18/10/25 19:45:33.94 lZ0jX2w90.net
増川宏一氏の労作『将棋の歴史』を読むと、大正時代から昭和初期の将棋人気が活写されている
『昭和五年朝日年鑑』に「将棋熱旺盛」という見出しで日比谷公園での将棋野外講演に5000人が集まったり、将棋会はどこでも盛況で各階級から1000名の参加者も珍しくなかったと記されているという
アマチュアの有名な団体はどこも例会が盛況だった
大阪だけでも、大阪倶楽部、観音寺倶楽部、清交社、天狗会などがあり、素人将棋大会には3000名近い参加者があった
当時の日本の人口は6400万人
全国的に将棋熱が旺盛だったときに大山は5歳で将棋を覚えた
昭和五年は大山が7歳のときだ