16/07/05 00:46:34.36 .net
>>853
同じようなことはイギリスに戻って考えるしかない。
ピューリタン革命のときにそのような議論は起こった。もちろんチャールズ二世が戻るまでにいろんな議論がなされている。
あれをどうやって処理するか、というのはフランスとドイツの19世紀と同じように、イギリス(亡命・在英)および各国で議論になっている。
18世紀イギリスの「イギリス史」を読むと、たとえばヒュームなどを除いて「革命の結果の恩恵」をモトに史論を作り上げている。
ホイッグ史観というやつだ。そこにはフランス革命後の歴史家の苦悩が少ない。
ヒュームにおいてさえ、というかヒュームの「イングランド史」は19世紀歴史主義に甚大な影響を及ぼしているのだけれど、煩悶は少ないな。
とちくるった、というかそういうのは当時のブント同盟や学生同盟で、当然いたけど1848年で暴発してドイツでは三月革命で消えるね
ビスマルクの手腕だよ