09/02/06 17:35:35 UbUO+0j1.net
今年1月に行なわれた「2009 International CES」での話だ。ある日本企業が、
デジタル放送向けの著作権保護技術(DRMチップ)を参考出展していた。
そのブースを訪れた米国の記者が「これは何だ?」と質問していたのだが、
答えに耳を澄ますと、誰もが「それは人々の自由を阻害するものだ」とつぶやいて立ち去っていったという。
日本では地上デジタル放送に「ダビング10」というコピー制御信号が埋め込まれ、
視聴者の無制限なコピーを防いでいるが、米国では現在もデジタル放送にDRMをかけていない。
しかし、どういうわけか海外の放送局やコンテンツホルダーには、「日本は放送にDRMをかけて儲かっている」
という話が一人歩きしているようで、今になって日本のB-CASが注目されているのだとか。
だが、面白いことにメディアや記者の意識の中にがっちり「自由」というものが埋め込まれている米国で
そもそも視聴者に対して不当にコピー制限をもたらすようなものは報道されない。
実際導入されたとしても、仕組みとして受け入れられることはないだろう。
米国は、民意の強い国である。今ある自由は権利として勝ち取ったものであり、それを守るために戦うという意識が強い。
米国のTVドラマや映画などのフィクションでは、自由が抑圧された別社会が描かれ、
それに抵抗するレジスタンスの話が結構ある。60年代に制作されたテレビシリーズの「スタートレック」ですら、
このようなエピソードが多い。こうして常に「もし自由がなかったら」をシミュレーションすることで、
正しい自由のあり方に対して鞭を入れるようなところがあるのではないかと思う。
「日本に自由がない」と言いたいわけではない。ただ、「自由の勝ち取り方」が違うのだ。
日本の場合は、誰かが苦労して勝ち取った自由をシェアするというのが基本的な枠組みになってい
言い換えれば、「日本的な自由」は、「平等である」という観点が中心に置かれることで、シェアすることが可能になっているのだ。
後略
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