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ドストエフスキーの罪と罰はベートーベンの作風に似ている。
出だしで主人公が大家の老女を殺すところは、交響曲第5番の序奏のように不気味だ。
最終章で刑に処せられるものの主人公に救いが啓示されるところは、第9番の最終楽章にある
シラーの喜びの歌のような光明がさす。
また、前衛性とベートーベンのような物語性を兼ね備えた作曲家にショスタコービッチがいる。
ショスタコービッチは交響曲第1番で前衛の不安定な調性を取り入れながらも、
甘美な旋律を奏でている。
だが、ブルジョア的とのプラウダ批判後は、国家主義の色彩を全面に出し、
弦楽器は甘美な旋律より打楽器のような律動を奏でるようになった。
既存の作法に新手の技法を導入するなら、プラウダ批判前のショスタコービッチは参考になり、
国家主義的な前衛芸術を模索するならプラウダ批判後だろう。
政治的に前衛ではなく、保守国家主義者でも参考になる。
軍国主義者が作曲家を知らずに聞けば、自分らの楽曲だと感じるはずだ。