22/08/11 00:15:20.61 BweYRg59.net
>>19
相手による。
稜堡式城郭とも呼ばれる星形要塞は、ナポレオンの登場で廃れたが、その全盛期はナポレオン登場前のヴォーバンの時代で、その為ヴォーバン様式とも呼ばれている。
しかし、そのヴォーバンの前の時代から、イタリアではフランスの砲兵に対抗するため、城壁を低くして城塔の前衛に稜堡を築き、緊急的に対処する事が行われていた。
ただしイタリアで使われ始めたのは15世紀の中頃で、この時代にはまだ日本に鉄砲が伝わっていない。フランスに伝わったのが悪い15世紀末から16世紀にかけて。
この頃になってやっと日本にも鉄砲が伝わり、長篠の戦いでようやく鉄砲の集団運用がされるようになったので、このぐらいにならないと真価を発揮しない。
なお稜堡式城郭の特徴は、多数の方向から互いに援護しあうため、射線を遮らないよう斜めにカットされた稜堡を築くところに特徴がある。
また水平方向だけでなく、垂直方向にも射線を作るため、実は稜堡の前に上り坂になるよう土手を築いており、一般的な城壁と違い、土手と鋸壁の高さが同じぐらいになる。
(一見すると攻城坂のようで、乗り越え易すそうに見える)
従って、稜堡式は火力に頼った攻撃的な防衛設備であり、一定数の兵士と銃砲を必要とし、それらが無い場合はむしろ既存の城より防御力が落ちてしまう。
そもそも日本の城だって、槍で戦う場所と弓矢で戦う場所では設備も規模も変わってくる。なので、敵味方が鉄砲や大砲を持ってる状況でなければ無意味。