本ポストモダン的「伝統」が批判されたわけではなく、
批判のほうもおなじく「伝統」的なのです。
260:吾輩は名無しである
21/04/10 12:58:21.84 ez1w/iVa.net
後鳥羽院は承久の乱を引き起こしました。
しかし、その寵臣の藤原定家は、「紅旗征戎吾事(わがこと)に非ず」といって、
関わりませんでした。そして、鎌倉幕府よりだった義弟が乱ののちに太政大臣になったおかげで、
破格の正二位にまでなりました。
なお、三島由紀夫は晩年、定家のように「紅旗征戎吾事(わがこと)に非ず」といった「政治」に対する諦念を自分は持てない、といっていました。
261:吾輩は名無しである
21/04/10 14:02:25.29 ez1w/iVa.net
ちなみに、後鳥羽院の西行評
「こころ殊に深し」
定家評とは逆です。
262:吾輩は名無しである
21/04/10 14:04:59.37 cFfQIylI.net
ICレコーダーに西落合1-18-18 更生施設けやき荘にたった数日入居していた間偶々偶然に録音したのをみつけその内容の酷さに公表する事を決意しました、文字起こしします。
西落合1-18-18 更生施設けやき荘勤務の柳沢は、職員に対して「ここの入居者に対してはどれだけ酷い事をしても、第三者委員会も設置してあるだけ、施設の苦情にここの入居者の「人間以下」が訴えたら「事実と異なる」と本当の被害であったとしても、そのように言い切れば「こちらの言い分」を裏付けも取らずに鵜呑みにするよ「世間」は・・・職員が「ここの人間以下のゴミクズ以下の入居者」を殴ってごらん・・・殴られた入居者が警察に訴えたら「こんなところに入居している「人間じゃあない生き物の言い分」を信用するのか」と言えばいい・・・土下座して謝罪してくれるよ「警察が」
そう言って柳沢は近くに居た入居者の女性の髪を引っ張り平手打ちした(平手打ちをした音声が入っていた)
「これを世間に訴えても「映像証拠」でもない限り「こちらの言い分」を世間は鵜呑みにする・・・ここに入居している人間は生活困窮者でもあるからスマートフォンは所有していない・・・「映像証拠」等撮れない」
そう言うと柳沢は、平手打ちをした入居者に対して馬乗りになり激しく殴打した(殴打していると思われる音声が入っていた
263:吾輩は名無しである
21/04/10 14:09:25.34 ez1w/iVa.net
紀貫之 古今集仮名序
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、
心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり・・
264:吾輩は名無しである
21/04/11 08:44:14.89 UIaYFQWI.net
蓮實重彦の趣味にどこまで同一化出来るかを競うシネフィルの不毛なゲームの規則なんか無視する浅田彰や福田和也のほうがマトモ
金井美恵子が柄谷行人に小説が読めないとか浅田彰は映画のセンスが悪いとか言うのも蓮實に染まってない!ってことだからな
恥ずかしい奴
265:吾輩は名無しである
21/04/11 18:04:44.37 7xof1ruR.net
とはいえ、浅田彰は、本を書かない。
福田和也は、書きまくっているが、その実は、雑文を書き散らかしていただけで
ちゃんとしたものは書かない。
これでは、迫力がないでしょう。
金井美恵子という人は、精神的に蓮実映画批評に依存しすぎな感じです。
266:吾輩は名無しである
21/04/11 18:08:25.94 7xof1ruR.net
しかし、浅田、福田両氏がそうなっている理由も、すこしわかるような気がします。
日本の思想や文学について、とうに諦めてしまっているのではないでしょうか。
267:吾輩は名無しである
21/04/11 22:26:05.53 jXdSx36x.net
>>226
ゴダールの映画には日本車がよく出てくるけど、
重ちゃんは、ゴダールは日本車は個性がないを引用してるだけ。
この人車のこと知らないんだと思ったよ。
268:吾輩は名無しである
21/04/12 01:05:31.52 Eg700YOR.net
蓮實は画面の中にどういう形の存在がどう位置しどんな光が当たりどのくらい映っているかなどを問題にしてれば良い。
「車好きから見たゴダール作品」とかそういうのは誰かにやって貰えば充分。
ガンマニアが見たら名作だっていい加減極まりないと唾棄される事もよくあるのだし、そういう角度から蓮實批判するのは良いけど、勝ち誇る事などできない。
269:吾輩は名無しである
21/04/12 05:30:54.91 rCGLYVLN.net
>>262
批判は勝ち負けじゃない
270:吾輩は名無しである
21/04/12 08:41:48.77 gtnNYUSm.net
Howard Hoaxさんの書くもの面白いね
変な人のことなど気にせず書いたほうがいいと思うなあ勿体ない
徒労感が凄いのかもしれないけど・・・
271:吾輩は名無しである
21/04/12 12:36:36.50 +oVp0TZD.net
しかし、蓮實スレの住民は、さすがに優秀です。
それも蓮實先生のおかげではないですか。
やはり、何について語るか、あるいは、誰について語るか、
といったことが議論の性質をきめていまうところがある。
これが現在活躍中の50歳以下の思想家や作家について語るスレッドだったら、
はっきり言ってどうでもいい連中だからまともな話のタネもないし、
たとえ、話が成立しても、へんなステマみたいなのが出てきて、荒れて終わりになるでしょう。
あるいは、ずっとうえの、四方田犬彦や松浦寿輝について語るスレッドであっても、
こうはいかないでしょう。
けっきょくのところ、さすがは蓮実重彦、ということなのです。
272:吾輩は名無しである
21/04/12 21:52:28.83 gtnNYUSm.net
何をいかにして語るかは両方大事なのに、いかにして語るかだけを問題にする蓮實はやはり問題だと思うという素朴な正論をやはりぶつけたいw
273:吾輩は名無しである
21/04/13 08:05:30.40 rk4QOIvj.net
>>259
すでにご存知と思うが知ってる範囲では田中康夫との対談が唯一定期的に
行ってる仕事かな
URLリンク(sotokoto-online.jp)
274:吾輩は名無しである
21/04/13 14:30:08.49 TXDzz3Hr.net
福田和也の東浩紀評は、
久しぶりに会った。むかしよりは大人になっていたが、相変わらず、教養がない、
漫画とアニメしか知らない、というようなものです。
若いころは横紙やぶりで、出世してからは清濁併せ呑む、
という福田氏の蓮実評は、遥かかなた上のレベルでの批判でしょう。
このように福田氏にしても、ちゃんと相手を見て、
しかるべき批判をしているのではないでしょうか。
275:吾輩は名無しである
21/04/13 14:36:05.53 H2iDGBhz.net
>>268
福田より哲学は知ってるんじゃないですかね、東は
276:吾輩は名無しである
21/04/13 14:52:24.97 TXDzz3Hr.net
東浩紀の哲学の「わかり方」というのは、解説書的なものですからね。
お勉強的には、間違ってはいない。ただたんにそれだけ、というものでしょう。
もっと若い千葉雅也さんには、むかしからすこし「過剰」なところがあって、
東氏が「郵便的」みたいな図式で分かった気になっているところを、
マラブーとかを援用したうえで、
もっとモヤモヤっとした領域に踏み込むような面があります。
雑に言えば、「郵便的」は、存在者の存在を、
けっきょくは存在者として扱う議論の一種なのです。
千葉氏は、それでは元も木阿弥ではないか、ということにかなり若いころから気づいていた感じだ。
しかし、千葉市が、それをうまく言えているとは思えませんが。
とはいえ、ハイデガーでさえ、うまく言うどころか、
うわ言みたいなのを繰り返すことに終始していた問題ですから、
しょうがないでしょう。
おもうに、福田和也はむかしから、千葉さんがひかかっかようなことは、
はわかっていました。福田氏は、勉強しなくても第一観でわかる人なのです。
福田・浅田の共通点は、地の頭が極端にいい坊ちゃん育ちところでしょう。だから気が合うのです。
277:吾輩は名無しである
21/04/13 15:11:54.87 TXDzz3Hr.net
柄谷行人の東評は、倫理的衝迫がぜんぜんない、ただ有名になりたいだけの子供、
というものです。
倫理的衝迫のない人が哲学をやっても、それは単なるお勉強です。
「お勉強」ですから、画一的教育制度に順応した人ならば、
それなりに上手くやれるでしょうが、しかし、それだけのこと、ではないですか。
278:吾輩は名無しである
21/04/13 21:54:32.26 /Mi/28eX.net
ID:TXDzz3Hrは自分が東より物を見る眼があると勘違いしている
279:吾輩は名無しである
21/04/13 22:26:42.19 TXDzz3Hr.net
ゲンロン 批評家養成講座 蓮実重彦の功罪
高橋秀明
蓮實は最近、『ユリイカ』の中で「あるとき見ることをやめてしまうことこそが最大の映画批評であるという可能性もあるのではないか?」と述べているが*3、これはいったいどういうことなのだろうか?あれほどまでに見ることにこだわり続けていた批評家が、見ることをやめてしまうことを肯定するかの発言をするとは、どういう意図なのだろうか?文字通り受け取っていいものだろうか?そのことの真意を問うために。そもそも私たちは何を「見ている」のかについて考察していく。
脳機能学者の苫米地英人によれば、私たちの脳は自分にとって関係がないと思っていることは、脳幹にあるRAS(網様体賦活系)と呼ばれるフィルターが遮断し、情報を情報として受け取れていないという*4。つまり、我々はRASによるフィルターを通して、現実世界を認識しているのである。その結果、我々はしばしば、目の前にあるものが見えなかったり、ないものが見えたりすることが起きる。このような、認識できていない部分のことを苫米地は「スコトーマ」(盲点)とする。これは宮台のいう「見たいものしか見ない」ということ繋がるのではないだろうか。『世界はそもそもデタラメである』の中でも、宮台は安定した世界像の方こそが主観性による世界の体験加工なのだとして、体験加工以前の世界が描かれている映画を擁護する*5。
このように考えると蓮實の映画批評における徹底して、「画面」=「表層」を「見る」とは、苫米地のいうような「スコトーマ」を失くし、現実世界そのものを認識しようとする試みであったといえる。ただ、全てを見ようとしても、人間の脳には限界があり、全てを見ることが出来ない。また、メディアなどの変化により、DVDなどで自分が見えていたと思っていたものを検証することが可能となった。その結果が、さきほど挙げた『ユリイカ』の中での蓮實の発言だったのではないだろうか。
280:吾輩は名無しである
21/04/13 22:34:33.16 TXDzz3Hr.net
前に、「認知限界」云々ということを書いていた別の人の批評を引用しましたが、
↑もおなじ線の理解です。
こういうのが、蓮実映画批評についての東氏系の理解なのです。
浅田彰の一見しては頭よさげに見える悪いところ(浅田氏の良いところは別にある)からばかり影響された東氏の「理系っぽくする」、
あるいは、ブルーバックスふうに「理系っぽく」しないと頭に入らないので物がいえない、という面を
そのまま引き継いでしまっているのです。
蓮實重彦は、文学でしかいえないことを文学の言葉で語っているのに、
サイエンスの言葉に翻訳してしか理解していない、ということです。
281:吾輩は名無しである
21/04/13 22:45:38.23 /Mi/28eX.net
>>274
いい加減自分は物を分かってると自惚れるのをやめなさい
282:吾輩は名無しである
21/04/14 01:33:55.68 62TuJ23c.net
キルケゴール 遺構から
混乱していること、それは、学問として伝えられるべきものが、芸術として伝え
られる場合であるが(・・・)、同様に、芸術として伝えられるべきものが、学問
として伝えられる場合もそうである。そして、現代における混乱は、ここに、す
なわち、倫理的なものが、学問として伝えられている、というところにある。
283:吾輩は名無しである
21/04/14 01:34:26.64 62TuJ23c.net
×遺構
〇遺稿
284:吾輩は名無しである
21/04/14 08:27:25.05 Ug655eRD.net
教養かあ・・・厄介なもんだね
教養あったほうがいいんだろうけどさ教養のマウンティングばっかりで実際の仕事は大したことないってことばかりじゃないか
浅田や福田はマトモな仕事出来ないし蓮實はあんな程度の小説しか書けないし
結局才能と言ったら身も蓋もないが
285:吾輩は名無しである
21/04/14 08:29:06.16 Ug655eRD.net
変なオタク的な教養の煽りは無視していいんじゃないかなあ
286:吾輩は名無しである
21/04/14 13:20:01.28 SUQRxxYP.net
教養あったからって仕事ができるわけではない。
287:吾輩は名無しである
21/04/14 14:36:41.05 62TuJ23c.net
「感情教育』(L'Éducation sentimentale)は、情操教育でもいいわけでしょう。
蓮實映画批評は、学問として知識を伝達するものではなく
芸術として伝えるべきものである情操の伝達なのです。
蓮実重彦が感得したものをほかの人にも伝えたい、
趣味判断において普遍性を主張したい
(そのためには語学力や出身階級などにとらわれず万人にたいして開かれていなければならない)、
これは倫理的要求です。
そのためにあのようなスタイルになっているのでしょう。
288:吾輩は名無しである
21/04/14 16:04:46.56 62TuJ23c.net
浅田・福田両氏には、美の判断を崇高の判断に近い形で理解するような
ハイデガー、リオタール、ドゥルーズなどの系統の解釈を
安易に受け入れてしまう軽薄なところがある。
これは、天変地異や大乱の待望、サド・マゾヒズム、ファシズム・ナチズム、
公理論的(公理主義的)方法の過度の肯定、といった考え方に至りやすい。
國分巧一郎氏などは見たかんじ普通っぽいから、浅田・福田両氏ほどのつよい嗜好に基づくわけでもなかろうに
ドゥルーズがそうだから、というだけの理由で、美=崇高判断賞賛みたいなことを書いている。
蓮實重彦には、「マゾッホとサド」の訳者であるにもかかわらず、そういうことには陥らないような節度もある。
後期のパゾリーニにダメ出するのも、リンチ監督やら大勢のその種の人を無視するのも、
そういう節度が働いているからではないですか。
289:吾輩は名無しである
21/04/14 16:07:58.26 62TuJ23c.net
たぶん、蓮実重彦は、フランシス・ベーコン(画家のほう)も無視しているでしょう。
290:吾輩は名無しである
21/04/14 16:55:12.20 GLZizTwf.net
>>282
あんたはどうなの?
291:吾輩は名無しである
21/04/14 17:00:56.54 62TuJ23c.net
わたしは、あまり節度もないし、その種の嗜好が強烈で、抑えきれない。
しかし、公理論的方法はきらい、というか、わからないから、
なんとなく気分的にきらい、ですか。
292:吾輩は名無しである
21/04/14 17:24:16.16 62TuJ23c.net
そういえば、公理論的方法は、ハイデガーも嫌ってましたね。
形而上学の執拗な支配、と言っていました。
福田氏は、ハイデガーを援用したはずの「日本の家郷」では、空無である日本の歴史における生成のメカニズム、
みたいなことで、公理論のアナロジーみたいなことを言っていましたから、
案外と好きなんでしょう。
いがいに、福田氏は、じつはドゥルーズ寄りなんではないでしょうか。
293:吾輩は名無しである
21/04/14 17:43:46.07 62TuJ23c.net
福田氏がじつはドゥルーズ寄りで、千葉雅也氏はじつはハイデガー寄り、
といえそうです。
千葉雅也『ツイッター哲学』発売
@masayachiba
·
2019年4月3日
ドゥルーズ+ガタリによれば、資本主義の脱領土化する速度は「公理系」に制約される。公理系とは、一国家には収まらない普遍的な原則のことで、諸々の人権とか、弱者保護、福祉とかがそう。ポリコレは資本主義の公理系と言える。
千葉雅也『ツイッター哲学』発売
@masayachiba
·
2019年4月3日
アンチ・オイディプスは、資本主義を制約する公理系をぶっ飛ばして脱領土化を加速するのが革命だと言っていて、これがニック・ランド。ポリコレは公理系なので、ランドの加速主義は必然、ポリコレ不要のダーク・エンライトメントになる。
千葉雅也『ツイッター哲学』発売
@masayachiba
·
2019年4月3日
僕はある種の加速主義批判かつ減速主義批判を展開する。ダーク・エンライトメントに対し、人権だ、ポリコレだ、と批判する啓蒙主義=減速主義者が資本主義と共犯関係にあることを指摘しつつ、ランドとも啓蒙主義とも違う線、別の速度について論じる。
294:吾輩は名無しである
21/04/14 18:27:15.95 GLZizTwf.net
イスラム圏に欧米的ポリコレはないよ
295:吾輩は名無しである
21/04/14 18:37:14.37 FJcM+kxR.net
ドゥルーズなんてわからんし、読んでなくてもいいんだよね。
296:吾輩は名無しである
21/04/14 18:58:01.12 62TuJ23c.net
「資本主義社会は,数多の利害の表出に耐えるが,欲望の表出にはいっさい耐えられない。資本主義社会の下
部諸構造を吹き飛ばすには欲望の表出があれば十分なのだ )」(アンチ・オイディプス)
広瀬純
利害の表出は,それがどんなに革命的なものであっても,すなわち,それがどんなに甚大な危機を資本主義に突き付けよう
とも,資本主義の歯車を吹き飛ばすようなものにはならない,つまり,それによってもたらさ
れる危機を,資本主義は,おのれ自身の内的限界として処理し,そうした内的限界の拡大によっ
て乗り越えることができる。ドゥルーズ=ガタリは,内在的体系としての資本主義を「公理系」
と呼んでもいますが,新たな利害の表出に対しては,資本主義は,新たな「公理」を追加する
ことで,それをおのれの内部で処理してしまう。要するに,どんな利害の表出も「資本の平面」
上にとどまる現象でしかないということです。
297:吾輩は名無しである
21/04/14 19:03:32.34 Ug655eRD.net
蓮實さん美術について語ったことあったっけ?
やはりひたすら描かれてるもの、造形されたものの表面を見るのが大事なんかね?w
298:吾輩は名無しである
21/04/14 19:03:56.08 62TuJ23c.net
ちゃんと読んだら、千葉さんの「公理系」の理解が、従来のものと違うことに気づいた。
ドゥルーズ・ガタリの「公理系」というのは、
資本主義社会の法律その他のルールの総体のことでしょう。
なにもポリコレとかに限定されるようなものではない。
千葉さんが「公理系をぶっ飛ばして」というのは、
無視するというような意味なのかな。
それだとおかしい。
資本の運動をがんがん加速すると、それにつれて公理系もどんどん変わる、
というのが従来の理解だった。
299:吾輩は名無しである
21/04/14 19:09:47.18 40Iucu3H.net
蓮實はとっくにオワコンのはずだが。
まだ、しつこくつきまとってうろついてる奴がいるんだなw
300:吾輩は名無しである
21/04/14 19:12:46.33 62TuJ23c.net
ポリコレが、資本主義を加速したおかげで、現在盛んになった、という話なら分かるが、
どうも逆だな。
暗黒啓蒙主義のランドは「加速主義」だというのだが、
「加速主義」だと「構造と力」のころの浅田彰とおなじですよ。
どんどん資本の運動を加速していけば、いずれ器官なき身体になる、ということを、
「ちびくろサンボ」の三匹の虎がすごいスピードで、
サンボが登って天辺に逃げた木の周りをぐるぐる回った挙句バターになるたとえを出して説明したのは、
ひじょうに有名なことです。
その浅田の喩えを、中上健次が、柄谷行人、村上龍との鼎談でバカにしたものです。
301:吾輩は名無しである
21/04/14 19:32:40.61 40Iucu3H.net
>>294
浅田も下らない例え話をしてたのかw
馬鹿にするのも馬鹿らしいようなw
ポスト構造主義の全盛時代には世界中でその類の例え話が流行ったろ。
それに釘を刺したのがソーカル事件であって。
302:吾輩は名無しである
21/04/14 19:53:19.44 62TuJ23c.net
思えば現代思想ブームのピークの1980年代後半はいい時代だった。
日本はバブル経済のころで、
好景気が永遠に続くかのような錯覚に浸っていられたものだった。
その好景気の奇跡的な持続のムードのまま、
資本の運動を加速しまくれば、
いずれは差別やら抑圧やら搾取やらのない社会が来るかのような夢想をしていることができた。
303:吾輩は名無しである
21/04/14 20:07:10.06 40Iucu3H.net
>>296
中上の文体はフィジカル、つまり物理的な
表現が多いんだが、そういう特質を彼の文
体は失って行ったのではないかな。
ミケランジェロの彫刻に顕著なんだが、彼
は奴隷の肉体を自由民の肉体と区別してい
た。中上にはそういう区別はついてなかった
と俺は思う。つまり中上は奴隷の肉体=被差別
民の肉体を分かってなかった。
304:吾輩は名無しである
21/04/14 20:07:25.48 62TuJ23c.net
超越論的金融哲学論考 / 藤崎 達哉【著】
すばらしい題名の本を見つけた。
スレチかもしれないが、ぜひ皆さんにも知っていただきたいので、コピーしました。
305:吾輩は名無しである
21/04/14 21:28:30.65 62TuJ23c.net
wiki
上部構造は政治的・法制的な諸関係や社会的意識の諸形態、たとえば道徳・宗教・芸術などのことである[3]。これらは生産関係の総体を土台としており、
その土台に依存しかつ土台が変化するに応じて変化することから上層建造物の比喩として「上部」構造と名付けられている[3][6]。
ドゥルーズ・ガタリの「公理系」というのは、およそ
↑の「上部構造」をいわば機能主義的に言い換えたものだと考えれば、別にわかりにくいものでもないのだが、
そういう説明をする人をあまり見かけなくなりましたね。
千葉さんみたいに、公理系=ポリコレとか言う人も出てくるし。
ポリコレもイデオロギーだから、たしかに「公理系」の一部とはいえるでしょうけれど。
306:吾輩は名無しである
21/04/14 21:38:27.51
307: ID:62TuJ23c.net
308:吾輩は名無しである
21/04/15 07:56:18.27 fWKu5rO6.net
下のようなのが、ドゥルーズ・ガタリ公理論の元ネタです。
こういうものは、むかし批評空間グループなどが、ネタばらしをしたんですが、
最近は忘れられていますね。
ヒルベルト→ブルバキの流れから出てきた数学的アイデアの一つ、
それをカントの崇高論の中の数学的崇高についての論説を拡大解釈したものでもって料理した、
ということではないでしょうか。
数学における概念拡張の二つの様式
八杉満利子
第二にブルバキ構造理論における概念拡張の仕組みを『建築術』に沿って
考察する。『建築術』は、異なる諸数学理論間に存在する共通項の系統的研究
という内的進化が、我々を公理的方法へと導いた、と言う。ブルバキの数学
論の核心は ”構造 ”概念である。構造とは個別の数学理論から個別性を捨象
して得られる、多くの理論に共通な性質の公理的規定と言える。公理を増や
すにしたがって下部構造が定義される。
構造理論における概念拡張の同質性は次のように述べることができる。初
期理論が、ある構造に属し、その上の演算あるいは関係(性質)に関して理
論の拡張という内的必要性が生じたとする。それに応じて定義される新理論
が初期理論の所属する構造に公理を付加した下部構造に所属するとき、この
拡張は同質的、と見なしてよい。内的必要性は当然成り立っており、理論の
法則は構造の法則として形式的に継承されるとともに、初期理論の要素も演
算も新理論の中に同じ形で埋め込まれる。したがって形式保存も実質保存も
成り立っている。
309:吾輩は名無しである
21/04/15 08:02:34.80 fWKu5rO6.net
なお、ドゥルーズ・ガタリ公理論のねらいは、
最近は言いたがりませんが、
硬直化していたマルクス・エンゲルス主義構造論の改変だったのは、
あきらかです。
310:吾輩は名無しである
21/04/15 13:34:23.87 fWKu5rO6.net
ドゥルーズ・ガタリによれば、
資本主義は、既存の共同体を破壊してあらゆる商品を「脱領土化」する一方で、
所有権という形でそれを「再領土化」して秩序の中に回収する制度、ですから、
ランドの「加速主義」(浅田彰「逃走論」と同趣旨)の結果は、なにか秩序だった違う地平がひらける、
ということなはずなので、ドゥルーズが正しければ、
千葉雅也氏が心配するようなこともないでしょう。
つまり、ドゥルーズは無政府資本主義のイデオローグ、フーコーはそれにくわえて少年虐待魔でもある、
というような一面を見せないようにして、いまどきのソーシャルリベラリズムに反しないようにあく抜きして
解説しているから、↑の引用のように、突っ込まれるようなことをいわなければならなくなるではないでしょうか。
311:吾輩は名無しである
21/04/15 14:53:32.77 fWKu5rO6.net
IMさんのよる小泉小泉義之「ドゥルーズの哲学」の書評
私はドゥルーズより数年遅れて生まれました。彼が活動的であった60年代から70年代にかけて、私も数年間をパリで過ごしました。国立の研究所でしたし、付き合う人も理系とは言え、教養の高い人たちでした。相当突っ込んだ話が出来るようにもなっていました。例のパリ騒動も現地で体験しました。でも、ドゥルーズについて彼らと会話したことは一度もありません。その後も親密な付き合いが続いていますが、今になっても、話題には登って来ません。日本での、ある層に限られていたかもしれませんが、あの「知識人」たちの熱狂ぶりは何であったのでしょう。
この書で題材に取り上げられている、複雑系の問題は、私の専門ではありませんが、関わり合いはあり、多分私も日本では最初に着目した人たちの中に入ります。ほとんどローレンツと同じ時期に、同様な性質を持つ現象に着目して論文を書いたこともあります。それもあり、かつは何年か前にソーカルの批判を面白く読んだこと、もう実験に携われなくなったので、もっぱら科学哲学の書を読み始めたことなどもあって、この書を通読しました。
レビューを見て、なるほどと思いました。見事に、評価が分かれています。私も少し、厳密というほどでなくても、いくらかは詳細に分析してみようと思いましたが、断念しました。理由は他の方のご意見でもお分かりになると思います。とても分析にかかるような代物ではありません。確かに、単なるドゥルーズの解説書ではなく、著者が彼を下敷きにして自分の書きたいことを書いたという書なのですが、ソーカルの意見は、この書にも当てはまります。数学的概念の使い方など、変に初歩的なこと、いきなり「哲学」的な意味をくっつけるところ、全く「教祖のご託宣」調の、批判を許さない断定、等々、解説者の調子がこれに輪をかけて、まるで「哲学村」の同人紙みたいですね。
312:吾輩は名無しである
21/04/15 15:01:17.17 fWKu5rO6.net
ローレンツと同じ時期に云々という記述からして、上の書評を書いた方は、
京都大学理学部(当時、カオス・非線形物理学・非平衡統計力学研究の世界の最先端)
にいた先生のどなたかの可能性がおおきい。
313:吾輩は名無しである
21/04/15 15:19:46.28 1ayVTDLI.net
ドゥルーズを引き合いにして蓮實を延命させるのかw
どんだけせこいんやw
314:吾輩は名無しである
21/04/15 16:11:45.00 fWKu5rO6.net
ハイデガー ナチ党員 女子学生との淫行の常習者
ウィトゲンシュタイン 青年買春の常習犯
フーコー ホモセクハラ少年買春魔
ドゥルーズ オルタナ右翼の元祖
ネグリ 赤い旅団の幹部?
蓮實重彦 髭男爵
315:吾輩は名無しである
21/04/15 16:32:31.41 kugWqSB8.net
ドゥルーズがオルトライトってのはどんな意味で?
千葉雅也が硬直したポリコレリベラル連中に批判的なのは知ってる
ハスミは生活保守って感じかな
316:吾輩は名無しである
21/04/15 16:44:22.63 fWKu5rO6.net
shiki02
ニック・ランドは、もともと大陸哲学とフランス現代思想の研究からスタートしており、初期にはジョルジュ・バタイユに関する著書もあるが、90年代中頃になると、のちに「加速主義(accelerationism)」と呼ばれることになる思想を展開するようになる。加速主義とは、ざっくり言えば、資本主義のプロセスを際限なく加速させることで、あらゆる既存の体制や価値観を転倒させる技術的特異点=シンギュラリティを志向する思想的立場を指す。
この思想は、フランスの現代思想家ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリによる共著『アンチ・オイディプス』から多大な影響を受けている。1972年、パリの五月革命の余韻醒めやらぬなか書かれたこの大著は、「資本主義と分裂症」という副題が付されているが、その中で「脱領土化」という概念が出てくる。これは一言でいえば「解体」のプロセスであり、土地や貨幣がグローバルに流動化していく資本主義、そして自我が解体していく分裂症患者に見られるプロセスであるとされる。
317:吾輩は名無しである
21/04/15 17:12:30.08 fWKu5rO6.net
アルチュセールを忘れていた。
アルチュセール 妻を絞殺
318:吾輩は名無しである
21/04/15 17:34:07.91 fWKu5rO6.net
広瀬純
「服従集団には革命的集団と反動的集団とがあるとドゥルーズ=ガタリは考えています。新た
な利害を表出させ,資本主義を危機に晒すのが革命的な服従集団ですが,この革命的服従集団 ・・・・
は,おのれの生じさせる危機が,資本主義にとって同化可能なものでしかないという現実に直
面した瞬間から,主体集団へと転じる可能性に開かれる。」
上にあるように、欲望を表出させて資本主義を「解体」する「主体集団」になりうるのは、
なにも「革命的集団」つまり左だけではないのです。
反動的集団であってもよい、つまり右であってもいいのです。
319:吾輩は名無しである
21/04/15 17:35:13.83 kugWqSB8.net
その辺はオルトライトより
マッキノンやバトラーのような価値擾乱タイプのフェミニスト等に近いイメージ
しかしなぜ日本のフェミは矯風会のような権威主義的保守タイプばかりなのだろう
320:吾輩は名無しである
21/04/15 17:35:26.11 kugWqSB8.net
ラカン ネトリ好き
321:吾輩は名無しである
21/04/15 17:42:35.32 fWKu5rO6.net
[上にあるように、]
は削除。
広瀬氏は、反動的な右の「服従集団」でも「主体集団」になりうるとは考えていないようなので。
322:吾輩は名無しである
21/04/15 18:58:27.72 fWKu5rO6.net
三つの革命・ドゥルーズ・ガタリの政治哲学
佐藤喜幸/廣瀬純
イエローケーキさんの書評
ドゥルーズ=ガタリによる「アンチ・オイディプス」「千のプラトー」「哲学とは何か」の三著作から、革命という共通概念を抽出し組み立てた本である。それは、利害と欲望の切断から分子的多様性をもった主体集団に横断結合する革命戦略といえる。近代を上書き保存する限り、革命は資本順応の袋小路へ入り込み、民衆は固有の利害に従って分裂し国家階層秩序の下部と周縁部に組み込まれる。この背理を乗り越えるのは、市民、労働者、マイノリティに分裂した各々が所属集団の利害を切断し反近代、反賃労働を求め、他のマイノリティの中に自己を見出す逸脱的欲望を通じて分裂主体となる出会いだ。近代の嫡子たる産業資本が人類の生存を脅かす存在に転じ、秩序との一体感が失われる時代の中で、逸脱的欲望への分裂者的備給が生成され切断と接続を繰り返す。そこから、権力に服従化されない世界市民へと変容した民衆による、新たな生の創造過程を再領土化する革命が開始される。巻末の日本社会への戦略適応を読む時、じつは日本こそが革命の最前線であると認識を新たにさせられる。
323:吾輩は名無しである
21/04/15 18:59:55.65 aW6yMD8B.net
消費の拡大がなんで資本主義の消滅に繋がるのかさっぱりわかんない
金融資本の拡大は資本主義を消滅させるか?
324:吾輩は名無しである
21/04/15 19:23:04.99 +//pUBtw.net
それにしても、この手の人は欲望という言葉が好きだよな。
情報量が多いならスッキリ明快に書けw
325:吾輩は名無しである
21/04/15 19:41:48.66 fWKu5rO6.net
消費を拡大しても景気が良くなるだけで資本主義は消滅しませんから、
つまりデタラメですから、
理解できないのは当然です。
326:吾輩は名無しである
21/04/15 20:47:49.47 +//pUBtw.net
この手の人は専門用語の理解に欠けている。
イメージだけでものを語りがち。
327:吾輩は名無しである
21/04/15 21:21:40.36 +//pUBtw.net
>利害と欲望の切断から分子的多様性をもった主体集団に横断結合する革命戦略
>反近代、反賃労働を求め、他のマイノリティの中に自己を見出す逸脱的欲望を通じて分裂主体となる出会いだ。
好き勝手なことするってこと?
328:吾輩は名無しである
21/04/15 21:38:12.88 fWKu5rO6.net
前々から言っているのですが、ドゥルーズ・ガタリ政治哲学というのは、
新左翼主義の一種なのですよ。68年五月革命、日本の全共闘運動、こういうものの雰囲気が残っているときには、
錯覚かもしれないがいちおう意味ありげだったので、言わんとするところが、それなりに伝わったのです。
しかし、日本のドゥルージアンみたいなのは、このことを、とにかく認めたがらない。
いまはそうではないけれど、何年か前は、それをいうと、
5ちゃんねるでも、すごく攻撃されましたからね。
329:吾輩は名無しである
21/04/15 21:41:01.98 fWKu5rO6.net
中島浩壽
この方はドゥルーズの教え子だそうです。
私は 1972 年 3 月に行われたフーコーとドゥルーズの『知識人と権力』という対談を読んで受けた衝撃を
忘れられない(Michel Foucault 1994)。
二人の対話を読んで、衝撃を受けたのは、もちろん論理展開の面白さがあるが、それよりも、私たちが
全共闘運動の中で考えてきたものと通底した内容だったからである。そして、そのテーマこそが、68 年 5 月
と全共闘運動が提起した大きな問題の一つと感じられたからである。
その対談の大きなテーマの一つは全体化と特異性についてである。
330:吾輩は名無しである
21/04/15 21:58:58.00 fWKu5rO6.net
蓮實重彦は、ドゥルーズは美の人、哲学の人ではない、ドゥルーズは、思考、思考、といいながら、
ぜんぜん思考していない、
言い切っていますよ。こうして日本における「ドゥルーズ」を守ったわけですが、
いまどきの日本ドゥルージアンは、親の心子知らず、というべきか、
ドゥルーズの思考、哲学ばかり問題にしているでしょう。
331:吾輩は名無しである
21/04/15 22:21:24.93 fWKu5rO6.net
ドゥルーズ、フーコー、デリダ、らの思想を、
カルチュラル・レフトは、それなりに受け継いだでしょう。
しかし、文化左翼主義というのは、けっきょく、ソーシャル・リベラリズムに吸収されて終わり、
ということがはなから予想できたし、実際そうだったでしょう。
今やそこから先の展望がないのです。
332:吾輩は名無しである
21/04/15 22:24:19.98 aW6yMD8B.net
蓮實)浅田さんが「偉大な哲学者」とおっしゃることが全否定に近いということを理解したうえでならばいいけれども、その発言はやはりポスト・モダンな身ぶりであって、いまでははっきり否定しないと一般の読者にはわからないんですよ。
浅田)いや、一般の読者の反応を想定するというのがポスト・モダンな身ぶりなのであって、ぼくは全否定に限りなく近い全肯定として「ドゥルーズは偉大な哲学者だった」と断言するまでです。
ただ、たとえばこういうことはありますね。さっき言われたように、ドゥルーズとゴダールは、言葉のレヴェルにおいては非常によく対応する。ただ出来事だけがある(eventum tantum)というのは、たんにイマージュがある(juste une image)ということですよ。
しかし、ドゥルーズは、ゴダールがそのイマージュを生きているようには、出来事を生きていない。ぼくはゴダールは絶対的に肯定しますけれど、ドゥルーズは哲学者として肯定するだけです。
蓮實)うん、そこを言わせたいのよ(笑)。
浅田)そんなの自分で言ってくださいよ(笑)。
蓮實)だから浅田さんにとっては、ドゥルーズは一般的に偉いけれども、特異なものとして見た場合はやはりゴダールを取るでしょう。
浅田)絶対にゴダールを取ります。
蓮實)そうしたらば、ドゥルーズに対してもう少し強い否定のニュアンスがあってもいいと思う。
浅田)でも「偉大な哲学者」というのは最高に強い否定のニュアンスでもあるわけですよ。たとえばニーチェは哲学者ではないが、ハイデガーは哲学者である。それで、ゴダールがニーチェだとしたら、ドゥルーズはしいてどちらかといえばハイデガーなんです。
333:吾輩は名無しである
21/04/15 22:28:22.68 aW6yMD8B.net
蓮實)ただし、ドゥルーズにとっての美というのは、ハイデガーのそれと全く違いますけれどもね。それともうひとつ、やはり彼は20世紀の両対戦間からその終わりまでに至って哲学は負けたと思っているのは明らかです。
何に負けたかというと、実はゴダールではなくて、ジャン・ルノワールに負けている。ジャン・ルノワールが、風の潜在性からこれを顕在化することをやってしまっている、と。
浅田)ベルグソンを超えてしまったんですね。
蓮實)そう、超えてしまった。ぼくがいちばんドゥルーズに惹かれるのは、そこまで見た人はいなかったということです。不意にルノワールが出てくるでしょう。それでルノワールに負けているんですよ。おれの言ったことをもう全部やってしまている、と。
浅田)『物質と記憶』とほとんど同時に映画が生まれた。で、映画が哲学を完成してしまったんですね。
蓮實)そうです。それも、だれが完成したかというと、ゴダールではなくて、ルノワールなんです。それでもなお「偉大」ですか。
浅田)だから、たかだがそんな哲学だといえばそれまででしょう。でも、ほかにそんな哲学者がいます?(笑) フーコーは、自分は歴史家だと言わねばならなず、デリダだって、自分は物書きだと言わねばならない。
しかし、ドゥルーズは単純に、私は哲学者であると言ってしまうんですからね。そして現にハイデガー以後はドゥルーズしかいないでしょう。
334:吾輩は名無しである
21/04/15 23:25:35.03 fWKu5rO6.net
とはいえ、展望がないのはしょうがない、というのはあるから、
それはそれなのだけれども、なんか意義ありげに見せようとしますしね。
335:吾輩は名無しである
21/04/16 11:36:54.45 g1zUrS3e.net
ドゥルーズは構造主義者でありながらサルトル的な実存的な何かを抱えて生きて自死に至る壮絶な人生
そういう部分はオミットして美的に消費するのがハスミ浅田
西部邁の死を弱さを認められない弱さと言った上野千鶴子の方がまだマシかもな
336:吾輩は名無しである
21/04/16 12:28:06.03 jmyyMEGa.net
あんた同じような死に方できんのか?
337:吾輩は名無しである
21/04/16 12:41:15.73 g1zUrS3e.net
URLリンク(i.imgur.com)
338:吾輩は名無しである
21/04/16 12:47:44.67 g1zUrS3e.net
同じような死に方ってのは?
339:吾輩は名無しである
21/04/16 14:30:26.44 sn+qa29t.net
死体は窓から投げ棄てよ
340:吾輩は名無しである
21/04/16 14:37:37.29 fvalvT/0.net
>>328
上野には頑健な肉体を持った人特有の残酷さがある。
341:吾輩は名無しである
21/04/16 14:45:19.45 jmyyMEGa.net
特に意味は無いですよ
やっぱり自死は苦しく痛い思いをしてるでわけしょう
その人たちの死を弱いだのなんだの他人は言えないですよ
342:吾輩は名無しである
21/04/16 14:52:08.23 fvalvT/0.net
>>334
西部は知人に殺してもらうという形だった
343:吾輩は名無しである
21/04/16 15:51:00.59 g1zUrS3e.net
確かに上野は西部邁の死をフェミニズムの文脈で糾弾してて野蛮だ
しかし厄介な問題はスルーして趣味に勤しむ御二方もシニカル過ぎる
344:吾輩は名無しである
21/04/16 15:52:55.97 0j5qiTgb.net
蓮實の東大表象文化論が日本のフェミニズムの進歩を妨げてる現実は大きい。
日本のフェミニズムは表象文化論に一辺倒に依存してる。
だが、世界のフェミニズムにおいては反表象のフェミニズムが台頭している。
ドゥルーズを質にとって蓮實の延命を図るとか、醜いことをするな。
ドゥルーズは蓮實と関係なく生き残る。
ドゥルーズの話をしたければ、哲学板に来いよ。
345:吾輩は名無しである
21/04/16 16:29:55.79 WmLhWicl.net
wiki
フィロゾーフ (philosophe) は、フランス語で「哲学者」を意味する言葉であるが、特に18世紀の啓蒙時代において、啓蒙思想の担い手であった知識人を指す[1]。実際に哲学者であった者は少なく、哲学のみならず、歴史、科学、政治、経済、社会問題などの多くの領域において、理性を主張して公的な活動をおこなった知識人たちがフィロゾーフと称された。
ドゥルーズは、文芸評論家ですよ。
346:吾輩は名無しである
21/04/16 16:35:50.20 WmLhWicl.net
だいたいドゥルーズが、自分の本に文学や映画や美術などのことを書くのではないですか。
↑で出てきた「器官なき身体」なんてのも、アルトーの言葉でしょう。
だいたい日本の教授科目としての「哲学」なんてのは、単純な図式をいじっているだけで、
ラノベみたいなもんですよ。
347:吾輩は名無しである
21/04/16 16:37:56.49 0j5qiTgb.net
>>338
哲学者で文芸評論家�
348:セろう。 お前はどうせ、新潮か岩波の編集者だろうが、蓮實を守るなど下らないことを 止めろ。 蓮實を早く退場させて新しいものに目を向けろ。
349:吾輩は名無しである
21/04/16 16:40:34.14 WmLhWicl.net
ドゥルーズが、これからも「生き残る」とすれば、
それは暗黒啓蒙加速主義のニック・ランドのおかげでしょう。
350:吾輩は名無しである
21/04/16 16:53:30.44 0j5qiTgb.net
>>341
磯崎新よりずっと若い現代の建築家でドゥルーズに言及する奴は多いだろ。
蓮實はただ死ぬだけで何も残らんだろうが。
351:吾輩は名無しである
21/04/16 16:55:20.59 0j5qiTgb.net
>>341
お前はジャネットか。
お前は変態だから、嘘を吐くのも、他人を
裏切るのもやりたい放題だな。
352:吾輩は名無しである
21/04/17 02:38:52.19 1NHZuPlx.net
瀧本由美子
90 年代、建築界においてはドゥルーズの「襞」概念が大きな流行となり、ピーター・アイゼンマン、磯
崎新ら建築家が主催した、建築と哲学を交差させる国際会議「Any」においても、その理論を実践へと結
びつける動きが見られた。
353:吾輩は名無しである
21/04/17 02:52:17.06 1NHZuPlx.net
「襞」というのも、もとはハイデガーです。
増田靖彦
存在者と存在の相依相属性を二襞と 捉 え る ハ イ デ ガ ー は 、 こ の 二 襞 と し て の 存 在 論 的 差 異 が 隠 蔽 さ れ つ つ 開 蔵 す る
(entbergen)さまを開襞(Entfaltung)と呼び、そこに思考の出現をみてとっている(GA7,
245-259)。これに対してドゥルーズは、ハイデガーの襞の思考が「先行的な無差異に」で
はなく「絶えず襞を拡げて(se déplier)は折り返す(replier)ひとつの〈差異〉に」向けら
れていることを評価しながらも(P42)、「ハイデガーはあまりに急ぎ過ぎてしまった。彼
はあまりにも性急に折り畳み過ぎたのである」(F121)と批判する。
354:吾輩は名無しである
21/04/17 03:23:40.14 1NHZuPlx.net
土建屋の図面書きが、自分たちの仕事を、
知的っぽくお芸術っぽく見せかけるための宣伝に
ハイデガー、ドゥルーズ両先生のアイデアが使われたんでしょう。
ファツション関係でも、ひだひだの服地を流行らせるのに、ドゥルーズがー、とか使われることもありそうです。
あるいは、もうすでにそういうこともあったのかも。
355:吾輩は名無しである
21/04/17 03:32:31.08 1NHZuPlx.net
そもそも「襞」というのは、存在論の考え方の一つなのに、
じっさいの建築にどうやって適用するんですか。宣伝文句以外の使い方なんかあるわけないでしょう。
356:吾輩は名無しである
21/04/17 03:42:40.00 1NHZuPlx.net
有名建築家の誰それ先生の「作品」で「襞」がテーマです、
なんてことで、美術館やら博物館やラ文化センターやらの公共の建物をたてるのに
血税から無駄金つかわれる口実にしかならないですよ。
357:吾輩は名無しである
21/04/17 03:50:00.89 1NHZuPlx.net
ある文化センターの建物の醜さと無駄さ加減について浅田彰がぼろくそいったときに、
蓮實重彦は、あの建物はそう悪くない、案外良い、みたいなことをいったことがある。
蓮實先生自身、黒沢、青山など配下の監督さんや教え子筋の映画評論家が,上映会などの折に講演などをよくする文化センターだし、
加えて、そのときは元大阪大学総長の鷲田清一氏が館長をしていたものだから、
そういったのでしょう。
358:吾輩は名無しである
21/04/17 06:24:36.76 S0Lxpe17.net
蓮實は保身のために平気で嘘をつけるが
そうでない場合もある。
359:吾輩は名無しである
21/04/17 08:19:16.03 ZwSmmH8G.net
映画愛とかヌルい言葉が大嫌い、粉砕したいね
小説愛とか美術愛とか言わないじゃない(たまにいるかもしれないけどw)
結局ゴダールとか一部を除いてソレルス的な意味で映画は「芸術」じゃなく「文化」なんかね
360:吾輩は名無しである
21/04/17 08:46:28.82 v03WQU49.net
ソレルス的な意味で映画は「芸術」じゃなく「文化」なんかね
詳しく教えてください
フィリップ・ソレルスはベーコン論くらいしか知らないものです
361:吾輩は名無しである
21/04/18 16:28:32.48 fTGTVrRq.net
“フランシス・ベーコンはピカソとならんで、20世紀、この大量虐殺と拷問と恐怖とで他に例をみない世紀最大の画家である。この根源的な試練を経験した後にも絵画は可能だろうか?無益な装飾に、抽象に、イラストになりさがってしまうのではないだろうか?
芸術のこのとどまるところをしらない地盤沈下にたいして、ベイコンは「ノー」と答える。彼は真っ向から反撃する。そのエネルギーの源は、ひとえにギリシャ悲劇とシェイクスピアの偉大な詩。まったく思いがけないことに、第二次世界大戦の後にふたたび松明をかかげるのは、ひとりのイギリス人画家である。
世間の「文化」愛好熱に浮かされて、忘れられてはいるが、芸術とは、なによりもまず闘いなのだ。彼には説教や希望はなにひとついらない。自分は「無にたいして楽天的だ」とベイコンは言う。この自由な賭博師の天才はそれを立証する。―フィリップ・ソレルス”
362:吾輩は名無しである
21/04/18 16:46:46.84 K72DjMCU.net
>>349
長年に渡って、柄谷や蓮實、鷲田らの影響下に群像新人評論賞があったことは歴然だな。そりゃ、日本に元気が出ないのも当然。
>>353
ベーコンは良い。酒のつまみにもかなり良いがw
フランシス・ベーコンはマジで良い。
363:吾輩は名無しである
21/04/18 17:15:36.95 K72DjMCU.net
>>349
具体的にその建物の名前を言わないことには調べようがなくて、
その建物をネットで見ることも出来ないよ。
襞とは、ドゥルーズにおいてはバロックのfolds折りのことだろうが、
ゴシックからバロックに移る過程において、緩衝的なショック・アブ
ソーバーとしての「折り」が必要だったということではないか?
364:吾輩は名無しである
21/04/18 17:27:29.87 K72DjMCU.net
要はルネサンス後期の芸術家にとっては、世界は相当なresilience弾力性を
秘していると思われていたのでは?
ミケランジェロ、ジアンボローナ然。
365:吾輩は名無しである
21/04/18 17:41:01.04 K72DjMCU.net
>>356
そのresilience弾力性がマンネリスムに多分、繋がった。
366:吾輩は名無しである
21/04/18 18:47:35.02 6GDGhFim.net
浅田彰が腐し、蓮實重彦が擁護した建物は、
「襞」というコンセプトとは、たぶん関係がない。
wiki
せんだいメディアテークは建築物として高い評価を受けている。 伊東豊雄の代表作となっているこの建築は、6枚の床(プレート)と、揺れる海草のような形状の13本のチューブと呼ばれる鉄骨独立シャフトのみの単純な構造によって、地下2階、地上7階の空間のすべてが作られている。
367:吾輩は名無しである
21/04/18 19:01:58.56 6GDGhFim.net
合田正人
ドゥルーズ/ガタリの信奉者たちはハイデガーから彼らへの影響が云々されるのを極度に嫌っているけれど
『も、ドゥンス・スコトゥスと存在の一義性に関しても、図式論から時空の力動的ドラマへの展開に関しても、
更には「カオスモー一一ズ」といった観念に関しても、ハイデガーとの係りが語られてしかるべきだろう。
パディウ、浅田、なども合田氏と同意見ですね。最近は、國分、千葉など中年の「ドゥルーズ信奉者」も、
かつてのドゥルージアンのようには拒絶的でないです。
368:吾輩は名無しである
21/04/19 12:32:14.82 tUGEdH+v.net
蓮實ってもしかしてラディカルそうに見せかけて実は単なる無意味なスノッブに過ぎないんじゃないの?
369:吾輩は名無しである
21/04/19 12:51:06.63 cK17eI77.net
「若い人たちはみなサドを目指しますが、そこへ至らないうちに勝手にバタバタ倒れてゆく」
370:吾輩は名無しである
21/04/19 13:55:27.79 6Svn+uWZ.net
↑は蓮實権現のご託宣でしょうか?
371:吾輩は名無しである
21/04/19 18:30:58.35 cK17eI77.net
正確な引用ではないが。
372:吾輩は名無しである
21/04/19 18:50:14.45 ++ZuqP4G.net
>>359
バディウは合田と反対意見だろ。
浅田がどうかは俺は知らない。
大体が合田の何時の文章をコピペしたのか、書かないとしょうがないだろ。
373:吾輩は名無しである
21/04/19 18:53:46.91 6Svn+uWZ.net
翻訳と裏切り一フランスのハイデガー
合田 正人
2008年3月
374:吾輩は名無しである
21/04/19 18:56:19.65 6Svn+uWZ.net
パディウ「ドゥルーズ―存在の喧騒」
サークルクラットさんの書評
ドゥルーズに関するいろいろな解説本を読んだなかで、この本が一番面白かったです。それは、ドゥルーズが使う個々の概念用語一つ一つについて語るのではなく、彼の思考の軌跡を「存在の一義性」というひとつのキーワードから語りつくそうとしているからだと思います。その手腕は実に鮮やかで巧みで、ドゥルーズの思考の図式的イメージができそうです。また、ドゥルーズを絶対視せず、「ハイデッガーからそれほど遠くない」とさらりと語っているところも印象的でした。
375:吾輩は名無しである
21/04/19 18:59:22.56 ++ZuqP4G.net
>>364
続きだが、これに関して俺はバディウの書いた文章を2つ読んだから。
376:吾輩は名無しである
21/04/19 19:06:16.78 6Svn+uWZ.net
では、適当なところをパディウの本から引用してください。
377:吾輩は名無しである
21/04/19 19:15:08.93 6Svn+uWZ.net
ハイデガーの教授資格取得論文
Die Kategorien- und Bedeutungslehre des Duns Scotus (1915)『ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論』
378:吾輩は名無しである
21/04/19 19:17:15.22 ++ZuqP4G.net
>>368
そこまで熱意ないね。
俺が読んだのは仏語じゃなくて英訳だけどすぐに見つかるから。
379:吾輩は名無しである
21/04/19 19:25:40.56 ++ZuqP4G.net
>>368
良い情報を提供した者がそこまで下手に出ることは出来んだろ。
380:吾輩は名無しである
21/04/19 19:30:23.28 6Svn+uWZ.net
↓はドゥルーズがそういっている、というだけのことだからね。
受け売りで代り映えのないこと言ってます、と自分でいう人はいないでしょう。
先人を超えた、というポーズをとるのがオリジネーターを自認する思想家の常ですから。
パディウ著・鈴木創士訳 河出書房新社
「ドゥルーズー存在の喧騒」
ドゥルーズとハイデガーの間のコントラストの真のモチーフは、哲学はただ「存在」への問いだけによって支えられる、という彼らに共通の確信の内部においては次のとおりである。すなわち、ドゥルーズにとって、ハイデガーは「一」者としての「存在」の根本的なテーゼをとことんまでつかんではいない。ハイデガーはそれをつかんではいない、なぜなら彼は「存在」の一義性の諸々の帰結を引き受けてはいないからである。ハイデガーはアリストテレスの方針を絶えず蒸し返してやまない。すなわち、幾つものカテゴリーにおいて、《幾つもの意味において「存在」は言われる》。この《幾つもの》に、ドゥルーズは同意できないのである。(p. 38)
381:吾輩は名無しである
21/04/19 23:15:35.55 1Kgy+R6b.net
>>372
ですます調を忘れている。
感情的になって書いたんだね
382:吾輩は名無しである
21/04/19 23:27:35.80 6Svn+uWZ.net
もともとまぜこぜです。
383:吾輩は名無しである
21/04/20 09:16:54.81 041mbsbo.net
>>353
㌧
ソレルスの芸術、サミュエルフラーの映画みたいな感じか
384:吾輩は名無しである
21/04/20 11:22:10.51 041mbsbo.net
アール・ヌーヴォーがスペイン風邪でバウハウスに移っていったように
ポストモダンはコロナで何かに移っていくのかもね
バブル崩壊で終わって良かったのかも知れないけど
385:吾輩は名無しである
21/04/20 11:32:23.33 041mbsbo.net
ソ連崩壊か
ソ連崩壊が91年だから、バブル崩壊を正確に何年とするか難しいけどほぼ同時期なんだね
386:吾輩は名無しである
21/04/20 13:54:54.28 SA547WaE.net
「闘争のエチカ」
「われわれの闘争は、「天使」になろうとする「人間」たちに対するものです。つまり、外部を消去しようとする者たちです。彼らは天使ではありえないし、天使の無力も知らない、たんに人間を支配しようとする人間(魔女)でしかありません。」(柄谷行人)
「小説を擁護したい」、という言葉で二人が指し示そうとしていたものは、闘争そのものの擁護である。すなわち、本来が闘争としてあったはずの小説が、闘争とは別の何かに変質しはじめていることへの反省、苛立ちであった。(蓮實重彦)
387:吾輩は名無しである
21/04/20 15:14:16.60 SA547WaE.net
神学の知識がないので、確かなことは言えないが、「存在の一義性」についての考え方が、
おそらく、ハイデガーはカント的で、ジジェクの言うように、ドゥルーズはヘーゲル的なのだろう。
ドゥルージアンは、ヘーゲル的なのではなく、スピノザ的なのだ、というであろうけれど、
しかし、じつは(というか、かつての定説だが)ヘーゲルがスピノザ的なのだ。
ハイデガーは、存在は一義的であるが、「存在・神・目的」(それはハイデガー、ドゥルーズともに「一つの差異」雑に換言すれば純粋差異であって、「無差異」ではないが)
そこには有限者は到達しえない、
というトマス・アキナスの線をカテゴリー云々というかたちで蒸し返すが、
それは中途半端、「物自体」に立ち戻っている、ということなのだろう。
かくして、柄谷のいう「天使」にちかいのは、ドゥルーズのほうであろう、といえる。
388:吾輩は名無しである
21/04/20 15:49:11.18 SA547WaE.net
存在者の存在は、自由度0即自由度∞
ドゥルーズ的「存在の一義性」の帰結は、たぶん↑でしょう。
389:吾輩は名無しである
21/04/20 18:08:02.67 e8YAVQPT.net
>>378
柄谷はこれ蓮實批判でしょw
390:吾輩は名無しである
21/04/20 22:14:07.20 041mbsbo.net
柄谷自身にも刺さってる気がする
フランス現代思想ってvs実存主義でしょ
そういう外部についての知的手続きを怠ったよね
広松渉の方がまともな仕事してる
391:吾輩は名無しである
21/04/20 22:44:04.30 e8YAVQPT.net
小説は闘争として映画は何なのかねえー?
392:吾輩は名無しである
21/04/20 23:56:19.12 yBLYr4OP.net
所詮文学部なんだよなあ。
文学部だって東大のうちか。
蓮實もそう思われてただろう。
393:吾輩は名無しである
21/04/21 03:25:41.58 HLO1NUJ8.net
去年などは、「実体経済」は大恐慌に近かったが、
いまのところ「公理系」は、たいして揺らいでいるようには見えない。
「異端の経済学」のいう「財政赤字は怖くない」式の新たな公理を加えて乗り切れる、
という気分が濃厚である。
こういうときこそ「牧人司祭権力の批判」や「アンチ・オイディプス」「千のプラトー」的な考え方に立ち戻るべきだ、
というような声もきこえてこない(ただし、右にはすこしあるようだが)。
現代思想をやっている連中自身が、その思想を本気にしておらず、
たんに商売小売の飯のタネだとしてしか思っていないものを、いったい誰が真に受けますか。
394:吾輩は名無しである
21/04/21 03:38:26.10 HLO1NUJ8.net
警察官によるフロイドさん殺害の事件(明日には評決だろう)に端を発する騒動や
議事堂乱入事件、あるいは、ヨーロッパでは「コロナ対策」への結構な規模の抗議行動などはあったが、
そういうことについても、わがくにの現代思想系知識人は、
外野的なコメントを出すのみである。
もともと何かやるような気もなく、たんにスノッブなだけ、というのは昔からわかりきっていた。
じっさいには、いまや、「部外者」にとっては、スノビズムとしてさえ成立していない(バカだと思われているので)のだが、
「知の観客をつくる」などと宣って、自分たちのやっていることを
疑念も抱かずに「知」だといって憚らないような人たちもいまだにいる。
395:吾輩は名無しである
21/04/21 03:55:16.05 HLO1NUJ8.net
「伯爵夫人」は、蓮實重彦の置き土産ですよ。
東大総長だった現代思想家、
しかも初等科から学習院の「たたき上げ」とは無縁の人が、
知的操作だけで書いた小説以上のスノビズム文学というものは、
ちょっと今後は出ないだろう。
だとすれば、生活実感みたいなものではない「知」に立脚した文学がそれを「超える」何かを示したいならば、
なんらかの「闘争」に戻るしかないでしょう。
396:吾輩は名無しである
21/04/21 04:13:05.61 apQ7hAs9.net
利権争いもセクハラ揉み消しも闘争
397:吾輩は名無しである
21/04/21 04:32:32.25 HLO1NUJ8.net
ただし、ゲンロンのロシア現代思想の特集はよかった。
東氏は、その持ち前の嗅覚と活動家的根性で、どんどん行けばいいと思うのだが、
「スノッブ」にふるまいたい人たち(お客)に対し、気遣いすぎなのではないでしょうか。
398:吾輩は名無しである
21/04/21 05:59:39.88 HLO1NUJ8.net
ライプニッツの自由論
神の自由を雛形とした不完全な人間の自由。
カントの自由論
有限な理性的存在者としての人間の自己意識に依拠した自由(自由の演繹)。
ライプニッツのほうは、形而上学としては完全無欠のように思われるが、
半ば中世人だったといえるライプニッツ大先生とちがって、
近代人としては、ちょっと取れないかんじである。
399:吾輩は名無しである
21/04/21 06:22:16.98 HLO1NUJ8.net
みなさんには説明不要だとは思われるが、一応書いておくと、
「闘争のエチカ」で、柄谷氏の言う「天使」は、「ベルリン天使の歌」
「魔女」は、「マクベス」(=「蜘蛛の巣城」)からきている。
400:吾輩は名無しである
21/04/21 06:33:43.92 HLO1NUJ8.net
×ベルリン天使の歌
〇ベルリン天使の詩
401:吾輩は名無しである
21/04/21 09:45:13.55 yDHFvM5I.net
蓮實と浅田によるベル天の布教活動はハスミ虫でも違和感を抱いていた。
パリテキサスのきわどさにはまだ擁護の姿勢を見せていた黒沢清も、ベル天は「これは違う」と。
402:吾輩は名無しである
21/04/21 22:32:00.65 Cd746/j7.net
脚本の無視を歴史=現実という外部を抹消して映画の内部に閉じ込める
プロ野球の勝敗の無視は人間的な出来事という外部を抹消する
と解釈するわけですね
403:独り言\(^o^)/
21/04/22 01:09:12.14 QGkGZBU2.net
>>360
スレチだが最近、BS朝日再放送『暴れん坊将軍VIII』98に「監督=村川透 脚本=鈴木
則文」という豪華回がありチェックしたのだが(第14話「箱根湯けむりに浮かぶ陰謀」)、
当たり前だが内容じたいはどうという事もない何時もの『暴れん坊将軍』でしかなかった。
既にこの頃は鈴木則文も本編の監督から離れTV映画のシナリオをメインにした活動しか
しなくなっていたし、村川透も映画・Vシネ・TVと何でも御座れの量産監督の1人に過ぎなく
なってはいたが、、余りに普通の『暴れん坊将軍』でしかなく寂しくは感じた。
80~90年代の日本の映画TV業界は「才能ある監督たちをTVメインで遊ばせておいていいのか?」
と本来ならシネフィルは切歯扼腕すべき状況だったのだがなあ、、
今更ですがそういう怒りは結局はみな薄かった様には思う。更にその怒りの先には「なぜそんな
業界なのか?」という日本の映画産業の構造に対する疑問が立ち上げるべきだったのだが、、
「監督=村川透 脚本=鈴木則文」とは本当はビックリするような並びですよ。
でも実際の中身は余りに普通の『暴れん坊将軍』でしかなかったからね、、
蓮實センセイもこの辺はもっとちゃんと怒って欲しかったな、、それでも80年代頃は
「プロデューサーはなんでも深作欣二に撮らせるな!」「取り敢えず有名監督にお任せして
丸投げはプロデューサー不在」みたいに怒ってた様な気がするんだが、、
徳間大映の『敦煌』が延々と企画が停滞してて確か小林正樹が降りて深作という報道が
出たころ、、結局はこれも何でも屋の佐藤純彌が拾う事になるが、、
蓮實センセイも結局は日本の映画状況には何の影響も与えていない。どんなに蓮實たち
シネフィルが礼賛しても村川透も鈴木則文も「何時もの暴れん坊将軍」の仕事で取り敢えずは
稼ぐ(暇潰しする)程度しか出来なかった。批評は実作に何の影響も与え得ない。
その確認の為だけにわざわざ『暴れん坊将軍』なんか観ちまったよ(´・ω・`)
404:吾輩は名無しである
21/04/22 08:05:14.54 v/u+jZYN.net
渡辺守章さん死去
405:吾輩は名無しである
21/04/22 09:15:26.46 a4ZSofDt.net
蓮實が「屋内は凡庸だがロケの青空は素晴らしい」と評価された牧口雄二でも、暴れん坊将軍でその資質は活きなかった。
406:吾輩は名無しである
21/04/22 09:43:32.20 IRJ2LMq5.net
そろそろハスミンには究極の日本映画ベスト100を発表してほしい
407:吾輩は名無しである
21/04/22 10:19:59.05 5/74gEn7.net
蓮實信者ではないが。
やっぱり参考にしてしまう。
パゾリーニもテレンス・マリックも好きだがね。
408:吾輩は名無しである
21/04/22 13:36:47.93 uffN5XrS.net
>>398
東京物語
西鶴一代女は確実に入りそう
409:吾輩は名無しである
21/04/22 13:46:34.24 pe5L2il1.net
渡邊守章R.I.P.
ピナ・バウシュがオシャレに消費されていくことや
センス無きナンセンスに厳しかった人だよね
410:吾輩は名無しである
21/04/22 13:48:12.45 pe5L2il1.net
天使だと浅田彰と島田雅彦の対談本タイトルの天使が通るも思い出す
411:吾輩は名無しである
21/04/22 14:50:12.16 eOlLbLvi.net
蓮實映画論は映画にとって功罪が半々だとしても、
渡辺守章の演劇論は、じつは芝居好きな文学役人がくちばしを挟んでいただけ、
といったもので、演劇にとって迷惑なだけだっただろう。
とくに能楽の理解にたいする害悪ははなはだしいように思う。
現実の歌舞伎などの制作の経営側などの本音には、
文学役人が自分の思い入れであれこれいっているが、
上っ方に話を通すことに役立つこともあるし、逆に、
「泣く子と地頭」の喩えのようにへそを曲げらても困る、
だから、とりあえず相槌は打っておこう、
というのが少なからずあったのではないか。
渡辺氏の真摯そうなところは、フーコー来日に際の対談(「哲学の舞台」)で、
三里塚(成田)闘争を二人して「そうそう」などと支持していたようなことにありそうだが、
実際の活動には、渡辺氏の思想のそういう面は、全然反映されなかったように思う。
412:吾輩は名無しである
21/04/22 14:55:34.56 jX2JRQ7X.net
>>403
まともな日本語が書けない奴が何を言っても無駄
413:吾輩は名無しである
21/04/22 16:28:00.12 eOlLbLvi.net
日本の演劇にとって、渡辺守章と同じほどの害悪は、小田島雄志ではないか。
とにかく、この手合いがよってたかって、因習含みでもなんとかかんとかやってきたものを、
改革主義的なポーズをとったインテリ役人根性でもって食い散らかし、
ゴミ捨て場のようにしてしまったという感を持つ。
ただし、演劇人(特に古典演劇人)は、がいして一見しては西洋風にみえる屁理屈に対する批判的知性がとぼしく、
文学役人の口車にのりやすいのも、その原因ではあろう。
414:吾輩は名無しである
21/04/22 16:36:33.85 eOlLbLvi.net
上に東大文学部云々というレスがあったが、
文学部出は高尚で、法学部出は世俗的、というのがおもしろいです。
松竹広報
[山田洋次が監督した映画「家族はつらいよ」を、劇団新派が舞台化する本企画。山田自身が脚本・演出を手がけ、明治21年(1888年)に旗揚げした新派の、130年の幕明けを飾る作品となる]
。
415:吾輩は名無しである
21/04/22 16:43:38.25 jX2JRQ7X.net
インテリ役人根性と言えば蓮実重彦
416:吾輩は名無しである
21/04/22 17:17:30.77 eOlLbLvi.net
蓮實重彦にもインテリ役人根性は多分にあるだろうが、
渡辺守章とちがって、知識人=公権力による指導、にたいしては批判的な
いわば民間活力重視路線ですから、大きなちがいがある。
417:吾輩は名無しである
21/04/22 18:10:18.45 7e7ick0Q.net
蓮実はより狡猾ということだな
418:吾輩は名無しである
21/04/22 19:58:27.63 eOlLbLvi.net
浅田彰 渡邉守章 表象文化研究 「表象とその臨界」
カントとサドからはじまって、映画(「24時間の情事」など)、ブロードウエイミュージカル(「キャバレー」)、バリ島の演劇、
などとみなさんが関心のありそうなことをしゃべっていました。
しかし、浅田彰のいうことは、蓮實語でいえば、ほんとに「凡庸」だ。
419:吾輩は名無しである
21/04/22 20:33:26.37 lFirsWfg.net
>>410
蓮實の腹話人形のお前が人間面するなw
420:吾輩は名無しである
21/04/22 20:56:16.82 lFirsWfg.net
>>410
お前はジャネットだろうが、お前のやってるのは
全部、わざとコンテクストを分からないようにし
た文章の抜き取りであって、しかもお前には前後
関係を説明する気も全くなく、ただ蓮實を持ち上
げるように機能させてる。
既に死んでいる蓮實や柄谷を維持することがどれ
だけ有害なことか分からんのか。
421:吾輩は名無しである
21/04/22 21:20:14.54 eOlLbLvi.net
検索すれば動画が出てくるから、みたらいいのではないですか。
422:吾輩は名無しである
21/04/22 21:32:30.00 jX2JRQ7X.net
>>413
つまりお前の書き込みは要らないということ
423:吾輩は名無しである
21/04/22 22:29:43.92 iChXe2/D.net
浅田 本居宣長に対して上田秋成が、オランダわたりの世界地図を見て、日本というこんな極東の島国に太陽神が降臨したなんてありえないとか、子どもみたいにストレートな議論をする。
それに対して宣長が、いや、そういう言い方そのものが漢意なので、素直に古事記と向き合うということが君にはわかっていない、などと言う。橋本さんの言われるように、すごく屈折したディフェンスというか……。
橋本 それ以前に、宣長に人に説明しようという気がないんだと思う。だって、あれで分かれというのは無理ですよ。
浅田 小林秀雄と坂口安吾に「伝統と反逆」という有名な対談がある、あれも同じような構図でしょう。安吾は子どもみたいにストレートなことを言う。小林の骨董趣味を批判する一方、小林の評価する梅原龍三郎なんて「奇型児」じゃないか、と。
それに対して小林は、「奇型児」と言えば「奇型児」かもしれない、しかし、それは日本で洋画を描くことからくる宿命なので、その意味では「奇型児」でいいじゃないか、と。それで「奇型児だって遂に天道を極める時が来るのかも知れない」なんて強弁するわけです。
僕自身は、上田秋成や坂口安吾のように突っ張るべきだと思う。だけど、彼らが相手にしている本居宣長的あるいは小林秀雄的な構造というのがすごく強力なものだし、いまも持続しているということは、きちんと見なければいけないと思うんです。
424:吾輩は名無しである
21/04/22 22:32:01.17 pe5L2il1.net
アウシュビッツを
ハリウッド(『シンドラーのリスト』)とディズニーランド(ホロコースト記念館)で一般化し馴致してしまうアメリカと
あくまで表象不可能な悲劇として描くフランス(『ショア』)とドイツ(ベルリンユダヤ博物館)の対比はたしかに凡庸だな
浅田彰は交通整理がお上手だ
425:吾輩は名無しである
21/04/22 22:42:30.58 eOlLbLvi.net
「極東」に太陽神が降臨するのは、そうおかしくないのではないか。
東の極みから太陽が昇る、というのだろうから。
梅原龍三郎は、近代日本の画家としては、最高だろう。
ベルリンユダヤ博物館は、「不在」やらを表現した?というあのデザインでは、建てるのに随分お金がかかったでしょう。
その建築費用はとうぜん、ドイツ国民の血税から出ているのでしょう。
426:吾輩は名無しである
21/04/22 22:42:41.63 jX2JRQ7X.net
蓮実の言う凡庸は、独自性を出したつもりで、ちっとも独自でない振る舞いを言ってるので、
浅田のその意見はごくごく妥当なことを言っているから凡庸とは違う。
427:吾輩は名無しである
21/04/22 22:52:47.17 eOlLbLvi.net
「シンドラーのリスト」では、アウシュビッツの場面があるが、ガス室はでてこない。
出てくるのはシャワー室である。
それと、「ライアン」もそうだが「シンドラー」は、
「数」が最大のテーマだろう。「一人の命を救うことが、十人、二十人の命を救うことだ」
というスピルバーグ監督作品では難読繰り返されるテーマだ。
「幸不幸は数えられる,量れる」わたしとしては、これはひじょうにユダヤ教的な考え方だと思う。
「ヨブ記」などはその代表ではないヨブヨブは、試練によって、妻子を失い、家畜もすべて失うが、
最後には、その揺るがぬ信仰の賜物として、失ったものよりも多くの子と家畜を得る。
ここには、最初の妻子や家畜の「実存」は、数量化できないので、考慮されていない。
かくて、わたしは、「シンドラーのリスト」のほうが、「ショア―」よりも、「ユダヤ的」だと思う。
428:吾輩は名無しである
21/04/22 22:53:48.41 eOlLbLvi.net
×難読
〇何度も
429:吾輩は名無しである
21/04/22 22:54:48.30 eOlLbLvi.net
×ヨブヨブ
〇か
430:吾輩は名無しである
21/04/22 22:56:10.49 jX2JRQ7X.net
>>419
まともな入力が出来なくなってるな。
煽り抜きに心配になってきた。
431:吾輩は名無しである
21/04/22 23:14:58.63 eOlLbLvi.net
スピルバーグ監督は、子供のころ、近所のクリスチャンの家の子たちに同化したかったのだそうだ。
ある日、みるからにユダヤ人だとわかる格好の祖父が、家に来た。
そのとき外で近所の子たちと遊んでいたスティ―ブン少年を見つけて、
ユダヤ風の名で呼んだのだそうだ。
友達に、お前を呼んでいるのじゃないか、といわれたスティ―ブン少年は、
知らない、と答え、祖父の呼びかけにも知らんふりをしていたのだそうである。
それを巨匠スピルバーグは、あんなことをし�
432:スのを、いまは本当に恥じている、と語っている。 そういったときには、涙ぐんでいたようにみえた。 このスピルバーグの告白のほうが、「不在」がなんたらとかいう話よりも、わたしには、迫るものがある。
433:吾輩は名無しである
21/04/23 13:43:47.21 uq9jypxF.net
さかしらな言挙げを慎み、漢意を捨て、ただ虚心にスクリーンに映る光と影の画面を愛でることが映画の道なり
434:吾輩は名無しである
21/04/23 13:58:33.30 v1X0uMyT.net
ヨブ記について記憶違いがあったので訂正する。
ヨブは、妻は失っていなかった。
試練ののちにヨブは、子を得るが、男七人、女三人と、失った子と同数だった。
435:吾輩は名無しである
21/04/23 14:13:09.70 v1X0uMyT.net
ベルリン。ユダヤ博物館の建物の画像を見て、
「映画は監督の作品」の作家主義よりも、
「建築物は建築家の作品」の作家主義のほうが、なおひどいという思いを
あらたにした。
一将功成りて万骨枯る、そのもので、
しかも、ベルリン・ユダヤ博物館の場合は、ホロコーストの被害者である死者まで出汁にしている。
ひどすぎるでしょう。
436:吾輩は名無しである
21/04/23 14:18:06.00 v1X0uMyT.net
職業知識人、職業文化人といった輩は、
死んだ人たちを、素直に悼むというふつうのことが、
どうしてできないのでしょうか。
437:吾輩は名無しである
21/04/23 18:48:44.70 WZ/RMM+h.net
素直に悼むと
アウシュビッツは詩なのだと福田和也になってしまうのでは?
438:吾輩は名無しである
21/04/23 19:30:37.76 v1X0uMyT.net
アドルノの「アウシュビッツの後に詩を詠むことができるか」というような言葉が、
そもそも出来の悪い「詩」なのではないですか。
人が大勢死んだようなことについて何か言うのに、
知識人とかいう輩は、とにかく気取りすぎなんです。
439:吾輩は名無しである
21/04/23 19:36:09.00 v1X0uMyT.net
wiki
1991年7月、ベルリン市議会上院は、ドイツ再統一後の東西統一にかかる費用や将来のベルリン・オリンピック誘致にかかる費用が巨額になるとしてユダヤ博物館建設案を取りやめる決議を行った。
しかしリベスキンドは世界の報道機関や文化人らに危機を訴え、ベンヤミン・ネタニヤフをはじめとする各国のユダヤ系政治家らからの支持も得た。
こうした圧力から1991年10月にベルリン市は上院決議を覆しユダヤ博物館建設を進める決定を行った
ネタニヤフに加勢してもらうなんて、パレスチナ人の命には何の重みもないのでしょうか。
なお、リべスキンドという人は、世界貿易センタービルの跡地に建てるビルの設計もするそうです。
440:吾輩は名無しである
21/04/23 19:41:14.24 v1X0uMyT.net
蓮實重彦は、「歴史的悲劇」のようなことを、まず話のたねにしません。
蓮實重彦はスノッブなのかもしれないが、
アドルノのようなスノッブを非難してみせるスノッブ、
最低最悪のスノッブではないのではないでしょうか。
441:吾輩は名無しである
21/04/23 21:06:24.55 Cc+uKpTV.net
>>427
伊丹十三を素直に悼めない蓮実のことだな
442:吾輩は名無しである
21/04/23 21:23:46.90 1Kr2/njh.net
普通の暴れ棒将軍
443:吾輩は名無しである
21/04/23 22:56:24.05 m04a5pOv.net
筑摩書房のPR誌「ちくま」5月号「些事にこだわり」始まったぞ
金井美恵子と隔月連載のようだ
444:吾輩は名無しである
21/04/23 23:02:20.31 WZ/RMM+h.net
ハッスはドゥルーズへの追悼は何かあったのかな?
漢心、上田秋成、坂口安吾のラインが、科学的主知主義的な正統左翼でしょ
浅田彰もハッスも左翼ぶって
やまとごころ本居宣長小林秀雄を批判はするけどポーズだけなんだよな
実は日本的な自然(ジネン)に則ってるだけ
浅田のレンブラントよりフェルメール推しもそれでしょ
445:吾輩は名無しである
21/04/24 18:17:09.39 2rIoXqRn.net
>>432
伊丹十三のお葬式は蓮実にボロクソけなされたというのは本当ですか?
446:吾輩は名無しである
21/04/24 18:40:12.08 J70a/6x5.net
「最低です」って言い放ったんだよ
447:吾輩は名無しである
21/04/24 18:47:07.80 W0TguKeM.net
>>429
>>アドルノの「アウシュビッツの後に詩を詠むことができるか」というような言葉が、
そもそも出来の悪い「詩」なのではないですか。
アウシュヴィッツは物質的現実であり、それを表象的言語の極致である「詩」で
代替はできないとアドルノが主張したのは至当であって、田舎の痴呆の卑怯者の
オカマのお前がイチャモンをつけるようなものじゃないw
448:吾輩は名無しである
21/04/24 19:07:32.95 oMi07jYG.net
戦後の芸術家はベケット、ツェラン、ジャコメッティ、ベーコン、ゴダールくらいかなあ
449:吾輩は名無しである
21/04/24 19:32:24.57 WeqhXNUk.net
「物質的現実」は、前からあるので、アウシュビッツが初めではないだろう。
すると、「表彰言語」であるような「詩」は、アウシュビッツの前々から詠めなかったということになるので、
だったらアウシュビッツ云々というのは余計ではないか。
450:吾輩は名無しである
21/04/24 19:42:56.58 W0TguKeM.net
>>440
表象言語というのは20世紀後半の見解なんだ。
流れがあるんだよ。
お前如き無才の阿保が何で浮かれ出てるの?
451:吾輩は名無しである
21/04/24 19:46:04.39 2rIoXqRn.net
>>437
最低ですと言い放った割には両者はその後も仲良く対談なんかやってますけど
人間関係に亀裂が入るほどじゃなかったってことですかね?
452:吾輩は名無しである
21/04/24 19:52:34.75 W0TguKeM.net
>>442
ずっと昔の女子高生の「最低!」は複雑だよなw
蓮實が女子高生の格好で「最低!」、有り得ますw
453:吾輩は名無しである
21/04/24 21:09:54.80 2rIoXqRn.net
なんか一人で冗談っぽいこと言って笑ってるけど
全く面白くないところが凄いね
454:吾輩は名無しである
21/04/25 01:35:50.40 cnPXBx/V.net
アドルノはちゃんと引用すると、
「アウシュビッツの後に詩を書くことは野蛮」
といっていたようだ。あまりに昔読んだので、正確なことを忘れていた。
ようするに、これは詩を書くという従来は文明的とされたことが、
近代文明による未曾有の規模の殺戮や破壊の後では、かつてのようなものと思うことができない。
というような意味だろう。
ようは、理性の暴力,啓蒙の悪夢、といったポストモダニズムの先駆け的な考え方だ。
「物自体」がどうこうというのは、あるころから流行ったこじつけだろう。
「物自体」云々というのは、認識論の問題であって、文明批判みたいなものとは、本来あまり関連性がない。
455:吾輩は名無しである
21/04/25 01:40:31.04 cnPXBx/V.net
また、物自体を「物質的現実」であるかのように考える人がいるが、
それでは、元の木阿弥、素朴な二元論に知らず知らず立ちかえっているのであって、
つまらないもの、あえて言えば、「間違い」であろう。
456:吾輩は名無しである
21/04/25 01:47:27.74 ZjKcwjXs.net
エドマンド・バークは『フランス革命の省察』で理性の暴力を指摘したのが1790年だけど
457:吾輩は名無しである
21/04/25 02:32:17.02 cnPXBx/V.net
「理性の暴力」への批判というのは、考え方そのものは、それはむかしからあるでしょう。
わが国でも、上で話題になっていた
本居宣長の「漢意」の批判にしても、その一種といえる。
ようは、ポストモダニズムの直の先駆けという意味で、
フランクフルト学派あたりは、その一つということです。
アドルノからフーコーへの影響、というのは、今村仁司などがさかんに言っていました。
458:吾輩は名無しである
21/04/25 02:45:29.14 cnPXBx/V.net
カントのことでは、大雑把に、直観に根拠を置かない理性(的推論)の使用は暴走しやすい、
というふうには、理性の暴力云々と関りがある、と拡大解釈的にいえるかもしれない。
459:吾輩は名無しである
21/04/25 04:18:56.99 hBRsy2G5.net
蓮實は見栄っ張りなので、伊丹に面と向かって「最低です」と言ったという話(もちろん伊丹の死
460:後に発言)は眉唾。 四方田が「伊丹は蓮實重彦(名指しはしてない)に影響されている」と繰り返すのが我慢ならなかったのだろうか。 蓮實系はこぞって伊丹作品を貶すが、四方田は「お葬式」「タンポポ」あたりにはシンパシーを表明して支持していたし 四方田よりも身近にいた黒沢清も無理矢理っぽくはあるがそれらの作品を肯定していた。 お葬式について蓮實は「まともなプロデューサーがいたら、これは長過ぎるとカットさせてた」と言い、具体的に不要な場面を挙げていたので、リアルタイムで批判してなかったわけではない。
461:吾輩は名無しである
21/04/25 04:50:14.22 M+Bmbz0a.net
批判が的を得てないんだよな。
まず業務で高校数学が応用として使える時点で、世の中の上側1%以上なのよ。
アク界隈はお受験からのエリート教育で育ってるから、世の平均以下がちゃんと認識できていない。
残念ながら需要が存在してしまうわけですわ。高校数学の範囲だろうが何だろうが知らんがな。
あと、純粋な高等な数学になればなるほど、応用が狭まっていく。平たく言うと役に立たない。
なんでそんなものと比較するのか意味が分からない。好きなら勝手に博士課程でも行ってろ。
そして、哀れにもアク候補生として入社して、想像以上に日本社会の企業文化に揉まれ疲弊し、
自分は東京一工のエリートなのにこんな試験にも受からないクヤシイ!!みたいな人が、
5chで見えない敵をたたいて必死にもがいているんだな。憎むべきはその選択の損切りができない自分自身なのに。
だから、嫌ならやめろよと。クソ試験と思うなら今すぐやめて転職なりしろ。何事も中途半端が一番良くない。
462:吾輩は名無しである
21/04/25 09:20:37.69 pzTWK+Y5.net
蓮實重彦と近代美術って相性悪そうだなあ
463:吾輩は名無しである
21/04/25 13:22:00.36 cnPXBx/V.net
蓮實重康は、雪舟研究の権威なのですね。
464:吾輩は名無しである
21/04/25 13:43:52.11 cnPXBx/V.net
蓮實重康博士旧蔵美術史資料
これすごいです。しかし、蓮實重康は京大の教授だったのに、
所蔵資料の寄贈先が東大なのは、重彦氏の意向だったのでしょうか。
あるいは、ほかの理由があるのでしょうか。
465:吾輩は名無しである
21/04/25 15:09:12.33 WeKMNa0d.net
>>446
素朴な考えを叩くのは、蓮実の意味で凡庸そのもの。
466:吾輩は名無しである
21/04/25 15:22:38.13 cnPXBx/V.net
wiki
「ヌーメノン」(希: νοούμενoν、noumenon)、あるいは、その複数形の「ヌーメナ」(希: νοούμενα、noumena)とは、ギリシャ語の「ヌース」(希: νους, nous、精神)に由来する、「考えられたもの」「仮想物」を意味する語。「フェノメノン」(phenomenon)や「フェノメナ」(phenomena)、すなわち「現象」と対照を成す語であり、ちょうどプラトンが言うところの「イデア」に相当する[1]。
イマヌエル・カントの哲学においては、「物自体」とほぼ同義で用いられる。
上のようなことが忘れられて、「素朴二元論」的理解が当たり前になると、
ヘーゲル以降の観念論的一元論の展開、
さらには、今日の「構成主義」にまで至る流れが、何のことやらわからなくなるでしょう。
467:吾輩は名無しである
21/04/25 15:35:42.31 WeKMNa0d.net
二元論の忌避には問題はないの?
468:吾輩は名無しである
21/04/25 15:48:11.99 cnPXBx/V.net
浅田彰と渡辺守章の話が、カント→アドルノの話だったから、そう書いただけで、
ときには二元論のほうが良い場合もあるでしょう。
469:。
470:名無し募集中。。。
21/04/25 16:41:23.60 pzTWK+Y5.net
浅田彰×井浦新
URLリンク(m.youtube.com)
471:吾輩は名無しである
21/04/25 18:00:55.62 pzTWK+Y5.net
同調して無難な服装、元気ない女性たち 川久保玲の怒り
URLリンク(www.asahi.com)
472:吾輩は名無しである
21/04/25 21:09:52.66 11LqQ4LU.net
コム デ ギャルソンの川久保玲が今、思う「服のちから」。
URLリンク(www.google.co.jp)
473:吾輩は名無しである
21/04/25 21:23:35.66 ZjKcwjXs.net
三宅をサブカルチャーにしてしまったギャルソンやヨウジに服語られたくないな
474:吾輩は名無しである
21/04/26 00:06:40.00 WxIO1/FV.net
浅田の実は正統な批評なら美術、音楽、文学、演劇、映画と論じられるけど蓮實の偏った批評じゃ映画と一部の小説しか論じられないでしょ
475:吾輩は名無しである
21/04/26 12:44:27.96 sGOYHkyt.net
浅田なんて薄っぺらい。
本業もおろそかなくせして。
476:吾輩は名無しである
21/04/27 16:03:18.54 QCXlRwaV.net
このスレは共産党&朝日新聞の信者が持ち上げてる不毛なスレだ。
なぜ、共産党や朝日新聞が嫌われるのか、それは彼等がクリエイ
ティヴじゃないから。
左翼は常にクリエイティヴであるべきなんだが、共産や朝日はそう
じゃない。
477:吾輩は名無しである
21/04/27 18:02:14.29 B9ZjT4HX.net
百田尚樹が語る、東京五輪中止するべきと言う奴は中国の工作員だ!
スレリンク(liveplus板)
478:吾輩は名無しである
21/04/27 22:41:08.35 W+mf6hk9.net
蓮實ヲタ的には周防正行はどうなん?
479:吾輩は名無しである
21/04/28 11:20:08.11 CG2U8NGT.net
自分の意見は書かない。
蓮實「変態家族以外は公式でもプライベートでも褒めた事はありません」
ファンシィダンスも、鈴木保奈美の後ろ姿の全身カットを挿入する卑猥さだかなんだかを評価していた。
黒沢清は「ああいう原理と欲望を一致させる人がいると思うと、僕も考えてしまいます」
青山真治は事あるごとに否定コメント。
アレックスコックスは「この人は小津の影響受けているのだろう。しかしバンド(スカパラ)の場面はダサい」
480:吾輩は名無しである
21/04/29 20:24:00.00 UHRHtAu7.net
ここ哲学者や思想家の話が出てくるので、
ちょっとマジで聞きたいことがあるんですがよろしいですか?
キリスト教と古代ギリシア哲学が土台となって成立している西洋哲学、フランスを中心とする
現代思想を、仏教徒で神社とお寺と墓参りしか知らない自分のような生粋の日本人が勉強して
何か役にたつことありますか?
481:吾輩は名無しである
21/04/29 20:33:31.24 lP8icRyT.net
役に立つことはないでしょう。
暇つぶしにはなります。
482:吾輩は名無しである
21/05/01 09:14:52.95 RNsTmbHM.net
蓮實ヲタになると映画は全方位見るように仕向けられるけど小説は凄い狭い範囲に閉じ込められるんだよな
483:吾輩は名無しである
21/05/01 14:12:02.22 Klyop/GC.net
熱心な読者ではないけど(文体が難しいからw)、確かに映画についてはいろいろ
見るようになりますよね
484:吾輩は名無しである
21/05/02 19:13:27.96 zHtSdSmU.net
>>469
役に立つよ。
フランス人のbernard faureは日本の仏教や神道の研究者だが、
色々と鋭いことを言ってるよ。
485:吾輩は名無しである
21/05/02 20:30:17.84 7QBgNI6z.net
『ビーチ・バム まじめに不真面目』
浅田 彰
批評家
自己規制(自粛)と相互監視を逃れ、しかも「自由という名の野蛮」を振りかざして「死に至る悦楽」へと暴走することがない。軽やかに快楽の波に乗りながら、他者とともにあくまでも明るく生き続ける。
これはそんな真の自由人の姿を描く美しい映画―パンデミックと自粛で窒息しそうな私たちの社会に吹き込む一陣の涼風だ。
486:吾輩は名無しである
21/05/02 21:30:47.29 cOAwGJhu.net
同一性=物権
差異性=債権
同一性は差異性の「凝集」=物権的債権
ごく一部の人しか言わないが(法律家でも知らない人が多い)、
物権的債権という考え方は、ことに日本のような英米法と異なる大陸法系の法体系の国では、
金融派生商品引の法理(そのじつは、民商法との齟齬のごまかし)として有効で、
その概念について考えたことがなくとも、実務上は、考えなしにそのようにやっている、
というものだ。
イーグルトンは、ポストモダニズムは現代金融資本主義のイデオロギーである、というようなことをいっている。
(「ポストモダニズムの幻想」)
「役に立つ」といえば、たしかに役に立っている、
が、ウォール街やらのろくでもない奴らにとってそうだ、ということかもしれない。
487:吾輩は名無しである
21/05/02 21:46:01.40 cOAwGJhu.net
植田浮 著 — イギリス担保物権法の特質について*
488:吾輩は名無しである
21/05/02 21:47:27.35 cOAwGJhu.net
王涌
今日に至り英米法系および民法の法体系は,
異なる歴史的過程を経て変遷を成している。そ
の基本的概念および規則は完全に異なっている。
英国のエクイティーローの純粋な産物として信
託法を民法の法体系に移植すると,いうまでも
なく多くの理論問題に直面する。
欧州大陸の多くの民法法系の国は信託法を取
り入れるのを拒んできていた。
489:吾輩は名無しである
21/05/02 23:18:24.80 cOAwGJhu.net
金融システムと法系論
藤倉高行
法的思考方法の相違
シビル・ローでは,所有権概念が統一化され,権利の体系が構築され,
物権と債権の区別,実体法と手続法の分離が進んでいる。これに対し,コ
モン・ローでは多様な所有権概念や不法行為の類型,訴権的な救済方法が
併存している結果,手続法から実体法の分離が完全ではなく,物権と債権
の区別も明確でない。
490:吾輩は名無しである
21/05/02 23:25:37.76 cOAwGJhu.net
柄谷行人は、コモンローは、生成的で、セミラティス的(リゾーム的)なのものだ、
といっていた。
491:吾輩は名無しである
21/05/02 23:29:11.22 cOAwGJhu.net
↓建築屋さんたちが、陳腐化したはずの議論を、また蒸し返してやっています。
10+1 website|〈建築理論研究 07〉 クリストファー ...URLリンク(www.10plus1.jp) › monthly › 2015/02
... の行動を縛っていく方向に進むとか、コモン・ローとしての憲法をつくっていく方向と重なって見えるのではないか。 ... ただ、美学の欠落はあるにしても、アレグザンダーには--─柄谷行人さんが『隠喩としての建築』(『定本 柄谷行人 ...
492:吾輩は名無しである
21/05/03 20:44:10.24 98zqQJUw.net
>>480
かなり古い話だろ。
493:吾輩は名無しである
21/05/03 22:20:44.18 4bJMV0/5.net
2015年だから、そう古くもないでしょう。
494:吾輩は名無しである
21/05/05 00:37:30.99 14ZyZBmF.net
1970 : Être en couple avec un japonais | Archive INA
URLリンク(youtube.com)
495:吾輩は名無しである
21/05/06 23:51:26.85 bSrpQ+Yl.net
この小さい男の子が夫妻より先に亡くなっていることに心が痛む
496:吾輩は名無しである
21/05/07 21:07:49.17 b38+32hu.net
猫ストーカーのうた
URLリンク(youtube.com)
497:吾輩は名無しである
21/05/07 21:18:29.23 b38+32hu.net
西友火曜得の市
URLリンク(youtube.com)
498:吾輩は名無しである
21/05/08 21:12:32.47 TdcZhn8M.net
>>483
再生数とかコメ数がおかしい
この人フランスで有名なの?
499:吾輩は名無しである
21/05/11 20:35:24.72 wGENSeLo.net
町山智浩氏 日米のコロナ経済対策の違い指摘 米は「ガンガン給付」、日本は「出す方向間違ってる」
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
米国在住の映画評論家・町山智浩氏(58)が11日、TBSラジオ「赤江珠緒 たまむすび」(月~木曜後1・00)に電話出演し、日米のワクチン接種状況や政府の対策の違いについて語った。
既にワクチンの接種を終えたという町山氏は「何の手続きも、何の会話もない。車からすっと打ってもらって。ドライブスルーで。おしまいです。スマホの予約も1分です」と、予約電話のパンクなど混乱が起きている日本とは対照的な状況を伝えた。
米国では成人のワクチン接種率が58%を超え、昨年3月から完全休演しているブロードウェーでの劇場公演が、9月にも再開される見通しであると報告。「日本はズルズルいろんなことをあいまいに続けてたじゃないですか?メリハリがなかったけど、アメリカはメリハリがあった」と違いを説明した。
町山氏によると、米国が思い切った策に出られた理由は、経済支援の手厚さだという。「ものすごいお金をガンガン給付したりしてますから。失業保険で週にもらえるのが1人3万円なんですよね。バイデンさんが法案にサインしたんですけど」。今後は、子供を含む国民全員への20万円ずつの給付など、計207兆円のコロナ経済刺激策が動くとも話した。
対照的に町山氏は、日本について「日本もGoToトラベルで2・7兆円出してるんですけどね。出すものが違う、出す方向を間違ってるという」と痛烈に指摘。「ワクチン予算が日本が3000億円くらいらしいですね、接種の予算が。全然ケタが違いますね。でもオリンピックは1兆6000億円も出すんで、よく分からないですよ、日本って」と、予算の行方に疑問符を付けた。
町山氏の指摘に、「南海キャンディーズ」山里亮太(44)は「よく分からない状態のところに、誰も分かる説明をしてくれないという、一番つらい状況です」とこぼしていた。
町山氏はさらに、トランプ前大統領の失脚について、コロナ対策の失敗が主な理由だったと分析。「普通、そういう失敗したら落選するでしょう?(日本が)なぜしないのか、よく分からない。なぜ政権が維持され続けるのか分からないですけど。すごく不思議で、日本のコロナ状況」と付け加えた。