16/04/26 21:15:00.86 .net
「めくらが差別的なイメージであり盲目がそうではないといった既存の言語的価値は、その闘争において不断に反転するはずである。
ドストエフスキーやラブレーにおいても、あるいはセリーヌやドノソ、中上健二や大江健三郎においてもそのような闘争を見出すがゆえに、それを差別的とはみなさないのである。」
「自由な差別糾弾のために」
蓮實重彦の「伯爵夫人」はこういう視点から批判を免れうる小説か、免れるとしたらどのようなたくらみをはらんだ小説か。
すがや金井の「伯爵夫人」評も期待したい。