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三島は1951年12月から1952年5月まで世界一周旅行に出てそのときに
滞在したギリシャで肉体に目覚めたとある。
たしか古林尚との「最後の言葉」でもそのへんは喋ってて、ギリシャ
芸術の均整や調和を再構築することで自分の美意識が同一化できる
と思っていたが、しかしこれが錯覚であることが分かり、その後、
10代の自分に帰郷することが誠実さだと思うようになった、と。
引用しましょうか。
《僕が古典主義というか新古典派というか、あの「潮騒」の世界の
ようなところに、むりやり自分を自己規定していこうと思ったのは、
あのころは、それで自分を制御できると思っていたからなんです。
ぼくは、自分こそ日本にはまだ生まれていない古典美の世界、それを
理性ですべて統御するところの新しい作家になれるだろうと、ほんと
うに錯覚していたんですよ。ところが、そのうち、そうでないことが
わかってきた。どうしても自分の中には理性で統御できないものがある
、と認めざるをえなくなった。
つまり、一度は否定したロマンティシズムをふたたび復興せざるを
得なくなった。ひとたび自分の本質がロマンティークだと分かると、
どうしてもハイムケール(帰郷)するわけですね。》
『決定版 三島由紀夫全集 40』743-744頁