19/12/11 22:25:04 ymYy/bN80.net
>>819
対局規定の全文が一般に公表されていないので今すぐ確認できないが
wikiによると
病気などのやむを得ない理由により、年度初めの組み合わせ抽選前に1年間の休場届を出した場合、その年度の対局予定は設定されない(全休)とあり、 また、組み合わせ抽選後に順位戦を休場した場合(途中休場)、予定されていた対局は不戦敗となると書かれている
この規定通りで大山の休場が組み合わせ抽選後なら全局不戦敗でもおかしくない
しかし、「A級とB級1組では2期連続の全休で降級する」となっているが、升田は2期連続全休が3回ありながら、そのいずれも降級になっていない
当時は「2期連続全休は降級」という規定がなかったことになる
つまり、「米長が公然と批判」しても覆らなかったのが事実なら、当時は「組み合わせ抽選後の全休は不戦敗にする」という明文化された規定がなかったとも考えられる
いずれにしても、次年度ガン手術後の張り出しで誰もが降級3名の中に入るだろうと危惧されていた大山がプレーオフを勝ち上がり中原名人に挑戦することになるとは誰も想像できなかっただろう
ここは大山の精神力を誉めるしかない