19/11/09 09:41:49.02 X6ctRfvv0.net
>>50
1947年度のものである花田戦の不戦勝2つが、手持ち資料では1948年度にカウントされていたため修正いたしました。
不戦勝不戦敗の扱いは微妙なところではありますが、手持ち資料では勝敗にカウントしているようなので
とりあえず計上しておきます。
この年度の大山はトータル5敗していますが、致命的な負けはほとんどありません。
3番勝負を3回戦い、どれも2勝1敗で「勝ち」となっているためです。
(番勝負全体で勝てば、例えば7番勝負で4勝0敗だろうが4勝3敗だろうが、価値はそう変わりません。)
さらに順位戦B級でも11勝1敗1位で「昇級」かつ「名人挑戦決定パラマストーナメント」への参加資格を得ており
これも「勝ち」の結果であるため、ここでの1敗も関係ありません。
ですから、5敗のうち「敗退」となる負けは
0122 ● 1947-05-22 高島一岐代 七段 将棋世界
この1敗だけですが、これは将棋雑誌の企画将棋か何かですかね?
詳細不明ですが、さほど重要な勝負とは感じません。つまりこの1947年度の大山はほぼ勝ちっぱなしですね。
最後の大山升田3番勝負が、有名な「高野山の決戦」となります。
2人が想定してきた木村名人への挑戦をかけての勝負ではなく、塚田新名人への挑戦をかけた勝負です。
B1位の大山対A3位の花田、勝ち上がり者がA2位の大野、さらにその勝ち上がり者がA1位の升田と戦う
4者パラマス式トーナメントでの名人挑戦権争いでした。
病気の花田相手には不戦勝となった大山が、木見門下の兄弟子2人を倒していきます。
ちなみに前名人の木村はA級で7勝7敗5位と、この年度は振るいませんでした。
失冠、環境の違いの影響でしょうか。