14/11/24 23:12:58.43 .net
吉行は佐藤の「門弟三千人」のひとりだったのよ。
最初は、作家が弟子をもつのはオカシイ、きっとボケてるのだろう、と想像して庄野、安岡達といっしょに会いにいったら意外に強靭で魅力的な爺さんだったんでしばらくしてから「佐藤さん」を「佐藤先生」にあらためた経緯がある。
こうして文壇で唯一「先生」とよぶ相手になった。「川端さん」「志賀さん」と他に例外はない。
このあたりは吉行の作家という仕事を真にうけていないジャーナリズム精神と柔軟なポリシーを同時にうかがわせる。
志賀直哉が弟子の阿川に「あー、吉行君はまだ小説を書いているのかね」と言ったというはなしを愉快そうにエッセイで紹介している。
阿川といえば、博打仲間であり忌憚なくつきあった友人だが、次男に「淳之」と名づけている。
これなども吉行を身近に知る者ほどひそかに敬愛の情を抱くというセオリーの証左であろう。