25/05/17 12:49:44.21 bLBtL7tB.net
偽日記@はてなブログ
2025-05-13
主人公がのっぴきならない状況に追い込まれて自力ではもうど
うにもならないようなとき、あるいは逆に、世界の全てから切り離されてしまった
ような耐え難い孤独感に苛まれている時に、ふとテレビをつけると(あるいは、自分
がつけたわけではないどこかのテレビから聞こえてくる声として)、「お笑い芸人の
無駄に張りのある大きな声とそれに同調するような笑い声」が聞こえてきたり、
「コメンテーターが深刻な事件について空々しいコメントを滔々と話している声」
が聞こえてきたりすると書くことで、登場人物の疎外感・厭世観を表現するみたい
な細部に突き当たると、「いや、その細部いらなくないか」と思ってしまう。それ
は、それを書き込んだ途端にその作品に対する信頼度がガタ落ちになるくらいの手
垢のつきすぎた紋切り型で、そういうのを自動的に書き込んでしまうのは(そういう
ことに書いていて気づかないということは)本当にダメなことではないか、と思う。
⚫︎また、物語の進行パターンとして、現在において予期せぬ偶発的な出会いがあ
り、その出会いがある特定の過去の回想を惹起し、そのあと、回想的過去と現在の
出来事とが呼応するように並行的に進行・展開していき、そしてラストに、(回想的
過去から導かれたように思われる、現在時における)目の前がやや開けるようなちょ
っとした新たな出来事に開かれて終わる、という展開のフォーマットは、あまりに
も「よくある(手垢のつきすぎた)パターン」で、たとえどんにな、社会的、歴史
的、政治的に重要で意義ある事柄が書かれていたとしても、このフォーマットに乗
っかっている時点で台無しになってしまうと、ぼくは思う。
770:吾輩は名無しである
25/05/17 20:22:33.67 9pwZzyMt.net
ぼくチン
771:吾輩は名無しである
25/05/28 06:40:18.93 1vAKjhA/.net
カノン進行否定するバカと同じ発想だな
そういう気持ちよくなる形があるんだから別にいいじゃん
読んでもらうことが大事なんだよ
ま、お仕事や義務で読んでるやつにはわからないか
772:吾輩は名無しである
25/05/31 07:56:59.04 7tBlu9BX.net
昨日アップされたYOUTUBEのつかっちゃんがこのスレタイと同じことを
テーマにしゃべっていて、良い内容だった
なぜ純文学で新しさがあるか否かが問題になるかがよく考察されていた
773:吾輩は名無しである
25/05/31 21:37:00.36 oC6SBXrO.net
柳ヶ瀬 舞(療養中)
O先輩から「江藤は『通俗小説』を認めなかった」という話を聞いて少し
腑に落ちました。
江藤は「通俗小説」を読んで、文学的に読解していたら自らの感傷に耐え
られていたと思うんです。感傷は「俗な感情」だから。
江藤の文学理論で紐解く「通俗小説」にすごく興味があります。
2025年5月9日
774:吾輩は名無しである
25/06/15 15:20:01.14 6EbjtDya.net
批評の練習帳
大杉重男
すなわち自然主義文学の起源の一つと目される「蒲団」の物語は、「特権的
に享楽を盗む」ことに失敗した「文学者」、セクハラを遂行できなかった「文学者」、そのことによって自身の才能の貧寒さを
露呈させた文学者の物語であった(主人公の「性欲」は蒲団をかぐだけでは満足できなかったので、泣くしかなかった)。この
意味で「蒲団」は単なるセクハラ暴露小説ではなく、むしろセクハラ批判小説と言える(ハラスメントがあるとすれば、書か
れる以前の現実のセクハラというよりは、書かれることそれ自体によってヒロインのモデルに及ぼしたテクスチュアル・ハラ
スメント的な被害が問題となるだろう)。以後の自然主義文学においては、花袋に限らず、たとえうまく行った恋愛・情事であ
るにしても、決して読者(特に男性)にとって羨ましいもの(つまり「享楽の盗み」的なもの)として書かれることはなかっ
た(これに対して自然主義を批判した漱石は、倫理と享楽の盗みを両立させた「ラッキースケベ」(享楽を盗んでもセクハラと
言われないで済むこと)的シチュエーションを書くことに生涯固執し続けたと言える)。小林が「私小説論」において自然主義
文学とその鬼子としての私小説を批判したことの深層にあったのは、「享楽の盗み」ができない「私」(要するに非「モテ」と
いうことだが)を叩くことで「享楽の盗み」を合法的にできる「社会化した私」(「リア充」)を正当化し、後者を特権化するこ
とだった。絓氏はかつて小林を明智小五郎に例えていたが、日本的「名探偵」とは、罰をうけることなく犯罪という享楽を盗
み、それを読者に共有させる存在であり、現在の「名探偵コナン」においてそれは希薄な形で国民的に共有されている。
2019-05-05
775:吾輩は名無しである
25/06/16 08:08:58.27 72zmkpJj.net
「純文学の作家は、読者の通念に切り込み、それを揺るがせ、不安や危機感を植え付けようと試みる」(福田和也)
776:吾輩は名無しである
25/06/16 10:36:17.61 GIGxng4b.net
>>775
今の編集者は小心者だから不安や危機感を持った作品は採用しないよ
777:吾輩は名無しである
25/06/17 21:35:16.36 XZXo+kOQ.net
しかいう
架空戦記とか講談小説って本当に最悪の神経症にはすごくよく効用があっ
て、人間のそういう部分は認めていかなければならないと思う。ある程度
の良質なそれはある種の稚拙さと同じ事の反復と祝祭で成り立っている。
こじらせない限りこんな安定剤はないのですよ。リビドーが逃避させられ
るというか。
2013年5月2日
778:吾輩は名無しである
25/09/03 16:08:53.27 92v43Rty.net
純文学と大衆文学の差?そんなの読む側の好みでしょ。純文学は作家の表現したい世界を追求した芸術品みたいなもん。わかる人だけがわかればいい、みたいな。一方の大衆文学は、多くの人に楽しんでもらうのが目的。読者が求めているものを追求したエンタメ作品って感じ。どっちが偉いとかじゃなくて、ラーメンとフランス料理みたいなもんじゃない?どっちもおいしいじゃん。
779:吾輩は名無しである
25/09/03 16:26:53.46 UuwUxkA8.net
>>778
的確だなあ。一応フランス料理の敷居の高さはあるみたいな
780:吾輩は名無しである
25/09/05 13:22:34.60 Or3+7Fpx.net
おフランス料理()
781:吾輩は名無しである
25/09/26 12:38:07.34 mucvHX66.net
一時期、大衆文学とは時代モノで純文学とは現代モノであった。
782:吾輩は名無しである
25/09/26 12:42:57.37 vDI/UXBy.net
中華の満漢全席は、うまくてしかも格が高いぞ。
783:吾輩は名無しである
25/09/27 02:41:18.82 470fT8Mi.net
芸術性だとか人間性だとか純文学は高尚な感じがあるから一概には言えない。でも、ジャンルに納まる小説かそうでないかってことじゃないか。大衆文学だとミステリーや探偵ものといったジャンルが先行してあって、それが醍醐味になっている。一方純文学と呼ばれるものは、恋愛もののようなテイストはあってもそれを通じて描き出す描写の美しさや何か哲学みたいな別の意図を引き出すものとして物語が作者によって語られている。だから「わかる人にはわかればいい」みたいな内向きなものに純文学が見えるんじゃないか
784:吾輩は名無しである
25/10/26 11:50:09.37 TNdFQG3F.net
Omori Hanon
ちょうど村上龍や春樹の初期作品が文庫化されていた。
龍は『限りなく透明に近いブルー』「コインロッカー・ベイビーズ』。春
樹は『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』を読んだ。『羊』が、ちょ
うど文庫化されたタイミングだったが、これは大学に入ってから。
何より『コインロッカー』に仰天。
ふたりは一応、純文学のジャンルだったから「いわゆる純文学がエンタメ
に、ググッと曲折、近接した」新しい時代の到来(あるいは『小説神髄』
の呪縛を脱した江戸文芸、馬琴的な物語への回帰)を実感した。🤔
たとえば、1980年。『コインロッカー』が刊行された時に間髪を入れず、
中島梓(栗本薫)が「SFマガジンの新刊ブックレビューで紹介したのを記
憶している。😯
「何を書いても純文学になる作者の近未来SF」みたいなフレーズを覚えて
いる。
1984年は薬師丸ひろ子が伏姫を、真田広之が犬江親兵衛を演じた『新・里
見八犬伝』が公開された年だ。「物語」という言葉も映画、ドラマのタイ
トルによく使われた印象がある。
純文学→中間小説の流れは、大衆文学やエンタメ小説にますます傾倒し、
(つづく)
「ミステリを文学へ」(社会派)から「文学をミステリへ」(奥泉光)を
用意していたように思う。🤔
2025年10月13日
785:吾輩は名無しである
25/10/29 19:38:18.41 IvxJa/jj.net
偽日記@はてなブログ
2025-10-22
今では、彼らの作品を昔ほど嫌っているわけではないが、それでも、シーレとワイ
エスの作品から「通俗」という語を連想することは変わらない。ただし「通俗」が
必ずしも悪いわけではない、あるいは、彼らの「通俗」は決して「悪い通俗」では
ない、と思うようにはなっている。もちろん敵とも思わない。
ただ、けっきょくみんなが好きなのは、シーレでありワイエスでありホッパーであ
りハンマースホイであり、といった「通俗」であって、セザンヌやマティスのよう
な「前衛」ではないんだな、という、うっすらとした絶望というか、悲しみのよう
な感情がぼくにはある。
(ホッパーもハンマースホイは「趣味」としてとても好きだ。)
(シーレ、ワイエス、ホッパー、ハンマースホイなどの「まともさ」に対して、セ
ザンヌやマティスは根本的なOSのようなものが壊れていて、基底が壊れていると
ころから積み上げて作っている感じがある。ここでいう「まともさ」とは社会的な
ものであり、社会的なまともさが壊れてしまっているから、宇宙な根本から始めな
くてはならない、みたいな感じ。ぼくがイメージする「前衛」は、社会的な基底か
らではなく、宇宙的な基底から始めようとする人たちのこと。
⚫︎(「通俗」という言い方が悪いのかもしれない。「常識的な三次元的空間表象の
秩序からはみ出ない」と言うべきなのか。
⚫︎空間の秩序を疑わなければならないという決まりはないし(疑うのが偉いという
評価基準が前もってあるわけでははないし)、もちろん社会的に「まとも」であっ
てはいけないという決まりもない。「通俗」であるからという理由で批判されるい
われもない。ただ、そこからどうしてもはみ出してしまう、はみ出さないないと気
が済まないという「性癖」のようなものがあり、かつて「モダンアート」はそのよ
うな志向性を共有の価値としていたが(これはぼくの解釈で教科書に載っているよ
うな共通見解ではない)、それはもう終わってしまったのかなあという寂しい気持
ち。
786:吾輩は名無しである
25/11/02 09:00:35.66 2h5TO9iW.net
中沢忠之
今まで純文学は「マーケットに乗れないジャンル」として色々言われてき
たが(結論は不要)、反動的な「売れなくていい!」とかではなくて、「マ
ーケットに依拠せずにいかに評価を調達するかを考えてきたジャンル」と
して位置付け直す必要があると、文学史やっていて痛感しました。
2019年8月30日
787:吾輩は名無しである
25/11/08 10:54:48.09 ejl3zDqV.net
好書好日
2023.08.01
Riverside Reading Club feat. 滝口悠生(3) 小説における
「フロー」は内容と同じくらい重要だ
ikm:小説のフローってあんまり語られないけど、内容と同じぐらい重要だと思うんですね。
ikm:気持ち悪いことが悪いわけでもない。俺はフローと内容がグルーヴを生むと考えてい
て、そういう意味だと小説というか、文章のフローを言い換えると、読み心地なのかもしれな
い。
Lil Mercy :自分は文章にあると思います。言葉が並んでいることによって、読み手の中にフロ
ーが生まれていると思うから。
ikm:音読するとまた違うものになりますし。黙読してるときに感じるもので、声に出すこと
で自分のリズムで読んじゃうと、文章の中にあるフローって再現できない気がします。
Lil Mercy:(読んでいるのは自分だけど)読まされてるみたいな感じっていうか。意味がわか
らなかったとしても止まらずに読んでいくと「何これこういう感じっぽい」みたいな。
ikm:自分がフローを意識したのって、翻訳された文章を読んだ時なんですよ。俺らは翻訳フ
ローって言ったりするんですけど、やっぱり翻訳されたものって、ちょっと違和感が出るか
ら。でも自分はその違和感が好きで。翻訳小説が読みづらいって人もいるけど、それはたぶん
その人と文章のフローが合ってないからじゃないかと思う。俺は読みづらさもフローだと思う
んですよね。
Lil Mercy:そういう意味では「これがフローだ」という明確な表現はないと思います。それぞ
れ違う。パンチラインから派生するフローもあるし。
ikm:たぶん書かれてる内容にも関係してて。エンタメ小説はゴールに向かって一直線に進ん
でいくから、読みやすさが重視されていて、自分たちが考えるようなフローが出ない。という
か、出さなくていい。
788:吾輩は名無しである
25/11/15 01:36:33.81 gHsUC2l8.net
SKiCCO REPORT
2020-07-28
「売れない」アイドルはダメなのか
アイドルは売れることこそが唯一の正義で、売れないものはダメ、みたいな分け方
を見るたびに、違和感がありました。
それこそ、売れてるものが良いものならば世界で一番うまいラーメンはカップヌー
ドルだ、みたいな。
そりゃ(単純にお金が入ってくるという意味で)売れないと、活動継続できません
から、その意味では売れないと困ります。
しかし、前に俺の好きなアイドルさんが、武道館で1回やるよりキャパ1,000人の会
場で10年続けることのほうが尊いって価値観があってもいい的なことを言ってて、
感動したんですよ。アイドル自らがそういう意識を持ってくれていることに。
789:吾輩は名無しである
25/11/17 21:35:24.60 erIAT1Vw.net
偽日記@はてなブログ
2025-11-10
日本の地下アイドル(ライブアイドル)は、日本のメジャーアイドルとも違うし、
韓国のアイドルとも違う。雑にその特徴を挙げれば、強くない、クオリティ高くな
い、競争しない(競争嫌い)、だと思う。だから、いわゆる「アイドル戦国時代」
の所有なアクターたちとは根本的に異なる人によって成立していると、ぼくは思っ
ている。
(クオリティにかんしては、長く続けていると嫌でも上がってしまうので、クオリ
ティは高くても良い。あくまで、クオリティが高いから良い、ではなく、高くても
べつに構わない、という感じだ。)
基本的に、強くないダメな人による、その強くなさやダメさをふんだんに含んだパ
フォーマンス(あるいは表現物)があり、それを、自身もまたうだつの上がらな
い、強くない人であるオタが、生ぬるい笑いと共に受け入れる。この「笑い」はも
ちろん嘲笑ではなく、共感と愛情の緩い笑いだ。音楽とそのパフォーマンスを媒介
とした、強くなく、クオリティ高くなく、競走嫌いな人たちによる、緩い共犯関係
の場として、地下という界隈がある。このことがとても貴重であるように思う。
地下を支えるオタたちも基本としてDDであり、「推
し」以外のグループにも興味を持ち、(競走・抗争は嫌い、という違いはあるにし
ても)シーン全体のありようを(というか、多様なものたちへ「探索」そのもの
を)楽しむ人たちだろう。
(「推し変より推し増し(推しを変えるのではなく推しを増やせ)」という言葉が
あるが、ドルオタに限らずDD的態度は重要だと思う。「一途な愛」は保守しか生
まない。)