16/04/03 01:46:43.23 .net
神の存在証明としての宇宙の整合性は、
プトレマイオスの天文学からニュートンぐらいまで一貫しているわけで(アインシュタインもか)、
地球という「場」が宇宙の中心でなくなった代わりに、そこには「法則」が現れると。
やはりこれはカトリックの「教会」とプロテスタントの「聖書」の対立と、
いささかのアナロジーが成立するのではないかと。
一方、宇宙の「不完全性」は熱力学的な領域であると。
しかしまあ、生物の進化なんかは巨視的な統計的事象の賜物以外の何ものでもないので
むしろ個々の偶発的、確率的事象の膨大な累積たる統計的事象こそが神なのだという考え方もできる。
個々の事象は「不完全」であり、残酷で気まぐれである。
そして、その統計的累積も負けずに気まぐれでほとんどあり得ないものではあるが(例えば人間の誕生)、
しかしそれは、にも関わらず、必然であろう。