16/03/04 19:20:43.49 .net
どれどれ……。ケッ、やっぱ糞か。実践的な文学理論をもってねえチンカスども、いっちょ鍛えてやるからそこに直れ。
いいか、セオリーとしてまずこの三つ。冒頭、文体、余韻。端折るぞ。優れた文学作品は冒頭で決まる。その研究は、まあ自分でしろ。余韻は結末で決まる。考えさせるような作品は余韻を残すことが大事。逆にオチを付けて余韻を残さないってのもじつは余韻のうち。
よし、では本題。今回のポイントは文体だ。てか、おい、ハゲ、俺様の文体にマジギレしててどなすんねん。つーこった。どんだけ非知性的なんだよ、てめーのオツムは。
文体とはすなわちレトリック。修辞学。なんであいつはあの文体を選んで書いているかとか考えたことがねえのか? あれば気づくはずだ。
たとえば俺様が平々凡々文体で下級ネット民どもを論破しまくったらどうだ? 気の小さい奴は聞くばっかりになるだろ。そうだ、リアルと同じ。ちんぽ縮ませて、気いばっかり遣い、へいこらへいこら。下ばっか見てモジモジモジモジ、そのうち何も言えなくなる。
そうさせないために、そうだ、おまえの感情を刺激し、おまえの最大限の力を引き出すために、戦い方を教えるために、この文体がある。
が、なんだ、そのレスは。感情のままに次元の低い返しをしやがって。いいか、怒りはただのブースター。そんなもんに呑み込まれるな。怒りに乗じて冷静にてめえの持論をここぞとばかりにぶつけてこい。それが、戦うってことだ。
よし、たとえ短い文章でも、冒頭、文体、余韻、のセオリーは使えるからな、教えておいてやる。きょうはそれを覚えて帰れ。
>>31のレスを見てみろ。書き出しの「あ? なんだ?」は意味のないもんだが、こういった前文が、すなわち冒頭が、大事。ある種のツカミ。キャッチ。和歌の枕詞も冒頭の効果だ。
そして「くだらんバイアスは要らねえんだよカス。」の「カス」は余計だろ。だがあえて付けてある。まさに余韻の効果を狙ったもん。付けることによって、レスしたくなったろ? だから付けたんだよ。
そうそう、くれぐれも忘れるな。文学は知的遊戯にすぎん。知的な娯楽だ。てめえの魂を、読者の魂を、楽しませてナンボのもん。そして俺はこの知的遊戯のマスター。そう、ゲームマスターだ。ゲームの達人にして文芸の神。ケッケッケッ。