15/04/07 18:32:05.22 .net
>>966
小林があれを書いた時点ではまだ判然とはしていなかった三島の
生育環境、祖母との関係。母との隔離。それと日本という風土の戦中
戦後への異和と彼岸への跳躍。その重層性。
小林があそこで書いたことはあの後、小林の感想とは別個に研究も
され、考証されていった。その意味であの感想の鋭利さは群を抜いて
いる。
あなたのいう「動機」とは三島本人が晩年に書いたり喋ったり
したもろもろ、絶対者志向や上のレスにもある「10代回帰」とかね。
それらは小林の言う「孤独」とレベルが違いますよ。小林の感想
は実は彼の初期の「様々なる意匠」から変わってはおらず、「作家
の体内をめぐる血球」を語ることを己の批評とした宣言の延長に
小林の三島論もある。抽象的で具体的ではない難はありますけど
ね。
《人はさまざまな可能性を抱いてこの世に生まれてくる。(中略)し
かし彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚くべき事実である
。(中略)彼の全身を血球とともに循る真実は唯一つあるのみだという
事である。》
という場所から語ったのがあの感想で、これは小林が「さまざまなる
意匠」を再現しようという意図があったかはともかく、三島の根幹に
迫る言い方になっている。
その小林の批評からすると、三島の死を「動機は散々書かれている」
「心中だったので孤独ではない」というあなたの三島論は、それも
当然あっていいんだけども、動機を思想に収斂させている、また心中
だったから孤独ではないという保障にはならない、その2点で読みと
しては浅く、小林の深度とは比較にはならないと思いますね。