19/11/02 23:23:56 PisBk4ZV.net
>>713
早くから将来を約束されたという周囲の空気は強かったが、実際には55組を
圧倒できるようになったのは名人失陥したずっと後なんだが。例えばの話、
1986年は高橋に負けて無冠に転落、高橋は2冠。88年は南に敗れて1冠、
南は2冠。むしろ、防衛戦に弱く、最年少名人という華々しいデビューの割に
防衛下手で、天才の称号もしぼみ始めていた。肝心の名人も中原に2度も取り
返され、5期も稼がれたし、瞬間最大風速の四冠も、既に時代は羽生への期待
に移行していた。
55組がそれぞれ革新した将棋の技術を全部吸収したのは羽生で間違いない。