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〈霞立つすゑの松山ほのぼのと浪にはなるるよこ雲の空 (藤原家隆)
これは二首とも自然の事物の定かならぬ動きをとらえたサイレント・フィルムだ。
しかし、こんなに人工的に精密に模様化された風景は、実はわれわれの内部の心象風景
と大してちがいのないものになる。〉(三島「新古今集珍解・存在しないものの美学」)
こういう解説は、いかにも受け入れやすいのだが、じつはまったく近代文学的なものだ。
1君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ 古今集 東歌・よみ人知らず
2契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは 清原元輔
2は1の本歌取りだが、つまり、末の松山と波、というのは、
変わらぬ恋心を表すさいにワンセットで出てくるものだったのを、
家隆はあえて叙景歌のようにしてズラしたわけよ。そして、そのズラしが新味だった、と。
横雲の空、というのも、春曙をあらわす等にの決まり文句で、ほかにもたくさんある。
定家の、春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空、とか。
「叙景歌のように」というのは、もとより現実の景色を眺めて詠んでいるのではなく、
心象を呼んでいるのでもない、なんら対象記述としての叙景ではないからだ。
いうなれば、過去の有名な歌を素材にした変奏なのだな。
三島の叙景は、書割のようだ、と悪く言われるように、実作の上では、
同じような、のちにポストモダニズムが再評価するプレモダン的な手法、
頻繁にを用いた。ところが、理解のほうは、あくまでもモダンだった。
いうなれば、やっていたことと思考とがかみ合っていなかったということだ。