ドン・キホーテat BOOK
ドン・キホーテ - 暇つぶし2ch178:吾輩は名無しである
15/01/06 22:32:28.18 0PiEHnfbG
ああいう書物の主たる目的はよろこばすにありとしましても、あんな愚にもつかぬでたらめがあんなに多いんでは、目的が達せられるとも思えませんよ。
人のこころに生まれるよろこびは、目なり空想なりがとりあげる物に認められまたは観じられる美と調和からくるべきであり、醜と不調和を含むものでしたら、どんなこころよさをも与えることができぬのです。(役僧/正編四の巻 第四十七より)

うその物語も、読む側の理解にしっくりと合うのが大切。
…感嘆と喜悦といつも一しょに歩調をあわせるように書くのです。こういうことは、まことらしさや写実をきらう者のなしうるところではありませんが、作品のめでたさもまた他にないのです。(同)


役僧に語らせるセルバンテスの写実主義論は、ここから四十八章に続く。
このあたりは抑えておくべきところ。

179:吾輩は名無しである
15/01/07 01:50:36.66 JUy+hamuw
(続き)自分たちは、少数に従って好評をうるよりも、多数に従って飯をくっていくのが大事だと言っとる。
…それで、いくたびか、わしは役者たちに向かって、その言うことが誤てるを説き、ばかばかしい狂言よりも、芸術の本義に従う狂言を上演すれば、見物もふえようし評判もあがろうとさとしたのですが、
じぶんたちの考えにしがみついて離れませんから、かれらに目をあけてやる正しい論や自明の理はないわけです。
(役僧/正編四の巻 第四十八より)


日本ならさだしめ、サザエさんだの家族ドラマだのお茶の間バラエティを見て喜ぶ、多数の学の無いジジババに媚びる害といえる。

180:吾輩は名無しである
15/01/07 20:59:24.02 JUy+hamuw
正編読了。
いざ、続編へ・・・

181:吾輩は名無しである
15/01/09 18:35:04.44 oDDelzLBW
さて続編。セルバンテスの序文が面白い。
贋作に対する皮肉はなかなかスパイシーで読み応えアリ。

和尚(この訳はどうかと思う)と床屋も、正編のラストあたりからキャラクターが落ち着いてきた。
サンチョ・パンサはすっかり島に毒されている・・・

182:吾輩は名無しである
15/01/10 17:19:18.35 5RsJd3I1M
チラ見してきた。牛島訳(岩波文庫)はドレの挿絵が満載なんだね。

永田訳の古いのは挿絵が少ない上に、印刷のせいか見づらい。
訳文の古めかしさは、キホーテの時代錯誤的なしゃっちょこばりっぷりが良く出ていて嫌いではないよ。
“大日輪”や“和尚”など、アレレな訳語も多いとはいえ。

183:吾輩は名無しである
15/01/10 21:14:54.47 yKTFKPNHO
第五章(続編)を、セルバンテスは《にせもの》としている。
正編においてサンチョ・パンサが読者ーー主として学の無い農民階級のーーから、思わぬ人気を博したためと思われる。

ドン・キホーテが狂人であることは、当節でさえ誰にも知れた。
しかし、学も教養も無い一農民が、その娘を公爵なぞに嫁がせて“奥様方”にし得る、などと信じ込むことは、実のところ、
キホーテの妄想的な騎士かぶれと何等変わらぬ狂った考えであったが、それに気が付いた者は少なかった。

だから、第五章においてサンチョ・パンサとその女房の間に交わされる会話は、そのまま、
正編においてキホーテとサンチョの間に交わされた会話と同種、あるいはそれ以上の滑稽さを持つ。

184:吾輩は名無しである
15/01/12 15:48:20.99 WMxN5Yf1G
岩波の続編(一)は第二十三章までが収録されている。
序盤は床屋が語る狂人のエピソードやサンチョと女房の会話などなかなか面白いが、
遍歴に出た後は、正編のような勢い任せの猪突猛進の筆速がなくなり、中だるみ感が続く。

本文でもセルバンテスは著者とキホーテやサンチョとの間に明確な距離をおき分析的になっているが、客観視座は序文だけで充分ではないだろうか。
個人的には正編にみられるような狂人まっしぐらの方が、おかしみも悲しみも楽しめた。

後半(と思われる)の公爵夫婦に期待したい。

185:吾輩は名無しである
15/01/12 15:55:57.97 WMxN5Yf1G
悲しみというより、廃れた騎士道精神を狂信する悲壮感とでも。

186:吾輩は名無しである
15/01/18 14:25:34.06 lfsnhMBuD
悪の?公爵が登場するまで、結構かかるね。
またしても恋愛三角関係の小咄に突入した。
ここまでキホーテのキじるしらしい奇行は、ライオンの檻を開かせるくらい。

続編ではキホーテの時代錯誤性は、行動よりむしろ言葉であらわされる。
学や徳のある人々を感心させるキホーテの長広舌こそ、続編における諧謔の対象であり、
風車に突撃したり羊の群れを軍隊だと思い込んで参入する行為の根源にある精神なのか。

187:吾輩は名無しである
15/01/31 06:34:17.04 TOYa9uyrz
あー、続き読まないと

188:吾輩は名無しである
15/02/12 23:48:35.27 .net
こう寒いとなかなか進まない
続編の百姓の婚礼話で止まっている

189:吾輩は名無しである
15/02/14 06:47:18.74 QyZtHemkX
カマーチョとバシーリオのキテーリアを巡る婚礼騒動でもまた、キホーテの説教は周囲を感嘆させ、騒動を解決する。
この読みどころは、前座としてサンチョ・パンサが語る結婚観・死生観であり、それは一見、キホーテの高邁なる理想主義に反しているようにみえる。

サンチョの演説を土百姓としながらも、キホーテはその死生観の智慧の深さには驚かされる。
その後のすったもんだでキホーテが村の和尚や農民たちにふるう長広舌には、サンチョ・パンサ的なカトリック的物質主義の気配も多分に認められる。
そしてこのカトリック的高邁物質主義(ここはおかしみとして読んでおく)は、
続く“騎士道愛読者学徒”との会話へと引き継がれる。。。

190:吾輩は名無しである
15/02/15 19:44:04.82 DQnBtdCnU
ついに何も無い洞穴でも幻覚をみるほど狂ってしまったか?
>モンテシーノスの洞穴

いやしかし、四レアールはせしめているのだ・・・
(続編(一) 終わり)

191:吾輩は名無しである
15/02/15 19:59:41.79 tAQqaqmjR
しかしサンチョも気苦労が多いな

192:吾輩は名無しである
15/02/15 22:21:47.04 tAQqaqmjR
続編(二) 第二十四章にもなると、キホーテの騎士道狂ぶりを中心に展開して来た物語も、近代商業主義の色彩に押され始める。
キホーテ、サンチョ、いとこが道中で出くわす若い小姓はこう語る。
 >(特別の手当を貰うのは)よい主人に仕えれば、当然のことですし、下人部屋からも少尉や大尉が出たり、よい扶持取りが出たりしますからね。
 >だが、わしはまがわるく、官職あさりの浪人や田舎者にばかりぶつかり、けちくさい給金をもらったので、カラーに糊をつけると半分はもう消えちゃったですよ。…

さらに若い小姓は続ける。
 >…わしの主人というのは、ふたりとも、都へ出てきた用向きが片づくやいなや、国元へひっこんだでね、世間へのみえに着せといたおしきせは、取りあげてしまいましたさ。

キホーテはこれをスピロルチェリア(つまりケチ、吝嗇)という。
しかしこの「田舎者の吝嗇」こそ、後の公爵夫婦の本質を、シビアに看破したものなのだろう。

果たしてこれを笑えるだろうか。。。

193:吾輩は名無しである
15/02/15 22:42:17.06 fYxVNE6oj
商業主義というよりも、ド田舎の番長が思いつきそうな、やくざ者の詐欺といったほうが近いか。

194:吾輩は名無しである
15/02/17 21:52:35.50 uJealZm+L
第二十八章(続編)のタイトルが意味深すぎる。
 >読む者が気をつけて読めばわかるのさと、ベネントーリが言っていることの章
この章ではキホーテとサンチョがあやうく仲たがいしそうになる。キホーテにおまえは"ろば"だとののしられ、半泣きになるサンチョ・・・

まだよくわからないが、この章には記しをつけておこう。

そして(あまり意味の無い)小舟と水車の小咄が終わると、第三十章、いよいよ公爵夫人が颯爽と登場する。
一見、キホーテに好意的にみえるが・・・。

195:吾輩は名無しである
15/02/18 16:15:48.30 /JDIlScKR
サンチョ・パンサはキホーテが時代遅れの気違いであることをよくわかっており、そのうえで気違いと共に歩むことを決意する。
第二十八章でサンチョがみせる涙は、過ぎ去った時代、古き善き時代の残骸であるキホーテに対する、愛情をこめた悲しみでもある。
ここでセルバンテスはすでにサンチョをキホーテよりも優位に立たせている。

この地位の逆転あるいは変遷を、公爵夫婦はより冷徹に表明する。
彼らはサンチョ(や前出の和尚、床屋など)と異なり、過去への愛も同情をいっさい持たず、ただ徹底して嘲笑の対象とみなす。

196:吾輩は名無しである
15/02/18 16:25:00.98 jAbtBEgAQ
補正)
地位の逆転あるいは変遷
→主従関係の逆転、保護する者と保護される者の地位交換

197:吾輩は名無しである
15/02/18 17:01:19.43 xLWQB6Cs/
さて、それでは何故、サンチョ・パンサはキホーテを見捨てなかったのだろうか?

『ドン・キホーテ』という物語の主意はここにある。

198:吾輩は名無しである
15/03/01 23:18:09.10 ZKQpt9XbZ
続編四十章あたりになり、ようやく公爵夫妻のキャラクターがみえてくる。
近代的理性というのがもっぱら定説のようだが、同時に上流階級の知的停滞でもある。

公爵夫妻―あるいはキホーテとサンチョを相手に公爵夫妻が行う様々ないたずら―には、これまでの登場人物にの会話に散見されていた学識や理念のようなものがみとめられない。
それらが欠落しているのではなく、そうしたものにあまり価値をおいていないのだろう。
だから彼らの行う諧謔は、手が混んではいるものの、退屈まぎれのいたずらの域を越えることがない。

第三十六章から第四十一章(続編)にかけて語られるガンダイヤ王国と木馬クラベニーニョの話には、キホーテとサンチョの地位交換と、公爵夫妻(と彼らに代表される人々)の性質が特に強く出ている。
この比較的長い話では、キホーテは受動的な立ち位置に過ぎず、ストーリーの進行と展開はもっぱらサンチョ・パンサが引き受ける。
キホーテはわずかに最終章において(その正否はともかく)天文学的知識を披露するのみにとどまっている。

この話において注目すべきは、キホーテが最後にサンチョにひそかに耳打ちする言なのだ。
 >「サンチョ、そなたも天界で見たことを人に信じさせたかろうが、わしはモンテシーノスの洞穴で見たことをそなたに信じさせたいぞ。わしからそなたに言うことはそれだけじゃ。」
 (続編第四十一章)


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch