16/05/28 22:09:16.09 .net
>>445
非常に興味深い話です。
名付け/名乗り、共時的/通時的、構成主義的/本質主義的、母性的/父性的という対が、
それぞれの概念の間に微細な差異を孕みながらも、在日朝鮮人の歴史を規定してきたという話には、
一つ一つの事象の真偽を確かめる手段も熱意もない自分ながら、一般論として非常に説得力があります。
では、一方でレイシズム(と反レイシズム)は「名付け」と「名乗り」のどのようなメカニズムから
生まれて来たのか、と問う必要がでてくる。
こっちの方は私にも分析がしやすい。
「お前は朝鮮人だ」という他者への名付けは、必ずしも「俺は日本人だ」という名乗りを前提としないように思う。
後者の名乗りは、いわばアリバイとして「後から」生まれてくる。
例えば、在日の同級生に罵声を浴びせる子供がいたとする。
その「愉しみ」は、決して自己の民族的アイデンティティへの誇りから生まれたものではないことは確かです。
「俺は日本人だ」は、その「愉しみ」の後から生まれてくる。
つまり、他者への侮蔑的な名付けの後に、その帰結として自己の尊大な名乗りが生まれるわけです。