エドガー・アラン・ポー PART1at BOOK
エドガー・アラン・ポー PART1 - 暇つぶし2ch671:吾輩は名無しである
24/04/30 16:45:06.78 PfQV/NEO.net
ぱぴぷぺぽー

672:吾輩は名無しである
24/04/30 17:16:47.55 PfQV/NEO.net
『黄金虫』
いかにも作り物の話だと思う
子供だましの作品

673:吾輩は名無しである
24/04/30 17:16:48.19 PfQV/NEO.net
『黄金虫』
いかにも作り物の話だと思う
子供だましの作品

674:吾輩は名無しである
24/04/30 17:18:24.03 PfQV/NEO.net
『モルグ街の殺人』
これも子供だましの作品

675:吾輩は名無しである
24/04/30 17:21:32.32 PfQV/NEO.net
『スフィンクス』
なんかなぁ、幼稚過ぎる

676:吾輩は名無しである
24/04/30 17:23:44.66 PfQV/NEO.net
『おまえが犯人だ』
途中で犯人がわかっちゃう

677:吾輩は名無しである
24/05/05 13:19:48.87 3saV82BK.net
最高傑作は『アシャー家の崩壊』だな
丸谷才一の訳には解らない言葉がいくつか出てくる
河合訳はどうなんだろうか?

678:吾輩は名無しである
24/05/05 13:21:10.44 3saV82BK.net
二番目は『黒猫』だな

679:吾輩は名無しである
24/05/05 13:23:19.45 3saV82BK.net
岩波の【八木訳】は訳注が詳細でためになる
岩波の『白鯨』も訳注がよかった

680:吾輩は名無しである
24/05/05 19:28:33.11 7hLlDbln.net
>>677
俺は誰の訳で読んだだろう? 少なくても丸谷ではなかったな。特に分からない言葉がでてきた記憶はないが

681:吾輩は名無しである
24/05/27 11:19:24.10 FmFbFdNH.net
エドガー・アラン・ポーの短編小説『アッシャー家の崩壊』は、一見シンプルなプロットと晦渋な文体ながら、その格調高い表現によって、音楽性の高い一編の詩のような作品へと昇華されています。
一見、単純な物語のように見えるかもしれませんが、ポーは巧みな言葉遣いと描写によって、読者を物語の深淵へと誘い込みます。朽ち果てたアッシャー家屋敷の描写は、まるでゴシック絵画のような陰鬱さを醸し出し、そこに住むアッシャー兄妹の悲劇的な運命を暗示します。
また、ポーは音楽的な要素を巧みに作品に取り入れることで、読者の五感に訴えかけるような効果を生み出しています。例えば、アッシャー家の屋敷を包む不気味な静寂や、マデリンの死の直前に聞こえる不協和音などは、読者に不吉な予感を抱かせ、物語の緊張感を高めます。
このように、『アッシャー家の崩壊』は、シンプルなプロットと晦渋な文体に音楽的な要素を織り交ぜることで、読者を魅了する作品となっています。

682:吾輩は名無しである
24/05/27 22:50:20.12 DlonQikN.net
『眼鏡』がサイコー

683:吾輩は名無しである
24/05/28 13:56:56.38 aC1L29n5.net
18歳頃に「黒猫」を読んで衝撃を受け、強く惹かれた。しかし当時はボードレールやランボーなどのフランス象徴派の詩人、シュルレアリスム、バタイユに傾倒していたため、ポーはそれ以上深く読むことなく20年間過ごしてきた。しかしつい先日、ちくま文庫の松井冬子の表紙に惹かれて短篇集を購入し、読んでみるとすっかりハマってしまった。現在では、ポーに関する研究書や批評書も少しずつ読み進めている。

684:吾輩は名無しである
24/05/28 14:57:02.01 aC1L29n5.net
萩原朔太郎は、1926年に詩集『智恵子抄』のなかで詩「大鴉」を発表しました。この詩は、深い悲しみと絶望に満ちた内容で、多くの読者に深い感動を与えてきました。
朔太郎は、この詩について以下のように述べています。
この詩は、私の心の奥底から湧き出たものであり、私の最も大切な作品の一つである。この詩を翻訳することは不可能である。なぜなら、この詩の言葉は、私の魂の叫びであり、他の言語では表現することができないからである。
しかし、インターネット時代においては、Google翻訳などの翻訳ツールが容易に利用可能となり、「大鴉」の翻訳を試みることは容易になりました。実際に、これらのツールを用いて「大鴉」を翻訳してみると、様々な言語で表現することができます。
しかし、翻訳ツールによる翻訳は、必ずしも完璧なものではありません。特に詩のような芸術作品の場合、ニュアンスや情感を正確に表現することは難しい。例えば、「大鴉」の中で使われている言葉には、朔太郎の個人的な経験や思いが込められており、それを他の言語で完全に再現することは不可能です。
また、萩原朔太郎が主張していた翻訳不可能性は、言語を超えた芸術表現としての「大鴉」の独自性を指しており、単に翻訳ツールを用いた機械翻訳によって検証できるものではありません。「大鴉」の真の理解には、朔太郎の詩全体に対する深い理解と、日本語に対する深い理解が必要となります。

685:吾輩は名無しである
24/05/28 14:58:54.15 aC1L29n5.net
メエルシュトレームと黄金虫の描写の鮮やかさに感嘆せずにはいられない。
特に黄金虫は前半と後半の構成が絶妙で、非常に気に入っている。

686:吾輩は名無しである
24/05/29 09:18:57.34 /BQANsml.net
最近屁の役にも立たないくそくだらない感想レスを書くのが流行っているのかね?

687:吾輩は名無しである
24/05/29 11:47:44.50 jjVtb3DQ.net
>>684
朔太郎はいつ『智恵子抄』を書いたのかね?

688:吾輩は名無しである
24/05/30 11:32:30.53 YR10pOUK.net
>>685
メエルシュトレームの描写は、まるで自分が実際に渦の中にいるような臨場感があり、思わず息を呑んでしまいました。特に、船がどんどん渦に吸い込まれていくシーンは、本当に怖かったです。
黄金虫も、前半の謎解きと後半の冒険がうまく絡み合って、最後まで飽きずに読めました。特に、ジュピターの虫が黄金虫だったというオチは、予想外でとても面白かったです。
おっしゃる通り、どちらの作品も構成が絶妙で、非常に完成度の高い作品だと思います。
私もどちらも大好きです!

689:吾輩は名無しである
24/06/06 05:31:55.22 610qI4HS.net
>>688
メエルシュトレームの描写が、読者をまるで渦の中にいるような臨場感に巻き込んだとのこと、大変共感いたします。特に、船が徐々に渦に飲み込まれていくシーンは、息を呑むような恐怖を感じました。
黄金虫も、前半の謎解きと後半の冒険が巧みに絡み合い、最後まで飽きることなく読み進められる作品ですね。特に、ジュピターの虫が黄金虫だったという意外なオチは、読者を驚かせながらも納得させる見事な展開でした。
おっしゃる通り、どちらも構成が絶妙で、非常に完成度の高い作品だと思います。私もどちらも大好きです

690:吾輩は名無しである
24/06/29 15:43:58.83 fKd8saYy.net
・ エドガー・アラン・ポー 1809年1月19日 【アメリカ】
・ チャールズ・ダーウィン 1809年2月12日 【イギリス】
・ ニコライ・ゴーゴリ 1809年3月31日

691:吾輩は名無しである
24/06/29 18:32:50.30 Nr80YLxN.net
風景が奏でる夢と現実の交響曲
ポーの描く風景は、現実と幻想が溶け合う夢のキャンバス。妖精たちの漕ぐカヌーが静寂の湖面を滑り、地の精が築いた城が霧に浮かび、風景そのものが語りかけてくる。夢想を誘う庭園は、自然を巧みに造型し、川旅は幻影の舟に乗せて未知へと誘う。魔法の円環が描くのは、アルンハイムの楽園なのか、それとも存在の消滅と至福への誘いか?


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