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羽生善治は大山康晴を超えることができるのか? 19 - 暇つぶし2ch1020:名無し名人
19/12/28 21:28:48.61 DbEZ3cvX0.net
「前竜王」「前名人」の称号はなぜ名乗られなくなったのか?
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
以下抜粋します。

近年では「前竜王」およびそれよりも歴史が古い「前名人」の呼称は、
ここ二十数年は使われなくなってきました。ここではその称号の歴史をたどってみます。
戦後の1947年。木村名人は名人戦七番勝負で若き塚田正夫八段の挑戦を受け、
2勝4敗1持将棋で敗れて、ついに名人位を退くことになりました。
木村名人の肩書は「木村前名人」に変わりました。
木村前名人という呼称は2年ほど続きました。
 1949年、木村前名人は塚田名人にリターンマッチを挑みます。諸般の事情により、
この時だけは五番勝負でしたが、3勝2敗で見事に名人復位を決めました。
 立場が替わって、この後はしばらく「木村名人」「塚田前名人」の呼称となりました。
90年。羽生竜王は谷川二冠の挑戦を受けて、竜王位を失冠。前例にならって「羽生前竜王」となりました。
羽生前竜王は20歳で、これが現在に至るまで「前竜王」の中では史上最年少の記録です。
1998年。谷川竜王・名人は、佐藤康光八段に名人位、藤井猛七段に竜王位を明け渡し、無冠となりました。
 前例にならえばその後の肩書は「谷川前竜王」、あるいは「谷川前竜王・名人」などが候補だったのかもしれません。
しかし本人が選んだのはシンプルな「谷川九段」でした。
 毎日新聞の将棋担当であった加古明光記者は、観戦記中に次のように記しています。
名人と竜王には、失冠すると「前」の肩書が1年間つく。谷川には「前名人」「前竜王」を名乗る資格がある。
しかし、本局からは「九段」である。
 これは本人の意向で「単に九段にしてほしい」とあったためだ。主催者側が言うのもおかしいが、分かるような気がする。
「前名人」を1年間名乗るのは、前期名人戦の敗北を引きずっているようなもの。敗局の屈辱感はふっ切りたいだろう。


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