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というのは、一九八〇年代において高度情報・消費社会に入った日本にあらわれたポストモダン的な傾向は、ある意味で江戸時代の三百年の平和において洗練されたスノビズムの再現でもあったからである。
それまで、日本の近代文学や思想は、基本的に西洋的な理念や意味を規範とし、いわば「人間的な主体」たらんとするものだったといってよい。
八〇年代に顕著になってきたのは、逆に「主体」や「意味」を嘲笑し、言語の形式的な戯れに耽ることである。むろんそれはアメリカ的なポストモダニズムと無縁ではないが、コジェーブが見抜いたように、こうした生の形態にかんして日本人には「伝統」がある。
少数の例外をのぞけば、現在の日本文学においてドミナントな傾向は、何一つ達成すべき理念や意味をもたない生を肯定すること、そして差異の戯れの結果としての無=関心(差異)にいたることである。
一九七〇年の三島由紀夫の自殺は、コジェーブがいう意味での「自殺」であった。つまりそれは切腹や特攻隊を想起させるものだ。だが、八〇年代においては、三島の行為は、政治的な意味や伝統的なものと切り離されて、ポストモダニズムの先駆者として評価されてしまう始末なのである。だが、それこそが「伝統的」なのだといってよい。
いうまでもなく、近代日本は「歴史的な」闘争や労働なしにありえなかった。それがないかのように見える時期には、いわば「江戸時代」的なスノビズムが復活する。西洋に追いつこうとしてきた日本人がなんらかの達成感や自己充足感をもったときには、そうなるのだ。
それは八〇年代においては最も顕著になる。「世界と自己を理解する」思弁的必要性をもたないがゆえに、哲学も批評もスノビズムと化している。つまり、何をいおうと、装飾的な言葉の戯れでしかない。
ポストモダン=ポスト歴史的な状態は、ある意味で、八〇年代の日本に実現されたのである。(柄谷行人『終焉をめぐって』p148-149)