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20160805 対談 渡辺明竜王×佐藤天彦名人「将棋新時代はボクたちが作る」 将棋世界 2016年9月号
出会いはネット将棋
―お二人の出会いの頃について聞かせてください。最初はネット将棋だったそうですね。
佐藤 僕が中学2年生くらいで、渡辺さんが高校2年生くらいでした。ネット将棋で対局したのですが、渡辺さんのことは当時は知りませんでした。
渡辺 僕は中田コーヤンさん(中田功七段)に聞いていたので知っていました。15年くらい前のインターネット将棋がはやる前ですが、その縁で天彦のことを聞き、福岡に弟子がいるけど、周りに指す人が少ないので教えてやってほしいと頼まれたのです。
佐藤 最初は、渡辺さんのことは知らずに指していましたが、まあ強さ的にもプロだろうなと思っていましたね(笑)。それだけ点数高かったり、強かったりすると目立ちますからね。それが渡辺さんだったということも、あとで師匠から聞きました。
渡辺 高校生のときはもう四段になっていましたが、対局以外は将棋連盟に行かないし、研究会も1つも入ってない。だから練習は天彦とネット将棋で指すだけなんですよ(笑)。公式戦以外は、そういう感じの生活でしたね。だから天彦とか、ほかには糸谷君(哲郎八段)とはよく指しましたよ。
佐藤 糸谷さんもたくさん指すのでよくネット将棋で会いましたね。
渡辺 僕は糸谷君から点数を奪ってたんだ。点数が少なくなってくると、糸谷狩りと称して(笑)。
―当時はそれほど実力差があったのでしょうか。
渡辺 糸谷君は天彦よりも少し弱かったんだよね?でも、すぐに追いついてきました。
佐藤 僕が中学2年生のときに糸谷さんは1年生で、たしかまだ奨励会の級位者でしたね。
渡辺 ところが、糸谷君があるとき急に強くなったんです。それまでは9-1くらいで圧倒していたのですが、7-3、6-4とどんどん追い込まれて、全然狩れてない。むしろ強敵になってきて(笑)。「あー、ついに中の人が変わったのかな」と思ったんですね。そうではなくて、本人が強くなったというのを聞いて、この子は才能があるなと思いました。
渡辺 糸谷君と面と向かってそういう話をしたことがないので、あのときのネット将棋の相手が本人だったのかどうかも、確認しないと分かりません。(編集部注・糸谷八段に本人と確認済み)