16/02/17 14:31:44.89 .net
フロイト読んでないのに暇だから横槍だが、「父を殺す」ではなく
「父に殺される」物語もありうるし、この二つは表裏一体だろう。
カフカの短編で題名ど忘れしたが、父親に存在を全否定されて自殺する男の話があったな。
あと思いつきだが、マゾッホの「毛皮のビーナス」などは、
実は「父の不在をどうやりすごすか」というテーマで
語られているのではないか。
逆にサド描く虐待者はある種の父性の権化と言えなくもない。
柴田元幸がどういう文脈でアメリカ文学には父殺しのテーマが見られない
と述べているのかは不明だが、確かにヘンリー・ミラーにもポーにも
父なる存在が希薄な気がする。
彼らも彼らの小説の主人公も、本質は「独身者」であり、
はなから父なるものの抑圧を知らぬように見える。