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アブラブログ2006年11月17日「オタク文化における記号のサイン化傾向についての考察」
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>そういえば「エヴァンゲリオン」もギリシャ悲劇時代からある王道パターンの「父殺し」的な
>「父に反発する男子」を題材にとったものだが、それが資本主義社会という「父性」に換喩され、
>ラストのメタフィクション的な作りと呼応したのであろう。しかし、
>暗喩的に影響を及ぼしたと言えるかもしれないが、キャラクターとしての碇ゲンドウという
>「父性」は、キャラクターとしては視聴者の深層の心性に届いていないように思える。
>これらから、家庭や教育現場での目に見える形の、想像界における「小文字の他者」としての
>「父性不在」の中で、アニメ「時かけ」や愛国心のようにシンボル的、
>換喩的な「父性」しか認められないというジレンマが読み取れる。
>(エヴァンゲリオンついてはオタク文化における「父殺し」を表現したという考え方も可能だろう。
>「父殺し」を経た後に「父性」を受け入れるのが通常の「人間的成長」だが、
>現実の資本主義社会という「父性」が余りにも大きな壁として機能している。
>加えてラストで主人公は父を殺した、父性を乗り越えたという印象は受けない。これらから、
>「父性」を受け入れずにそこから逃げ、直後によいタイミングで環境的な「母性」が立ち現れたので、
>現在のような状況になったのではないか、という流れも読み取れるかもしれない。)
知ってのとおり、エヴァンゲリオンの碇シンジは、父親に反抗することはあっても殺そうとは一度もしない。