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百合と薔薇の戦いと言えば、チョーサーが訳した「薔薇物語」から引き継がれる「性欲と自制の戦い」の伝統
アリストテレスにおいては、そもそも「中庸な人」は情欲(passion、lust、リビドー)に動かされることがない
性欲よりも、性欲に負けることを罪とみなした中世には、すでに内心において性欲と戦うことは悪とされることはなくなった
Their silent war of lilies and of roses,
Which Tarquin view'd in her fair face's field,
In their pure ranks his traitor eye encloses;
Where, lest between them both it should be kill'd,
The coward captive vanquish'd doth yield
To those two armies that would let him go,
Rather than triumph in so false a foe.
シェイクスピアにおいては、愛と自制の争いは軍隊の比喩をもって表される
凌辱者は愛という「間違った敵」に敗北した被害者として罪を弱められ、Ovidの残虐を軽減される
肉欲と節制を戦争と言う比喩で語るようになったのがラテン語詩においてであり、ギリシャ語詩になかった
シェイクスピアの同時代においては、愛を戦争の隠喩で語ることはありふれていたが、クリストファー・マーロウにおいてすらも戦争を愛の隠喩で語ることはほとんど見られない