18/12/28 23:29:58.77 JTbv5wxF.net
(捕)森下卓 対羽生 53戦14勝39敗1千日手
居飛車で矢倉に組む際に右銀の態度を決めず先に囲いを組むという「森下システム」の創始者。
歯に衣着せぬ解説をすることでも知られていたが、最近は直に視聴者からの反応が届くネットでの放送が増えたせいかやや控えめに……
なったはずだが、2015年に行われた第73期名人戦第一局では羽生にあっけなく敗れた行方に対して容赦なく苦言を呈するなど、
依然として毒が弱まっていないことを知らしめた。
森下も山崎と同様「将棋界の七不思議」の一つとして数えられる棋士であり、6回のタイトル挑戦ですべて敗れるほか、
一般棋戦でも決勝で敗れることが多々あり、「シルバーコレクター」との(不名誉な)ニックネームが付けられている。
もちろん挑戦者としてタイトルに登場したり、トーナメントで決勝に進出したりするだけでも強い棋士であることはいうまでもない。
今でこそ羽生の同年代のライバルといえば、佐藤康光と森内俊之、と相場が決まっているが、
かつては4歳年上の森下の方が羽生に立ち向かう棋士として期待されていた。
羽生が初めてタイトルを獲得することとなったのは第2期竜王戦だが、その際に挑戦者決定戦で相まみえたのは森下である(0-2で敗戦)。
1990年のC級1組でも対局しているが、その際も敗戦。羽生が10戦全勝でB級1組へと進出する一方、森下は8-2で順位差の関係もあって昇級を逃す。
1992年のB級2組でも敗戦。羽生は8-2で昇級する一方、森下は羽生戦の敗戦が響き一勝足らずで(7-3)昇級を逃した。
その後羽生はB級1組を一期抜けし、A級1期目で名人挑戦。米長を破り名人在位となったため順位戦で対局することはなかったが、
森下も1年遅れてB級1組を一期抜け、そしてA級一期目で名人挑戦したためちょうど羽生の後を追う形となる。
迎えた第53期名人戦第一局は終始森下の優勢で進んでいた……はずだったが、なんと土壇場で△8三桂という悪手を指してしまう。
結果頓死した森下は以降ペースを取り戻すことなく1-4で敗戦。