高齢出産婆が大っ嫌い!!at BABY
高齢出産婆が大っ嫌い!! - 暇つぶし2ch391:名無しの心子知らず
22/03/03 19:11:07.60 cylVMPkQ.net
381 ロリ7探求家 (ヒッナー MM66-N3Bo) 2022/03/03(木) 18:43:56.65 ID:Kus9pLUZM0303
目下、ロシアが隣国ウクライナに軍事侵攻して戦争が起きている。約30年前、わが母・美代子(当時43)の胎内でもかつて熾烈な『受精戦争』が起きていたのだ。
その日、父・永吉(当時40)は普段にも増してムラムラしていた。勤めている衣料品販売店に若くてセクシーな新人女子・ナオミ(20)が入ってきたのだ。
永吉「ンフーッ!! ナオミちゃんのボインのオッパイ、くびれた腰、プリッとしたお尻!ボンキュッボン(死語)でたまんないねぇ!むしゃぶりつきてぇムホォ…」
しかし表面的には真面目ぶったイケオジ気取りの永吉には、仕事中にナオミの豊満な身体をチラリと盗み見ることしかできなかった。
永吉は年齢の割に性欲が盛んだった。「このままではナオミちゃんを犯してしまいそうじゃ!おっかさん、今晩は抱かせてけろ!」
スレリンク(baby板:306番)- に続く
この時、永吉の男性器内では精子軍たちに向け出動要請の警報が鳴り響いていた。(警報:ウォーーン↑ウォーーン↑)「出撃用意!総員配置につけ!」
精子A「ついにこの時が来たな…(ゴクリ)」精子B「ついに俺たちも出征だな」精子C「どんな卵子ちゃんが待っているんだろう。可愛い子だといいなぁ」
永吉「んっ゛そろそろ出そうや!美代子、中に出すど!ドピュッ...ドピュッ」
精子A「出撃~~!!」B「行け行けー!! とにかく突っ切れ」C「脇目を振らずに卵子目指してまっしぐらだ!」勢いよく出撃した精子たちは異変に気づく。
精子A「ん?なんかおかしくね?暗いし色もくすんでるし、悪路で走破性も悪い。異臭もする。聞いてたのと違うぞ」B「余計なことは考えるな、前進あるのみ」
精子「前方注意、強酸弾が飛来。うわーっ!!」ご存知の通り、膣の中は強い酸性だ。この時点で多くの精子が苛烈な酸攻撃で戦死していった。
その後も悪路や悪天候、度重なる酸攻撃にも負けずに生き残った精子たちが前進を続けた。最後の難関である狭隘な子宮頚部を通り抜け、子宮内へと到達した。
40歳を超えた永吉が製造した精子は全員ヨボヨボの老兵だった。老兵たちが力尽きて斃れかかったとき、前方に光り輝くものが見えた。
精子「もしかして、あれが卵子?」精子は最後の力を振り絞り歩を進める。しかしそこに鎮座していたのはシワシワの卵子だった。(続)

392:名無しの心子知らず
22/03/21 08:43:46.92 rGvcq+7s.net
58 ロリ7探求家 (ブモー MMae-EoQL) 2022/03/21(月) 02:00:21.47 ID:kf6H+Xi1M
負け組の俺が親ガチャ失敗だとか親の文句を垂れると必ず「親のせいにするな!」「お前の努力不足だ、自己責任だ」という声が上がる。
よかろう。たまには反対意見も聞き入れて、親側の視点に立って客観的に物事を考えてみようじゃないか。確かに「ガチャを引いた」のは親の側ではあるよな。
以下は俺の生物学上・法律上の父親である永吉の独白という体でジジイの言い分や心情を想像してみよう。根本家のファミリーヒストリー、スタート!
底辺家系図(再掲) URLリンク(i.imgur.com)
死の床で永吉は静かに語り始める。オレは根本永吉、今年で71歳になる。戦後に生まれたいわゆる団塊の世代だ。宮城県北部にある片田舎の貧しい家に生まれた。
オレのお袋は場末の酒場で給仕をしていて、片手で何杯ものジョッキを運べたそうだ。一方で親父は頑固一徹の厳しい男だった。
何か気に食わないとよくぶたれたよ。二人の馴れ初めは聞いていないが、おそらくその酒場に客として来た親父がお袋を見初めたってとこだろう。
きょうだいは姉が二人、弟が一人。だからオレを含めて四人だった。だが時代が時代だから長姉は生まれてすぐに死んだし、弟も少年の時に病気で死んだ。
頑固親父はオレが生まれた時には既に片脚のないカタワだった。なんでも病気で片脚を切断して、治療費を捻出するために田んぼをだいぶ切り売りしたらしい。
第二次大戦中、親父は身体障害者ってことで兵役免除で戦争には行かなかった。サイオーが馬?ってやつだな。(筆者注:中国の故事『塞翁が馬』のことだろう)
URLリンク(kotobank.jp)
親父は傘職人をしていて、お袋に仕事場まで自転車の後ろに乗せられて送り迎えしてもらっていた。その親父もオレが中学生の時に病気で死んだよ。
元々 親父との関係は良くなかったから死んでも何とも思わなかったよ。むしろ仏壇にあがった供え物を見て「このメロン食えんのがぁ!」と喜んだくらいだ。
一家の大黒柱を失ったわが家だが、親父は稼ぎが少なく稼ぎ頭ってわけでもなかった。傘職人とは言ってもいわば障害者の作業所みたいな仕事だったのだろう。(続)
詳しくはここを読んでほしい(>>314以降を参照)

393:名無しの心子知らず
22/03/21 08:44:58.15 rGvcq+7s.net
59 ロリ7探求家 (ブモー MMae-EoQL) 2022/03/21(月) 02:20:50.81 ID:kf6H+Xi1M
【永吉の回想(つづき)】長姉も弟も親父も死んで、存命の姉もいずれは嫁ぐし、女手一つで育ててくれたお袋を支えるのは長男のオレしかいなかった。重責がオレの肩にかかってた。
若くして死んだ弟の分も背負ってオレが生きていくと強く心に誓ったんだ。しかし高校進学は諦めたよ。家庭の事情ってやつだな。オレは中卒で働きに出ると決めた。
そう、自慢ではないがオレは中卒だ。片田舎で遠くの中学校まで毎日歩きで通ったし、ガキ大将にいじめられもしたさ。「や~い お前の親父、兵役逃れの非国民!」ってね。
その後は日雇いの仕事を転々とした。工場、工事現場、交通誘導。新聞配達もやったな。学歴のない坊主が就ける仕事は限られていた。日銭を稼ぐのに精一杯だった。
オレが劣悪な労働環境でこき使われてる間に数年が経ち、中学の同級生は大学に進学したり自分の会社を興したりしてた。オレは周りに後れを取っていて焦っていた。
こんな田舎町でつまらない仕事をしていても埒が明かないと、母をひとり田舎に残して後ろ髪を引かれながらも県都に出稼ぎに行くことにした。オレが20歳の時のことだ。
時は1971年、日本は高度経済成長期の真っただ中にあった。県都は急激に人口増加が進んでいて栄えていた。地元町とのあまりの落差に驚愕し目を瞠った。[...]
都会へ出ると地元のことや過去の不幸なんかすっかり忘れて、まるで人生が開けるような、何でもうまくいきそうな気分になれた。人生に新しい風が吹き込んだんだ。
田舎から出てきたオレは初めこそ右往左往していたが、数ヶ月も経つと都会生活にも慣れて繁華街・国分町の歩き方も分かるようになってきた。
繁華街ではボディコン姿のセクシーな女たちが行き交い、目の保養になった。女遊びも少しは覚えて、仕事そっちのけでオレはキャバレーのミチコさんに夢中になった。
ミチコさんに惚れ込んでのぼせ上り本気で交際を申し込んだが、所詮は客と接待側。あっさり袖にされた。頭が冷えた俺は女遊びをやめてデパートに就職口を見つけた。
これが25歳の時。このデパートで同僚の美代子さんと知り合うことになる。のちの妻である。3歳年上で、どことなくキャバレーのミチコさんに似ていた。(つづき)

394:名無しの心子知らず
22/03/21 08:45:35.37 rGvcq+7s.net
71 ロリ7探求家 (ブモー MMae-EoQL) 2022/03/21(月) 07:51:58.52 ID:kf6H+Xi1M
【永吉の回想(つづき)】学歴も同じ中卒で実家が貧乏子沢山など家庭環境が似ていたこともあり美代子さんとはすぐに意気投合した。
彼女は他のきょうだいに代わって、仕事の傍ら実家の切り盛りを一手に引き受けているという。炊事、洗濯、掃除、畑仕事、飼い猫の世話。果ては町内会の仕事まで。
オレは家庭的な彼女に次第に深く惹かれていった。ほどなくして交際が始まった。恥ずかしながら人生で初めての恋人であり、晴れてオレたちはアベックとなった。
URLリンク(i.imgur.com)
交際も2年目となり、お互いそろそろ結婚を考える時期に差しかかっていた。1977年、当時27歳。周囲の同世代、すなわち第一次ベビーブーム世代たちは次々に結婚していった。
当時はみんな結婚して当たり前という時代だった。美代子さんも30歳を目前に焦っているようだった。オレだって一生 独身はイヤだし世間体が悪い。結婚してお袋を安心させたかった。
美代子さんは年上で姉御肌だし家事もできる。一人暮らし時代は炊事や洗濯が面倒で仕方がなかった。不摂生な生活が続いたよ。ゆくゆくはお袋の介護もしてくれそうだ。
男は外で稼いできて、女は家で家事と子育て。他に適当な相手もいなかったし、美代子さんと夫婦(めおと)になるのは自然な流れだった。そしてオレが27歳、妻が30歳の時に結婚したんだ。
60歳になるお袋のことも心配だったから、結婚を機にオレの地元に二人して帰ることにした。妻にとっては見ず知らずの土地での再出発だ。しかも姑との同居。
昭和の時代だったからオレの見ていないところで嫁イビリもあったろう。嫁姑問題に加えて、隣近所や新しい仕事場での人間関係。妻は苦労したと思う。
一方オレは結婚してから地元の衣料品販売店に転職して縫製や販売の仕事を始めた。仕事内容や待遇、人間関係には満足しており、やりがいを感じていた。
結婚して数年目、初めての子どもができた。女の子だ。ついにオレも父親になるのかと期待と不安が半々だった。何もかも順調に進んでいた。
学歴も大した実績もないオレだって、結婚して子どもをもうけて幸せな家庭を築けるんだ。どんなもんだい!えっへんのへん!(つづく)

395:名無しの心子知らず
22/03/21 08:46:06.71 rGvcq+7s.net
72 ロリ7探求家 (ブモー MMae-EoQL) 2022/03/21(月) 08:39:42.08 ID:kf6H+Xi1M
【永吉の回想(つづき)】第一子の長女はすんなり妊娠したが、妻は子どもができにくい体質のようで第二子がなかなかできなかった。
幾度も熱い夜を過ごしたが二人目は一向に授からなかった。最後は愛とか快楽とかどうでもよく、擦って出すという機械的な作業になっていた。
娘はやがて嫁に出すし、オレたちの老後の面倒を見てくれる男の子が必要だったのだ。よく一姫二太郎というだろう。
ところで当時は半端者でも無学歴でも努力さえすれば人並みの生活が手に入る時代だった。働けば働いた分だけ金が手に入った。
カラーテレビ、レーザーディスク、クーラー、マイカー、そして家族。すべて手に入れた。しかしオレたちに欠けているものが一つだけあった。
夢のマイホームだ。子どもが生まれてからもオレたち夫婦とお袋は古い実家に住み続けた。トイレは汲み取り式のボットン便所だし、柱や床も傾いている。
娘が年頃になってくると古びた家から出入りするのが恥ずかしいのか、敷地を遠回りして忍ぶように学校へ行くようになった。
独立、就職、結婚、子ども、そしてマイホーム。控え目な妻からも暗に圧力をかけられている。男は家を建てて一人前、新しい家族の城を買うことに決めた。
1990年、古い家を取り壊して同じ土地にマイホームを新築した。年齢を重ねてからの新築、ついつい見栄を張って5LDKの広い間取りにした。
当時は利率が6%を超える高金利の時代だった。しかも固定金利。正直マイホーム購入を躊躇ったよ。数千万円の負債を一手に負うのは相当の勇気を要した。
ローンを組むにしてもオレの収入だけでは足りず、銀行から借りられる金額に上限があった。妻にも協力してもらって妻名義でも数百万円の借り入れをした。
しかし着工して基礎ができ、骨組みができ、目の覚めるような目映い白い漆喰の外壁ができると、数十年にわたるローン返済の不安は一瞬で吹き飛んだ。
とはいえ家計に重くのしかかる住宅ローンの返済にマイカーの維持費。生活はカツカツだった。そして翌1991年、長らく続いたバブル経済が崩壊した。
日本の歴史的転換点だったが、のちのリーマン危機に伴う不景気に比べればまだマシだった。そしてさらにその翌年、さらなる重圧がのしかかる。(つづく)

396:名無しの心子知らず
22/04/03 19:31:44.87 6GosP2+8.net
420 ロリ7探求家 (ブモー MM9e-S4Tm) 2022/04/03(日) 19:27:27.53 ID:48vK9/g1M
【ロリ活日記 2022.4.3(日)・終日快晴】近所の公園は家族連れで大盛況であった。次から次へと新しい幼女がステージインしてくる。
親子を観察してると子どもとの接し方がなってない父親っているよな。義務的に仕方なく子どもの相手してる様子のやつ。
ブランコに乗ってたら隣に年少の兄妹+父親の三人が来て、妹がブランコに乗ってお兄ちゃんが後ろで背中を押してやってた。
兄妹仲良くていいなーって和んでたんだけど、お兄ちゃんの押し方が雑だったのか左右に曲がってテンポよくスイングしない。
そしたら父親が「まっすぐ押せ、まっすぐ。ほらまだ曲がってる。なんだヘタクソだなぁ(イラァ…)」って気色ばんでた。
文面からすると若いヤンキーパパを想像するだろうが、実際は40代くらいの冴えないオッサン。そして言い方がうちの父親そっくりだった。
うちのクズパパも昔「ほら、そうじゃねーでば!」「なんでできないがなぁ」「いっそ辞めたらいいじゃない」とか言ってたタイプ。
かんたんケータイも使えない池沼のくせによ。自分が何かをこなせないのは棚に上げて、他人が物事をできないのは気に食わないらしい。
失礼だけど公園の中年パパも年を食ってから急に世間体が気になってきて、普通の人生を追い求めて大急ぎで結婚して子ども作ったんやろなぁ。
あの態度からは子どもとの時間を心から楽しむ様子が感じられないね。妻に「春休み中の日曜日くらい子どもと遊んでやってよ!」って
促されて公園に来たのかなw あれじゃモテないだろうし道理で若いうちに結婚できないわけだ。あの兄妹はどうか真っ直ぐ育ってくれよな!
おっと他人の事情なのに臆測だけでちょっと言い過ぎたわ。許してほしい。俺はダメな男を父親に持ってしまったから義憤に駆られたんだわ。
そういえば俺も両親に遊んでもらった記憶ってあんまないんだよな。その代わりに同居してた父方の祖母に遊んでもらった記憶なら山ほどある。
父親は仕事に忙しく子育てに無関心だし、母親も「40代での出産・子育てって大変だわ~。そうだ!義母に面倒を見てもらっちゃおうかしらね♪」
って感じで丸投げしてたんだろうな。うちの高齢母は「アンタはおばあちゃんっ子だったからねぇ…」って言うけど軽く育児放棄してただけじゃないか。

397:名無しの心子知らず
22/04/08 14:17:32.40 8+nxtGms.net
すみませーん


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