藤井聡太≧大山康晴>>中原誠> 木村義雄>羽生善治at BGAME
藤井聡太≧大山康晴>>中原誠> 木村義雄>羽生善治 - 暇つぶし2ch37:名無し名人
22/07/07 18:23:37.62 N5oEGu2l.net
>>30
軍歌の話は「二上を指し手でいたぶって勝っていた」事例になっていないので論外だが、史実を明かすと軍歌についての誤解は大山自身が先に解いている
最初にこのエピソードを本に記したのは藤浦洸で『激闘21番勝負』の第10章で棋聖戦(1963年第3局)を解説するために12年後の1975年に大山に会った
そのときに大山のほうからこの話が出た
「二上君はいい人でね。こんな話があるんですよ。私は青春時代が丁度戦時中で、歌う歌は軍歌ばかりでした。だから、ふと口ずさむのは軍歌なんです。私はその中でも『太平洋海戦の歌』が好きでしてね。知ってますか、藤浦さん」
「たつやたちまち撃滅の─と歌うと、二上君の名が『達也』なんで、それを撃滅するとくるんで、二上さんはくさったんですな。が、何もいわないんで、私も気がつかなかったんです。
ほかの人から言われて、はじめて、『あ、悪かったな』と思いました。もっとも対局中は歌いませんでしたがね」
大山は、二上から直接でなく二上の師匠から言われたことを気にしていたようで、1983年に出した『勝負強さの人間学』(144ページ)の中でも「その歌を歌ったから二上さんが負けたわけではなかったが、私としてはまったく無意識で歌ったことであり、二上さんが気にしているとは知らなかった」「師匠の渡辺東一名誉九段からいわれて初めて悪いことをしたと気づき、以後はその歌を歌わないことにした」と詫びている
二上が『私の履歴書』でこの秘話を明かしたのはずっとあとの2000年だ
なお、二上は「対局中の高ぶっている状態では、神経にさわった」と書いているが、井口は「前夜祭で歌った」(2002年)、大山は「対局中は歌いません」(1975年)、「対局後のマージャンのときなどに、よくこれを口遊んでいた」(1991年)とあり、
対局中に口ずさんでいたとは確認されていない


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